日ノ本燎原

 家督争いの最中の主君・京極政経の人質として京の町へやって来た尼子経久は、焼け野原となった町を「燎原」と呼ぶ男に出会った。
 野に放たれた火は燃え広がり焼き尽くす。だが、草花は焼け跡からも新たな命が芽吹く。
 しかし、足軽として集められた兵たちが統率者を失い野盗と化し、田畑を焼かれた農民は住む場所を失い、流れ着いた民が吹き溜まる京の都は荒れ果てていた。
 灰と化した町から民の生きる新たな道を照らす事が出来るのか?
 尼子経久が謀聖と呼ばれる第一歩を踏み出す。
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