【完結】ワンコ系オメガの花嫁修行

古井重箱

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第30話 その後のキリエ (キリエ視点)

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 キリエ・フィレンカは戸惑っていた。

「僕が先にキリエお兄ちゃんと遊ぶの!」
「俺だよ!」
「だーめ。あたし!」

 救貧院の子どもたちがキリエのほっそりした体を取り囲んでいる。絵本を読んでほしいとせがまれたと思ったら、今度は鬼ごっこの相手だ。
 キリエは「はいはい、ケンカしないの」と子どもたちをいなしながら、汗を流した。

——大変だけど、夜にぐっすり眠れるからいいか。

 キリエは現在、罪を償うために救貧院での奉仕活動を行なっている。
 あの日、キリエは錯乱していたとはいえ王太子レヴィウスとその想いびとアズリールを手にかけようとした。それは許されることではない。
 だが世論が同情的であること、キリエが10歳の時からヒートに悩まされ、オメガとして異様なまでの重圧をかけられてきたことが考慮され、量刑は思ったよりも軽くなった。
 キリエは3年間、救貧院で奉仕活動をすることになった。フィレンカ家も王家の温情によって取り潰されることはなかった。
 キリエは救貧院で子どもの相手をする他に、草むしりや炊事も任されている。
 土いじりはやってみると、なかなかに楽しかった。キリエは土の匂いが嫌いではない。作業を終えて綺麗になった庭を眺める時、充実感で満たされる。

——アズリールくん、今ならきみの気持ちがわかるよ。

 昔、敵対視していたアズリールの顔を思い浮かべる。
 キリエはアズリールが羨ましかった。
 16歳になるまでオメガとしての制約を受けずにのびのびと過ごしてきた彼が妬ましかった。おっとりとしていて優しいアズリールが自分とはまるで似ていなかったため、あれほどに心が乱れたのだ。
 レヴィウスにしても、キリエとの相性はよくなかった。あのまま無理に結婚していたら、一生ケンカに明け暮れたことだろう。

——アズリールくんは今頃、レヴィウス様と仲良くしてるんだろうなあ。

 キリエ目当てに救貧院を訪れる騎士があとを絶たないが、キリエはすべての誘いを断っている。以前の自分ならば、優しくしてくれる男にべったりと甘えていたことだろう。でも、そういった行為がどれだけ愚かしいことか今のキリエには分かる。
 
「……キリエさん。こんにちは」

 救貧院の門の前を掃除していると、顔なじみの騎士ローデリヒが通りかかった。第一騎士団に所属するローデリヒは非番の際、救貧院に寄付を持ってくる。現金はもちろん、珍しい菓子や果物を差し入れてくれることもある。そして、ローデリヒは子どもたちと遊んでいく。彼は子どもたちの人気者だ。
 ローデリヒのまなざしは澄んでいて、キリエにはそれが眩しい。余計なことを言わないところも気に入っている。

「こんにちはーっ、ローデリヒ! 毎日忙しくて大変だよ」
「キリエさんは人気者だから」
「そうだよ。モテモテで困っちゃう。この前なんて子どもたちがさー」

 ローデリヒはキリエの愚痴を聞くだけ聞くと、颯爽と帰っていった。

——あの人、自分のことを話さないよね。

 キリエは不思議に思った。
 口下手なのだろうけれども、もっと心を開いてくれたらいいのに。

——もしかして照れてる? まさかね。あんな真面目一辺倒な人が俺のことなんか相手にするわけないか。

 キリエはホウキで門の前を掃き清めた。
 自分が犯した罪をこうやって少しずつ償っていこう。

——いつか直接会って謝りたい。アズリールくん、それまで待っていてくれる?

 青空が広がっている。
 先日、アズリールとレヴィウスのあいだに待望の第一子が生まれた。マイトと名付けられた赤ちゃんに民は期待を寄せている。
 
——よかったね、アズリールくん。

 キリエは天を見上げた。
 宮殿からもこの冴え渡った空が見えることだろう。
 キリエ・フィレンカはこれからも罪と向き合いながら生きていく。



◇◇◇



 ローデリヒは自室で、キリエの言葉を反芻していた。

『よく働いた日は、悪夢にうなされずに済むんだ』

 キリエは過去の自分が犯した罪を償うために、日々戦っている。愚痴をこぼすこともある。でも、キリエはどんなに寒い日でも門の掃除に取りかかる。

『ここは子どもたちの家だから綺麗にしてあげたいんだよね』

 キリエはそう言って、照れくさそうに笑っていた。彼のことを性悪オメガだと悪し様に言う人々もいる。でも、キリエ本人に会えば分かるはずだ。キリエは己の罪を深く反省して、子どもたちのために尽くしたいと本気で考えていることを。
 ローデリヒはキリエを励ましたくて、時間を見つけては救貧院に通っている。
 いつ行ってもキリエは奉仕活動に誠心誠意、取り組んでいる。

『俺の罪はそれでも一生消えない』

 キリエが寂しそうに笑う時、ローデリヒの心は千々に乱れる。
 彼に触れられたらいいのに。
 ぎゅっと抱きしめて、きみを愛していると伝えられたらいいのに。
 でもローデリヒは沈黙を守り続けた。
 キリエを邪魔するわけにはいかない。キリエは今、自分の行いを見つめ直し、これからどう生きるべきか真剣に考えている。ローデリヒの恋心など煩わしいだけだろう。
 周囲のアルファたちは先を競うように結婚していく。
 おまえはいつまでも独りだなあと嗤われても、ローデリヒは相手にしなかった。心に決めた相手ならばもういる。
 口下手な自分にできることは、キリエの聞き役に徹することと、彼を待ち続けることだ。
 ローデリヒは今日も果物が入ったかごをぶら下げて、救貧院へと向かう。

「また来たの、ローデリヒ」

 キリエが鼻の頭を赤くしながら、ホウキで枯れ葉を集めていた。
 きみは美しい。
 そう伝えたいけれども、ローデリヒは沈黙を守った。

「いつもありがとう。子どもたちは果物をとても喜んでるよ」
「きみは食べないのか」
「俺にはその資格がないよ」
「……そんなに働いていたら腹が減るだろう」
「俺、少食だからさ。平気だよ」

 キリエの刑期が終わったら、彼をごちそう責めにしてやろう。
 ローデリヒが口元を緩めると、キリエが不思議そうに目を丸くした。

「あんたが笑うのって珍しい」
「俺も楽しいことを考えれば笑う」
「ふーん。今夜酒場にでも行くの?」
「いや、違う。また来る」
「そう。じゃーね」

 キリエの周りに子どもたちが集まってくる。
 子どもとじゃれ合うキリエを眺めながら、ローデリヒは決意を新たにした。

——俺が彼を幸せにする。

 無口な男の純情は、日に日に強くなっていった。



◇◇◇


 
 時が満ちて、奉仕活動の最終日になった。
 キリエ・フィレンカは泣いていた。

「どうして……こういうことするんだよ」
 
 ローデリヒは真っ赤な薔薇の花束を持ってキリエを迎えに来た。

「あんた、ほとんど喋らなかったのに俺のことが好きだったわけ?」
「ああ」
「3年間も待ってたの?」
「ああ」
「もう! ああしか言えないのかよ?」

 泣きじゃくるキリエの唇を、ローデリヒが塞いだ。
 二人は3年ものあいだ、多くの時を一緒に過ごした。キリエが一方的に喋り、ローデリヒが黙って聞くというのがいつものパターンだった。

「……これからは俺の話を聞いてほしい」
「ローデリヒ……」
「俺がどれだけ、きみを好きだったかということを」

 その昔、あるところに不幸な少年がいた。
 少年は10歳でヒートが発症するという憂き目に遭い、自分も周りの人間も信じられなくなった。彼にとって優秀なアルファを捕まえることと、オメガとしての自分の価値を釣り上げることだけが生きる目的となった。
 しかし、犯した罪を償ううちに少年は青年へと変わった。
 キリエ・フィレンカという青年は児童福祉を生涯の仕事にすると決めている。

「結婚してくれ、キリエ」
「展開が早すぎる」
「では、まずは友人から始めよう」
「……友愛なら、とっくに感じてるよ」
「ならば俺の伴侶になってくれ」
「あんたって口下手すぎ」

 ローデリヒのそういうところが好きなのだと思いつつも、キリエは憎まれ口を叩いた。
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