2 / 18
02
しおりを挟む
仕事を終えてアパートに帰るまでのあいだ、随分と雨を浴びてしまった。
陽翔は濡れたTシャツを脱ぎ捨てて、シャワーで体を清めた。
湯上がりにプロ野球に関する動画を眺めるのが陽翔のルーティンだ。でも、今夜は店長からの宿題がある。野沢の調理スキルを伸ばすため、陽翔はもっと教え上手にならないといけない。
「仕事、教え方」というキーワードでネットを検索したところ、コーチングという言葉に出会った。
陽翔は自室のベッドの上で、コーチングについて解説した動画を視聴した。
傾聴、フィードバックといった耳慣れない単語が出てきた。
もっと詳しく知りたいと思っていると、動画の終わりにコーチングに関する書籍が紹介された。「実践コーチング入門」というタイトルの本を読めばコーチングについてより詳しくなれるらしい。
明日は定休日だ。
陽翔は書店に行くことにした。
◆◆◆
初めて訪れた七階建ての大型書店は迷宮のようだった。
見渡す限り本が並んでいて、どこにコーチングの本が置いてあるかさっぱり分からない。フロアにいるのは客ばかりで、スタッフの姿を見つけることができなかった。
店の奥にあるレジには多くの人が並んでいる。忙しそうなレジ担当スタッフに質問をするのはためらわれた。
無数の本に囲まれていると、トラウマがよみがえってきた。
高校時代、友人の愛読書を借りたことがある。有名な作家が書いた恋愛小説だった。
だが、陽翔はその小説の主人公の心情を理解することができなかった。配偶者がいるのに昔の恋人に頻繁に会おうとする主人公の行動に疑問を持った。率直な感想を友人に伝えると、「陽翔は文学音痴だなあ」と呆れられた。
友人いわく、現実世界の倫理観を小説に当てはめるのはナンセンスらしい。イマジネーションを駆使してリアルから羽ばたくのが小説の醍醐味だと言われた。陽翔は自分の想像力のなさを恥じた。
それ以来、小説というものを避けている。ネットやテレビでベストセラー小説が取り上げられても、買って読んだりはしない。陽翔にとって小説を読むことは娯楽ではなく、想像力の有無を問われるテストのように感じられる。
それに、本というメディアはとても不親切だと陽翔は思う。
動画は音声や映像で物事を分かりやすく伝えてくれる。でも本は自分で活字を追いかけて、内容を噛み砕いていかないといけない。
店内をさまよっているうちに、気分が悪くなってきた。本の背表紙を眺めているだけで、文字に酔ってしまったらしい。
青い顔をしてトイレへと歩き出す。
トイレの個室に入ったが、吐くまでには至らなかった。
手を洗ってトイレをあとにする。
さて、どうしたものか。
売り場の片隅で立ち尽くしていると、ほっそりとした長身の男性に声をかけられた。
「顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「はい……」
男性は色白で、鼻筋の通ったイケメンだった。切れ長の目に理知的な光が宿っている。書店が似合う、賢そうな人だ。
陽翔は男性に尋ねた。
「あの、コーチングに関する本って、どこにありますか?」
「ビジネス書コーナーですね。一緒に行きましょうか」
「いいんですか。お時間、取らせちゃいますけど」
「気にしないで。僕もちょうど行くところだったから」
男性は二階にあるビジネス書コーナーに陽翔を案内してくれた。
「あった! これです」
面陳された新刊書の群れのなかに、探していた本「実践コーチング入門」を見つけた。
目当ての本が見つかって心が晴れた。案内してくれた男性のおかげだ。
陽翔が笑顔を向けると、男性が目を細めた。
「ありがとうございます。親切にしていただいて」
「いえ。お役に立てて嬉しいです」
「あの……よかったら、俺が働いてる店のサービス券を受け取ってくれませんか?」
財布のカード入れから赤銅色の紙片を取り出し、男性に渡す。
「バー<クロスファイア>? クロスファイアって野球用語ですよね。スポーツバーですか」
陽翔は己の失敗を悟り、青くなった。
バー<クロスファイア>は新宿二丁目にある、自分と同じ性的指向の男性が集う店だ。ショップカードの色が円福飯店のサービス券と似ているから間違えてしまった。
「失礼しました! お渡ししたいのは、こっちです」
陽翔は円福飯店のチャーハン無料券を差し出した。
男性は優しい笑みを浮かべて、チャーハン無料券を受け取ってくれた。
「俺、町中華で働いてて。味には自信があります。ぜひ来てみてください」
「××駅から徒歩三分ですか。ビジネス街のど真ん中ですね」
「ランチは十一時半からです。ちょっと並ぶかもしれないですけど」
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「それじゃあ、僕はこれで」
爽やかな微笑みを残して、男性は本の森に消えていった。
陽翔は濡れたTシャツを脱ぎ捨てて、シャワーで体を清めた。
湯上がりにプロ野球に関する動画を眺めるのが陽翔のルーティンだ。でも、今夜は店長からの宿題がある。野沢の調理スキルを伸ばすため、陽翔はもっと教え上手にならないといけない。
「仕事、教え方」というキーワードでネットを検索したところ、コーチングという言葉に出会った。
陽翔は自室のベッドの上で、コーチングについて解説した動画を視聴した。
傾聴、フィードバックといった耳慣れない単語が出てきた。
もっと詳しく知りたいと思っていると、動画の終わりにコーチングに関する書籍が紹介された。「実践コーチング入門」というタイトルの本を読めばコーチングについてより詳しくなれるらしい。
明日は定休日だ。
陽翔は書店に行くことにした。
◆◆◆
初めて訪れた七階建ての大型書店は迷宮のようだった。
見渡す限り本が並んでいて、どこにコーチングの本が置いてあるかさっぱり分からない。フロアにいるのは客ばかりで、スタッフの姿を見つけることができなかった。
店の奥にあるレジには多くの人が並んでいる。忙しそうなレジ担当スタッフに質問をするのはためらわれた。
無数の本に囲まれていると、トラウマがよみがえってきた。
高校時代、友人の愛読書を借りたことがある。有名な作家が書いた恋愛小説だった。
だが、陽翔はその小説の主人公の心情を理解することができなかった。配偶者がいるのに昔の恋人に頻繁に会おうとする主人公の行動に疑問を持った。率直な感想を友人に伝えると、「陽翔は文学音痴だなあ」と呆れられた。
友人いわく、現実世界の倫理観を小説に当てはめるのはナンセンスらしい。イマジネーションを駆使してリアルから羽ばたくのが小説の醍醐味だと言われた。陽翔は自分の想像力のなさを恥じた。
それ以来、小説というものを避けている。ネットやテレビでベストセラー小説が取り上げられても、買って読んだりはしない。陽翔にとって小説を読むことは娯楽ではなく、想像力の有無を問われるテストのように感じられる。
それに、本というメディアはとても不親切だと陽翔は思う。
動画は音声や映像で物事を分かりやすく伝えてくれる。でも本は自分で活字を追いかけて、内容を噛み砕いていかないといけない。
店内をさまよっているうちに、気分が悪くなってきた。本の背表紙を眺めているだけで、文字に酔ってしまったらしい。
青い顔をしてトイレへと歩き出す。
トイレの個室に入ったが、吐くまでには至らなかった。
手を洗ってトイレをあとにする。
さて、どうしたものか。
売り場の片隅で立ち尽くしていると、ほっそりとした長身の男性に声をかけられた。
「顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「はい……」
男性は色白で、鼻筋の通ったイケメンだった。切れ長の目に理知的な光が宿っている。書店が似合う、賢そうな人だ。
陽翔は男性に尋ねた。
「あの、コーチングに関する本って、どこにありますか?」
「ビジネス書コーナーですね。一緒に行きましょうか」
「いいんですか。お時間、取らせちゃいますけど」
「気にしないで。僕もちょうど行くところだったから」
男性は二階にあるビジネス書コーナーに陽翔を案内してくれた。
「あった! これです」
面陳された新刊書の群れのなかに、探していた本「実践コーチング入門」を見つけた。
目当ての本が見つかって心が晴れた。案内してくれた男性のおかげだ。
陽翔が笑顔を向けると、男性が目を細めた。
「ありがとうございます。親切にしていただいて」
「いえ。お役に立てて嬉しいです」
「あの……よかったら、俺が働いてる店のサービス券を受け取ってくれませんか?」
財布のカード入れから赤銅色の紙片を取り出し、男性に渡す。
「バー<クロスファイア>? クロスファイアって野球用語ですよね。スポーツバーですか」
陽翔は己の失敗を悟り、青くなった。
バー<クロスファイア>は新宿二丁目にある、自分と同じ性的指向の男性が集う店だ。ショップカードの色が円福飯店のサービス券と似ているから間違えてしまった。
「失礼しました! お渡ししたいのは、こっちです」
陽翔は円福飯店のチャーハン無料券を差し出した。
男性は優しい笑みを浮かべて、チャーハン無料券を受け取ってくれた。
「俺、町中華で働いてて。味には自信があります。ぜひ来てみてください」
「××駅から徒歩三分ですか。ビジネス街のど真ん中ですね」
「ランチは十一時半からです。ちょっと並ぶかもしれないですけど」
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「それじゃあ、僕はこれで」
爽やかな微笑みを残して、男性は本の森に消えていった。
45
あなたにおすすめの小説
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
ヒートより厄介な恋をα後輩に教え込まれる
雪兎
BL
大学三年のΩ・篠宮湊は、何事も理屈で考えるタイプ。
ヒート管理も完璧で、恋愛とは距離を置いてきた。
「フェロモンに振り回されるのは非合理的」
そう思っていたのに――。
新学期、同じゼミに入ってきた後輩は、やたら距離の近いα・高瀬蒼。
人懐っこくて優秀、なのに湊にだけ妙に構ってくる。
「先輩って、恋したことないでしょ」
「……必要ないからな」
「じゃあ俺が教えますよ。ヒートより面倒なやつ」
余裕のあるα後輩と、恋に不慣れなΩ先輩。
からかわれているはずなのに、気づけば湊の心は少しずつ乱されていく。
これは、理屈ではどうにもならない
“ヒートより厄介な恋”を教え込まれる物語。
ランドセルの王子様(仮)
万里
BL
大学生の森下優太(20)は、ある日の夕暮れ、ひったくり犯に襲われ絶体絶命のピンチに陥る。そんな彼を救ったのは、鮮やかなシュートで犯人を撃退した小学生の少年、日向蒼だった。
ランドセルを背負いながらも、大人顔負けの冷徹さと圧倒的なカリスマ性を持つ蒼。その姿に、優太はあろうことか「一目惚れ」をしてしまう。「相手は小学生、これはただの尊敬だ」と自分に言い聞かせる優太だったが、蒼のクールな瞳と救われた手の温もりが頭から離れない。
親友には「自首しろ」と呆れられながらも、理性と本能(ときめき)の狭間で葛藤する。禁断(?)のドキドキが止まらない、20歳男子による「かっこよすぎるヒーロー(小学生)」への片思い(自認はリスペクト)。
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
泣き虫だったはずの幼なじみが再会したら僕を守るために完璧超人になっていた話。
ネギマ
BL
気弱で泣き虫な高校生、日比野千明は、昔からいじめられっ子体質だった。
高校生になればマシになるかと期待したが状況は変わらず、クラスメイトから雑用を押し付けられる毎日を送っていた。
そんなある日、いつものように雑用を押し付けられそうになっている千明を助けたのは、学校中が恐れる“完璧超人”の男子生徒、山吹史郎だった。
文武両道、眉目秀麗、近寄りがたい雰囲気を纏う一匹狼の生徒だったが、実は二人は、幼い頃に離れ離れになった幼なじみだった――。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる