【本編完結】ソフレだった俺がイケメンの本命に昇格!?

古井重箱

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本編01「ソフレになりませんか?」

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 容赦のない日差しが照りつけてくる。
 俺、早峰大智はやみねたいちは傾斜のきつい坂道を歩いていた。
 風がまるで吹いてこない。油照りというやつだ。あごから汗が伝い、足元に広がっている街路樹の影に吸い込まれていった。
 俺の肩には保冷バッグのショルダーストラップが食い込んでいる。保冷バッグの中身は作り置きのための食材だ。
 これから俺は出張のため不在にしている恋人、保田博樹やすだひろきの部屋に行く。そして、溜まっている家事を片付ける予定だった。博樹は神経質なので手を抜くことは許されない。
 火炎のような太陽に見下ろされながら、俺は博樹が住むワンルームマンションに到着した。
 合鍵を使ってドアを開ける。
 部屋に足を踏み入れたその時、異変を感じた。
 室内にかすかな香りが漂っている。甘すぎず、さっぱりとしたウッディな匂い。芳香の出どころはどうやら、スチールラックに置かれたアロマストーンのようだった。モノが少ない室内で、サーモンピンクのそれは目立っていた。
 俺はスチールラックの前に立った。丸い小皿にのっかった素焼きのアロマストーンはガーベラの形をしている。
 心の中でサイレンが鳴った。
 博樹はミニマリストだ。必要最低限のモノしか部屋に置きたがらない。俺は博樹の指示に従って、私物はすべて自宅へ持ち帰っている。泊まりの時に用いるのは使い捨ての歯ブラシだし、着替えや洗顔フォームは博樹のものを借りている。
 果たして博樹がアロマストーンを買ったりするだろうか? 彼は匂いにもこだわりがあって、特定のメーカーの柔軟剤しか受け付けない。
 仮に博樹がアロマに目覚めたとしても、花の形をしたアロマストーンは選ばないだろう。楕円形や四角形といったシンプルなデザインを選ぶはずだ。
 もしかして、誰かからの贈り物だろうか?
 疑念を抱きつつ洗濯機の前に立つ。
 俺はランドリーバスケットの中で白い山を作っていたワイシャツを一枚一枚広げて、口紅が付いていないか確かめていった。博樹はバイだから、女性に心変わりする可能性もある。
 ワイシャツをすべて調べたが、特にそれらしい痕跡は見当たらなかった。ほっと胸を撫で下ろしかけた時、玄関先で物音がした。

「博樹……? 出張じゃなかったのか?」
「……大智。もう来てたのか」

 振り返れば、博樹が見知らぬ女性と隣り合って立っていた。
 博樹は怒ったように眉根を寄せると、女性の細い腰に手を回した。親密な動作を女性が当然のように受け入れる。
 ふたりの左手の薬指にはシルバーのペアリングが輝いていた。
 俺が欲しかったけれども、得られなかったもの。それを博樹はこの女性に贈ったんだ。俺は指が痛くなるほど拳を握り締めた。
 女性が好奇心いっぱいのまなざしで俺を見つめている。

「ねえ、この人だぁれ? なんでヒロくんの部屋にいるの」
「彼は家事代行を頼んでる知人だよ」

 冷ややかな笑みとともに博樹が放った言葉が俺の胸をえぐった。
 そうか。
 博樹にとって俺は便利なハウスキーパーだったんだ。まあ、そうだよな。愛されてるって感じる瞬間はほとんどなかった。優しいキスはなし。いつもバックでフィニッシュ。好きだと熱っぽく囁かれたこともない。

「邪魔してごめん。もう帰るよ」

 俺は博樹に合鍵を渡した。大きな保冷バッグを抱えて、ワンルームマンションから立ち去る。
 外に出ると強い日差しが俺の肌を刺してきた。道路に刻まれた濃い影をじっと見つめる。
 俺の心はこの影よりももっとドス黒い色をしていることだろう。
 あんなに尽くしたのに、あっさり捨てられるだなんて信じられない。
 しかし、背中を伝う汗の感触はとてもリアルだった。俺は悪夢の真っ只中にいるわけではない。これは現実なんだ。だから受け入れないと……。
 俺は保冷バッグのショルダーストラップをかけ直した。肩に保冷バッグのずしりとした重みを感じる。
 俺の気持ちも博樹にとっては重たくて、疎ましいものだったのだろう。
 まるで暴君のように空に君臨している太陽に肌を灼かれながら、俺は坂道を下った。
 こうしてその日は、俺の人生で五回目の失恋記念日になった。



▪️

 
 博樹と別れてから三ヶ月が経った。
 俺は職場とアパートを往復するだけの味気ない日々を過ごしていた。会社から支給された青い制服を着て、仕事に没頭しているあいだは孤独を紛らわせることができた。
 昼下がり、高木主任が俺のデスクに近づいてきた。

「早峰ー。Z地区の現場の作業指示書どうなってる?」
「先ほど共有フォルダにアップしました」
「おっ、そうか! 毎度のことながら仕事が早いな」

 俺は電気通信会社で技術屋をやっている。
 担当は光ファイバーケーブルの補修に関する設計や発注だ。大学進学を考える頃には自分がゲイだと分かっていたので、就職に強い工学部を選んだ。専門の資格も取ったので、いざとなれば転職だって可能である。
 男だらけの職場であるが、既婚者や彼女持ちが多いため、同じ会社の人間に片想いをしたことはない。
 合コンの誘いを受けたり、酒の席で恋愛事情を訊かれることもある。俺は、大学時代に付き合っていた相手が忘れられず、他の誰かとの交際を考えられないという嘘をつき通している。

「こちら、ご確認お願いします」

 決済文書を課長のデスクへと持っていく。窓の外はどんよりとしていて暗い。季節はめぐり、冬が始まりつつある。
 俺が住む恋瀬市こいせしは本州の北部に位置している。恋瀬市で生まれ育った俺であるが、この街の厳しい寒さには心がくじけそうになる。

「早峰。この件は明日でいいから」
「承知しました」

 一時間ほど残業をしたあと、俺は業務日報に進捗状況をまとめた。
 ロッカールームに引き上げる途中、高木主任と行き合った。高木主任は強面こわもてだが、恐妻家として知られている。今日もまっすぐ家に帰るのだろう。
 青い制服を脱ぎながら、高木主任が俺に語りかける。

「早峰。思い出ってのは理想化されやすいもんだ。そろそろ新しい恋人作れよ」
「そうできたらいいんですけどね」
「カミさんが通ってるテニススクールに可愛い子がいっぱいいるみたいだぞ。紹介しようか?」
「山口が彼女募集中らしいので、彼を優先してあげてください」
「そうか……。分かった」 

 高木主任は面倒見のいい人物であるが、ゲイであることを打ち明けるつもりはない。会社の後輩のセクシャリティを知らされても困るだけだろう。
 俺が望むのはひっそりと暮らすことだ。恋瀬市にもゲイの当事者団体があるが、集会に顔を出したことはない。

「高木主任、お疲れさまでした」
「おう。気をつけてな」

 社屋を出て舗道を歩く。
 デパートの前に巨大なクリスマスツリーが飾られていた。クリスマスは一ヶ月先なのに気が早い。
 華やかなツリーを背に、若いカップルが自撮りをしていた。幸せそうで羨ましい。
 今年のクリスマスはどうしようか? 昨年は博樹の部屋で俺が作ったタンドリーチキンを食べて、前戯と後戯がほとんどないセックスをした。
 革の手袋をしているのに指先が冷えていく。寒い時期にひとりぼっちというのは心身にこたえる。
 木枯らしが吹きすさぶ夜、俺はなじみのバー、<アルルカン>を訪れた。

「あら、大智たいちくんじゃないの」
「ご無沙汰しておりました」
「んー? その表情……。あんた、最近セックスしてないでしょ」

 <アルルカン>に顔を出すなり、バーガンディレッドのカウンターにいた、みひろママに先制パンチをくらった。

「……ママには敵いませんよ」
「ふふっ。いい出会いがあるといいわね」

 店内は賑わっていた。
 みひろママは恋瀬市のゲイ界隈で広く名が知られている。鋭い霊感があるからだ。みひろママの相性占いを目当てにこのバーにやって来る客も多い。
 <アルルカン>のインテリアはモダンかつエッジが効いている。みひろママは現代アートの大ファンなのだ。俺は紡錘形をした白いランプシェードが飾られた店内で居場所を探した。幸い、カウンター席が空いていた。

「芋焼酎、お湯割りで」
「オッケー。いつものね」

 カウンターに置かれた、卵型のオブジェを眺めながら注文の品を待つ。
 <アルルカン>はこの地方有数の歓楽街に店を構えている。転勤してきた人々は「恋瀬なんて田舎町だと思っていた。でも、これほどまでに飲み屋が密集したエリアがあるとは驚きだ」と口を揃えて言う。
 恋瀬市の人口は約100万人だ。気候が厳しい北の街にしては栄えている。支店経済というものはなかなか侮れない。
 みひろママが俺の手元に芋焼酎のお湯割りを置いた。

「はいどうぞー!」
「ママは相変わらずお元気そうですね」
「ええ。霊感もビンビンよ」

 みひろママは頼んでもいないのに俺のオーラを鑑定してくれた。
 しばし間を置いたあと、みひろママのブルーのアイシャドウで彩られたまぶたが痛ましそうに伏せられた。

「やだぁ。大智くんのオーラ、真っ黒じゃない! おまけに波形がトゲトゲしてるわ。誰も寄せつけてなるものかという悲壮感に溢れてる……」
「でも人が恋しくて、ここに来ちゃいましたけどね」
「行動できた自分を褒めてあげて。オーラは日々変わるものだしね。今夜は楽しんでいってちょうだい」
「ありがとうございます」

 テーブル席を占拠しているのは俺の知らないメンツだった。彼らは際どいワードが飛び交う会話に夢中で、俺のことを気に留めている様子はない。
 俺は平凡かつ地味なネコだ。現在28歳で、唯一の武器である若さを失いつつある。
 芋焼酎のお湯割りを傾けていると、みひろママが俺に訊ねた。

「それで? 前の彼とはどうして別れちゃったわけ?」
「……尽くしすぎました」
「またぁ?」
「俺は自分に自信がないんでしょうね。そのくせ束縛したがりで。家事をすることによって相手の生活を掌握したいと思ってしまうんです」
「そこまで自己分析できてるんだから、今度は同じ失敗をしちゃダメよ」
「はい……」

 俺がうなだれたその時、バーのドアに取り付けられていたベルが鳴った。
 みひろママが「いらっしゃーい」と声をかける。
 現れたのは、黒のチェスターコートに身を包んだ男だった。年齢は俺より少し上だろうか。スタイルが抜群にいい。顔立ちも甘さと渋さのバランスが絶妙で、大人の色気を感じる。
 でも、ルックスのよさを打ち消してしまうほど雰囲気が暗い。俺は、みひろママのように霊感はないが、彼のオーラもまた真っ黒のように思われた。
 男がママに向かって一礼した。
 
「こんばんは。名雪なゆきと申します」
「この前、お電話くださった方ね」
「ジンライムをお願いします」
「はいはーい。こちらのお席へどうぞー」

 みひろママが名雪を俺の隣に誘導する。
 おいおい。
 こんな手負いの狼みたいな人をあてがわれても困るんだが。
 名雪は俺に会釈をすると、形のいい唇をきゅっと引き結んだ。難しい表情で腕組みをしたまま、俺と目を合わせようとしない。
 ここは観光バー、すなわちストレートの男性や女性が入れる店とは違う。名雪は俺と同じセクシャリティを持っているはずなのだが、彼の表情は友好的という言葉からは程遠いものだった。
 俺は芋焼酎のお湯割りを飲んで、名雪と沈黙を共有した。独りぼっちでいるのは嫌だけど、誰とも話したくないという夜もあるだろう。

「あれーっ!? お兄さん、超イケメンじゃない?」
「本当だーっ。俳優の笹木綺羅斗ささききらとに似てる!」

 フロアで雑談をしていたグループが名雪に近づいてきた。急に注目を浴びて、名雪の肩が強張こわばる。
 
「一緒にポッキーゲームしない?」
「……すみませんが、遠慮しておきます」

 名雪が断ると、ツーブロックの青年が唇を尖らせた。

「ノリ悪いなあ」
「みひろママもなんか言ってやって」

 しかし、みひろママは観光バーと勘違いして訪ねてきた女性客の対応で手一杯のようだった。
 俺は立ち上がると、ツーブロックの青年に言った。

「誰にでも独りで飲みたい夜はあると思います」
「だったら、こういうところに来るんじゃないよ!」
「そうだそうだ!」

 これ以上、彼らと言葉を交わしていたら喧嘩になりそうだ。
 俺は名雪の耳元で囁いた。

「よかったら、別の店に行きませんか」
「えっ」
「紹介制のバーがこの近くにあるんで」

 みひろママには悪いが、今夜は河岸かしを変えるとしよう。
 俺と名雪は会計を済ませると、<アルルカン>をあとにした。


▪️


 次のバーに着いた俺は、名雪の様子をうかがった。
 手負いの獣のような刺々しい雰囲気は消えている。名雪は少し俺に心を開いてくれたようだ。
 ソファ席に座った名雪は、俺に向かって深々と頭を下げた。

「先ほどはすみません。俺がちゃんと断らないといけないのに矢面に立たせちゃって」
「いいんです。名雪さん、でしたよね。調子があまりよくなさそうだったから」
「お恥ずかしい限りです。実は病み上がりで……」

 名雪はジンライムを頼んだ。
 そして照れたような表情を浮かべ、俺から視線を外した。イケメンなのにオラオラしていない、繊細そうな人だ。

「独りきりで寝込んでいたら、寂しくなっちゃって。風邪が治るや否や、バーに繰り出してしまいました」
「その気持ち、よく分かります。あ、俺は早峰大智はやみねたいちって言います」
名雪礼司なゆきれいじです。改めましてよろしくお願いします」

 ジンライムに三分の一ほど口をつけたところで、名雪が訊ねてきた。

「こういったバーにはよくいらっしゃるんですか?」
「久しぶりに来ました。……クリスマスツリーを見てたら、人恋しくなってしまって」
「俺もです。この街では、独り身を通すつもりだったけど」

 名雪は転勤族らしい。

「ゼネコンの営業職なんです。前任地は福岡でした。愛媛や静岡、名古屋、それに沖縄にいたこともあります」
「そうなんですか。あったかいところから恋瀬みたいな北国に来て、大変でしょう。地元民の俺でもこの街の冬は嫌になりますよ」
「……正直、ここまで寒さが厳しいとは思いませんでした。あの、変な質問で恐縮ですが……」

 名雪の目に強い光が宿った。
 俺は身構えた。
 なんだろう? いきなり好きな体位を聞かれるのだろうか。

「早峰さんは、布団を何枚かけて眠ります?」

 俺は思わず微笑んだ。
 なんとも可愛らしい質問だ。言葉を交わす際、名雪は俺と視線を合わせた。見事なまでに左右対称のアーモンドアイに見つめられていると、名雪を独占しているような心地になる。
 ああ、俺の馬鹿。
 地味で平凡なくせに面食いで、惚れっぽいときている。
 名雪は俺個人ではなく、単なる生活情報に興味があるのだ。熱く注がれるまなざしを勘違いしてはいけない。俺は名雪に対して隣人愛を貫くことに決めた。

「今の季節だと三枚ですね。タオルケットに毛布、それに羽毛布団」
「あー。俺、羽毛布団があればオッケーだと思ってました。甘かったな」
「重みを感じた方が眠りやすいですよ。分厚い毛布を追加することをオススメします」
「早峰さん、教えてくれてありがとうございます。俺、名前に雪の字が入ってる割には寒がりで」

 名雪が口元をほころばせた。
 笑うと気難しそうな雰囲気は消えて、あどけない少年のような印象へと変わる。 
 もっとこの男のいろいろな表情が知りたい。そんな欲望が芽生え始めた。
 まずい傾向だ。
 俺はミネラルウォーターを頼んだ。とりあえずアルコールを抜こう。酒気帯び恋愛ほど厄介なものはない。
 名雪はあまり酒に強い方ではないらしくて、ジンライムの次は温かいウーロン茶を飲んでいる。湯気が立っているカップを包み込む手は男らしく角張っていて、美しい。俺は名雪に触れられることを思わず想像してしまった。

「名雪さんはその……」
「タチです。早峰さんはネコでしょ?」
「よく分かりましたね」
「指先が発火するじゃないかってぐらい情熱的に手元を見つめられたら分かりますよ」
「……すみません。物欲しげなネコなんてウザいですよね」
「いや。可愛いよ」

 さりげなく敬語からタメ口に切り替えられた。おまけに俺の手の甲に名雪の長い指が迫ってきた。
 このままワンナイトになだれ込んでしまおうか?
 
「早峰くん。俺、独り寝はもう嫌だ……」

 名雪の形のいい唇が誘い文句を紡ぐ。この人、声もいいな。高すぎず低すぎず、すっと耳の奥に響いてくる。
 すっかり魅了されそうになったところで、俺は己を律した。
 一夜限りの愛を交わしたあと、名雪はよそよそしくなって俺をベッドから追い出すことだろう。さよならのキスもなし。あの美声で「寂しさを吐き出す相手が欲しかっただけだ」と冷たく言い放たれる──。そんな未来が見えた。
 俺は名雪に提案した。
 
「ソフレならいいですよ」
「えっ? ソフレって何?」
「添い寝フレンドの略称です。ネットで知ったんですけど、セックスはしないで一緒に寝るだけの関係もあるらしいです」
「へえ……」

 名雪が俺の全身を眺め回す。
 俺相手に性的衝動を我慢できるか考えているようだった。俺の体は特に見どころがない。ヒップは薄いし、顔立ちだって店を出たら忘れ去られそうなほど無個性だ。
 名雪のアーモンドアイが楽しげに細められた。

「ソフレか。それもいいかも」
「名雪さん、寒いの苦手なんでしょ? 人肌に優る寝具はないですよ」

 俺には名雪を引き留めることができるほどの魅力はない。ソフレという割り切った関係が最適だと思われた。

「じゃあ、早速今夜からお願いしようかな? 俺の部屋に来てくれる?」

 名雪が立ち上がった。
 理想的に整った顔が俺の動向をうかがっている。
 アルコールはほとんど抜けていた。俺は理性に基づいて、名雪について行くという判断を下した。
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