婚約破棄の話したち

あおくん

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想い合う二人の話

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『貴方様との婚約を破棄させていただきたいのです』



私の言葉で、端正なお顔を青ざめました婚約者の男性に、私の心が痛みました。








婚約破棄を告げる数週間前、私は目を覚ましました。

ふかふかで大きなベッドは私専用の寝具なのだということは、起きた瞬間に理解できておりました。
ですが、見覚えのないお部屋に私は鼓動を大きくさせ、不安な気持ちになりました。

一体ここはどこなのでしょうか?と大きなベッドから降りた私はきょろきょろと部屋の中を見渡しました。
すると扉をノックする音が聞こえました。
体をビクつかせた私は、音の鳴った扉を見つめます。


「お嬢様、朝ですよ」


扉を開けると、白いフリルのあるエプロンを付けたお洋服を着た女性が、すでに起きていた私に向かって微笑みました。

ですが、私には女性が誰なのか全くわかりませんでした。


「…だれ、ですか?」


初めて見る女性に私は尋ねました。
私の言葉を、女性は最初は冗談だと受け止め笑っていましたが、その後の私の反応から冗談ではないと悟ったのでしょう。
目も口も大きく開き、甲高い悲鳴を上げながら部屋を出て、そこからは沢山の人が部屋を押しかけました。


「お嬢様は、記憶喪失になられています」


私がいるこの大きなお屋敷は、伯爵家という身分の方のもので、私はこの家の一人娘と教えられました。
名前はラーナ。
お父様とお母様と名乗る方々から、簡単に私のことを教えていただきつつ、伯爵家で懇意にしているお医者様の話を一緒に聞いた両親は、私以上にショックを受けた様子でした。


「き、記憶が戻ることはあるのか?」


お父様がお医者様に尋ねました。


「勿論です」


お医者様はお父様の質問に対しはっきりと答えました。
私と両親は揃って安堵します。


「ですが、現在の医療技術では何をきっかけに記憶が戻るのかがわかっておりません。お嬢様の記憶もいつ戻るのか……」

「そんな…!」

「どうにか出来ないのか!?」


首を振るお医者様に両親は更に顔色を悪くさせました。
二人の様子に、初めて見た人たちでも、私まで悲しくなりました。


「お医者様。記憶喪失ということ、その記憶がいつ思い出せるのかは私次第だということ、畏まりました。
ですが、今後私が気を付けるべきことはありますでしょうか?」

「健康的な生活を送ってください」

「健康…ですか?」

「はい。特別なことは必要ありません。
そもそも記憶障害とよばれるものの原因の一つとして、ストレスがあげられています。お嬢様にはストレスを溜めないよう、健康的に過ごしていただきたいのです。
それでも何かをしたいとお思いでしたら、頭を使った作業がいいでしょう」

「頭、ですか?」

「はい。読書や編み物、楽器などもいいですね」


安心させるような微笑みを私に向けるお医者様に、少なからず抱いていた不安な気持ちが消えるような気持ちになりました。


「我々に出来ることはあるだろうか?」


私に続いてお父様が尋ねました。


「伯爵様には、お嬢様が生活しやすい環境を整えてさしあげてください」

「生活しやすい環境……今のままでは不十分だということか?」

「通常の状態ならば十分すぎる程だと思いますが、記憶のない人に対しての心配りは不十分であられるかと……。
例えばお嬢様がよく使われる物がこの部屋にあるとして、私にはそれがどこにあるのかわかりません。私だけならばいいのですが、記憶がないお嬢様も同様に感じているでしょう。
その為、どこになにが入っているのか明確に表記することや、記憶を思い出すための機会を増やすために、以前と同様の生活を送られるようにすることも大切です」


お医者座の言葉にお父様はすぐさまメイドたちに指示を出されました。
ある者は棚や引き出しに名札をつけ、ある者は私が以前送っていたスケジュールを書き出し、またある者は今後のスケジュールを上げ始めました。

たくさんの人達が私のことで動き出した様子に、私はなんだが嬉しく思いました。


「これならお嬢様も困らないですね」


微笑むお医者様は、私に一冊の何も書かれていない本を渡すと、去っていきました。


「これは、…日記本ね」

「日記、ですか」

「日々のことを書くといいわ。記憶喪失だからじゃなくても、あとから書いた日記を読み返すと、とても楽しくなるのよ」


お母様の言葉に私はぎゅっと頂いたばかりの何も書かれていない日記を抱きしめました。









次の日。

見慣れないふかふかの寝具で私は目を覚ましました。
ここは一体どこなのでしょうか…。
キョロキョロと部屋の様子を伺います。

全ての棚と引き出しに名札が付けられ、どこに何があるのかは知ることができました。
それに近寄った机の上には大きな1枚の上に【ラーナ様の本日のスケジュール】と記されておりました。


「もしかして、ラーナとは私のこと?」


スケジュールには七時に起床とあり、部屋に設置されている時計をみると六時半を示していました。

あと三十分で、私は、ラーナは起きる時間となるということです。

私は他に手がかりになるものを探しました。


「本…?」


もしかして、記憶を無くす前の私はこの本を読んでいたのかしらと、ベッドの枕元にあった本を何気なく手に取りました。


【私はラーナ。○月△日に記憶喪失になりました。
父の顔も母の顔も、私を好いてくださっているこの屋敷の方々な顔も名前も、何一つ思い出せませんでした。
それでも皆私のために色々なことをしてくださいました。
この部屋だけではなく、屋敷全てに名札をつけ、屋敷の色々なところに地図を書いて貼りつけてくれたのです。
"この時間お嬢様はお散歩を楽しまれておりました。"と手を差し伸べてくれる人。
"お嬢様はこのお花がとても華やかで素敵だとよく笑っていらっしゃったのですよ。変わらないところはお嬢様はやっぱりお嬢様ですね"そういって、私を安心させてくれる人。
"あ、やっぱり苦手なものは苦手なのですな。実はその料理にはお嬢様が以前から苦手な野菜を入れていたのです"変わらない態度を見せてくれているだろう人達。
この屋敷の方々は、とても素敵な人達で溢れておりました。
記憶がない私にとっては、一日だけの付き合いですが、早くも皆のことが大好きになりました。
私は、一日でも早く記憶を取り戻したいと思います。】



本は物語ではなく、日記でした。
でも私はこの日記を書いた記憶がありませんでした。


「私は…、昨日も記憶喪失だった……?」


早く記憶を取り戻したいと書かれた文字は、なんだか楽しげに見えるだけに、昨日の記憶がなくなっている私はより一層愕然としました。
「ウソよ……」と小さく呟いた時、トントントンとノック音が聞こえました。


「お嬢様、朝ですよ」


そう言いながら部屋へと入ってきた女性は、立ち上がって日記を手にしている私に微笑みました。


「もう起きていらっしゃったのですね。おはようございます。お嬢様」

「あ、…」


言葉に詰まる私をみて、女性は優しく微笑みます。


「ララといいます。ラーナお嬢様の名前に似ているということで、お嬢様のお世話係にしていただけたのです」


嫌な顔をすることもなく、説明したララに私は胸がきゅっと締め付けられました。

"この屋敷の方々は、とても素敵な人達で溢れておりました。"

日記に書いていたのは本当のことなのだと、私は悟りました。
だってララの笑顔は愛情で溢れていたのですから。

記憶を失っても変わらない態度を取ってくれる人たちは、きっと世界中に多くないことでしょう。
例え最初は優しくとも、それが永遠に続くことは難しいことだと、私は思っています。

ならば私の知った事実を早く話さなければなりません。

同じ記憶喪失でも、毎日忘れ記憶がリセットしてしまうことと、記憶を積み重ねていけるものでは意味が全く異なるからです。
 

「ララ、私、皆に伝えなくてはならないことがあります」


一瞬だけララの表情が明るくなりましたが、私の表情、そして先程ララのことを思い出せなかったことから、良いことではないと悟ったララの顔は次第に曇って行きました。

「すぐに伝えてまいります」そう告げて、ララは部屋から急いで出ていき、暫く待つと代わりの人が私の身支度を手伝ってくれました。

私はその者と共に両親が待つ食堂へと向かいました。


「ラーナ、おはよう」

「おはよう」


少しぎこちない笑みで私を迎えたくれたのがおそらく私の両親でしょう。

傍らにはララがいて、私の言葉を伝えてくれたのだと思いました。


「お父様と、お母様…ですよね?」

「あ、ああ、そうだよ」

「そうよ、ラーナ」


共に来たメイドに案内された私は、両親と向かい合うように腰を下ろしました。


「ララからお話を聞いたかと思いますが…」

「ま、待って。先に朝食を済ませない?そのほうが話にも集中しやすいと思うの」


同意をお父様に求めるお母様の様子に、私は頷きました。

お母様の言う通りでした。
先程まで焦りと不安で堪りませんでしたが、食事を先に取ったことで、少しだけでも落ち着きを取り戻しました。
それでも若干の緊張は残っていますが、食べる前とは全く違います。


「お父様、お母様。私は昨日の記憶がありません」


その言葉を告げた瞬間、食器が割れる音が食堂内に響きました。
ララが食器を落とした女性に駆け寄り、怪我がないかを確認します。
安心した様子のララに私も遠めでみて安堵しました。


「ラーナ、それは本当、なの?」

「はい。朝起きて、自分の名前も思い出せませんでした」

「それは、昨日記憶喪失になったばかりだから、ではないのか?」

「いいえ。この日記を読むまで私は、昨日も記憶を失っていたことを知りませんでしたから…」


そうか、とお父様は呟きました。

お母様は立ち上がるなりツカツカと私のもとまできて、私を抱きしめました。


「そんな大変だったときに、またそばにいなくてごめんなさいね。お母様はサーナの味方よ。あなたの記憶がなくとも、あなたが大好きで、愛しているわ」

「お母様……」

「私もサーナのことを愛しているからな!」

「お父様…」


お二人の言葉がじんわりと胸に響き、目頭がツーンと痛みを伴いました。
涙が込み上げ、瞬きをすると溢れてしまいそうです。

そんなとき「お嬢様、お嬢様」と呼びかける声に振り向くと、「私達もお嬢様が、大好きですからね!」と目を潤ませて告げるみんなの姿がうつりました。


「だが、どうしたものか……」

「なにが、ですか?」


悩む声を出すお父様に、私は首を傾げます。
お母様は知っているのか、お父様と同じような困った顔をして、私の席の隣に腰を下ろしました。


「あなたの婚約者のことよ」

「婚約者?私に婚約者がいるのですか?」

「ええ。昨日夫と二人で話して、先方に話すのはもう少し様子を見てからにしようと決めたの。
でも、日々記憶がなくなるかもしれないのなら……」


言葉を詰まらせるお母様に私は尋ねました。


「婚約をなくした場合は、この家に大きな損害を及ぼしますか?」

「え?……いいえ、それはないわ。
我が家は伯爵でも資産はそれなりに蓄えているし、経営状況も悪くないわ」


ね、と同意を求めるお母様にお父様が頷きます。


「ならば、婚約を破棄させてください」






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