【完結】推しに求愛された地味で平凡な俺の話

古井重箱

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もしかして、近いひと?

21. いざ、デートに出発!

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 休日、俺は都心に出かけた。
 人混みをかき分けて、路面店に入る。
 パステルカラーに彩られた店内で、俺は完全に浮いていた。
 周囲にいるお客さんは女性ばかり。男性も何人かいたが、みんなパートナー同伴である。
 アロマディフューザーから、なんとも言えないいい香りが漂っている。
 ここはハーブとアロマの専門店である。俺は貝塚さんの誕生日プレゼントを買いにやって来た。
 うぅっ。完全にアウェイだぜ。あざみヶ丘とはまるで違うお洒落な雰囲気に圧倒される。ネットで調べたらこの店は品揃えがよくて、クオリティも高いという評判だった。
 貝塚さんに安物を贈るわけにはいかないからな。
 目の前の棚にはアロマオイルが入った小瓶が並べられている。貝塚さんはどういう香りが好きなのかな。彼がつけている香水はウッディ系だった。同じ系統にするか、あえて違うものを選ぶか迷う。
 俺は試しにネロリの匂いを嗅いでみた。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 これ、いいかも……。
 
「アロマオイルをお探しですか?」
 
 店員さんに声をかけられた。

「はい。お世話になってる方へのプレゼント用なんですけど」
「ネロリは心を鎮める効果があるんですよ。優しい香りですしね。リラックスしたい時におすすめです」

 貝塚さんは激しい競争社会で生きている。気持ちが張り詰めることも多々あるだろう。俺はネロリの小瓶をカゴに入れた。
 アロマオイル一個だけだと寂しいな。
 店内を移動して、ディスプレイを眺める。おっ、アイピローがある。こちらはラベンダーの香りだった。淡い紫色のサテン生地でできており、触り心地がいい。
 俺はアイピローも買うことにした。
 商品が入ったカゴを持って、レジに向かう。

「プレゼント用に包んでください」
「かしこまりました。リボンの色はどれにいたしましょう?」

 俺は深いブルーのリボンを選んだ。
 ラッピングを待つあいだ、店内をもう一度眺めて回る。豊富な品揃えに驚かされた。うちの店はどうだろう。終売になった『ゆめうたげ』の穴を早く埋めないといけない。果たしてうちは大人気の酒、『天渓』の特約店になれるだろうか。
 
「お待たせいたしましたー」
「ありがとうございます」

 買い物を済ませた俺はスクランブル交差点を歩いた。
 こんなに多くの人がいるのに、直接言葉を交わすことはない。ただすれ違っていくだけだ。
 そう考えると、貝塚さんに出会えたことは奇跡だと思った。
 駅に着いた俺はホームで電車を待っていた。すると、後ろにいる女性たちの会話が聞こえてきた。

「ネットニュース見てみて。『貝塚響也、リンネと熱愛か?』だってさ」
「えーっ、そうなの?」
「リンネに楽曲提供したから、盛り上がっちゃったんじゃね?」

 俺は動揺した。
 電車に乗り込むと、すぐにスマートフォンのニュースアプリを開いた。記事の発信元はコタツ記事と根も葉もない噂ばかり垂れ流しているメディア、早耳ネットだった。

『早耳ネットのカメラは、都内の飲食店から出て来たふたりをとらえた』

 ピントがボケた写真が記事に添えられている。背が高い男性と細身の女性が映っているが、顔までははっきりと分からない。

『なお、双方の事務所は関係を否定している』

 俺はスマートフォンをボディバッグにしまった。ネットの情報よりも、俺はリアルを信じる。貝塚さんは俺のことが好きだと言ってくれた。演技でも嘘でもない、真剣な告白だった。
 そう思う一方で、リンネの美貌が頭の中にチラついた。リンネは売り出し中の歌手である。俺が彼女に勝てる要素はない。
 沈んだ気持ちで、あざみヶ丘に帰る。
 途中、幼なじみのタケちゃんが働く花屋に立ち寄った。

「よう。今日は休みか」
「うん。そっちは忙しそうだね」
「おかげさまでな。ん? 誠司、アロマグッズの店の紙袋を持ってるじゃないか。誰かへのプレゼントか」
「まあ、そんなところ」
「いい人、できたんだな。今度紹介してくれよ」

 それは正直なところ、かなり難しい。俺はタケちゃんに曖昧な笑みを返した。




 
 ドライブデートの当日になった。
 カーテンを開ければ、窓の外に惚れぼれするような晴天が広がっていた。
 SNSでは今ごろ、貝塚響也生誕祭というハッシュタグがつけられたポストが投稿されていることだろう。俺もアカウントを持っていた時は、祭りに参加したものだ。
 遠くから眺めているだけだった推しが、いつしか身近な存在へと変わった。人の縁とは不思議なものだ。
 貝塚さんの到着を待つあいだ、ルームミラーで全身をチェックする。
 Tシャツにカーゴパンツという格好はラフすぎるかな。でも俺、モード系の服とか持ってないし。
 貝塚さんはどんなファッションで現れるのだろうか。ハイブランドでキメてきたりして。
 俺たち、一緒に歩いてて変に思われないかな。
 期待と不安に胸を膨らませていると、スマートフォンが振動した。

『アパートの前に着いたよ』

 貝塚さんからのメッセージだった。俺は玄関のドアを開けて、外に出た。
 インディゴブルーのSUVが、築30年のボロアパートの前に停まっている。ピカピカに磨き上げられた車体がまぶしい。
 運転席にはグレーのマスクをした貝塚さんが座っていた。
 本日の貝塚さんは銀色のドラゴンがプリントされている黒いTシャツを着ていた。前髪をオールバックにして、後ろでひとつに結んでいる。武骨なフォルムの腕時計をつけているし、いつもと違ったワイルドな雰囲気である。
 俺は恐れ多くも、助手席に乗り込んだ。
 
「おはようございます」
「今日はよろしくね」
「貝塚さん、今日はなんというかロックな感じですね」
「ふだんの僕のイメージと真逆のファッションにしてみた。こうすれば人から気づかれにくくなるでしょ?」
「芸能人って大変ですね」
「変装ごっこだと思えば楽しいよ」

 この人らしいポジティブな言葉を聞いて、俺は口元をほころばせた。

「貝塚さん。これ、誕生日プレゼントです」
「わあ。僕のために用意してくれたの?」

 貝塚さんが紙袋からアロマオイルとアイピローを取り出す。

「大切に使わせてもらうね」
「気に入ってもらえてよかったです」
「このアイピロー、沢辺さんの分身だと思って、擦り切れるまで撫で回しちゃおうかな」
「なっ! 何を言ってるんですか」
「冗談だよ。……きみに触れたいのは事実だけど」

 多くの女性ファンをときめかせてきたアーモンドアイが、俺だけを見つめている。俺は挙動不審になった。

「あ、あの。ガム食べます? お茶も持ってきましたよ!」
「口寂しい時は沢辺さんにキスしてもらう」
「またそういうことを言って……」
「ふふっ。さあ、行こうか」

 車が道路を走り出した。
 いよいよデートの始まりだ。俺は深呼吸をして、緊張を和らげた。
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