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関所 2
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ブン。
空気を押さえつけるような鈍い風切り音で、角ばった棒が振り下ろされる。ゆっくりと目の前に迫ってくるようでいて、避けようにも体は微塵も動かなかった。
頭の上に振り下ろされると観念しても、出来たのは目をつぶるだけだった。
それさえも、満足に出来たとは言い難い。振り下ろされる棒と同じく、まぶたも非常にゆっくりと動き視界を塞ぐのにかなりの時間を要する。懸命に閉じようとしても、角材に額を割られるのと、どっちが先だろうかなどと、狭まり始めた視界で考えていた。
そんな非現実めいた視界の中で、突然、巻き戻されたかのように振り下ろされた棒が空へと跳ね上がった。
いや、それは、振り下ろされていた。兵士の手元から僅かに残して斬り飛ばされたのだ。
全てがゆっくりと動いていた視界の中で、いつ刀を抜き、いつ振り抜いたのか。
義藤が走り出した時、反対側に随分先へと進んでいたはずだったが、その距離でさえなかったかのように。
何もなかったように、六角義賢は刀を収めたまま、すらりとそこに立っていた。
「賢秀!」
張り詰め動きを止めた空気に義賢の声が響いた。
遠くに取り巻いていた人垣を跳び越えて蒲生賢秀が姿を現す。人の頭を軽々と跳び越え、空中で懐から何かを取り出し地面に投げつけた。
小さな炸裂音がして、一瞬にして視界が塞ぐ煙が立ち込めた。
煙幕だ。
だが、ただの煙ではない。複数の刺激のある粉末が混ざっている。目の前に迫る煙に慌てて目を閉じたが、既に遅く、ひりつく刺激に涙が溢れ出し開ける事が出来なかった。慌てて目をかばう様に手を上げたが、吸い込んだ煙が喉の奥で棘の付いた玉のように跳ねまわた。
吐き出そうと咳き込んだが、痛みは増すばかりで、周りからも同じように咳き込む声が聞こえる。目も開けられず、声も出せない。手探りで進もうにも周囲から聞こえる咳き込む音にかえって状況がつかめずにいたが、急に体が浮き上がった。
「動かないでくださいよ」
蒲生賢秀の声だ。木製の台の上に乗せられ、藁で編んだ筵をかぶせられた。
不意に台が揺れ、動き出した。
野菜でも運ぶように荷車に乗せられているのだ。運ばれる揺れに、どこか掴まる場所はないかと手探ってみると、少し暖かく柔らかい物が触れた。強く握ったら潰れてしまいそうな感触に慌てて手を引っ込めた。
それは、薄っすらと汗で濡れるほど堅く握られた小さな手だった。
義藤の隣で体を小さく丸めて、荷車の上に寝転がっている。あれほど強かった刺激は消え去り、目を開ける事に苦痛は感じなかったが、娘は何が起こっているのか知りたくないと言わんばかりに強く眼を閉じ、まぶたに涙がにじんでいた。
触れた事で余計に怯えさせてしまったのだろうか。
柔らかな儚げな感触に胸が高鳴った思いが罪悪感を掻き立てる。娘の置かれている現状が自分の取った行動の結果なのだと責め立てているようだった。
地面の小石に車輪が乗り上げ、荷車が軽くはねた。慌てて頭を抱えて、荷台の板に額を付ける。大袈裟ではあったが、そうしていないと余計な考えに気を取られ舌を噛みかねない。娘がしっかりと目を閉じていたのも、同じ意味合いだったのだろうか。
「こっちですよ」
荷車を揺らしながら取りを走り抜けいくつか角を曲がると、潜めたような揶揄うような呼びかけが聞こえた。荷車は声に導かれるように小道に入り、土塀の間に奥まった小さめの門から屋敷の中へ入って行った。厚めの木の門が擦れる音を上げて閉められ、荷車は庭の奥へと引き込まれて止まった。
「これはまた、妙なのが増えましたね……」
三雲成持が眉を寄せた。
体を起こして初めて、荷車の上には、娘の他にもう一人、刀を持っていた男も寝かされていたことに気づいた。騒ぎの元凶となっていた男だ。娘と違って、本当に気を失っているようだ。あの場所に残しておけば、酷く責め立てられただろう。義賢たちの事を何一つ知ってはいなくても放ってはおけなかったのだ。どちらも助けられていたのだと胸を撫で下ろし、荷車から降りようとすると脇から腕を支えられた。
「……縁に立つと危ないですよ」
大きな手のひらと長い指は義藤の二の腕を一回りしても余るほどだ。その手に支えられると荷車が軽く揺れた。左右に一つずつの車輪で立っているため、重心がずれると前後に大きく傾いて転がり落ちていただろう。
こんな事ですら……、一人で満足にできない。
情けなさを責め立てる思いが礼を言うのも忘れさせ、手を引かれるままに、とぼとぼと奥の座敷向かって歩いていた。背後では家人に指示を出す三雲成持の声が聞こえていたが、娘たちの行く末まで考えを巡らす余裕もなかった。
空気を押さえつけるような鈍い風切り音で、角ばった棒が振り下ろされる。ゆっくりと目の前に迫ってくるようでいて、避けようにも体は微塵も動かなかった。
頭の上に振り下ろされると観念しても、出来たのは目をつぶるだけだった。
それさえも、満足に出来たとは言い難い。振り下ろされる棒と同じく、まぶたも非常にゆっくりと動き視界を塞ぐのにかなりの時間を要する。懸命に閉じようとしても、角材に額を割られるのと、どっちが先だろうかなどと、狭まり始めた視界で考えていた。
そんな非現実めいた視界の中で、突然、巻き戻されたかのように振り下ろされた棒が空へと跳ね上がった。
いや、それは、振り下ろされていた。兵士の手元から僅かに残して斬り飛ばされたのだ。
全てがゆっくりと動いていた視界の中で、いつ刀を抜き、いつ振り抜いたのか。
義藤が走り出した時、反対側に随分先へと進んでいたはずだったが、その距離でさえなかったかのように。
何もなかったように、六角義賢は刀を収めたまま、すらりとそこに立っていた。
「賢秀!」
張り詰め動きを止めた空気に義賢の声が響いた。
遠くに取り巻いていた人垣を跳び越えて蒲生賢秀が姿を現す。人の頭を軽々と跳び越え、空中で懐から何かを取り出し地面に投げつけた。
小さな炸裂音がして、一瞬にして視界が塞ぐ煙が立ち込めた。
煙幕だ。
だが、ただの煙ではない。複数の刺激のある粉末が混ざっている。目の前に迫る煙に慌てて目を閉じたが、既に遅く、ひりつく刺激に涙が溢れ出し開ける事が出来なかった。慌てて目をかばう様に手を上げたが、吸い込んだ煙が喉の奥で棘の付いた玉のように跳ねまわた。
吐き出そうと咳き込んだが、痛みは増すばかりで、周りからも同じように咳き込む声が聞こえる。目も開けられず、声も出せない。手探りで進もうにも周囲から聞こえる咳き込む音にかえって状況がつかめずにいたが、急に体が浮き上がった。
「動かないでくださいよ」
蒲生賢秀の声だ。木製の台の上に乗せられ、藁で編んだ筵をかぶせられた。
不意に台が揺れ、動き出した。
野菜でも運ぶように荷車に乗せられているのだ。運ばれる揺れに、どこか掴まる場所はないかと手探ってみると、少し暖かく柔らかい物が触れた。強く握ったら潰れてしまいそうな感触に慌てて手を引っ込めた。
それは、薄っすらと汗で濡れるほど堅く握られた小さな手だった。
義藤の隣で体を小さく丸めて、荷車の上に寝転がっている。あれほど強かった刺激は消え去り、目を開ける事に苦痛は感じなかったが、娘は何が起こっているのか知りたくないと言わんばかりに強く眼を閉じ、まぶたに涙がにじんでいた。
触れた事で余計に怯えさせてしまったのだろうか。
柔らかな儚げな感触に胸が高鳴った思いが罪悪感を掻き立てる。娘の置かれている現状が自分の取った行動の結果なのだと責め立てているようだった。
地面の小石に車輪が乗り上げ、荷車が軽くはねた。慌てて頭を抱えて、荷台の板に額を付ける。大袈裟ではあったが、そうしていないと余計な考えに気を取られ舌を噛みかねない。娘がしっかりと目を閉じていたのも、同じ意味合いだったのだろうか。
「こっちですよ」
荷車を揺らしながら取りを走り抜けいくつか角を曲がると、潜めたような揶揄うような呼びかけが聞こえた。荷車は声に導かれるように小道に入り、土塀の間に奥まった小さめの門から屋敷の中へ入って行った。厚めの木の門が擦れる音を上げて閉められ、荷車は庭の奥へと引き込まれて止まった。
「これはまた、妙なのが増えましたね……」
三雲成持が眉を寄せた。
体を起こして初めて、荷車の上には、娘の他にもう一人、刀を持っていた男も寝かされていたことに気づいた。騒ぎの元凶となっていた男だ。娘と違って、本当に気を失っているようだ。あの場所に残しておけば、酷く責め立てられただろう。義賢たちの事を何一つ知ってはいなくても放ってはおけなかったのだ。どちらも助けられていたのだと胸を撫で下ろし、荷車から降りようとすると脇から腕を支えられた。
「……縁に立つと危ないですよ」
大きな手のひらと長い指は義藤の二の腕を一回りしても余るほどだ。その手に支えられると荷車が軽く揺れた。左右に一つずつの車輪で立っているため、重心がずれると前後に大きく傾いて転がり落ちていただろう。
こんな事ですら……、一人で満足にできない。
情けなさを責め立てる思いが礼を言うのも忘れさせ、手を引かれるままに、とぼとぼと奥の座敷向かって歩いていた。背後では家人に指示を出す三雲成持の声が聞こえていたが、娘たちの行く末まで考えを巡らす余裕もなかった。
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