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とっても近いひと
28. 俺はあなたを信じる!
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その後、お互い忙しくてなかなか会えない日々が続いた。
響也さんはどうやら、レコーディングの最中らしい。喉に負担がかかるといけない。俺は電話ではなく、メールで近況を伝えた。本当は響也さんの声が聞きたかったけれども我慢した。
縁あって響也さんの恋人になったが、あの人は俺だけのものじゃない。多くのファンが彼の音楽を求めている。そのことを忘れちゃいけない。
人が推しのパートナーに求めるものって何だろう。
推しを振り回したり、傷つけるような相手は嫌だな。ワガママは封印しなくちゃ。
響也さん。
次に会った時は、また新たに成長した俺をお見せしたいです。
◆
店番をしていると、一通の手紙が届いた。新潟にある柳都酒造さんの会長からだった。
『誠司くん、ご無沙汰しております。元気で活躍されていることでしょう。こちらも上々と言いたいところですが、仕事を辞めるというのは寂しいものですね。毎日暇を持て余しております。
うちの蔵は後継者が見つからず廃業することになったけれども、私の経験を伝える役目が残っているんじゃないかと考えております。
何かあったらいつでも相談に乗ってください。
ご両親にもよろしく。』
俺は母さんに店番を代わってもらった。そしてバックヤードに行き、会長に電話をかけた。
「お手紙ありがとうございます」
「誠司くん、久しぶりだね。このあいだテレビ局からインタビューを受けていたでしょ。立派になったねぇ」
「お恥ずかしい限りです。それでですね、実はお願いしたいことがありまして」
会長は快く、俺の申し出を受け入れてくれた。
◆
「行ってらっしゃーい!」
9月中旬。
母さんと親父に見送られて、俺は日本酒の試飲会に出かけた。今回の試飲会は酒販店や飲食店を対象にした、業界人向けの催しである。俺の目当ては信州のアズミノ酒造さんが作っている名酒、『天渓』だ。
特約店に立候補するために、俺は販売計画に関する資料を作成した。あと、『天渓』をネット通販で入手して、毎晩その味を舌に刻み込んだ。ペアリングのプランもいくつか考えた。
電車に乗って、都心にあるビルへと向かう。
ビルの最上階にある大会議室が、試飲会の会場となっていた。広々とした場内で、俺はアズミノ酒造さんのブースを探した。
うわっ。
予想以上に長い列ができているな。
俺は最後尾に並んだ。順番を待つあいだ、アズミノ酒造さんに伝えたいことを心の中で復唱する。
「次の方どうぞ」
「はい!」
とうとう順番が回ってきた。
透明な小型のカップに入った『天渓』を渡される。今、対応してくれてるのってアズミノ酒造さんの会長だよな。ウェブサイトや業界紙で写真を見たことがある。俺は一礼をして、試飲カップを受け取った。
試飲カップを口元に運ぶ。『天渓』の特徴である個性豊かな香りと味を堪能する。
「どうですか、『天渓』は」
「素晴らしいです。これぞ日本酒という存在感があって」
「そうでしょう。みなさんそう言ってくれます」
月並みな表現では、会長の心には残らないようだ。
俺はへこたれなかった。まだ会話は終わりではない。以前の俺ならば、やっぱり自分はダメなんだと諦めていたことだろう。
でも俺は、響也さんと出会って変わった。地味で平凡な俺にもいいところがあるって、思えるようになった。
商談においてはアグレッシブさも大事である。
俺は名刺を差し出した。
「お初にお目にかかります。沢辺酒店の沢辺誠司と申します。当店で『天渓』を販売させていただきたく、資料を作って参りました。お手すきの際にご高覧ください」
「ご苦労様です」
会長は気のない様子で俺の名刺と茶封筒を受け取った。ブースの後方には段ボール箱が置かれている。あの箱の中には、他の店から渡された販売資料が詰め込まれているようである。
「アズミノ酒造様は、酒米の栽培から醸造まで手がけていらっしゃるんですよね」
「よくご存じで」
「業界紙に掲載されたインタビューを拝読しました」
「ふむ。ずいぶんと『天渓』にご興味をお持ちのようですな。どうです、うちの田んぼと蔵を見学に来ませんか」
「よろしいんですか?」
「9月20日はいかがですか?」
3日後か。急な話だな。
俺は今、試されている。『天渓』にかける想いがどれだけ強いのかということを。
「ぜひお願いいたします!」
親父からは、アズミノ酒造さんクラスの蔵元と両思いになるのは難しいと言われていた。でも、やってみないと分からない。
「それでは当日、10時にお越しください」
「かしこまりました。お時間をいただき、ありがとうございます」
前泊しないとおそらく間に合わない。
でもここで躊躇したら、商談はそこで終わりだ。
話がまとまったので、俺は次の人に順番を譲った。
◆
俺は信州に向かう新幹線に乗っていた。
イヤホンを装着し、アニメ『凌雲のレジリエンス』の主題歌、『楽園の独我論』を聴く。アニメの放送に先立って配信されたこの楽曲は、再生回数がぐんぐん伸びている。
この曲はすごい。貝塚響也の新境地じゃないか。
貝塚響也の特徴である甘くてスモーキーな歌声の代わりに、心がヒリヒリするようなシャウトや、お腹の底に響くような低音が多用されている。テンポもいつもより速い。貝塚響也が得意とするポップスではなく、ロックに寄せている。
俺はファンとして、貝塚響也のチャレンジを嬉しく思った。
作品のイメージに合わせて、ここまで変化できるんだ。
SNSをやめてしまった俺だが、みんなの評判が気になる。ニュースアプリを開き、トレンドというタブをチェックする。なんと、「貝塚響也、替え玉、疑惑」というワードがトレンド入りしていた。
どういうことだ?
ネットニュースをスクロールしてみる。すると、貝塚響也の『楽園の独我論』は本人ではなく替え玉による歌唱ではないかという疑問を呈した記事が見つかった。ふだんとテイストがかなり違うこと、これまでに聴いたことがない音域の声を出していることが理由として挙げられている。
替え玉だって?
まさか、貝塚響也がそんな真似をするわけがない。
こんな記事を書かれて、響也さんはどうしているだろう。また精神的に不安定になったりしてるのかな。
そばに行けない自分がもどかしい。
記事の末尾には、こう記されていた。
『Xデーは9月20日。そこですべてが明らかになる。』
なんでも、9月20日に放送される歌番組で貝塚響也が生歌を披露する予定らしい。
響也さん……!
俺はメールアプリを立ち上げた。
『信じてます』
余計な言葉はいらない。俺はたった一行だけのメールを送信した。
響也さんはどうやら、レコーディングの最中らしい。喉に負担がかかるといけない。俺は電話ではなく、メールで近況を伝えた。本当は響也さんの声が聞きたかったけれども我慢した。
縁あって響也さんの恋人になったが、あの人は俺だけのものじゃない。多くのファンが彼の音楽を求めている。そのことを忘れちゃいけない。
人が推しのパートナーに求めるものって何だろう。
推しを振り回したり、傷つけるような相手は嫌だな。ワガママは封印しなくちゃ。
響也さん。
次に会った時は、また新たに成長した俺をお見せしたいです。
◆
店番をしていると、一通の手紙が届いた。新潟にある柳都酒造さんの会長からだった。
『誠司くん、ご無沙汰しております。元気で活躍されていることでしょう。こちらも上々と言いたいところですが、仕事を辞めるというのは寂しいものですね。毎日暇を持て余しております。
うちの蔵は後継者が見つからず廃業することになったけれども、私の経験を伝える役目が残っているんじゃないかと考えております。
何かあったらいつでも相談に乗ってください。
ご両親にもよろしく。』
俺は母さんに店番を代わってもらった。そしてバックヤードに行き、会長に電話をかけた。
「お手紙ありがとうございます」
「誠司くん、久しぶりだね。このあいだテレビ局からインタビューを受けていたでしょ。立派になったねぇ」
「お恥ずかしい限りです。それでですね、実はお願いしたいことがありまして」
会長は快く、俺の申し出を受け入れてくれた。
◆
「行ってらっしゃーい!」
9月中旬。
母さんと親父に見送られて、俺は日本酒の試飲会に出かけた。今回の試飲会は酒販店や飲食店を対象にした、業界人向けの催しである。俺の目当ては信州のアズミノ酒造さんが作っている名酒、『天渓』だ。
特約店に立候補するために、俺は販売計画に関する資料を作成した。あと、『天渓』をネット通販で入手して、毎晩その味を舌に刻み込んだ。ペアリングのプランもいくつか考えた。
電車に乗って、都心にあるビルへと向かう。
ビルの最上階にある大会議室が、試飲会の会場となっていた。広々とした場内で、俺はアズミノ酒造さんのブースを探した。
うわっ。
予想以上に長い列ができているな。
俺は最後尾に並んだ。順番を待つあいだ、アズミノ酒造さんに伝えたいことを心の中で復唱する。
「次の方どうぞ」
「はい!」
とうとう順番が回ってきた。
透明な小型のカップに入った『天渓』を渡される。今、対応してくれてるのってアズミノ酒造さんの会長だよな。ウェブサイトや業界紙で写真を見たことがある。俺は一礼をして、試飲カップを受け取った。
試飲カップを口元に運ぶ。『天渓』の特徴である個性豊かな香りと味を堪能する。
「どうですか、『天渓』は」
「素晴らしいです。これぞ日本酒という存在感があって」
「そうでしょう。みなさんそう言ってくれます」
月並みな表現では、会長の心には残らないようだ。
俺はへこたれなかった。まだ会話は終わりではない。以前の俺ならば、やっぱり自分はダメなんだと諦めていたことだろう。
でも俺は、響也さんと出会って変わった。地味で平凡な俺にもいいところがあるって、思えるようになった。
商談においてはアグレッシブさも大事である。
俺は名刺を差し出した。
「お初にお目にかかります。沢辺酒店の沢辺誠司と申します。当店で『天渓』を販売させていただきたく、資料を作って参りました。お手すきの際にご高覧ください」
「ご苦労様です」
会長は気のない様子で俺の名刺と茶封筒を受け取った。ブースの後方には段ボール箱が置かれている。あの箱の中には、他の店から渡された販売資料が詰め込まれているようである。
「アズミノ酒造様は、酒米の栽培から醸造まで手がけていらっしゃるんですよね」
「よくご存じで」
「業界紙に掲載されたインタビューを拝読しました」
「ふむ。ずいぶんと『天渓』にご興味をお持ちのようですな。どうです、うちの田んぼと蔵を見学に来ませんか」
「よろしいんですか?」
「9月20日はいかがですか?」
3日後か。急な話だな。
俺は今、試されている。『天渓』にかける想いがどれだけ強いのかということを。
「ぜひお願いいたします!」
親父からは、アズミノ酒造さんクラスの蔵元と両思いになるのは難しいと言われていた。でも、やってみないと分からない。
「それでは当日、10時にお越しください」
「かしこまりました。お時間をいただき、ありがとうございます」
前泊しないとおそらく間に合わない。
でもここで躊躇したら、商談はそこで終わりだ。
話がまとまったので、俺は次の人に順番を譲った。
◆
俺は信州に向かう新幹線に乗っていた。
イヤホンを装着し、アニメ『凌雲のレジリエンス』の主題歌、『楽園の独我論』を聴く。アニメの放送に先立って配信されたこの楽曲は、再生回数がぐんぐん伸びている。
この曲はすごい。貝塚響也の新境地じゃないか。
貝塚響也の特徴である甘くてスモーキーな歌声の代わりに、心がヒリヒリするようなシャウトや、お腹の底に響くような低音が多用されている。テンポもいつもより速い。貝塚響也が得意とするポップスではなく、ロックに寄せている。
俺はファンとして、貝塚響也のチャレンジを嬉しく思った。
作品のイメージに合わせて、ここまで変化できるんだ。
SNSをやめてしまった俺だが、みんなの評判が気になる。ニュースアプリを開き、トレンドというタブをチェックする。なんと、「貝塚響也、替え玉、疑惑」というワードがトレンド入りしていた。
どういうことだ?
ネットニュースをスクロールしてみる。すると、貝塚響也の『楽園の独我論』は本人ではなく替え玉による歌唱ではないかという疑問を呈した記事が見つかった。ふだんとテイストがかなり違うこと、これまでに聴いたことがない音域の声を出していることが理由として挙げられている。
替え玉だって?
まさか、貝塚響也がそんな真似をするわけがない。
こんな記事を書かれて、響也さんはどうしているだろう。また精神的に不安定になったりしてるのかな。
そばに行けない自分がもどかしい。
記事の末尾には、こう記されていた。
『Xデーは9月20日。そこですべてが明らかになる。』
なんでも、9月20日に放送される歌番組で貝塚響也が生歌を披露する予定らしい。
響也さん……!
俺はメールアプリを立ち上げた。
『信じてます』
余計な言葉はいらない。俺はたった一行だけのメールを送信した。
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