東京ダンジョン物語

さきがけ

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第29話:平凡な朝と、非凡な取引

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2024年8月8日、木曜日。朝8時。
西新宿の片隅に立つ築15年のアパートの一室。

隣室に住む綾瀬美琴が、いつものように竹で編まれたバスケットを手に現れた。今日のメニューは、焼き鮭とだし巻き卵、素早さの種を使った五目豆に、豆腐とわかめの味噌汁。白いご飯の湯気が、夏の朝の気怠さをわずかに和らげてくれる。

「それで、今日の流れだけど、もう一度確認しておこうか」

悠真が味噌汁の椀を置きながら言った。その視線の先で、美琴はこくりと頷く。彼女の長い黒髪が、その動きに合わせてさらりと揺れた。

「はい。まず午前中に新宿の探索者協会買取所へ行って、マジックバッグを一つ売却します。その後、秋葉原へ移動して、午後1時に協会本店前で紗夜ちゃんと合流。三人で新しい装備を揃える、という計画ですね」

「ああ、その通りだ。紗夜には、1時に本店の正面入り口で、と伝えてある」

「分かりました」

美琴はそう答えると、自分の茶碗に視線を落とした。その白い指が、箸を軽く握っている。マジックバッグの買取が超高額になることは間違いないだろう。数千万円、あるいは億を超えるかもしれない大金が、今日、自分たちの手に入る。その事実が、まだ現実感のない期待となって、二人の胸を高鳴らせていた。

悠真は、そんな美琴の様子を見て、軽い口調で言った。

「まあ、心配することはないさ。ただのアイテム売却だ。いつも素材を売るのと何も変わらない」

その言葉に、美琴はふっと表情を和らげた。

「そうですね。悠真さんが一緒なら、大丈夫です」

彼女の信頼のこもった眼差しを受け、悠真は静かに頷いた。そして、テーブルの脇に置いてあった古びた革袋――昨日、20階層のボス、キマイラからドロップした『マジックバッグ』――を手に取った。

「じゃあ、やってみるか」

悠真はマジックバッグをテーブルの中央に置くと、その上に右手をかざした。意識を集中させる。彼の体から放たれる淡い七色の光が、部屋の空気を幻想的に染め上げた。

「『無限複製』」

スキル名が呟かれると、光はオーロラのように揺らめきながらマジックバッグを包み込んだ。光が一際強く輝き、すっと収束する。光が消えた後には、テーブルの上に全く同じマジックバッグがもう一つ、静かに置かれていた。革の質感、縫い目、使い込まれたような微かな傷。その全てが、寸分違わず再現されている。

「これでよし。オリジナルは保管用に取っておいて、こっちの複製品を売却しよう」

「はい」

美琴は改めて二つのマジックバッグを見比べ、ごくりと唾を飲み込んだ。この、神の御業としか思えないスキルが、これからの彼らの運命をどう変えていくのか。期待と不安が入り混じった複雑な感情が、彼女の胸を締め付けた。

朝食を終え、食器を片付けると、二人は準備を始めた。動きやすい服装に着替え、売却用のマジックバッグをリュックに入れる。探索に行くわけではないので、荷物はそれだけだった。

午前8時45分。二人はアパートのドアに鍵をかけ、灼熱の太陽が照りつける外の世界へと足を踏み出した。

 ◇ ◇ ◇

新宿駅西口から都庁方面へ向かう歩道は、平日の午前中とは思えないほどの人出だった。夏休み中の学生たちが、友人同士で楽しげに談笑しながら行き交っている。その中に、明らかに探索者と分かる装備を身に着けた若者たちの姿も散見された。彼らにとって、夏休みはレベルを上げ、金を稼ぐための絶好の機会なのだ。

探索者協会の新宿買取所は、そんな喧騒から少し離れた、オフィスビルが立ち並ぶ一角にひっそりと佇んでいた。ガラス張りの近代的な建物で、中からは涼しい冷気が漏れ出してくる。自動ドアをくぐると、外の熱気が嘘のように、ひんやりとした空気が二人を迎えた。

フロアは予想通り、学生らしき若い探索者たちで賑わっていた。カウンターの前にはいくつかの列ができており、それぞれがゴブリンの牙やコボルトの毛皮といった、初級階層で手に入るであろう素材をトレイに乗せ、査定を待っている。

「結構混んでますね」

美琴が小声で言うと、悠真は「まあ、想定内だ」と短く答えた。二人は一番短い列の最後尾に並んだ。

10分ほど待っただろうか。ようやく順番が回ってきた。カウンターの内側には、人の良さそうな笑顔を浮かべた20代半ばの男性職員が座っている。

「お待たせいたしました。本日はどのようなご用件でしょうか」

悠真は無言で、リュックの中から複製したマジックバッグを取り出し、カウンターの上に置いた。

「このマジックバッグの査定をお願いします」

その瞬間、男性職員の笑顔が凍りついた。彼の目は、カウンターに置かれた古びた革袋に釘付けになっている。マジックバッグ。探索者であれば、その存在を知らない者はいない。市場には滅多に出回ることのない、幻の超レアアイテム。それが今、目の前にある。

「こ、これは……」

職員は言葉を失い、椅子から立ち上がった。その目は大きく見開かれ、信じられないものを見るかのように、バッグと悠真の顔を交互に見比べている。周囲の探索者たちも、何事かとこちらの様子を窺い始めた。

「しょ、少々お待ちください! すぐに、所長を呼んでまいります!」

男性職員はそう叫ぶと、カウンターの後ろにある事務所のドアに向かって、慌てて駆け込んでいった。そのただならぬ様子に、フロア内のざわめきが一層大きくなる。

数分後、事務所のドアが開き、恰幅のいい男性が姿を現した。歳は50代半ばだろうか。白髪交じりの髪をきっちりと分け、高価そうなスーツを着こなしている。しかし、その柔和な見た目とは裏腹に、彼の放つ眼光は剃刀のように鋭かった。長年、無数のアイテムを鑑定してきた者だけが持つ、本物を見抜く鑑定眼。彼こそが、この新宿買取所の所長、田崎だった。

「お客様が、マジックバッグをお持ちになったと聞きましたが」

田崎は悠真たちの前に立つと、値踏みするような視線を向けた。まだ若い二人組のパーティー。そんな彼らが、なぜこれほどのアイテムを? 田崎の脳裏に、一瞬で様々な可能性が駆け巡る。

彼はカウンターの上に置かれたマジックバッグを、まるで壊れ物を扱うかのように、慎重に手に取った。指先で革の質感を確かめ、光にかざして縫い目を検分する。その表情は、真剣そのものだった。

「ふむ……確かに、本物のマジックバッグのようですな。私も過去に数度しか目にしたことがありませんが、この質感と魔力の残滓は間違いない。しかし……」

田崎は一旦言葉を切ると、悪戯っぽく口の端を上げた。

「こればかりは、実際に入れてみないと分かりませんからな」

彼はそう言うと、部下の職員に何事か耳打ちした。職員は大きく頷くと、再び奥の事務所へと駆け込んでいく。やがて、彼が抱えてきたものを見て、悠真と美琴は首を傾げた。

それは、小さな段ボール箱と電動空気入れだった。箱の中には、色とりどりのゴム風船が大量に入っている。まだ空気を入れていない、ぺしゃんこの状態だ。

「さあ、鑑定を始めましょう」

田崎の指示で、若い職員が電動空気入れを使って風船に空気を入れ始めた。プシューという音と共に、風船が見る見るうちに膨らんでいく。直径30センチほどまで膨らんだ風船を、田崎がマジックバッグの口へと押し込む。バッグの小さな入り口に触れた瞬間、まるで水面に溶けるかのように、すっと吸い込まれていった。

職員は次々と風船を膨らませ、田崎がそれをバッグに入れていく。10個、20個、50個……。電動空気入れの音が絶え間なく響き、カウンターの周りは色とりどりの風船を膨らませては入れる作業で忙しくなった。100個、200個……。段ボール箱の中の風船がどんどん減っていくが、マジックバッグは全く膨らむ様子もなく、淡々と風船を飲み込み続けた。

15分ほど経っただろうか。ついに段ボール箱が空になった。段ボール一箱分の風船が、全てその小さな革袋の中に収まってしまった。

「……本物だ。間違いありません」

田崎は、感嘆のため息を漏らした。その声には、長年の鑑定士としての興奮が隠しきれない様子で滲んでいる。彼は悠真と美琴に向き直ると、恭しい態度で言った。

「これは素晴らしい品です。よろしければ、奥の所長室で、詳しいお話を伺えませんでしょうか」
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