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続き
しおりを挟むお父様とお母様に頼み込み子爵家へ早馬を出していただきました。
まだ記憶を失っていない私は、次の日の朝陽を確認したあと、婚約者であるウィンナード子爵の息子アルフェルト様に会いに行きました。
一日以上起きることになった私には、わかったことがあります。
日を跨いだ時、ではなく私が眠ると記憶を失ってしまうということ。
その証拠に私はいまだ記憶を失わず、眠い目を必死で堪えて起きていました。
勿論発見したのは偶然でした。
記憶がない私は、アルフェルト様のことを全く知りませんし、自分がどのような人物なのかもわかっておりません。
ですから寝ずに、一日を費やし両親とメイドたちの手を借りました。
「お嬢様、少しの間でもお休みになりませんか?」
「ダメです。眠った結果記憶が失った場合、折角の設けてもらった機会を台無しにしてしまいます。
それに"次の私"が、婚約を先延ばしにするかもしれません。それは婚約者様にあまりにも失礼です」
そうです。
婚約者のことを思い出すこともない私は、相手の方にとても不誠実なことをしてしまっています。
たとえそれが、自分の意志とは関係なくとも。
私についてきた世話役のラーナは顔を伏せると小さく呟きました。
「お嬢様は記憶をなくしてもお嬢様ですのに…」
嬉しい言葉。
だけど、今その言葉に甘えるわけにはいきませんでした。
馬車が止まり、私は意を決して目の前の大きな屋敷へと足を踏み入れました。
早馬を出したのは昨日のことなのに、迎えに来てくれた執事の方が案内したのは豪華な部屋でした。
出されたお茶から湯気が見えなくなる前に、若い男性が部屋へとやってきました。
そばに控えているララが、「お嬢様の婚約者です」と小声で教えてくれ、私はごくりとつばを飲み込みました。
「どうしたの?最近はこんな風に、突然来ることなどなかったのに」
そんな言葉を口にしながらも、嫌な感情は伝わっては来ませんでした。
それどころか、嬉しそうにしている表情と、親しい者に対する口調から、私と目の前の男性の関係を察することができました。
それに……とても、良い人そうだと感じます。
(でも、だからこそ、破棄しなくてはならないの)
ニコニコと嬉しそうに微笑む男性が、ふかふかなソファに腰を着たところで話を切り出しました。
「貴方様との婚約を破棄させていただきたいのです」
私の言葉で、端正なお顔を青ざめました婚約者の男性に、私の心が痛みました。
「え、…ちょっと待って、どういうこと?意味がわからない。僕達は決して不仲じゃなかったはずだよ?」
その言葉が真実なのかは、今の私にはわかりません。
でも少なくとも嘘は言っていないように感じました。
「一方的な発言で申し訳ございません。勿論アルフェルト様には落ち度はなく、全て私が___」
「そんなことが聞きたいんじゃない!」
バンと手のひらをテーブルにぶつけ、立ち上がった婚約者のアルフェルト様に私は体をビクつかせました。
でも決して怖くはありません。
だって、アルフェルト様の表情が、決して恐ろしいものではないからです。
寧ろ突然のことに驚きや戸惑い、悲しみ等様々な色が見え、私の胸を締め付けました。
「ララ、ごめん。少しラーナと二人にさせてくれないか?」
手は絶対に出さないから、と念押しするアルフェルト様に逆らう事などありえないとばかりに、ララは反論することもなく素直に部屋から出ていきました。
「……さっき僕のことをアルフェルト、といったね?
もしかして何かしら関係してる?」
「……」
「誤魔化そうとしても無駄だよ。ラーナは僕のことそう呼ばないし、嘘をつく時にある癖があらわれる。
それに、つい先日あったときも、僕のこと愛称で呼んでいたしね。君とは笑顔で分かれたはずだし、会っていない間に受け取った手紙もいつもと変わらなかった」
「……」
ツラツラと話されて私は困惑します。
だって、誰からもそんな情報を頂いていないのですから。
いつの間にか私のそばに移動したアルフェルト様が隣に座り、私の顔を両手で包み込んで、顔をあげさせました。
「…ラーナ。僕たちは心が通じ合っていたと思っていたけれど、それは僕だけが感じていたこと?」
「……」
ズキっと胸に痛みが走りました。
あまりの痛さに私は胸を抑えます。
今の私にとってこの男性は知らない人なはずなのに、この人の悲しむ顔をみるとこんなにも胸が苦しくなるだなんて思いもよりませんでした。
きっと、前の私とこの人はとても愛し合っていた。
この胸の痛みが、なによりも物語っていました。
「私は、………婚約破棄を、したいと思って、おります」
でも、でも、愛し合っていたのならば、早く、早くこの人を自由にさせなければなりません。
だって、記憶を失った私では、この人を幸せにさせてあげることが出来ないのです。
「ラーナも嫌だと思っているんだね」
「…え?」
「泣いているよ。君はよっぽどのことがないと涙を流さない。……婚約破棄を申し出るほどのことが、あったんだよね?僕に話してくれないか?」
私は思わず首を振りました。
とてもじゃないけど言えないと、思ったからです。
貴方のことを忘れてしまった。などと告げて、これ以上悲しませたくないと思ったのです。
「婚約を解消するということは、ラーナだけではなく僕にも関係することだ。どうしてそういう結論に至ったのか、僕にも聞く権利はある」
「あ、……」
「…優しいラーナはきっと、僕のことを思って話さないと決めたんだと思う。でも僕は知りたい。知らないまま君を失いたくない」
そうして、ついに私はアルフェルト様に全てを話しました。
記憶喪失はただの記憶喪失ではなく、寝てしまうと記憶がリセットされてしまうという憶測も含めてです。
「ラーナ、不安だったね」
アルフェルト様は涙でくしゃくしゃの私を抱きしめました。服が濡れてしまうかもしれないのに。
「でもね、そういうときこそ婚約者を頼るべきだ。
君の味方はなにも君の両親や仕えるメイドたちだけじゃないんだから」
「アルフェルト様…」
私を離したアルフェルト様は、胸ポケットから出したハンカチで私の涙を染み込ませます。
「…じゃあこの目の下のクマは、不安で眠れなかったからかな?」
私は首を横に振りました。
「いいえ、昨日から一日かけてマナーのおさらいや、アルフェルト様のことを教えてもらっていました」
「じゃあ、全く寝ていないの!?」
「はい」
「それはダメだ!すぐ部屋を整えさせるからまってて!」
「ですが、そうしたら私はまた記憶を…!」
「大丈夫。大丈夫だ」
アルフェルト様はそう一言告げてほほえみました。
「記憶というのはね曖昧なものなんだ。僕の忘れていることを他の人は覚えていることだって勿論あるし、その逆もある」
「ですが、私の場合は…」
「ラーナ、君は忘れてなんてないよ。その証拠に泣いていたじゃないか。
本当に、……完全に僕のことを忘れていたのならば、君は躊躇せずに淡々と僕との婚約を破棄していたはずだからね」
アルフェルト様は私の手を持ち上げ、胸にあてさせました。
「ここに僕との思い出がちゃんと詰まっている。今は思い出すということを休んでいるだけだよ。
だから、これからも僕たちの婚約関係は続くし、ラーナが思い出せた時のために、ここに、これから先の記憶をたくさん一緒に残していこう?」
「は、い…はい。……はい、そうします。そうしたいです」
温かい、まるで太陽の存在のようなアルフェルト様の言葉に私はまた涙を流しました。
ですが、先程と違い、嬉しい気持ちから涙を流しているというところです。
いつの間に眠ってしまったのか、起きたときには空は真っ黒に染まっていた。
「キャッ!いやだわ!こんな時間まで寝てしまっていただなんて…!!」
暗い部屋に灯りをともし、少しボサついてしまった髪を手で直していると、物音に気付いたのかノック音が小さく聞こえた。
そして伺うように少しだけ開けられた隙間から、ララが顔を覗かせている。
思わずクスリと笑ってしまうが、今はそんな余裕がない。
「お嬢様…?」
「ララ!こんな時間までごめんなさいね!すぐに帰りの用意をしてくれないかしら?」
「お嬢様、今私の名前を…」
「え?ララよね?いくらなんでも、ずっと一緒にいたあなたのことを忘れることなんてないわ」
何故か目が潤み始めるララを私は不思議に見つめ返す。
そういえば、何故アルの家に来ているのか。
次は舞台を見に行こうと約束していたのに、経緯が分からず私は首をかしげた。
そんな時僅かに開けられていた扉が大きく開き、ララの後ろからアルの姿がみえる。
「ラーナ、起きたの?」
「アル!こんな時間までごめんなさいね!すぐ帰るわ!」
「泊まっていってもいいんだけど?」
「いくら貴方と私が婚約してるとはいえ、まだ籍をいれてないのに泊まれないわよ。あ、それより舞台ってまだみてないわよね?私全然覚えてなくて」
「大丈夫。約束の日は三日後だから安心して?」
「え?三日後?じゃあなんで私アルの家に来てるの?」
「ラーナの僕に会いたい気持ちがそうさせたんだね」
その言葉以外なにも教えてくれることなく、アルはただ笑顔を浮かべるだけだった。
だけど、うっすらと開けられた目に、熱い想いがこめられていることをしっている私は、言葉を飲み込む。
(その視線に、私が弱いことを知っているかしら……)
思わずそう思うくらい、アルはじっと私を見つめ続けたのだった。
終わり
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