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羅遠蘭武は、港で船の到着を待っていた。
太陽はすでに消え、海は闇に覆われていた。海に浮かぶ漁船の明かりを静かに眺めながら、背にしたアーケードの柱に指を押し当て、武道家として指先を鍛えていた。
船を待っている間、蘭武は紅砂の事を考えていた。
紅砂が羅遠家にやってきたのは、6年前。
その頃、父は病《やまい》で体が思うように動けなくなっていた。そんな中、母と弟が失踪し、家も村もゴタゴタしている時に、彼は羅遠の時期当主として現れた。
――6年前。
母と共に行方不明となり、弟だけが発見されたあの日。病《やまい》で入院していた父が、青白い顔で連れてきた学生服の青年。それが紅砂だった。
「羅遠紅砂だ。お前達の異母兄にあたる――」
「――!?」
その場にいた、誰もが驚いた。異母兄?母が失踪した後に来た、母親の違う兄?
龍一と蘭武が戸惑う中、父はさらに驚きの言葉を口にした。
「今日より、羅遠の当主は紅砂に任せることにする」
父がそういった時、誰よりも驚いたのは長兄である龍一だったかもしれない。父がこんなことを言い出すまで、誰もが龍一こそ、時期当主になると疑いもしなかったのだ。日頃、クールで何事にも関心がなさそうな龍一が見せた僅かな表情の変化を、蘭武は見逃さなかった。だが、余りにも唐突過ぎる出来事に、誰も異議を唱えることが出来なかった。いや……、異議を唱えさせない何かがあったのかもしれない。
まず、初めて目にした異母兄の姿かたちの美しさに誰もが息を呑んだ。それはまるで、美術館に飾られた美女の絵画の前に、陶然と佇む人々のようだった。事実、紅砂の男とも思えぬ白い肌、さらりと揺れる栗色の美しい髪。何よりその瞳の輝きは光の反射によっては紅く見え、それがまた夕日に染まりゆく空の紅を連想し、美しさと共に懐かしさが胸に込み上げてくる。
蘭武はその懐かしさに太古から連綿と続く島の歴史を想起し、切なさと、言いようのない愛しさに襲われ、自然と涙で視界が滲んだ。
そんな蘭武を知ってか知らずか、紅砂は穏やかに微笑むと蘭武の脇を通り過ぎていった。
紅砂から吹き付ける風は、ほんのりと森緑の香がした。
その日から、紅砂は羅遠で暮らす事になった。しかし、紅砂は日常的な暮らしの仕事には積極的であったが、武道のほうはあまり乗る気ではなかったようだ。島にある道場も含め、羅遠流は全国5箇所に道場を持ち、指導に携わるのであるが、紅砂は軽く顔を出す程度ですぐに姿を消してしまう。
そんな紅砂に業を煮やしたのか、龍一は紅砂に手合わせを申し出た。やはり龍一は紅砂のことを快く思っていなかったのだろう。いつも冷静な龍一にしては珍しく闘志がみなぎっていた。だが、勝負はあっけなく終わった。今まで、誰にも負けた事のない龍一は大層悔しがった。それは、蘭武にしても初めて見る龍一の姿だった。
負けを帰した龍一は、紅砂を羅遠流の当主と認めた。そして、紅砂は龍一にヨーロッパ各地での羅遠流古武術の普及活動を提案した。日本古武術連盟より、海外から多数の要請がきているという。羅遠流もその他の流派と並んで、一部の武道マニアから求められているらしい。紅砂は龍一に海外での羅遠流普及に携わるか?と訊いた。龍一は承諾した。以来、龍一はずっと海外で暮らしている。
蘭武は少し違和感を感じた。
長く海外で暮らす龍一が、何故、今頃になって母の失踪の原因をさぐるのか?龍一は、母が不慮の事故で気が触れるようになってからというもの、母への関心はあまり示さなかった。だから、6年前の失踪など気にもしていないように感じた。
6年の間に、気が変ったのだろうか?だったら、何故龍一自身が帰ってこないのだろう?
蘭武の脳裏で様々な憶測が飛び交う中、港に船が到着した。
次々に客が船から降りてくる。
蘭武は探偵らしき者を探したが、分からなかった。
降船する客が途絶えた。
おかしいな?もう降りたのかな?
と、思っていたら、最後の一人が降りてきた。
最後の客――、長身の若者を見て蘭武は驚愕した。
「四鵬《しほう》!」
降船してアーケードを歩いて来る男は、母の失踪以来、島を出て久しく見なかった弟であった。
「よぉ~、蘭武~、元気だったか~。何でお前がこんなところにいるんだ?」
片手を挙げ、苦みばしった笑顔で降りてくるチャラチャラした黒ずくめの弟を見て、蘭武は露骨に嫌な顔をした。
「お前こそ、何で帰って来た?家が嫌で飛び出したんだろ?」
四鵬は肩をすくめて、
「当主様から手紙が届いたんだ」
と、言った。
「帰って来いとでも書いてあったか?」
「いや……、そうじゃないけど、奴の顔だけでも拝んでおこうと思ってな」
「ふーん……」
蘭武は不信な眼差しを送った。
「ところで蘭武、お前はどうして此処に?テレパシーで俺が帰って来るのが分かったのか?」
「お前なんぞ、帰って来ると分かったところで、誰が迎えになど出るか!龍一兄さんが雇った探偵を待っているんだ」
「あー、あの探偵ね~」
四鵬はわざとらしくオーバーに答えた。
「そういや、そんな奴いたな~、でも、仕事に乗る気がしないってんで、船には乗ってないぜ」
「なんだって?!」
「仕事を放棄する探偵なんざ、碌な奴じゃないさ、良かったなあ、迎え入れる前に分かって、龍一にも連絡しておいたほうがいいぞ」
と、四鵬が言い終えると同時に、背後から風を弾き、黒いうねりを持って襲い来るモノがあった。
――鞭だ。
四鵬は素早く避け、振り返った。
「勝手に私を薄情な探偵に仕立て上げないでよね」
そこには、黒い蛇がとぐろを巻くように鞭をくねらせ、びしょ濡れになってもなお、艶やかな微笑を浮かべた探偵、刈谷瀬名の姿があった。
「おやおや、どうやってここまで?」
と、四鵬ことRETSUGAは、自分のした事もそっちのけで軽く瀬菜に訊いた。
「途中、脇を通った漁船に助けられて、ここまで送ってもらったの。ところで、さっきからそちらで探偵を待っていらっしゃるのは羅遠家の方ね、初めまして、わたくし、刈谷瀬菜と申します。この度、こんな時間に――?!」
瀬菜はそこまで言って、言葉に詰まってしまった。
喋りながら近付いていくうちに蘭武の顔がはっきり見えたのだ。そして息を呑んだ。
(ーー嘘でしょ!この子すごく可愛い!)
瀬菜は両手を頬に当てがい跳び跳ねた。これはヤバいかもしれない。体がまたムズムズしてくる。瀬菜の例の悪癖が鎌首をもたげていた。
(まずい!依頼人である龍一の弟に変な真似は出来ない!)
そう思い、悪癖を押さえることに必死になる。気が付けば、蘭武の足下にうずくまり、地面に爪を立てていた。
(これは……辛い……)
「一体、どうしたんだ?」
蘭武が心配そうに声をかけた。
四鵬も不思議そうに見ていたが、何かを思い出したように、
「あ、お前、もしかして、また触りたいのか?」
と訊いた。
「触る?」
蘭武が訝しげに聞き返す。
「こいつ変な性癖があるみたいなんだよ」
「なんだ、それ?」
蘭武は眉をひそめた。
「性癖って言わないで!芸術的な美に対する探究心と言って!」
瀬菜は苦しみ悶えていた。
二人には何のことだかさっぱり理解できない。
「仕様がねぇ~なぁ~。ほれ、触らせてやるから、立てよ」
と言って四鵬が自分の方へ瀬菜の手を導いてくれた。
「有難う……」
(?!――この感触は?)
「――って、どこ触らせるのよ!!」
四鵬が触らせてくれたのは、彼の股間だった。四鵬はどこか楽しげに、「だってお前、痴女だろ?」と言って軽くせせら笑った。
(なんて、腹の立つ男――!!)
蘭武が遠巻きに見て、呆れ返っている。
(まずい……)
素早く起き上がって、改めて着衣の乱れを整える。と言っても、既にずぶ濡れで見苦しい格好なのは変らない。
「し、失礼しました。私は羅遠龍一さんからの依頼で訪れた探偵です。ええ~と、あなたは龍一さんの~」
「弟」
と蘭武はぶっきらぼうに答えた。
「弟さんでしたか、少しお宅にご厄介になることを許して頂けたようで、有難う御座いました」
「いや、そんな事はいいが、女か……」
「え?」
瀬菜は蘭武の侮蔑するような物言いに、言葉が詰まった。
「女だったら、何か?」
ちょっと気分が悪いが、必死に愛想笑いを浮かべた。それでも、口元はやや引きつっていたはずだ。
「別に……、ただ、ちゃんと仕事をこなせるのか気になっただけさ」
「も、もちろんですとも!しっかりやります!それで食べてきてますから」
「だったらいいけど、性癖ってのは一体何?家で変な事は起こさないでほしいね。これ以上、当主に色目使う者が増えても困る。その辺は大丈夫?」
少し黙って訊いていた四鵬だったが、これ幸いと口を挟んだ。
「いやあ、それはちょっと怪しいんじゃないか~。紅砂だろ~!うん、うん、絶対無理だ!やっぱ、あんたはこのまま帰ったほうがいいよ。そうしよ!そうしよ!」
と、やけに嬉しそうにしている。実に腹立たしい。
「それは、あんたが私を邪魔者にしてるだけでしょ~」
とむくれっ面で反論する。すると即座に、「何を言ってるんだ!」と返され、真剣だが見るからに嘘臭い眼差しで、
「俺はお前のためを想って言ってるんだ!紅砂にその悪癖を行うってことは、島中の女を敵に回すのと同じことなんだぞ!いや、ひょっとしたら女だけじゃない!ここにいるこいつもだ!」
と、言って蘭武を指差す。
「こいつはな~、俺なんかと違って性格が非常に悪い!腐ってる!島にいる間、俺がどれだけいじめられたか!そのいじめもなあ、とことん底意地が悪く悪質で容赦がない!怖いぞお、こいつに睨まれたら。悪いことは言わない、さっさと島から出る事、いいな!」
何であんたに指を差されながら訳の分からない理由で島から出なきゃならないの!と怒鳴ってやりたい気持ちを抑え、瀬菜は憮然と腕を組んだ。
「どうでもいいけど、さっきから、あんたは何?!関係ない奴はどっか消えてよ!」
と、顔を引き吊らせた。
すると尽かさず蘭武が心底嫌そうに、
「すいません、残念ながらこいつは弟なんです」
と、謝った。
「あ~、弟さんね……って、え?え?あなたが弟さんじゃなく、こっちの憎たらしいのが弟?」
「そうだけど、何か?」
仏頂面で睨まれた。
(超~~、機嫌悪い……。これはまずいかも?)
いつも間違えられ、嫌な思いをしているのかもしれない。だが、どう見たって二人の外見からしたら、仕方がないとも思える。
蘭武はちっとも弟に見えない弟を指差した。
「こいつは羅遠四鵬。羅遠家不肖の末っ子」
指差された四鵬は「不肖の?随分な物言いじゃないか!」と脇でぎゃんぎゃん抗議している。
蘭武は蘭武で、「お前のさっきの悪態よりマシだ!しかも、何の連絡も無しに、チャラチャラ変なテレビに変な格好で出やがって、不肖と言わずしてなんと言う!」などと言いながら、二人で罵り合っている。
瀬菜は、これが羅遠の中枢なのかと思うと呆れた。兄の龍一はあんなにしっかりしているのに、少々羅遠家に対して失望の念が押し寄せた。
「二人とも羅遠家の方なら丁度いいわ。とやかく言ってないで、早く私を羅遠家に案内して頂けないかしら?」
と、瀬菜は二人の口喧嘩に終止符を打った。
二人は揃って、瀬菜を見るなり、「あぁ~!」と言って露骨に嫌そうな顔をした。こういうときだけは気が合うらしい。なんて憎たらしい兄弟なんだ。
太陽はすでに消え、海は闇に覆われていた。海に浮かぶ漁船の明かりを静かに眺めながら、背にしたアーケードの柱に指を押し当て、武道家として指先を鍛えていた。
船を待っている間、蘭武は紅砂の事を考えていた。
紅砂が羅遠家にやってきたのは、6年前。
その頃、父は病《やまい》で体が思うように動けなくなっていた。そんな中、母と弟が失踪し、家も村もゴタゴタしている時に、彼は羅遠の時期当主として現れた。
――6年前。
母と共に行方不明となり、弟だけが発見されたあの日。病《やまい》で入院していた父が、青白い顔で連れてきた学生服の青年。それが紅砂だった。
「羅遠紅砂だ。お前達の異母兄にあたる――」
「――!?」
その場にいた、誰もが驚いた。異母兄?母が失踪した後に来た、母親の違う兄?
龍一と蘭武が戸惑う中、父はさらに驚きの言葉を口にした。
「今日より、羅遠の当主は紅砂に任せることにする」
父がそういった時、誰よりも驚いたのは長兄である龍一だったかもしれない。父がこんなことを言い出すまで、誰もが龍一こそ、時期当主になると疑いもしなかったのだ。日頃、クールで何事にも関心がなさそうな龍一が見せた僅かな表情の変化を、蘭武は見逃さなかった。だが、余りにも唐突過ぎる出来事に、誰も異議を唱えることが出来なかった。いや……、異議を唱えさせない何かがあったのかもしれない。
まず、初めて目にした異母兄の姿かたちの美しさに誰もが息を呑んだ。それはまるで、美術館に飾られた美女の絵画の前に、陶然と佇む人々のようだった。事実、紅砂の男とも思えぬ白い肌、さらりと揺れる栗色の美しい髪。何よりその瞳の輝きは光の反射によっては紅く見え、それがまた夕日に染まりゆく空の紅を連想し、美しさと共に懐かしさが胸に込み上げてくる。
蘭武はその懐かしさに太古から連綿と続く島の歴史を想起し、切なさと、言いようのない愛しさに襲われ、自然と涙で視界が滲んだ。
そんな蘭武を知ってか知らずか、紅砂は穏やかに微笑むと蘭武の脇を通り過ぎていった。
紅砂から吹き付ける風は、ほんのりと森緑の香がした。
その日から、紅砂は羅遠で暮らす事になった。しかし、紅砂は日常的な暮らしの仕事には積極的であったが、武道のほうはあまり乗る気ではなかったようだ。島にある道場も含め、羅遠流は全国5箇所に道場を持ち、指導に携わるのであるが、紅砂は軽く顔を出す程度ですぐに姿を消してしまう。
そんな紅砂に業を煮やしたのか、龍一は紅砂に手合わせを申し出た。やはり龍一は紅砂のことを快く思っていなかったのだろう。いつも冷静な龍一にしては珍しく闘志がみなぎっていた。だが、勝負はあっけなく終わった。今まで、誰にも負けた事のない龍一は大層悔しがった。それは、蘭武にしても初めて見る龍一の姿だった。
負けを帰した龍一は、紅砂を羅遠流の当主と認めた。そして、紅砂は龍一にヨーロッパ各地での羅遠流古武術の普及活動を提案した。日本古武術連盟より、海外から多数の要請がきているという。羅遠流もその他の流派と並んで、一部の武道マニアから求められているらしい。紅砂は龍一に海外での羅遠流普及に携わるか?と訊いた。龍一は承諾した。以来、龍一はずっと海外で暮らしている。
蘭武は少し違和感を感じた。
長く海外で暮らす龍一が、何故、今頃になって母の失踪の原因をさぐるのか?龍一は、母が不慮の事故で気が触れるようになってからというもの、母への関心はあまり示さなかった。だから、6年前の失踪など気にもしていないように感じた。
6年の間に、気が変ったのだろうか?だったら、何故龍一自身が帰ってこないのだろう?
蘭武の脳裏で様々な憶測が飛び交う中、港に船が到着した。
次々に客が船から降りてくる。
蘭武は探偵らしき者を探したが、分からなかった。
降船する客が途絶えた。
おかしいな?もう降りたのかな?
と、思っていたら、最後の一人が降りてきた。
最後の客――、長身の若者を見て蘭武は驚愕した。
「四鵬《しほう》!」
降船してアーケードを歩いて来る男は、母の失踪以来、島を出て久しく見なかった弟であった。
「よぉ~、蘭武~、元気だったか~。何でお前がこんなところにいるんだ?」
片手を挙げ、苦みばしった笑顔で降りてくるチャラチャラした黒ずくめの弟を見て、蘭武は露骨に嫌な顔をした。
「お前こそ、何で帰って来た?家が嫌で飛び出したんだろ?」
四鵬は肩をすくめて、
「当主様から手紙が届いたんだ」
と、言った。
「帰って来いとでも書いてあったか?」
「いや……、そうじゃないけど、奴の顔だけでも拝んでおこうと思ってな」
「ふーん……」
蘭武は不信な眼差しを送った。
「ところで蘭武、お前はどうして此処に?テレパシーで俺が帰って来るのが分かったのか?」
「お前なんぞ、帰って来ると分かったところで、誰が迎えになど出るか!龍一兄さんが雇った探偵を待っているんだ」
「あー、あの探偵ね~」
四鵬はわざとらしくオーバーに答えた。
「そういや、そんな奴いたな~、でも、仕事に乗る気がしないってんで、船には乗ってないぜ」
「なんだって?!」
「仕事を放棄する探偵なんざ、碌な奴じゃないさ、良かったなあ、迎え入れる前に分かって、龍一にも連絡しておいたほうがいいぞ」
と、四鵬が言い終えると同時に、背後から風を弾き、黒いうねりを持って襲い来るモノがあった。
――鞭だ。
四鵬は素早く避け、振り返った。
「勝手に私を薄情な探偵に仕立て上げないでよね」
そこには、黒い蛇がとぐろを巻くように鞭をくねらせ、びしょ濡れになってもなお、艶やかな微笑を浮かべた探偵、刈谷瀬名の姿があった。
「おやおや、どうやってここまで?」
と、四鵬ことRETSUGAは、自分のした事もそっちのけで軽く瀬菜に訊いた。
「途中、脇を通った漁船に助けられて、ここまで送ってもらったの。ところで、さっきからそちらで探偵を待っていらっしゃるのは羅遠家の方ね、初めまして、わたくし、刈谷瀬菜と申します。この度、こんな時間に――?!」
瀬菜はそこまで言って、言葉に詰まってしまった。
喋りながら近付いていくうちに蘭武の顔がはっきり見えたのだ。そして息を呑んだ。
(ーー嘘でしょ!この子すごく可愛い!)
瀬菜は両手を頬に当てがい跳び跳ねた。これはヤバいかもしれない。体がまたムズムズしてくる。瀬菜の例の悪癖が鎌首をもたげていた。
(まずい!依頼人である龍一の弟に変な真似は出来ない!)
そう思い、悪癖を押さえることに必死になる。気が付けば、蘭武の足下にうずくまり、地面に爪を立てていた。
(これは……辛い……)
「一体、どうしたんだ?」
蘭武が心配そうに声をかけた。
四鵬も不思議そうに見ていたが、何かを思い出したように、
「あ、お前、もしかして、また触りたいのか?」
と訊いた。
「触る?」
蘭武が訝しげに聞き返す。
「こいつ変な性癖があるみたいなんだよ」
「なんだ、それ?」
蘭武は眉をひそめた。
「性癖って言わないで!芸術的な美に対する探究心と言って!」
瀬菜は苦しみ悶えていた。
二人には何のことだかさっぱり理解できない。
「仕様がねぇ~なぁ~。ほれ、触らせてやるから、立てよ」
と言って四鵬が自分の方へ瀬菜の手を導いてくれた。
「有難う……」
(?!――この感触は?)
「――って、どこ触らせるのよ!!」
四鵬が触らせてくれたのは、彼の股間だった。四鵬はどこか楽しげに、「だってお前、痴女だろ?」と言って軽くせせら笑った。
(なんて、腹の立つ男――!!)
蘭武が遠巻きに見て、呆れ返っている。
(まずい……)
素早く起き上がって、改めて着衣の乱れを整える。と言っても、既にずぶ濡れで見苦しい格好なのは変らない。
「し、失礼しました。私は羅遠龍一さんからの依頼で訪れた探偵です。ええ~と、あなたは龍一さんの~」
「弟」
と蘭武はぶっきらぼうに答えた。
「弟さんでしたか、少しお宅にご厄介になることを許して頂けたようで、有難う御座いました」
「いや、そんな事はいいが、女か……」
「え?」
瀬菜は蘭武の侮蔑するような物言いに、言葉が詰まった。
「女だったら、何か?」
ちょっと気分が悪いが、必死に愛想笑いを浮かべた。それでも、口元はやや引きつっていたはずだ。
「別に……、ただ、ちゃんと仕事をこなせるのか気になっただけさ」
「も、もちろんですとも!しっかりやります!それで食べてきてますから」
「だったらいいけど、性癖ってのは一体何?家で変な事は起こさないでほしいね。これ以上、当主に色目使う者が増えても困る。その辺は大丈夫?」
少し黙って訊いていた四鵬だったが、これ幸いと口を挟んだ。
「いやあ、それはちょっと怪しいんじゃないか~。紅砂だろ~!うん、うん、絶対無理だ!やっぱ、あんたはこのまま帰ったほうがいいよ。そうしよ!そうしよ!」
と、やけに嬉しそうにしている。実に腹立たしい。
「それは、あんたが私を邪魔者にしてるだけでしょ~」
とむくれっ面で反論する。すると即座に、「何を言ってるんだ!」と返され、真剣だが見るからに嘘臭い眼差しで、
「俺はお前のためを想って言ってるんだ!紅砂にその悪癖を行うってことは、島中の女を敵に回すのと同じことなんだぞ!いや、ひょっとしたら女だけじゃない!ここにいるこいつもだ!」
と、言って蘭武を指差す。
「こいつはな~、俺なんかと違って性格が非常に悪い!腐ってる!島にいる間、俺がどれだけいじめられたか!そのいじめもなあ、とことん底意地が悪く悪質で容赦がない!怖いぞお、こいつに睨まれたら。悪いことは言わない、さっさと島から出る事、いいな!」
何であんたに指を差されながら訳の分からない理由で島から出なきゃならないの!と怒鳴ってやりたい気持ちを抑え、瀬菜は憮然と腕を組んだ。
「どうでもいいけど、さっきから、あんたは何?!関係ない奴はどっか消えてよ!」
と、顔を引き吊らせた。
すると尽かさず蘭武が心底嫌そうに、
「すいません、残念ながらこいつは弟なんです」
と、謝った。
「あ~、弟さんね……って、え?え?あなたが弟さんじゃなく、こっちの憎たらしいのが弟?」
「そうだけど、何か?」
仏頂面で睨まれた。
(超~~、機嫌悪い……。これはまずいかも?)
いつも間違えられ、嫌な思いをしているのかもしれない。だが、どう見たって二人の外見からしたら、仕方がないとも思える。
蘭武はちっとも弟に見えない弟を指差した。
「こいつは羅遠四鵬。羅遠家不肖の末っ子」
指差された四鵬は「不肖の?随分な物言いじゃないか!」と脇でぎゃんぎゃん抗議している。
蘭武は蘭武で、「お前のさっきの悪態よりマシだ!しかも、何の連絡も無しに、チャラチャラ変なテレビに変な格好で出やがって、不肖と言わずしてなんと言う!」などと言いながら、二人で罵り合っている。
瀬菜は、これが羅遠の中枢なのかと思うと呆れた。兄の龍一はあんなにしっかりしているのに、少々羅遠家に対して失望の念が押し寄せた。
「二人とも羅遠家の方なら丁度いいわ。とやかく言ってないで、早く私を羅遠家に案内して頂けないかしら?」
と、瀬菜は二人の口喧嘩に終止符を打った。
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