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伊賀の忍者 1
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六角義賢たちが逃げ込んだ先は、堺の外れにある商人・氏駒屋の屋敷だった。行き当たりばったりで飛び込んだのではなく、六角家の領地の一つ伊賀の商家で、中心地から離れているとはいえかなりの広さがある。
堺は、財力、武力だけでなく、先々代の将軍がこの地に居を構えて以来、自治権を有し、武家の者たちでもおいそれと踏み込む事は出来ない。身をひそめるには格好の場所だった。
「伊賀屋敷を使う事になるとは、ね」
三雲成持は不満そうに鼻を鳴らした。
「あのまま城を抜ける訳にも行くまい」
「分かってますよ……」
そう言いつつも胡乱な目を辺りへ向けた。
「ですが伊賀の連中ときたら、金を集める事にばかり、ご執心なようで」
部屋の中は元より縁側の柱も磨かれたように艶やかで月明りで輝き、庭木には梅や桃が季節ごとの花をつけるように植えられ枝の先に至るまで切り整えられている。足元に生える雑草さえ、緑を添えるために計算されて手入れされているのかとさえ思えた。
「こういう体裁も必要なのさ。商いの駆け引きにはな。それに、眺めているだけで心も休まる」
「まぁ、確かに……」
庭や屋敷の見事さは三雲成持も認めぬわけにもいかず、義賢の迷走を邪魔しないためか、零すように呟いた。静まった庭にことりと勝手口の閉まる音が響く。戸口の方から蒲生賢秀が細かい石を敷き詰めた庭を足音も立てずにやって来た。
「関所はかなり厳重な警戒を敷いてます。抜けるのは、少なくとも直ぐには無理かと。大きく南へ回るのが最善の策だと思います」
「そうか……」
義賢は短く答えた。
「伊賀の里へ向かう事になるのか?……」
遠く離れた甲賀と違って、地の利があるとはいえ伊賀の世話になりっぱなしなのは納得がいかずに、三雲成持は唸った。しかし、他に妙案もない。飯盛山城の関所を避けて、南から大きく回り込むように近江を目指す。後は、出発を何時にするかだ。警戒を緩めるのを待つか、包囲が完成してしまう前に抜け出すか。
「そう決まった訳でもありませんよ」
世間話に混ざるかのように軽い声だったが、三雲成持と蒲生賢秀は、咄嗟に猫のように体を柔軟にしならせて身構えた。密談を聞かれたから、と言うよりは、そこまで近づいた相手に気づかなかった事に酷く警戒し合ためだった。決して気を緩めていた訳ではないが、自分自身への戒めが相手への敵意を張り詰めさせる。
しかし、相手はそんな空気も心地よいそよ風のように流して廊下を歩いてくる。と言っても、六角義賢からは随分と離れた足元だけが月明かりの下に出る場所で足を止めた。それは、主従としての礼儀であり、互いに一太刀で斬り合えぬ距離を保つ意味もあった。
「聞こうか。音羽半蔵」
顔はしかと見えぬのに相手の名を言い当てたが、相手もそれを少しも驚いてはいなかった。
「関所で騒動を起こした相手を捕まえるなら、南へ向かう街道を真っ先に押さえているでしょう。これは相手の罠に飛び込むような物。次に、警戒が緩むまで身を潜めようにも、屋敷から出て来るまで待てばよいだけ、楽な物です」
「何をしても八方塞がりだと言うのか?」
ゆっくりとした物言いに、三雲成持が苛立った声を上げる。
「そうは言いませんが、時間を掛けてはいられないのでしょう?」
「当たり前だ。伊賀者のようにのんびりしているつもりはない」
皮肉を言われてもまるで意にかえさず丁寧に説明を続けた。
「関所から逃走する手際の良さ、こちらが何者か、おおよそ察しがついているはずです。そして、次は包囲が完成する前に抜け出そうとする、と考えるでしょう。ならば、三好実休は罠を仕掛けても掛かるまで待ちきれない男。街道に厚く網を張るが、自身も飯盛山城の関所まで出張って、捕らえたという報告が来るのを待っているはずです」
「まさか、飯盛山城の関所を突破しろと言うのか?」
「わざわざ注意を引いた場所に、戻って来るとは思いますまい」
相手の意表をつくと言っても、もっとも分厚い場所を抜く正面突破など、無策と変わらない。一か八かの賭けに乗らなくとも代わりの策などいくらでもあると言おうとしたが、これまで黙って聞いていた六角義賢が一言だけ尋ねた。
「抜けられるのだな?」
「如何にも」
音羽半蔵も一言で答えた。
堺は、財力、武力だけでなく、先々代の将軍がこの地に居を構えて以来、自治権を有し、武家の者たちでもおいそれと踏み込む事は出来ない。身をひそめるには格好の場所だった。
「伊賀屋敷を使う事になるとは、ね」
三雲成持は不満そうに鼻を鳴らした。
「あのまま城を抜ける訳にも行くまい」
「分かってますよ……」
そう言いつつも胡乱な目を辺りへ向けた。
「ですが伊賀の連中ときたら、金を集める事にばかり、ご執心なようで」
部屋の中は元より縁側の柱も磨かれたように艶やかで月明りで輝き、庭木には梅や桃が季節ごとの花をつけるように植えられ枝の先に至るまで切り整えられている。足元に生える雑草さえ、緑を添えるために計算されて手入れされているのかとさえ思えた。
「こういう体裁も必要なのさ。商いの駆け引きにはな。それに、眺めているだけで心も休まる」
「まぁ、確かに……」
庭や屋敷の見事さは三雲成持も認めぬわけにもいかず、義賢の迷走を邪魔しないためか、零すように呟いた。静まった庭にことりと勝手口の閉まる音が響く。戸口の方から蒲生賢秀が細かい石を敷き詰めた庭を足音も立てずにやって来た。
「関所はかなり厳重な警戒を敷いてます。抜けるのは、少なくとも直ぐには無理かと。大きく南へ回るのが最善の策だと思います」
「そうか……」
義賢は短く答えた。
「伊賀の里へ向かう事になるのか?……」
遠く離れた甲賀と違って、地の利があるとはいえ伊賀の世話になりっぱなしなのは納得がいかずに、三雲成持は唸った。しかし、他に妙案もない。飯盛山城の関所を避けて、南から大きく回り込むように近江を目指す。後は、出発を何時にするかだ。警戒を緩めるのを待つか、包囲が完成してしまう前に抜け出すか。
「そう決まった訳でもありませんよ」
世間話に混ざるかのように軽い声だったが、三雲成持と蒲生賢秀は、咄嗟に猫のように体を柔軟にしならせて身構えた。密談を聞かれたから、と言うよりは、そこまで近づいた相手に気づかなかった事に酷く警戒し合ためだった。決して気を緩めていた訳ではないが、自分自身への戒めが相手への敵意を張り詰めさせる。
しかし、相手はそんな空気も心地よいそよ風のように流して廊下を歩いてくる。と言っても、六角義賢からは随分と離れた足元だけが月明かりの下に出る場所で足を止めた。それは、主従としての礼儀であり、互いに一太刀で斬り合えぬ距離を保つ意味もあった。
「聞こうか。音羽半蔵」
顔はしかと見えぬのに相手の名を言い当てたが、相手もそれを少しも驚いてはいなかった。
「関所で騒動を起こした相手を捕まえるなら、南へ向かう街道を真っ先に押さえているでしょう。これは相手の罠に飛び込むような物。次に、警戒が緩むまで身を潜めようにも、屋敷から出て来るまで待てばよいだけ、楽な物です」
「何をしても八方塞がりだと言うのか?」
ゆっくりとした物言いに、三雲成持が苛立った声を上げる。
「そうは言いませんが、時間を掛けてはいられないのでしょう?」
「当たり前だ。伊賀者のようにのんびりしているつもりはない」
皮肉を言われてもまるで意にかえさず丁寧に説明を続けた。
「関所から逃走する手際の良さ、こちらが何者か、おおよそ察しがついているはずです。そして、次は包囲が完成する前に抜け出そうとする、と考えるでしょう。ならば、三好実休は罠を仕掛けても掛かるまで待ちきれない男。街道に厚く網を張るが、自身も飯盛山城の関所まで出張って、捕らえたという報告が来るのを待っているはずです」
「まさか、飯盛山城の関所を突破しろと言うのか?」
「わざわざ注意を引いた場所に、戻って来るとは思いますまい」
相手の意表をつくと言っても、もっとも分厚い場所を抜く正面突破など、無策と変わらない。一か八かの賭けに乗らなくとも代わりの策などいくらでもあると言おうとしたが、これまで黙って聞いていた六角義賢が一言だけ尋ねた。
「抜けられるのだな?」
「如何にも」
音羽半蔵も一言で答えた。
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