奇夜に結ぶ鬼

蓮華空

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  朝焼けが浜を朱に染め上げていた。

 昨日の今日で、切り取られた腕の傷はすっかり癒えて、痛みも何もなかったが、失った喪失感は腕だけではなく精神にも及んでいた。

 目を覚ましたらそこはフランスではなく日本だと言われ、建物の薄茶けた木の室内と、枯れ草を編んだような床に目を移した。確かにそこにはジーナの知っている日常の風景はなかった。

 暫くここで休んでいろと、知らない人に言われても、見知らぬ異国の風情と相まって、どうしてもジーナの不安を次第に膨らませていった。

 堪らず社から抜け出したジーナは、近くの浜辺へと向かい、穏やかに揺れる波に足首まで浸した。

 海の感触だけは故郷と変わらないような気がして一先ず安心した。

 足で砂の感触を味わいながら、冷たい海水と潮の香りを感じながらジーナは歌い出した。




 全ては 包まれているのよ
 何もかも

 真に孤独を感じるなんて
 全て幻想

 丘の上に一本だけ立つ大きな木が
 たとえ孤独に見えたとしても
 あなたの目には みえないものが
 彼の周りを囲み 共に生きているの

 瑞々しく生まれ変わった若葉
 光り輝く命の躍動
 だが、それを支える彼の太い幹は
 既に死んでしまった彼の一部

 だけどそれが必要なの

 死こそが彼を支える
 死こそが彼を生かす支柱

 全ては 包み包まれ存在している





 両腕を失い、我が子を失い、母国を離れ、只一人見知らぬ国に立つ。
 その孤独を、不安を、そのような境遇に陥れた男に対する黒い憎しみ……、全てを拭い去るように彼女は歌い続けた。

 彼女の中で闇が浸透している。

 アドリエン・ヴィルトールに血を吸われた瞬間に訪れた、あの絡みつくような闇が次第に自分を押し包んで行く。

 ──厭だ!

 あの闇は──ひどく孤独だ。
 ジーナは拒絶した。

 真の孤独など、この世に無いと、徹底的に否定した。
 
 負けたくはなかった。
 あの男の闇に……
 
 だから、彼女は歌い続けた。


(負けない!負けない!負けない!──厭、厭、厭!!)


 だが、否定すれば否定するほど、彼女は闇に包まれた。

 涙が零れた。
 声は次第にしゃくれ上がり、弱弱しくなっていく。

 それでも彼女は声を搾り出し歌った。

(負けたくない、負けたくない、負けたくない)

 想いを乗せ、ありたっけの声で歌う。

 だが、想いとは裏腹に、心は孤独と憎しみに包まれ、何をしても闇から逃れられない恐れに体が震えた。


 ──怖い……


 そう心の中で呟く自分に気づいた時、背後から聞き慣れた声が彼女の名を呼んだ。

「ジーナ!」

 彼女は無心で振り向いた。
 目の前に立っていたのは、大好きだったマリン・ブルーの瞳。

 あの男と同じ容貌にして、全く別の感情を彼女に抱かせる相手──コンラッド・ヴィルトールだった。

 思いもよらぬ彼との再会であった。

「……ジーナ、何故お前がこんなところにいる?」

 驚いた様子で訊く彼の質問に、彼女は答える事が出来なかった。
 出来た事は、今の自分の心情を知られまいと必死に言い訳をすることだけであった。

「私には、もう──あなたと手を繋ぐ右手が無いの!
 私には、もう──あなたを引き止める左手が無いの!!
 私には、もう──あなたを抱きしめる両手が無いの……!」

 途切れ途切れの声で、ようやく言った。
 海風が彼と彼女の間を吹きぬけた。

 
(──だから、来ないで!!)


 彼女は心の中で叫んだ。


(──私には何も無い……)


 今の自分にあるものは、不安、憎しみ、恐れ。

 そんなものしかなかったから、彼女はそんな自分を彼に知ってほしくなかった。

 彼女は彼から遠ざかるように後ずさる。



 しかし、何故だろう。

 彼女の願いは、願えば願うほどに、逆の出来事を齎した。

 逃げる彼女を追い、彼はしっかりと彼女を抱いた。

 わななく彼女の深部で次第に闇が浄化されていく。

 青い、海の色の瞳が齎す安堵に浸りながら、ただ、今は彼の腕の中で、闇に包まれる以前に抱いていた想いが溢れ出し、この瞬間にだけ、幸福に浸っていることが出来た。

「私は……、私は……」

 想いを言葉にしようと勤めるが、言葉に出来ない。
 出てくるのは涙だけであった。

「もう、いい……何も言うな……」

 そう呟く彼の紅髪が頬に触れる。
 暖かい紅髪の色に、澄んだ青い瞳。

 ……帰って来た。

 訳も分からず彼女は胸の内でそう呟く。

 
 此処は『帰来島』

 見知らぬ島でありながら、どこか懐かしさを漂わせる。
 太古の昔から変わらぬものが、この島にはあるのか……?

 彼女はそう思いながら、そっと目を閉じた。
 

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