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夕食後、瀬菜は自分に用意された客間へ戻ろうとしたところ、紅砂に呼び止められ、彼の部屋に来るよう言われた。
夕食の時、四鵬に話の腰を折られた続きを聞きに来ませんか?との事である。
何だか解らないけど、こちらとしても、真の目的のため、願っても無いチャンスである。
瀬菜は二つ返事でOKし、紅砂と連なって部屋に向かった。
部屋に入る寸前、蘭武がすれ違い様、ものすごい形相で睨んでいった。
はっきり言って、幽霊より怖い……。
くわばら、くわばら、と背筋の凍る思いで、紅砂の部屋に入った。
四鵬の部屋があの惨事であったから、紅砂の部屋は一体……と、想像を膨らませると、少々恐ろしくもあったが、中はいたってシンプルな和室であった。
10畳ほどの部屋はよく掃除されていて、空気は清涼――。
部屋の隅に置かれた行灯風の照明が落ち着いた雰囲気をかもし出している。
窓から漏れる月明かりが辺りを蒼の世界に染め、外にある池の水音が心地よく耳に響き渡る。
これは、中々の癒し空間だ。
瀬菜は夕食前に見た、隠花植物の森と化した四鵬の部屋を思い出し、何だか彼が気の毒に思えた。
(人の部屋をあんなにして、自分はこの部屋か~)
「素敵な部屋ですね~、さっきの四鵬の部屋とは大違い~」
はっ、と口を押さえる。
思ったことがそのまま口に出てしまった。いけない、いけない。気を悪くしたかな?と紅砂の方を覗き見ると、彼は微笑んで此方を見ていた。
(なんか……ある意味、この人の微笑みは綺麗だけど恐ろしい気がする)
不意に紅砂の手が瀬菜の髪に触れる。
瀬菜は思わず、ギクッ、と肩を震わし、な…な…何でしょう?、と、恐々と訊いた。
「髪の毛が、一部だけおかしな切れ方をしている……」
「あぁ~、これね、四鵬に切られました。まさか、拇指権で髪の毛が切れるとは……彼、結構な腕ですね~」
切れた髪の毛を自分で摘みながら、あの時の事を思い出す。
「そう思いますか?」
「ええ、龍一よりすごいかもしれない」
「ほう……」
関心しながらも、紅砂は戸棚の引き出しを開け、鋏を取り出した。鋏を目前に翳しながら瀬菜を見て、
「髪の毛、切りそろえましょうか?」
と、言った。
「え?いや、いいですよ、明日にでも美容院に行きますから~」
「そうですか……」
紅砂は納得したように応じたが、鋏を元の場所に戻すような素振りはない。ずっと手元で鋏をちょきちょきしている。
「……」
暫く二人の間に沈黙が続いた。
微かに聞こえてくるのは庭の水の音。それ以外は、しん……と静まりかえった薄暗い部屋の中で、ちょきちょきちょきちょき、という鋏の音だけが延々と木霊する。
『ちょきちょきちょきちょき……ちょきちょきちょきちょき……』
その沈黙と、ちょきちょき、の不気味さに耐え切れず瀬菜が尋ねた。
「ひょっとして、切りたいんですか?」
「う~ん、どうかなあ、強請はしませんけど……」
『ちょきちょきちょきちょき……ちょきちょきちょきちょき……』
(だったら、鋏を置け!)
「切るの好きなんですか~?すっごく切りたそうですけどぉ~!」
瀬菜の顔が引きつる。
「別にそういうわけでは……」
紅砂は無表情に答えた。しかし、右手のちょきちょきは止まらない。どう見ても何かを切りたそうだ!
『ちょきちょきちょきちょき……ちょきちょきちょきちょき……』
なおもちょきちょきが続き瀬菜は無言の要求に耐え切れず言ってしまった。
「わ、分かりました、お…お願いします……」
瀬菜の言葉に紅砂は、待ってました、と言わんばかりの、嬉しそうな笑顔で、
「分かりました。あなたが、是非にとおっしゃるのなら……」
と言った。
瀬菜は一瞬コケかかる。
(ぬわぁ~にが、分かりましただ!この野郎!あんたが無言の圧力で言わせたようなもんだろ~)
と思ったが怖くて何も言えなかった。
どうして私はこの人の前では、思ったことを口にするのが怖いのだろうか?ひょっとしたら、この人の方が蘭武より、底意地悪く、陰険なのかもしれない。
紅砂は後ろからそっと瀬菜の髪に触れる。
「丁度、切れてしまった肩くらいの長さでいいですよね」
「ええ、まあ……。あのぉ……美容師の経験とかお有りなんですか?」
「いや、今日が初めてです」
(――?!)
瀬菜の口がぱくぱく開き、声にならない悲鳴を上げた。
(はじ…はじ…はじ…初めてだとぉ~!それでよく、初対面の女の髪を切ろうなどと!!)
なんて奴だーーーー!
「あの、あの、あの、やっぱり、止めましょう!ね、ね」
瀬菜は慌てて言った。すると紅砂が肩口から瀬菜の顔を覗き耳元で囁いた。
「今更……、ですか?」
紅砂から香る、甘い吐息と甘い声。しかも、月明かりと間近で見る紅砂の美貌が相まって、頭がくらくらしてくる。何の話をしているのか、もうどうでも良くなった。
「いや~、もう~、好きにしてください」
ようやく言った。
紅砂は、まかせてください、と言って、なんの前触れもなく、ジョキッ!とやった。
「ぎゃぁぁーー!ちょっと、今、変なところで切りませんでした?!」
「いいえ、まだ肩より随分と下の位置ですよ」
にっこりと微笑みながら、切った髪を瀬菜に見せる。
(確かに、そんなに短く切ってない。なんて、人の悪い男なんだ……びっくりするじゃないか……。でも、切ったときは、確かに耳元で音がしたぞ。何で?何で?何で耳元でわざわざ切るの?これは、嫌がらせ、いじめ?)
ビクビクしている瀬菜の姿がよっぽど可笑しかったのか、紅砂が顔を伏せて、肩が小刻みに揺れている。――笑っているのだ。
「な……何が可笑しいんですか?もっと真面目にやって下さいよ!」
瀬菜が文句を言う。
「真面目にか……、どうしようかな?」
(何よ、その返答は!どうしようも、クソもあるかい!真面目にやれ、真面目に……)
と思ったが、何故か口に出せない。
「そうだな~」
のんびりと言いながら、今度は瀬菜の顎に触れ、ゆっくりと彼女の顔を自分の方に向けた。
瀬菜は正面から見る紅砂の美貌に釘付けとなった。
(ちょ…ちょっと、顔が近いんじゃないかな~?)
視線をそらせ、硬くなった瀬菜を楽しむように、紅砂の唇は笑みを形作っている。
紅砂の指が、つつ…、と瀬菜の顎を伝っていく。
くすぐったいような、恥ずかしいような、何とも言えない奇妙な感覚に必死で耐えた。
「此処に来た本当の理由を話してくれたら、真面目にやりますよ」
「!!」
瀬菜は絶句した。
――此処に来た本当の理由?
惚けようとも思ったが、この男には無駄かもしれない。
緊張した面持ちで瀬菜は口を開いた。
「目的が違うって、分かります?」
「今更だからね」
紅砂は瀬菜の髪を指に絡ませ遊んでいる。
「ショートも似合うと思いますよ~」
そう言って、髪束を上に持ち上げ結構な根元に鋏を持ってきた。
「ちょっちょちょ……、そこで切らないで下さい!!話しますから~!私の本当の目的はあなたです!」
紅砂は鋏を降ろした。
「僕?」
「ええ、あなたの調査」
「本当に羅遠の者かどうかって?」
「そうです」
「僕ほど、羅遠の者はいないと思うけどなあ」
「柏木紅砂さん、この名はあなたが羅遠に来る前の名前ですよね」
「よくご存知で……」
「もうちょっと詳しく知ってますよ~、柏木紅砂、6年前は、山梨県出身の17歳の高校生。彼は部活途中、帰り道で行方不明になったそうですね~。それから見つかったって話、地元では誰も知りませんでした。ましてや、山梨県から帰来島で暮らしてるなんて話もね」
「ふ~ん」
「私ね~、行ってきたんです。柏木紅砂さんの家に……」
瀬菜は紅砂の反応を伺った。
今度は真剣な顔で、瀬菜の髪を梳いている。感情の機微は、――分からなかった。
「ご家族はお母さまだけだったんですね。大層寂しそうでした。息子さんが帰来島に向かったって話、言ってませんでしたか?と、訊いたら、知りませんと……と、返ってきました。確認のため、紅砂さんのお写真を見せて頂きましたが、明らかにあなたじゃないですね」
紅砂の溜息が後ろから聞こえた。
「わざわざ確認しに行く人がいるとはねえ。確かに柏木紅砂という名前を利用させてもらいました」
「ねぇ……、何の目的で羅遠家に入り込んだの? あなた……羅遠家の者じゃないでしょ。パリで龍一が極秘にDNA鑑定を依頼したのよ。結果は……兄弟ではない――」
瀬菜は、紅砂がどんな反応をするのか、ちらりと後ろをみた。
彼は、微かに笑い。
「そんなことまでしたんだ。龍一の身に何も起きなければいいけど……」
「?」
瀬菜は紅砂の言葉に眉を顰めた。
(どういう意味よ?)
「あなた、一体、何者なの?何も起きなければって、一体何が起きると予想してるの?」
紅砂は動揺した素振りもなく、静かに瀬菜の髪を梳き続けている。
「さぁ~、分からないけど、なんとなく……龍一はどうしました?何であなただけで来たの?」
と、訊いた。
「よくは分からないけど、龍一は島に戻る予定日の2日前に、そのDNA鑑定を依頼した研究室に呼ばれたわ。それで、急遽、私が来る事になったの」
「ふ~ん。研究室にねえ」
「教えて、あなたは何で羅遠家に来たの?」
「それは、まだ知る時ではないですよ。……と言っても納得できないですよね」
「そうですね」
「まずは……そうだなあ。強いて言うなら、四鵬の監視・観察」
「四鵬の?なんで四鵬?」
瀬菜は眉根を寄せて訊いた。紅砂はそれには答えず、
「そういえば、あなた……結鬼の姿が見えたんですよね」
と思わせぶりに問い返した。
「え?でも、あれが本当に結鬼なのかどうか……?」
「結鬼ですよ、きっと」
紅砂が断言する。瀬菜は結鬼と言い切る紅砂を不気味に感じながら、
「何故、分かるんです?」
と、訊いた。紅砂は静かに、
「勘……と、結鬼の姿が見えるとしたらあなたはきっと……」
と、ここで一度言葉を切り、
「××××ですよね」
と、言った。瀬菜の胸に衝撃が走る。
「なんで、それを?!」
「だから、見えたから……」
そう言うと紅砂は、後ろから瀬菜の胸を鷲掴みした。
「――!!」
「これ……、よくできてますね」
耳元で紅砂の嘲笑が聞こえる。
瀬菜の中で怒りが爆発した。
右手を大きく振り被り、紅砂に裏拳を放つ。
紅砂は軽くかわし、次に瀬菜は足技も放ったが、彼は宙に舞い、当てる事はできなかった。
音もなく紅砂は畳の上に着地する。
「失礼、ちょっと確認したくてね、本物か偽物か」
「悪かったわね!そうよ、この胸は偽物よ!だからと言って急に触らないで!」
「触らせてください、って言ったら触らせてくれましたか?」
「いいえ!」
「でしょうね」
「でしょうね、じゃないわよ!あたしのはらわた煮えたぎってるんですけどぉー、一発殴らせてもらわなと気が済まないわ!」
紅砂は肩をすくめながら、
「一発なら殴ってもいいですよ。非はこちらにありますから……、さあ、どうぞ」
と、言って、左の頬を差し出す。
「なら、遠慮なく」
ゴキッ!とグーで顎に一発入れてやった。それでもなんだか気が治まらない。もう一発、と腕を振り上げ、今度はもう片方の顎へ――、ゴキッ!といった。
(気持ちいい~!)
鼻持ちならない美男子を殴るってのも案外いいもんね~、と思うや否や素早く紅砂が動く。
瀬菜は腕を掴まれ、瞬時に身を引かれると、畳の上に押し倒された。
紅砂の顔が目の前にある。
「一発だけ、と言ったはずですよ。二発目は……ペナルティですね」
瀬菜は逃れようと身を捩じらせたが、体がびくともしない。サーと、血の気が引く音がした。
紅砂が意味深な微笑を浮かべている。
もしかして……初めから、殴らせたのは、瀬菜の二発目までを想定してペナルティを取った?
(今度は何を企んで……?想像するだに恐ろしい……)
「龍一はあなたの体のことは知っているんですか?」
「ええ、知ってます」
「そう……」
と、言って紅砂は何かを考えているようだった。
(どうでもいいけど、考えるなら私を解放してからにしてほしいものだわ……)
「龍一と同じ部屋に住んでいたのですよね。その時、誰もいないのに彼が誰かと話しているような時はありませんでしたか?」
「ありません」
「そう……」
「あの……、いい加減、そこどいてくれません?」
瀬菜が身をよじりながら言った。
「嫌です」
紅砂は楽しげに笑顔で否定した。
(悔しいぃ~!)
「どいてよ~!大声出すわよ!」
「あ…、それは困ります」
紅砂が焦る――。
今度は瀬菜がニヤリと笑う番だ。
大きく息を吸い込み、いざ、悲鳴を――!
と、口を開けたところへ、紅砂の唇が重なった。
夕食の時、四鵬に話の腰を折られた続きを聞きに来ませんか?との事である。
何だか解らないけど、こちらとしても、真の目的のため、願っても無いチャンスである。
瀬菜は二つ返事でOKし、紅砂と連なって部屋に向かった。
部屋に入る寸前、蘭武がすれ違い様、ものすごい形相で睨んでいった。
はっきり言って、幽霊より怖い……。
くわばら、くわばら、と背筋の凍る思いで、紅砂の部屋に入った。
四鵬の部屋があの惨事であったから、紅砂の部屋は一体……と、想像を膨らませると、少々恐ろしくもあったが、中はいたってシンプルな和室であった。
10畳ほどの部屋はよく掃除されていて、空気は清涼――。
部屋の隅に置かれた行灯風の照明が落ち着いた雰囲気をかもし出している。
窓から漏れる月明かりが辺りを蒼の世界に染め、外にある池の水音が心地よく耳に響き渡る。
これは、中々の癒し空間だ。
瀬菜は夕食前に見た、隠花植物の森と化した四鵬の部屋を思い出し、何だか彼が気の毒に思えた。
(人の部屋をあんなにして、自分はこの部屋か~)
「素敵な部屋ですね~、さっきの四鵬の部屋とは大違い~」
はっ、と口を押さえる。
思ったことがそのまま口に出てしまった。いけない、いけない。気を悪くしたかな?と紅砂の方を覗き見ると、彼は微笑んで此方を見ていた。
(なんか……ある意味、この人の微笑みは綺麗だけど恐ろしい気がする)
不意に紅砂の手が瀬菜の髪に触れる。
瀬菜は思わず、ギクッ、と肩を震わし、な…な…何でしょう?、と、恐々と訊いた。
「髪の毛が、一部だけおかしな切れ方をしている……」
「あぁ~、これね、四鵬に切られました。まさか、拇指権で髪の毛が切れるとは……彼、結構な腕ですね~」
切れた髪の毛を自分で摘みながら、あの時の事を思い出す。
「そう思いますか?」
「ええ、龍一よりすごいかもしれない」
「ほう……」
関心しながらも、紅砂は戸棚の引き出しを開け、鋏を取り出した。鋏を目前に翳しながら瀬菜を見て、
「髪の毛、切りそろえましょうか?」
と、言った。
「え?いや、いいですよ、明日にでも美容院に行きますから~」
「そうですか……」
紅砂は納得したように応じたが、鋏を元の場所に戻すような素振りはない。ずっと手元で鋏をちょきちょきしている。
「……」
暫く二人の間に沈黙が続いた。
微かに聞こえてくるのは庭の水の音。それ以外は、しん……と静まりかえった薄暗い部屋の中で、ちょきちょきちょきちょき、という鋏の音だけが延々と木霊する。
『ちょきちょきちょきちょき……ちょきちょきちょきちょき……』
その沈黙と、ちょきちょき、の不気味さに耐え切れず瀬菜が尋ねた。
「ひょっとして、切りたいんですか?」
「う~ん、どうかなあ、強請はしませんけど……」
『ちょきちょきちょきちょき……ちょきちょきちょきちょき……』
(だったら、鋏を置け!)
「切るの好きなんですか~?すっごく切りたそうですけどぉ~!」
瀬菜の顔が引きつる。
「別にそういうわけでは……」
紅砂は無表情に答えた。しかし、右手のちょきちょきは止まらない。どう見ても何かを切りたそうだ!
『ちょきちょきちょきちょき……ちょきちょきちょきちょき……』
なおもちょきちょきが続き瀬菜は無言の要求に耐え切れず言ってしまった。
「わ、分かりました、お…お願いします……」
瀬菜の言葉に紅砂は、待ってました、と言わんばかりの、嬉しそうな笑顔で、
「分かりました。あなたが、是非にとおっしゃるのなら……」
と言った。
瀬菜は一瞬コケかかる。
(ぬわぁ~にが、分かりましただ!この野郎!あんたが無言の圧力で言わせたようなもんだろ~)
と思ったが怖くて何も言えなかった。
どうして私はこの人の前では、思ったことを口にするのが怖いのだろうか?ひょっとしたら、この人の方が蘭武より、底意地悪く、陰険なのかもしれない。
紅砂は後ろからそっと瀬菜の髪に触れる。
「丁度、切れてしまった肩くらいの長さでいいですよね」
「ええ、まあ……。あのぉ……美容師の経験とかお有りなんですか?」
「いや、今日が初めてです」
(――?!)
瀬菜の口がぱくぱく開き、声にならない悲鳴を上げた。
(はじ…はじ…はじ…初めてだとぉ~!それでよく、初対面の女の髪を切ろうなどと!!)
なんて奴だーーーー!
「あの、あの、あの、やっぱり、止めましょう!ね、ね」
瀬菜は慌てて言った。すると紅砂が肩口から瀬菜の顔を覗き耳元で囁いた。
「今更……、ですか?」
紅砂から香る、甘い吐息と甘い声。しかも、月明かりと間近で見る紅砂の美貌が相まって、頭がくらくらしてくる。何の話をしているのか、もうどうでも良くなった。
「いや~、もう~、好きにしてください」
ようやく言った。
紅砂は、まかせてください、と言って、なんの前触れもなく、ジョキッ!とやった。
「ぎゃぁぁーー!ちょっと、今、変なところで切りませんでした?!」
「いいえ、まだ肩より随分と下の位置ですよ」
にっこりと微笑みながら、切った髪を瀬菜に見せる。
(確かに、そんなに短く切ってない。なんて、人の悪い男なんだ……びっくりするじゃないか……。でも、切ったときは、確かに耳元で音がしたぞ。何で?何で?何で耳元でわざわざ切るの?これは、嫌がらせ、いじめ?)
ビクビクしている瀬菜の姿がよっぽど可笑しかったのか、紅砂が顔を伏せて、肩が小刻みに揺れている。――笑っているのだ。
「な……何が可笑しいんですか?もっと真面目にやって下さいよ!」
瀬菜が文句を言う。
「真面目にか……、どうしようかな?」
(何よ、その返答は!どうしようも、クソもあるかい!真面目にやれ、真面目に……)
と思ったが、何故か口に出せない。
「そうだな~」
のんびりと言いながら、今度は瀬菜の顎に触れ、ゆっくりと彼女の顔を自分の方に向けた。
瀬菜は正面から見る紅砂の美貌に釘付けとなった。
(ちょ…ちょっと、顔が近いんじゃないかな~?)
視線をそらせ、硬くなった瀬菜を楽しむように、紅砂の唇は笑みを形作っている。
紅砂の指が、つつ…、と瀬菜の顎を伝っていく。
くすぐったいような、恥ずかしいような、何とも言えない奇妙な感覚に必死で耐えた。
「此処に来た本当の理由を話してくれたら、真面目にやりますよ」
「!!」
瀬菜は絶句した。
――此処に来た本当の理由?
惚けようとも思ったが、この男には無駄かもしれない。
緊張した面持ちで瀬菜は口を開いた。
「目的が違うって、分かります?」
「今更だからね」
紅砂は瀬菜の髪を指に絡ませ遊んでいる。
「ショートも似合うと思いますよ~」
そう言って、髪束を上に持ち上げ結構な根元に鋏を持ってきた。
「ちょっちょちょ……、そこで切らないで下さい!!話しますから~!私の本当の目的はあなたです!」
紅砂は鋏を降ろした。
「僕?」
「ええ、あなたの調査」
「本当に羅遠の者かどうかって?」
「そうです」
「僕ほど、羅遠の者はいないと思うけどなあ」
「柏木紅砂さん、この名はあなたが羅遠に来る前の名前ですよね」
「よくご存知で……」
「もうちょっと詳しく知ってますよ~、柏木紅砂、6年前は、山梨県出身の17歳の高校生。彼は部活途中、帰り道で行方不明になったそうですね~。それから見つかったって話、地元では誰も知りませんでした。ましてや、山梨県から帰来島で暮らしてるなんて話もね」
「ふ~ん」
「私ね~、行ってきたんです。柏木紅砂さんの家に……」
瀬菜は紅砂の反応を伺った。
今度は真剣な顔で、瀬菜の髪を梳いている。感情の機微は、――分からなかった。
「ご家族はお母さまだけだったんですね。大層寂しそうでした。息子さんが帰来島に向かったって話、言ってませんでしたか?と、訊いたら、知りませんと……と、返ってきました。確認のため、紅砂さんのお写真を見せて頂きましたが、明らかにあなたじゃないですね」
紅砂の溜息が後ろから聞こえた。
「わざわざ確認しに行く人がいるとはねえ。確かに柏木紅砂という名前を利用させてもらいました」
「ねぇ……、何の目的で羅遠家に入り込んだの? あなた……羅遠家の者じゃないでしょ。パリで龍一が極秘にDNA鑑定を依頼したのよ。結果は……兄弟ではない――」
瀬菜は、紅砂がどんな反応をするのか、ちらりと後ろをみた。
彼は、微かに笑い。
「そんなことまでしたんだ。龍一の身に何も起きなければいいけど……」
「?」
瀬菜は紅砂の言葉に眉を顰めた。
(どういう意味よ?)
「あなた、一体、何者なの?何も起きなければって、一体何が起きると予想してるの?」
紅砂は動揺した素振りもなく、静かに瀬菜の髪を梳き続けている。
「さぁ~、分からないけど、なんとなく……龍一はどうしました?何であなただけで来たの?」
と、訊いた。
「よくは分からないけど、龍一は島に戻る予定日の2日前に、そのDNA鑑定を依頼した研究室に呼ばれたわ。それで、急遽、私が来る事になったの」
「ふ~ん。研究室にねえ」
「教えて、あなたは何で羅遠家に来たの?」
「それは、まだ知る時ではないですよ。……と言っても納得できないですよね」
「そうですね」
「まずは……そうだなあ。強いて言うなら、四鵬の監視・観察」
「四鵬の?なんで四鵬?」
瀬菜は眉根を寄せて訊いた。紅砂はそれには答えず、
「そういえば、あなた……結鬼の姿が見えたんですよね」
と思わせぶりに問い返した。
「え?でも、あれが本当に結鬼なのかどうか……?」
「結鬼ですよ、きっと」
紅砂が断言する。瀬菜は結鬼と言い切る紅砂を不気味に感じながら、
「何故、分かるんです?」
と、訊いた。紅砂は静かに、
「勘……と、結鬼の姿が見えるとしたらあなたはきっと……」
と、ここで一度言葉を切り、
「××××ですよね」
と、言った。瀬菜の胸に衝撃が走る。
「なんで、それを?!」
「だから、見えたから……」
そう言うと紅砂は、後ろから瀬菜の胸を鷲掴みした。
「――!!」
「これ……、よくできてますね」
耳元で紅砂の嘲笑が聞こえる。
瀬菜の中で怒りが爆発した。
右手を大きく振り被り、紅砂に裏拳を放つ。
紅砂は軽くかわし、次に瀬菜は足技も放ったが、彼は宙に舞い、当てる事はできなかった。
音もなく紅砂は畳の上に着地する。
「失礼、ちょっと確認したくてね、本物か偽物か」
「悪かったわね!そうよ、この胸は偽物よ!だからと言って急に触らないで!」
「触らせてください、って言ったら触らせてくれましたか?」
「いいえ!」
「でしょうね」
「でしょうね、じゃないわよ!あたしのはらわた煮えたぎってるんですけどぉー、一発殴らせてもらわなと気が済まないわ!」
紅砂は肩をすくめながら、
「一発なら殴ってもいいですよ。非はこちらにありますから……、さあ、どうぞ」
と、言って、左の頬を差し出す。
「なら、遠慮なく」
ゴキッ!とグーで顎に一発入れてやった。それでもなんだか気が治まらない。もう一発、と腕を振り上げ、今度はもう片方の顎へ――、ゴキッ!といった。
(気持ちいい~!)
鼻持ちならない美男子を殴るってのも案外いいもんね~、と思うや否や素早く紅砂が動く。
瀬菜は腕を掴まれ、瞬時に身を引かれると、畳の上に押し倒された。
紅砂の顔が目の前にある。
「一発だけ、と言ったはずですよ。二発目は……ペナルティですね」
瀬菜は逃れようと身を捩じらせたが、体がびくともしない。サーと、血の気が引く音がした。
紅砂が意味深な微笑を浮かべている。
もしかして……初めから、殴らせたのは、瀬菜の二発目までを想定してペナルティを取った?
(今度は何を企んで……?想像するだに恐ろしい……)
「龍一はあなたの体のことは知っているんですか?」
「ええ、知ってます」
「そう……」
と、言って紅砂は何かを考えているようだった。
(どうでもいいけど、考えるなら私を解放してからにしてほしいものだわ……)
「龍一と同じ部屋に住んでいたのですよね。その時、誰もいないのに彼が誰かと話しているような時はありませんでしたか?」
「ありません」
「そう……」
「あの……、いい加減、そこどいてくれません?」
瀬菜が身をよじりながら言った。
「嫌です」
紅砂は楽しげに笑顔で否定した。
(悔しいぃ~!)
「どいてよ~!大声出すわよ!」
「あ…、それは困ります」
紅砂が焦る――。
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