日ノ本燎原

海土竜

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人質の救出

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 日が落ち夜半も過ぎれば、廃墟だらけの上京は静まり返り、遠くの山々から聞こえる獣の鳴き声が妙に響いて、町を淡く照らし出す月や星の光を不気味なまでに濃い影を残す壁が遮っていた。
 今宵、人の死に絶えたような町を眺める者が居れば、切り分けられた闇から闇へと走り抜ける魍魎と見まごう影を目にしただろう。

「あの屋敷だ」

 先に進む影が振り返ると押し殺した声で伝える。

「良く見つけたな……。探すなと言っておいたのに」

「聞いてしまえば探さずにはいられないさ。俺が探さなくても、みんな勝手に動いちまってたよ。一時でも居場所を持ってしまえば、それを守らずにはいられない物さ」

「そうだな……」

 経久は気を静めるためにも、ゆっくりと息を吐いた。

「これからって時に、ため息かい?」

「ふふっ……。いいか、くれぐれもこちらの正体だけは気づかれるなよ」

 華模木の軽口に声を出さずに笑うと、気を引き締め直す。

「旦那以外は、正体もありゃしないさ」

 闇の中で手を上げて後ろに合図を送る。影が輪郭をぼやかして動き出したかのように数人の人影が、通りに沿って走り出し、壁の隙間から濃い闇の中へ消えていく。短い沈黙の後、影の中から揺れる手の影が見える。

「行きますよ……」

 皆、静かに動き出す。影の中の影など、よほど注意していないと気が付かないだろう。目的の屋敷近くなり、それだけ集中力が高まっていた証拠でもある。
 予め屋敷の裏手に隣接する廃墟に、忍び込む用意をしてあった。
 僅かに呼吸を合わせる合図だけで、瓦礫の階段を音もなく上り、塀を乗り越えると屋敷に離れへと忍び寄る。灯りの消えた東屋に動くものの気配はない。障子を開けて忍び込む。

「だっ誰だ! 何者……むぐっ…………」

 場違いな大声が部屋の中から響いた。反射的に体が動き、口を押える。抵抗しようとした腕を掴むと、観念したかのように急に力が抜けていく。
 それが布団から身を起こそうとした朝倉氏景、その人だった。

「旦那、屋敷の連中に気づかれました」

 押し殺した声が縁側から聞こえる。一刻の猶予もない。

「氏景様、ここからお連れします」

 耳打ちすると、二人で手足を持って氏景の体を担ぎ上げる。
 そのまま、うむをも言わさず塀を乗り越え、廃墟の瓦礫の中を駆け抜ける。明かりもなく、月明かりも乏しく、案内がなければ瓦礫に足を取られるか、そもそも、どこを通って良いのか見当もつかないだろう。だからこそ誰にも行き先を気が付かれず、京極屋敷の近くまでたどり着いた。筈だった。

「通りでかがり火がたかれ封鎖されています!」

「まさか、一体誰の差し金だ……」

「恐らく指揮を執っているのは、塩治掃部ノ介です」

 計画を知っていたのか?
 当然そう考えたが、掃部ノ介は屋敷の付近の通りを塞ぐように配置するだけで、それ以上範囲を広げようとはしていない。
 何かを探す目的がある訳ではなく、西軍側の屋敷から慌ただしい雰囲気が伝わってきたため、屋敷の周囲を警戒し始めたのだろう。

「どうします? 封鎖している者に引き渡しても良いのでは?」

 どちらにしても京極家の屋敷に連れていければ、結果は同じだが、掃部ノ介がすんなり朝倉氏景を屋敷へ入れるかどうか怪しい。もし表でひと騒動起こせば、両軍の兵が集まってくる。

「……それは、まずいな」

 ならば、どこへ連れて行くか。

「むぐぐ……。貴様ら何者なのだ!」

 もう一つ厄介な、朝倉氏景が騒ぎ始める。

「氏景様、我らは、御父上の命により救出に参った者です」

「何だと!……」

 手っ取り早く黙らせるために朝倉孝景の名を出した。
 安心するだろうと考えていたが、氏景は途端に暗闇の中でも分かるほど真っ青になり、大粒の汗を噴き出していた。

「……どうして、父上が……、俺を、殺すつもりか! いや、殺すだけなら、屋敷から連れ出す必要もない……俺を、どうする、つもりなんだ……」

「こいつは、どうしちまったんだ?」

「騒がれて掃部ノ介に気づかれると、まずいな……」

「でも、どこへ行きます?」

「少し戻れば、細川成之様の屋敷がある。そこへ向かおう」

 騒ぎ出さないように氏景を担ぎ上げると、ひっそりと闇の中を移動した。夜の町を徘徊する人さらいのようで、あまりいい気分ではなかったが、それも仕方ない。

「細川家の屋敷に顔を出すのは面倒ですから、塀の上から投げ込んでしまいましょうかね」

 軽く測るように塀の上へ視線を向ける。

「そうもいかんだろう」

 細川成之なら、それでもうまく対処してくれるかもしれない。とも考えたが、正門の横にある戸口から中に取り次いでもらうと、驚くほどすんなりと中へ通された。

「そう硬くならずに」

 真夜中を回った非常識な時間の来客にも落ち着き払った態度、山名宗全討伐の総大将になるはずだった武将と言うよりは僧侶か茶人であるかのようにも思える。

「今夜は、外が騒がしいですな」

 屋敷の中に居れば、外の騒音など聞こえはしないが、細川成之は茶を進めながらそう言った。

「恐れ入ります。我らは朝倉家の嫡男・氏景様を、西軍方より救い出した次第でございます」

 朝倉氏景の代わりに尼子経久が答えたが、細川成之も視線を滑らしたきり何も言わなかった。氏景の普通ではない様子からして仕方がない。

「宜しければ、越前の朝倉家に送り届ける段取りを付けるまでの間、細川家で匿っていただけないでしょうか」

「随分勝手な言い草だな」

 隣へ続く襖が開くと同時に投げかけられたのは、叩きつけるような力強い声だ。細川成之ではない。背が高く、鼻筋の通った、南蛮人だと言っても通りそうな男、吉川基経の声だ。

「勝手に突き回して、手に余ると人に丸投げとは、手前勝手にもほどがある!」

「ほっほ、そうは言いますまい」

「成之殿、扱い方次第では、朝倉家と事を構えねばならないのですよ」

「そうかもしれませんな」

「事を荒立てず、朝倉家に主導権を与えずに交渉するとなると……」

「適任は、基経殿しかおられますまい。この件は、吉川家にお任せいたしましょう」

 細川成之はもう関心が無くなったかのように茶を飲んでいた。
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