奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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 二人は紅砂に命じられるまま柿剥きに勤しんでいた。

「なんでこんな事をやらなければいけないんだ?」

 四鵬が文句を言うと、お供え物を食べたのだからお返しをしなくてはいけないだろう、ときた。

 羅遠家の裏山で採った柿の実を剥いて、天日に干し、干し柿を作るらしい。
 
 どうやら父島に吹く風はとても良いらしく、旨い干し柿ができるそうだ。それを島の人達に配るので、大量に柿の実があるのだ。

「そういえば俺も餓鬼の頃、正月から春にかけてよく干し柿食ってたな~、あれはお前が作ってたのか?」

「そうだよ。美味かったろ?」

「まあな……」

 四鵬はぶーたれた表情をしていたが、素直に認めた。

「それにしても、あの高級お供えのお返しが裏山で採れた柿ね~。元金ゼロじゃん」

 瀬菜が半ば呆れ、半ば関心しながら言った。

「その分、手間暇かけて作ってます」

 瀬菜はずらりと並んだ籠を見つめた。

(確かに……、これ全てを剥くというのは大変な作業だ。
そういえば、龍一が前に、紅砂は何もしない怠け者のように言っていたけど、影でこんな事していれば確かに武道のほうが疎かになるわね……)

 と、思わず納得した。

「さあ……、どこから話そうか……」

 紅砂が柿を剥きながら呟く。

 瀬菜と四鵬も丸木の椅子に座り、せっせと皮剥きを続けながら、

「まずはあれじゃない?あの結鬼をこれからどうするつもりなのよ?」

 瀬菜が白閻を指差し訊いた。

「いいや!その前に、何でてめぇは卯月の血を吸ったんだ?そっちの方が先だ!!」

 と、四鵬が猛烈な勢いで問う。

「ええっ!あんた卯月ちゃんの血も吸ってるの?」

 瀬菜は驚いた。紅砂は落ち着いた様子で、

「9年前の事だろ?でも、あれは仕方がなかった。あの場合、彼女が深い傷を負っていたから、吸うというより傷を治すため舐めただけだ。僕らは傷を舐めることで簡単に治療する事が出来る。理由は、本当にそれだけだ。……他に質問は?」

 と、もう一度聞き返す。
 四鵬はそれでも気に入らない様子でさらに畳み掛ける。

「じゃあ聞くが、何でてめぇが羅遠家に入って人として暮らしてんだ?てめぇがこの島の神様、羅閻だってーなら、ずっとそのまま『守り神』してろよ!家に住み着いてる意味が分からねぇ!」

 四鵬は紅砂に敵意を剥き出しにした。

 相手が神として崇められていた者だとしても容赦ない。彼にとっては神もへったくれもないようだ。四鵬がそんな態度だと紅砂の様相も険しいものになる。
 紅砂は作業する手を止た。

「それはお前とお前の母、悠里が禁を破ったからさ。お前達の行動のお陰で、白閻が予定より早い霊体期を迎えてしまった。僕からしたら、羅遠の当主以外入るなと言われている禁域にどうしてわざわざ入ったかと訊きたい……お前達がしっかりこの島のしきたりに従っていれば、僕がここまで人間社会に出張る必要などなかった。禁忌を破り、島の人達と僕ら結鬼との境界を曖昧にしたのはそっちの方さ。禁止された領域には必ずそれなりの理由がある。……何故お前達は依りによってその禁域に入り血を流した?そもそもの原因はそこだ」

 紅砂はここで言葉を切り、今度は哀しげな口調で続けた。

「……その禁さえ守っていれば、お前の運命はもっと平穏なはずだった。……何故、ここに来てしまったんだ。幼い頃から、ここに入ることは許されないって分かっていただろう?──父、信綱さんからそう教えられていただろう?」

 紅砂の心からの真摯な態度に、四鵬の気持ちも萎え始め、押し黙ると弱々しく口を開いた。

「そ、それは……、気づいたら……そうなっちゃってた。俺だって……嫌だったさ!!でも何故かそうなっちゃったんだよ!!結果的に、いけないことだと、俺だって分かってたよ!」

 四鵬は此処で息を止めると、泣きそうな声になった。

「俺だって……嫌だったさ……」

「大方予想は付いているけど、詳しく話してもらおうか?あの日、白閻が悠里の体内に入り、お前を吸収した経緯を……」

「嫌だ!俺はもう……忘れたいんだ!!」

 四鵬が拒絶する。紅砂は静かに頷いた。

「いいか、四鵬……。忘れたいと願うほどに、お前はその事に囚われている。だから話せ!!……話す事でお前の中の嫌悪や蟠りが切り離される事もある。他人に話すという事はその時点で、過去の自分を客観的に見ることに他ならない。すると、自分の内部だけでは見れなかったものが見えてくる。凝り固まった妄念が溶け出し、視野を広げるきっかけにもなるだろう……。そう思って話してみてくれ」

 紅砂が静かに問いかけた。だが、四鵬はなおも首を振り青ざめたままだ。

 余程辛い思いをしたのだろう。

 瀬菜は初めて四鵬に出会った時を思い出す。
6年前の神隠し事件について尋ねたときの豹変っぷりを──。彼の中では、この時のことを思い出すことは禁忌であるわけか……。

「酷な事を言いやがる……。俺は誰にも……こんな事……言いたくねぇよ!」

「言いたくなくとも、人間社会では、ルールを犯せば裁かれるだろう。その時、罪を犯した経緯を話すのは当然だ」

「黙秘権ってのもある」

「それは人間社会での話しだろ。ここは人の領域ではない……だから、ここでは僕のルールに従ってもらう」

「てめぇが俺を裁くって言うのか!そういえばお前の名は羅閻だったな。閻魔大王は禁を破った罪人を裁くのが仕事か?」

「……裁く?僕はそんな事しないよ……。僕が決めるのは、お前が今後、人の世界で生きるにふさわしいか、僕と同じ結鬼の世界で生きるのがふさわしいかの判断を、僕の目線で示すだけさ。……と、言っても、もうお前の身の置く世界はすでに決まっているけどな」

 紅砂の断定した物言いに、四鵬の内部にある闇がさらに膨れ、反発した。

「お前に勝手に生きる世界を決められてたまるか!」

「僕が決めるんじゃない!そして同時にお前自身で決められるものでもない!すでに運命の歯車は回っているんだよ。僕が判断したいのは、お前の運命の歯車と僕の歯車が噛み合い動いていくものなのか、それを知りたいだけだ!」

 四鵬は黙してしまった。
 紅砂がやさしく促す。

「さあ……、辛いとは思うが話してくれ。何が起こったかの予想は付くが、その時お前がどう感じたのか、どう思ったのかまでは、僕には分からない」

「分からないだと……嫌だったに決まってるだろ!──とはいえ、実の母親と寝るなんかさ!」

「え!?」

 瀬菜が驚きの声を上げる。
 四鵬は拳を硬く握り締め、俯いたまま体を震わせている。
 紅砂はその様子を黙って見つめていたが、静かな声で問い返した。

「……誰かの代わりに……?」

「そうだ…誰かの代わりだ!お袋にはきっと別に好きな男がいたんだろう……俺は、そいつの代わりにいつも求められてた……」

 四鵬が紅砂の後ろに見える鬼面を見て悲痛な顔をする。
 紅砂の目が僅かに細められ、瀬菜がゆっくりと紅砂に視線を移す。

(四鵬の母が恋焦がれた相手……それって……、確か……この人よね……?)



          
         ※



 その日は朝から厚い雲に覆われ、雨が降り続いていた。

 羅遠家に残されたのは、四鵬と一年前に事故で頭を打ち、傷害を負ってしまった母だけだった。
 父もこのところ体調が優れず、入退院を繰り返し、兄達や卯月は学校、四鵬は右手左足を骨折していた。
 理由は学校の屋上で気に入らない奴らとのいざこざで、殴り合いの喧嘩をしていた時の事だ。大立ち回りをやった挙句、屋上の縁から落ち、さらに学校の体育館の天窓を突き破った結果の骨折だ。周りからはその程度の怪我で済んでるのが不思議だと言われた。悪運は昔から良かった。

 入院は免れたが、自宅でゆっくり療養する事を言い渡され、ついでに母を看てもらうヘルパーさんが休暇を取りたいと言うので、四鵬がこの状態ではあったが、母を看る事に決定した。
 四鵬は正直、嫌だった。別に障害を持った母が嫌だった訳ではない。四鵬が嫌だったのは、頭に障害を持ってから母が自分を誰かと錯覚して、息子に対するにしては度の過ぎた触れ方をするようになったからだ。特にこんな曇天模様の空で、母はおかしくなる事が多かった。だから四鵬はなるべく早く誰かが帰って来るのを不安な面持ちで待っていた。しかし、その日は四鵬の望みも空しく皆、帰りが遅かった。辺りはもう真っ暗になり始めていた。雨脚も強まり、しぃんと静まり返る暗い家の中は、不気味な藪の中に居るようだった。
 四鵬は落ち着かず、自室のベットの上に寝そべりぼんやりと窓の外を見ていた。

 すると、雨音に混じって廊下をゆっくりと軋む音が聞こえてくる。

 ……ぎしり……ぎしり……

 四鵬は目を閉じ、また始まったか……と溜息を付いた。
 ゆっくりと部屋のドアが開く蝶番の音が聞こえる。

「お袋か?自分の部屋にもど……」

 れ、と言おうとして、四鵬は止まった。
 ──ゾクリ……と急激に襲う悪寒。

(なんだよ……こいつは──?!)

 部屋に入って来たのは、赤い襦袢姿で口から下の部分がすっぱりと切り込まれた鬼の面を被った女であった。

「お、お袋か?一体何の真似だ?」

 鬼面の母は四鵬の問いには答えず近づいてきた。そして、熱い肢体を四鵬に擦り付けるように覆いかぶさった。
 四鵬は止めさせようと暴れたが、右手左足のギプスで思うように動けない。そうこうしている内に鬼面の母は襦袢を脱ぎ、四鵬の胸元に腰を下ろすと彼のモノを愛撫し始めた。ゆっくりと温かな口腔内に入って行くそれを、自分の意に反して隆起させながら四鵬は悶えた。

「止めろ!……頼むからこんな事はやめてくれ!!」

 四鵬は懇願しながら、母を振り払おうとしたが、固定された右手と左足が思うように動かせず、逃れる事が出来ない。

「止めろ!止めろ!止めろ!」

 拒絶しながらも、体は官能に震え、四鵬が母の口腔内に放つと満足したのか女は離れた。
 四鵬はその隙に、窓を開け外に飛び出した。しかし、母はそのまま全裸の状態で追いかけてきた。

 降りしきる雨が辺りを灰色に染め、朧げに輪郭が滲んでゆく森の中を四鵬は不自由な足で走った。

 前方に見えるのは禁域へと続く洞窟だ。

 この先は、羅遠の当主以外は入れないことになっている。しかし、母は追いかけてくる。

 禁域の奥、社の中に隠れるところがあれば……。

 そう思って四鵬は禁を破り前方の洞窟内へと足を踏み入れた。
 そして、愕然とした。

 ……逃げる場所など、何処にもない……

 前方は50m超の断崖絶壁。
 背後には──鬼面の女。

 母はじりじりと四鵬との距離を縮め、ついに四鵬の左手を取る。そして、ゆっくりと自分の秘部へと導き、悦に入る。
 四鵬は腕を引っ張り拒絶するも、足を滑らせその場に腰を付いた。待っていたとばかりに母が彼の上に跨った。今度はぬるりとした蜜壷に包まれ、母が上下に動くたびに四鵬は呻き声を上げた。

「もうやめてくれよ……!頼むから……もう…」

 今の母に息子としての自分の姿は映っていない。

 母は四鵬の上で腰を振りながらずっと呟いていた。

「ずっと、こうしていたかった……あなたとずっとずっと、離れずにこうしていたかった……×××様」

 その名を聞いた瞬間、四鵬の中で何かが弾けた。

「もう、止めろぉーー!!」

 溜まらず左手を大きく振りかぶり、母の首筋を引き裂いた。既に羅遠流の指先の技をマスターしていた四鵬にとって女の柔肌を裂くことなど造作もない事だった。母の首から鮮血が飛び、近くにあった真っ黒な石のような塊に付着すると、その塊に変化が生じた。

 血を吸い込んだ塊が突如として、脈動を開始し真っ白な湯気が出始めると視界が次第に朧げになっていった。そして、その湯気が風に拡散され、消え始めると、そこには見たことも無い全裸の男が紅い瞳を輝かせて立っていた。

 ──な、何だ?!こいつは──!?

 男が唇を割ると2本の白い牙が現れ、母の首筋に吸い付いた。

 ごくり…ごくり…と男が母の血を飲むと、母が官能の声を上げる。

 男は母を抱きかかえ、四鵬から引き離すと、首筋から血を吸ったまま、今度は母の足の間に腰を入れ、貫き、そのまま母の内部へと霧のように吸い込まれていった。

 四鵬は茫然と雨に打たれながらその一部始終を見ていた。
 雨音が四鵬の耳にやっと聞こえ始めた頃、目前の母に変化が現れた。

 次第に母の息遣いが荒くなり、同時に腹部が急激に大きく膨らみ出した。そして、母の秘所から大量の血が溢れ出し、そこから血塗れになった男の右手が突き出した。

 四鵬は仰天し、崖の縁まで後退る。

 突き出た手が地面を掴みながら、母の両足の付け根から、ぬらぬらとした白い肢体が蛇のように現れた。

 余りの出来事に四鵬は震えた。そして──、後退った先には50mの崖があった。四鵬はその崖へと真っ逆さまに堕ちていった。



 後の事はよく覚えていない。

 気づいた時には、子島へと続く砂州の上に転がっていた。

 崖下に落下し、体のいたるところを強く打ちつけ、体はピクリとも動かなかった。

 もう……自分はこれで死ぬのだと思った。

 四鵬が死を覚悟した頃、ふわりと先ほどの紅い瞳の男が四鵬の傍らに舞い降りた。

 黒髪の美しいビスクドールのような大きな瞳の男だった。そして男は、瀕死の状態の四鵬の上に覆いかぶさると首筋から血を吸い始めた。

 四鵬は呻いた。

 血を吸われ、しばらく経つと四鵬の全身の痛みは抜けていった。

 それと同時に血を吸っていた男に変化が現れた。
 男だと思っていた奴が次第に柔らかな線になり女へと変貌して行く。そして、四鵬に跨り、再度ぬくいものが四鵬のモノを押し包むと女はこう言った。

「大丈夫よ……今、あなたをもう一度産んであげるから……」

 そう優しげに言うと、四鵬は女の秘所から体内に吸収された。

 女の内部に入った瞬間、その感覚を何と表現すれば良いのだろう……?

 自分は果てのない闇の中に浮かぶ塵のような存在。

 この闇の中に身を浸していると、どれだけ自分の存在が矮小なものであるかを思い知らされる。
 広大な宇宙は、広がっているのかも、縮まっているのかも分からない。
 何もかもが分からない暗夜だ。それが本来のこの世界の姿なのかもしれない。

 闇に包まれ、浮遊し、同じ場所を何度も旋回する。

 次第に前方が明るくなると、四鵬は再び地上へと足をつけた。

 元の世界は雨の降りしきる暗い夜であったが、先ほどの闇に比べたら、闇のうちに入らないほど明るく感じた。
 四鵬はその場に座り込み、両手、両足を凝視する。
 体の痛みは一切無く、元から骨折していた手足も治癒していた。
 そして、首筋にねっとりと絡みつく女の腕を感じた。

 感じた……というしかないほど、先ほどの女の姿は薄ぼんやりとして幽霊のようだった。
 女は濡れた唇を舐めながら、四鵬の頬に唇を押し当てると、

「今日からあなたは、私の夫であり、私の息子……」

 と言って微笑んだ。
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