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しおりを挟むコニール・スプリント伯爵令息が叫んだ時だった。
怒りの感情が込められた低い低音が、シンと静まり返った会場内に響き渡る。
「これは一体どういう状況だ」
そして
「そうだね。そもそも私の大事な娘の耳をそんな下品な言葉で汚し、……本当にどうしてやろうか」
「私の娘にも汚い言葉を向けていたね」
「一体スプリング伯爵はどういう教育を施しているんだ。
こんな美女たちに向かって。美醜の判断がなっていない者はアートを極められない。そうだろう?」
ジュリアのお父様であるナディウス公爵様にアイリーンのお父様のレイアント侯爵様、そしてイザベアのお父様のカトゥーノ侯爵様
「……お父様」
そして私のお父様が現れた。
「やっときましたわね」
「遅いですわ」
「もっと早く来てくださいな」
そう告げていても、三人の表情は安堵の色に染まっていた。
いくら私たちに非がなく、周りに助けを求めれる状況にあったとしても、酒に飲まれたのか、元からの性格がそうさせているのか不明だが、すぐに手を出そうするコニール・スプリント伯爵令息の態度には恐怖心が生まれてくる。
そもそもこの状況はただの偶然ではない。
私がコニール・スプリント伯爵令息に喧嘩を売る宣言をギルベルト様に告げた後、私たちは帰りの馬車の中作戦を考えていた。
まずギルベルト様に言われたのは、周りの者たちに頼ること。
『エリーナの友人の中には、爵位が高い身分の者もいたよね。さすがに彼女がいたらあの男もそう簡単に手を出せないはずだよ』
『でも私の喧嘩に皆を巻き込むことは…』
『ダメ。俺が許可したくない。そもそも喧嘩を売るときはいくつものパターンを考えて、確実に勝つ算段をもってから行うべきだ。
エリーナは友人に頼ることは絶対だし、エリーナのお父さんにも話をして助けてもらうこと』
『お父様に?』
『ああ。いくらデビュタントをして大人の仲間入りになったとしても、その場にいるものは誰も爵位を譲られていない状況の筈だからね。
デビュタントで一番偉いのは誰?』
『えっと、皇帝陛下?』
『そう。次に皇族、そして次に公爵、侯爵と続くけど。公爵家の娘だからといって偉いわけじゃない。
だからエリーナのお父さんもそうだし、エリーナの友人を通して各貴族たちにもお願いするのさ』
『そっか、それならたとえ酷い言葉を言われたとしても、証人が周りにいるし、すぐに判断を下せるものね』
『そうそう。エリーナはデビュタントしたとしても、伯爵にとっては可愛い娘なのだから、存分に手を貸してもらおう』
『ええ。わかったわ』
そうしてお父様に話した私は、次に友人たちにも話した。
皆は喜んで引き受けてくれた。
『エリーのトラウマの元凶を倒せるこの機会を逃してなるものか!ですわ!』
と細い腕を力ませるイザベアに、悪い顔したジュリアだったりと、それぞれ反応は異なったけれど、でも断られることは一切なかったことがうれしかった。
そして話を進めていくと、幼い頃のトラウマから男性が苦手になった私の事情は知ってはいたが、この相手がコニール・スプリント伯爵令息であるのならばとさらに燃え上がらせていたのが意外だった。
ギルベルトが話してくれたように、意外とあの噂は事実のようだった。
友人たちの話によると、自分より身分の低い相手には、容赦のない言葉を成長した今でも投げつけていたらしい。
男女共同の学校に通う友人たちの親戚の女子生徒は、彼の言葉に傷つき泣いていたと言っていた。
ある者はその言葉を真に受け、極度の拒食症になってしまったらしい。
何故この脂肪の塊のような男にいわれ、その言葉を受け取ってしまったのかというと、当時のスプリント伯爵令息はまだ細身であり、そして交流関係も広かったらしい。
顔もギルベルト程整っているわけではないが、それなりに整っていることが災いした。
伯爵家という微妙な立場から、子爵家や男爵家の元が彼の元に集まり、調子づいた彼は自らを売り込むために伯爵家以上の者へと擦り寄った。
そして更にタチが悪いことに、この男女共同の学校にはコニール・スプリント伯爵令息のように残念な性格のものがそれなりにいたのだ。
その為類は友を呼ぶというように集まり、たまに彼らの性格をよく知らない爵位の低い者が集まった。
流石に学年も上がり卒業が近づいてくると、いくら爵位が低くともまともな貴族は離れていったらしいが、その間に様々な事件を起こしたことは事実なのだと。
結果、そんな彼らを恨むものは多くいた。
特に女性に。
私は、低い身分を見下すコニール・スプリント伯爵令息の性格を考え、この場にはあえてスプリント伯爵家よりも高い身分の者だけで構成させたのだ。
意気込んでいたソフィアとリナには彼に近づけない代わりに、コニール・スプリント伯爵令息を調べてもらった。
彼は常識人には理解されにくい趣向から、実の父親に”貴族で健康的な女性を”花嫁に選ばない限り勘当すると宣言されているようだ。
その為彼は今手ごろな女性に声をかけまくっているらしい。
ならばそれを利用させてもらおう。
一度私を泣かせたあの男は、絶対に私を下に見て、丁度いいと判断し高圧的な態度をとるに違いない。
そう考えた私は今の姿を調べてもらい、そして会場内で彼がどこにいるのかを把握してもらうことをお願いした。
つまり、最初は私がコニール・スプリント伯爵令息の相手をし、侯爵家のジュリアとイザベア、そして貴族の中で一番高位貴族である公爵家のアイリーンが援護、頃合いを見計らってお父様達がやってくるという筋書きが今回の流れ。
襲い掛かられた時には驚いたけれど、絶対に助けてくれると信じていたからこそ、冷静を保てたのだ。
私には物理的な力も権力的な力もない。
でも、ないなら力あるものから借りればいいのだ。
アイリーンのお父様である公爵様が、コニール・スプリント伯爵令息を視界にとらえた。
細まれた目は決して笑っておらず、自身の娘を傷つけられかなり怒っていると、傍から見ても伝わってきた。
そして騒ぎを聞きつけた、スプリント伯爵がわたわたとやってきた。
その慌てように多少なりとも心が痛む。
何故なら喧嘩を売りたい相手は、スプリント伯爵ではなくその息子なのだから。
「スプリント伯爵…」
「も、申し訳ございません!この愚息が…」
スプリント伯爵は息子の横に並ぶと、頭が着くくらい腰を曲げて謝罪した。
父親の姿を見たコニール・スプリント伯爵令息は顔を歪め、その様子を眺めている。
やっぱり彼は何もわかっていない。
彼の言動が騒ぎを起こし、彼のために頭を下げているというのに。
公爵様も同じことを考えたのか、スプリント伯爵の頭をあげさせ、そして自身の顎を触りながらこう言った。
「そういえば、最近珍しい鉱石が発掘できる鉱山が発見されたというのは、知っているな?」
「え、は、はい。勿論存じております」
「その発掘作業を陛下から頼まれていてな…、どうだ?そなたの自慢の息子を暫し借りたいのだが」
「で、ですが……、い、いえ!公爵様がご所望というならば光栄の極みでございます!
どうぞ、好きにお使いください」
顔色を青くさせたスプリント伯爵は急に態度を翻し、再び腰を曲げる。
その様子にコニール・スプリント伯爵令息は反論しようとしたが、公爵様に睨まれたことで口を閉ざした。
「ああ。では早速使わせていただこう。こいつを僻地へと連れていけ」
「は!?おい、ちょ待ってくれよ!俺がなにを…グァッ!!」
その言葉に問答無用で連れていかれるコニール・スプリント伯爵令息は、流石に異を唱えようと声をあげようとしたが、首に手刀を受けて意識を手放した。
だが引きずられるように連れていかれる彼の様子に、誰も異を唱えるものはいなく、残念がる者もいなかった。
呆気なく騒ぎは収まり、集まっていた注目は少しずつ減っていった。
「お父様、ありがとうございます」
「いや、娘を守るという当たり前のことをしただけだ。
…友人方も無事か?」
「は、はい!!」
返事をする私たち、というより私をじっと見つめる公爵様に私は首を傾げた。
「…私たちはこれで失礼する。
些細なアクシデントがあったが、どうか最良なデビュタントとなるよう楽しまれてくれ」
背を向け戻っていく公爵様に続き、それぞれ娘に一言話してから戻っていく友人たちのお父様方。
私のお父様は「たいしたこと出来ずにすまんかったな」と言っていたが、この場に来てくれ、そして威厳ある姿を見せてくれたこと自体が心強いのだ。
それに立場が一番強い公爵様があの場を仕切ってくれたからこそ、あっさりと解決できた。
「じゃあ、私達も楽しもうか!」
「そうね!結局ダンスも一度しか踊っていないし」
「リナと、ソフィアも心配しているだろうから早く行きましょう!」
そういって笑顔を浮かべながら私の手をとるアイリーンに、私は顔を赤く染めながら告げた。
「エリー?」
「どうしたの?」
「あのね、私、行かなきゃいけないところがあるの」
「どこ?」
「こ…告白の返事をしに!」
大きくそう告げた私の言葉の後、一拍遅れて友人たちの悲鳴が響き渡る。
私は熱くなった顔のまま、友人たちの嬉しそうな声を聞きながら、会場を出てギルベルトが待つ場所まで走った。
「ギルベルト!」
会場を出て長い廊下を抜けると、外につながる大きな扉がある。
控えている警備の方に扉をあけてもらうと、夕暮れ時の赤い日差しを浴びながらギルベルトが私を待っていた。
私はギルベルトに駆け寄り、そして抱き着くと、彼は当然のように抱きしめた。
ギルベルトの温かい体温が心地いい。
「エリーナ、お帰り」
「ただいま。あ、あのね、ギルベルト…私」
「待って、改めて俺から言わせて欲しい」
ギルベルトは私から離れると膝を地面につけて、私の手を取り、唇を落とす。
「エリーナ嬢、俺と付き合っていただけませんか?」
言葉は私に初めて告げたセリフと同じなのに、気障な人みたいな行動をとるギルベルトに、私は思わず笑ってしまった。
ギルベルトは怒ることも拗ねることもせず、ただただ優しい眼差しを向けてくれていた。
そんなギルベルトが私は好きだ。
ギルベルトがいっていたように、私とギルベルトは運命の相手同士だったのかもしれない。
そう思うと、男同士の恋愛にハマるという新たな道を知るきっかけになったあの男にも役割はあったのかもしれないと、少しだけ思った。
私は軽くひざを折りギルベルトの視線の高さと合わせて、答える。
「ええ!喜んでお願いするわ!」
私の答えとほぼ同時に、ギルベルトは私を持ち上げ、そして抱き締めた。
私も抱きしめ返し、互いの温もりを感じている途中、複数の視線を感じ元を辿ると、会場にいたはずの友人達とよくわからない表情を浮かべながら見つめるお父様と、そんなお父様を抑えているお母様の姿があった。
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