U.N.ゲンリンは家族なのか? — 十年後から来た“娘”

シャルル

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第五話 血縁なんてーー家族には必要じゃない

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夜の校舎は、昼の喧噪が嘘みたいに静かだった。
 足音と心臓の音だけが、狭い階段の中に響く。
 息が焼ける。喉が痛い。
 それでも止まれない。
 ――あいつを、見つけなきゃ。

 最後の鉄扉を開けると、冷たい夜風が一気に吹き込んできた。
 屋上。
 そしてその先の縁に、ゲンリンがいた。

 金色の髪が、街の灯を受けてゆらめく。
 風に煽られて、少し不安定なその背中が妙に遠く見えた。

 「……ゲンリン!」

 呼びかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。
 赤い瞳が、暗闇の中で確かに光っている。
 その目には、どこか“覚悟”みたいなものがあった。

 「……見つけるの、早いね。パパ」

 無理して笑っていた。
 いつものように軽口を叩く声なのに、少し震えている。
 胸の奥が痛くなった。
 ああ、本当は泣きたいのを我慢してるんだな――って、わかった。

 「勝手に終わらせるなよ。……話、まだ途中だろ」

 「終わらせる気なんてないよ。ただ、逃げてるだけ」

 風が強く吹いた。髪が舞う。
 俺はその一歩を、ゆっくり踏み出す。
 距離は、まだ五メートル。
 でもこの五メートルが、今はとんでもなく遠い。

 「なぁ、ゲンリン。俺、どうしても助けたい。お前のこと、ほっとけねぇんだ」

 「助ける? ……なんで? 私と章は、血が繋がってない。ただの他人でしょ?」

 その言葉に、心の奥が弾けた。
 理屈なんかどうでもいい。
 口が勝手に動いていた。

 「そんなわけ、あるかよ!!」

 屋上に、声が響いた。
 ゲンリンが小さく目を見開く。

 「血とか、家系とか関係ねぇよ! 俺はお前と笑って、喧嘩して、メシ食って、バカみたいな話して――それだけで“家族”だろ!」

 風の音も、街のざわめきも消えた気がした。
 ゲンリンの唇が震えて、でも何も言わなかった。

 沈黙が痛いほど長く続く。
 けれど、その沈黙はどこか優しくもあった。

 「……章は、ほんとバカだね」
 やっと彼女が小さく笑った。「でも、そういうとこ、嫌いじゃないよ」

 ふっと息が抜ける。
 ああ、よかった。まだ話せる。
 まだ、ここにいる。

 「じゃあ……聞かせてくれ」
 「なにを?」

 「お前は、本当に俺を“父親”として見てるのか?」

 ゲンリンは視線をそらさなかった。
 そのまま、まっすぐ見返してくる。

 「うん。私は章のことを、ちゃんと“パパ”だと思ってる。血の繋がりなんて、もう関係ない」

 その一言が、胸の奥にじんわり広がっていく。
 言葉にできない感情が喉まで上がってきて、何も返せなかった。
 ただ、風に紛れるように――「……ありがとな」って、やっとそれだけが出た。

 けどゲンリンはすぐに顔を曇らせる。
 「でも、ね。問題が一つあるの」

 「……何だ?」

 「この時代の“私”とは、絶対に接触できない。もし未来の私が過去の自分に干渉したら、世界は壊れるの」

 その言葉に息を呑む。
 わかる。理屈は、わかる。
 けど――納得なんて、できるわけがない。

 「じゃあ……どうすりゃいいんだよ」
 思わず掠れた声になる。

 「私は、このままじゃいられない。あなたのそばにいたら、世界が歪む」

 風が一瞬止まった。
 静寂。心臓の音だけが響いていた。

 「だったら……“接触しない”ように生きればいい」
 俺は一歩、前に出た。
 「同じ街で、同じ空の下にいても、過去の自分に関わらなきゃいい。そんなの、やりようはいくらでもある」

 ゲンリンは目を丸くしたまま黙る。
 それから、ゆっくり口元が緩んだ。

 「……ほんと、バカだね。章らしいや」
 「褒めてんのか、それ」

 「ちょっとだけ、ね」

 短い沈黙。
 彼女は視線を落として、ぽつりと呟く。

 「でも、私はどこに住めばいいんだろう。ここに居ちゃいけないなら……」

 「それは――俺が何とかする」

 ポケットからスマホを取り出す。画面の光がやけに眩しい。
 「テッチャンに頼む。お前が安心して暮らせて、俺にも近い場所を。……きっとあいつなら何とかする」

 「そんな都合よく――」

 「やるって言えば、やるやつだよ。あいつは」

 ゲンリンが小さく息をついた。
 「……ホント、ずるいな。章は」

 その声は少しだけ泣いていた。
 俺は何も言えず、ただ笑ってごまかす。

 「というわけで、明日からは別々に暮らそう。今日は……帰ろう」

 「……うん」

 ゲンリンは屋上の扉へと歩き出す。
 夜風が彼女の髪を揺らした。
 取っ手に手をかけ、ふとこちらを振り返る。

 「――ありがとう、パパ!」

 その瞬間、胸の奥が熱くなった。
 その笑顔は、どんな夜景よりも、どんな星よりも、ずっと眩しかった。

 ……ああ、やっぱり。
 俺はこの子を、守りたい。
 何があっても、守り抜きたい。

 ゲンリンが扉の向こうに消えたあとも、しばらくその場を動けなかった。
 夜空を仰ぐ。
 遠くで、波の音が微かに聞こえた。

 ――まだ終わりじゃない。
 そう思った瞬間、ポケットのスマホが震える。
 画面に浮かぶ名前を見て、小さく息を吸った。

 「……頼みがある」

 『なんだよ、急に』

 「ゲンリンを、俺の家の近くに住まわせてくれないか」
 『は? お前ら家族喧嘩でもしたのか?』
 「そういうことにしてくれていい。頼む、テッチャン」

 『……タダとは言わないんだろ?』
 「もちろん。後でいくらでも恩は返す」

 『しょうがねぇな。お父様に確認してみる。少し時間くれ』
 「本当に助かる、テッチャン!!」

 『ったく……いつかこの恩、忘れんなよ?』
 「絶対に返す」
 『じゃあな。――頑張れよ、章』

 通話が切れる。
 夜風が頬を撫でた。
 スマホの熱が、現実に引き戻すみたいにじんと残った。

 「というわけだからさ」
 俺はスマホをポケットに戻し、空を見上げる。
 「明日からは別居だな。……でも、これでいい」

 そして、ゆっくり歩き出す。
 屋上の階段を降りながら、心の奥でつぶやく。

 ――ありがとう、ゲンリン。
 今のその笑顔を、ずっと覚えてい
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