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【番外編】神子
しおりを挟む宮殿に連れてこられて三日が経った。国から一人、献上された神子には、護衛という名目で監視が付いていた。近くにいる騎士達は言葉を発さない。それでも視線だけがつきまとい、神子は煩わしくてしょうがなかった。
気晴らしで庭に出ることは許可されたが、神子の心は相変わらず重たいままだった。
「これ……」
庭を歩いていた神子の背中が、大きく震えた。手入れの行き届いた花壇の隅に、しぶとく生えた雑草。
生命力が強いのか、すぐに成長するのだろう。小さな青い花弁が、開いていた。
「……」
ぶるぶると震える手で、雑草を摘む。素朴で、飾り気のない野花だった。雑草の中に埋もれるようにして、咲いていた。
野花を見た瞬間だった。背中の震えは、嗚咽に変わった。
「……っ」
自分は何か大事なことを、忘れている気がする。
それは孤児として生まれた神子の、喪失感だった。
いないはずの両親に、愛された記憶。甘やかされて、何をしても許してくれる兄弟達。自分を支えてくれる忠実な騎士がいつも、近くにいる――周囲は、孤児の神子を哀れんでいた。だから、それは空想だよと、いつも優しく諭していた。
神子はこれが妄想なのか、思い込みなのか分からなかった。甘い空想にしては、両親にキスをして甘えた記憶や、嘘を付いては騎士に怒られた時を、鮮明に思い出すことができる。
でも一番、重要なことを思い出せない。思い出せない? こう言うと、教会の長に叱られてしまう。だから口を噤んだ。
今度は、清楚で謙虚で、万人に優しく、そこにいるだけで、皆に愛される人になりたい――
神子の頭を支配するのは、心の声だった。
「どうして……」
はっとして顔を上げた。中庭の渡り廊下から、その人はやってきた。神子は恐怖で、摘んでいた野花を握りしめていた。
「……?」
ずかずかと近づいてくる、自分より何倍もある上背に、乱れた金髪。王の目が、特に怖かった。碧眼の瞳はどす黒いクマのせいで、淀んだ空気を発している。
今年で35になる陛下は、体から漲るような力とは逆に、心もとない表情だった。
「どうして……どうして貴様がっ……その花をっ!」
王は人目もはばからず、泣き出してしまった。周囲の側近は狼狽えていたが、神子はその様子をじっと見ていた。
実の父親を含め、身内を皆殺しにしたという王様。彼は隣国を攻めて併合すると、国から15ぐらいの、結婚適齢期の男女を集めさせた。
目的も分からず、不気味だった。神子の国では後宮を作っているのだと、噂が立っていた。
今度は、もう少しだけでいいから、人の役に立ちたい――
また心の声が聞こえて、神子は志願した。15になったばかりの神子と、王は20ほど歳が離れている。恐怖から溢れていた涙は、違うものに代わっていた。
「……」
不思議と、恐怖が消えていた。目がチカチカして、頭の奥から、何かがせり上がってくる感覚がした。
自分は、何かを忘れている気がする。大事に、大事にし過ぎて、宝箱の中に入れた記憶――
「ティメオ……」
野花を差し出した。
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