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1.婚約破棄されて

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「マルベー・ド・ヴァロワ。私はオルデム国の第二王子、カルロ・ド・ゴンザーグ=ジレールとして貴様との婚約を破棄する」

 灰色のピンと立った両耳に、ふさふさの尻尾がぴしゃりと叩き付けられる。灰色狼王子の声は冷ややかで、張り上げるような声では無かった。
 淡々とした宣言に、マルべーと王子を(さっきまでチヤホヤして)取り囲んでいた周囲は静まり返り――静けさは伝染するのか、すーっと舞踏会が、水を打ったように静かになってしまった。

「……」

 マルべーは声を上げようとしたが、声が出ない。ひゅっと息を吸った瞬間、喉に何か引っかかったのか、代わりに盛大な咳が出た。
 この首を締め付けるような詰め襟が駄目なのか。自分が気管に引っかかりやすくなっているのか。

(俺、将来は餅とか詰まらせそう)

 ゲホゲホしながら、マルべーは「前世」を思い出し、束の間の現実逃避に入る。だって、今にも社会的に抹殺されそうな、この瞬間から逃げ出したくなったのだ――

「で、殿下っ!」

 マルべーが咳を抑えている時だった。割って入ってきたのはマルべーの父、ヴァロワ公爵だった。

 見た目は焦げ茶色の髪を撫で付け、髭を切り揃えた美丈夫である。金の刺繍が詰め襟から袖までびっしり入ったダブレット(ジャケットみたいな服)を着て、これまたド派手な格好をした母(胸元の房飾りに真珠が付いているドレス!)の顔は、蒼白になっていた。

「な、何故にっ!  うちのっ!  うちのマルべーが、なにか粗相を――」
「してるだろう!?」

(うん、してるね)

 咳が止んで、心の中で同意する。王子は怒りを抑えていたのか、眉はつり上がり、なんかこう――前世言葉で表現すると「般若の表情」でマルべーを睨み付けていた。

「貴様の息子はっ! 数々の虚言でっ! この私を欺いてきた! これ以上耐えられるわけないだろう!?」
「で、でんかぁ……」

 ヴァロワ公爵は涙目で息子を睨み付ける。顔には「お前またやったんか!!!」の絶望文字。正直に言えば、政略結婚(婚約)でここ数年一緒にいた王子より、両親の顔の方が、胸にくるものがある。

『殿下、私は学園で常に成績優秀。生徒会長も務めておりました』
『家の事業を任せられておりましてね。鉱山の発掘事業なんですけど……』
『かれこれヴァロワ家というのは歴史のある家でして。あの英雄を先祖に……』

 ざっと思い出すのはこれぐらい(本当はもっとある)。マルべーは生まれついてのホラ吹きだった。
 どうしてこうなったのか――それは「前世」からこうなのだから、としか言いようがない。「前世」の時は人に注目されたくて、恋人に見栄を張りたくて……つまり、虚言癖には明確な理由や原因は無い。

 とにかく、マルべーには虚言癖があった。

 つい目が泳いでいると、人だかりの中に、不安そうに殿下を見つめる女性が一人。彼女は顔から零れ落ちそうな瞳を潤ませて、殿下と一瞬、アイコンタクトを交わす。

(あぁ~、そういうことぉ)

 修羅場を見物しようと集まった人だかりの中で、彼女の美貌は輝いていた。でも見た目はかなり飾り気のないドレス姿。マルべーの母親とは違い、装飾一つ付けていなかったが、波打つような金髪に宝石のような青い瞳。

 逆にシンプルな格好が、彼女の美しさと若さを魅せていた――レニエ男爵家の娘アンヌは、マルべーの視線に気がついたのか、怯えたように引っ込んだ。

 状況を瞬時に把握したマルべー。でも何もできない。この先の「ストーリー」を知っていても、モブ(脇役)の人生を個々に把握していないのだ。

「マルべー、貴様は数々の虚言で私を振り回してきた! 実家の山は鉱山だとかっ! 学園で成績優秀だとかっ! 秘密の土地がある! 家は伝説の勇者の血を引くとかっ! 貴様のほら吹きに私は今日っ! ここまで耐えてきた! 本来であれば王族への虚偽で罪を償うところを! 婚約破棄で不問とするっ!」

 唾を飛ばしながら断罪しているが、要は結婚したい相手が見つかったから破棄したいのだろう。

「いや~、すみません、ついつい話を盛り上げたくってですね、殿下。ははは、すみま」
「これ以上口を開くなっ!」

 マルべーは取り繕おうとした。確かに自分はしょうも無い嘘を付いてきたが、これは前世から身についてきたもの。親にも散々直せと言われてきたし、スパルタな家庭教師には何度も鞭打たれてきた。

(しょうがないじゃん)

 でも直らなかった。

 そんなマルベーの虚言癖に乗っかるように、婚約破棄するのはどうなんだ。文句を言いたいが、ここは貴族社会。王族に媚びへつらう習性は赤子の時から持って生まれたもの。へらへらと笑いながら、殿下に近寄ろうとした時だった。

 バシーンッ!!!と、けたたましい音にかき消される。次に「あなたーっ!」と母親の金切り声に振り向いた。

「おやじ……」

 本日舞踏会が開かれた通称〈花の間〉で、父親が泡を吹いて倒れていた。前世で、駅でよく酔っ払いが倒れていたことを思い出す。でもこんな倒れ方は初めてだ。

「え、おやじ? 大丈夫?」
「お医者様――!!宮廷医を――!!」

 白目を剥き、口からブクブクと泡を吹く公爵。号泣して白塗りメイクが剥げ落ちている公爵夫人。ヴァロワ家の三男にして、(さっきまでは)第二王子の婚約者だったマルべー……舞踏会で失態をおかした3人の周りで、ひそひそ言葉が交わされる。「また虚言よ」「虚言癖」「公爵の三男がまた……」「修道院にやった方が……」

(分かってる。そんなこと俺自身が分かってるよ)

 三人を取り囲む視線が痛い。マルべーの両親だって頭を抱えて、修道院に入れようとしていたのだ。それをオメガだから、ぜひ息子の子を産んでくれと言ってきたのは、国王陛下――ちらっと玉座を見ると、陛下と后がいない。
 面倒ごとになると、さっさと退場したのだろう。どうせ後で詫びの手紙と、ちょろっと贈り物でもすれば良いと思っているのだ。

 公爵は息子に甘かったが、陛下の方が百倍は甘い。

(でもこれで良かった。この国、将来的に無くなるから)

 このあまりにも小さな、特筆すべきものが無いオルデム国。ここは数年後、侵略されて併合される未来が待っている。隣国のアルテナードに。

(王子の嫁なんかになったら、処刑確定未来だろ)

 隣国のアルテナードを支配するのは、血も涙も無いと言われるティメオ陛下。今はまだ殿下の身分だが、数年後に親である陛下や政敵の兄弟達全員をぶっ殺して玉座に座るという恐ろしい男だ。

 マルべーはここから数年後の未来について、記憶を手繰り寄せる。「記憶がある」という表現は、この世界が、前世で一大ヒットした「奇跡の花~神子になって大陸を救おう~」という恋愛シミュレーションゲームの世界だからだ。

(早くこの国を脱出したい)

 そしてマルべーは、前世の記憶を持った転生者であった。
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