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第四十九話:雫
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「お蕎麦ってなんでこんなにおいしいのかしら……。私、そば打ち練習するわ!」
蕎麦屋から出て開口一番。竜胆は夏に食べる蕎麦をいたく気に入ったようだ。
「え、蒸気機巧妖精がそば打ちできますよ」
「そうじゃないでしょぉ。私が覚えたいの」
「そうですか。じゃぁ、蒸気機巧妖精に教えてもらうと良いですよ。とても上手ですから」
「そうするぅ」
わたしと竜胆は蕎麦について話しながら一度内裏へ赴き、主上にこれまでに分かったことを説明した。
音が少しうるさいが、冷却扇風機巧が駆動しているおかげで、建物内はとても涼しく保たれている。
爽やかな、薄荷の香り。きっと皇后陛下が用意したものだろう。
「そうか……。私に母についての記憶があればいいのだが……。何もないのだ。覚えていない」
「仕方ありません。長子であらせられる美綾子長公主ですらお母上の記憶がないのですから。陛下や日奈子長公主が覚えていなくても、それは仕方のないことなのです。幼かったのですから」
「日奈子が生まれてすぐ、母は乳母に私たちを預け、姿を消したと聞いている。なぁ、翼禮、竜胆」
「なんでしょうか」
「母上は……。最初の結婚のとき……、つまり、廃后される前、子供はいたのだろうか」
「……子供が出来る前に簒奪を疑われ、廃后にされたと記録にはありました。どうやら、とても深く寵愛されていたようで……。何か怪しい術、妖術を使っていると周囲には思われていたようです」
「そうか……。母は禍ツ鬼の王に出会う前から、凄まじい人生を歩んでいたのだな……」
主上の目に、悲哀の雫が浮かんだ。
「陛下、太皇太后陛下はお元気ですか?」
「あ、ああ。とても元気だよ。……もしや、翼禮。大叔母上が廃后の姫君だと疑っているのか?」
不安そうな主上。愛情をこめて世話をしてくれた人を疑いたくないのだろう。
「いえ。そういうわけではありません。ただ、何かご存知なのではないかと思いまして。例えば、陛下と長公主様方を預けに来た乳母の特徴とか……」
「そういうことか……。それは聞いてみる価値があるな。私が引き受けよう」
「ありがとうございます」
「今月末の大祓で会う予定だからちょうどいいだろう」
「お任せいたします。わたしたちはこれから地獄へ行ってまいりますので、また数日離れることに……」
「じ、地獄、だと⁉ 行けるのか!」
「……何があっても陛下は連れてはいきませんから」
「ぐっ……。そ、そうか。それはとてもひどくすごくかなり残念だ……」
一瞬輝かせた目を伏せ、指先をもじもじと動かしながらすね始めてしまった。
「……何か獄卒に纏わるものを持ち帰ってまいりますので、あまり落ち込まないでください」
「そ、そうか? 本当に、持ち帰ってきてくれるのか?」
「はい。ただ、地獄の物質はそれだけでかなり熱いですし、硫黄臭いので、持ち歩くようなことはやめてください」
「うむ! 二人とも、気を付けて行くのだぞ!」
どうやら機嫌が直ったようだ。
つい先日二十歳を迎えたばかりの青年は、いくら天子といえど、その好奇心を隠せるほど巧妙な性格ではないようだ。
「そういえば、御生誕祭のようなことは行わないのですか?」
「ああ、今年はやらぬ。内裏の改装にかなりの金をつぎ込んだからな。それに、本当の誕生日は私も姉も妹も知らんのだ。単に、乳母から大叔母上に引き取られた日ってだけだからな」
「そうだったのですね。では、姉兄妹みんな同じ誕生日ですか?」
「ああ、そうだ。だから余計に気にならんのだ。家族が健康で生きていればいい」
「たしかに。その通りです」
わたしと竜胆は「では、行ってまいります」と、主上に平伏し、その場を後にした。
すぐに自分たちの仕事部屋に行き、火恋を呼ぼうと連絡したところ、「ごめん! 凶悪犯が刑場から逃げちゃって超忙しいの! 迎えを寄こすから、それで地獄に来て!」とのこと。
「もうすぐお盆だものね。そりゃ、亡者たちも浮き足立っちゃうわ」
「そうですね。行っておきますが、お盆の時期は地獄よりも我々の方が忙しいんですよ」
「……ああ、こっちに亡者が里帰りしに来ちゃうから?」
「そうです。火恋たちと力を合わせて、厳しく取り締まらなくてはなりません」
「まかせて! 私、多分そういうの得意だから」
「ええ、期待しています」
そうこうしているうちに、迎えがやって来た。
「翼禮さまぁ、迎えに来ましたにゃ」
人間の十歳児くらいの大きさの猫が二匹、豪華な牛車をひきながら空に現れた。
「お疲れ様です。いつもありがとうございます」
「いえいえ。お得意様ですもにょ! あ! 竜胆さまぁ。いつも赤猫牛車のご利用ありがとうございますにゃぁ」
「うふふ。赤猫牛車さんは速いし揺れないから好きなの。今日もよろしくね」
「はいですにゃ!」
わたしと竜胆はさっそく牛車に乗り込んだ。猫たちの可愛い「行くにゃ!」という掛け声とともに動き出した牛車はまったく揺れることなく旋回し、幽界にある地獄へと出発した。
「では着替えてしまいましょう。焔蚕の糸から作られた、耐火の衣に」
わたしが取り出したそれを見て、竜胆は顔をしかめた。
「……え? デザイン、ちょっと古風過ぎない? これ、深衣じゃないの」
「焔蚕の糸がいくらするか知ってます? その糸から布を織って衣に仕立ててもらうのがどんなにお金かかることか知ってます⁉」
「はいはいごめんごめん。ちょっとびっくりしただけだからそんなに怖い顔しないでよぉ」
「この二着でわたしのお給料一年分無くなるんですからね」
「あら、私のドレスより数百倍高価なのね! そう思うと……、レトロで可愛いって感じ?」
「はぁ……。もういいですからさっさと着ましょう」
わたしは黒、竜胆は青の深衣をそれぞれ着た。
「上半身は少しぴったりめで下半身部分はとっても広がるスカートみたいにひらひら。結構可愛いかも! ……でも、この下に履くズボンのダサさはちょっとね……」
「そうですか? 動きやすくてわたしは好きですけど」
「まぁ、そうね。動きやすさで言ったらそうよね」
竜胆はわざと大きくため息をついて見せてきたが、わたしは気にしないことにした。
服は動きやすさが一番大事だ。デザインはその次の次くらい。
靴は獄卒から地獄専用のものを借りることになっている。
あの灼熱の中を歩いて原形を保っていられる靴は地獄でしか作れないのだ。
蕎麦屋から出て開口一番。竜胆は夏に食べる蕎麦をいたく気に入ったようだ。
「え、蒸気機巧妖精がそば打ちできますよ」
「そうじゃないでしょぉ。私が覚えたいの」
「そうですか。じゃぁ、蒸気機巧妖精に教えてもらうと良いですよ。とても上手ですから」
「そうするぅ」
わたしと竜胆は蕎麦について話しながら一度内裏へ赴き、主上にこれまでに分かったことを説明した。
音が少しうるさいが、冷却扇風機巧が駆動しているおかげで、建物内はとても涼しく保たれている。
爽やかな、薄荷の香り。きっと皇后陛下が用意したものだろう。
「そうか……。私に母についての記憶があればいいのだが……。何もないのだ。覚えていない」
「仕方ありません。長子であらせられる美綾子長公主ですらお母上の記憶がないのですから。陛下や日奈子長公主が覚えていなくても、それは仕方のないことなのです。幼かったのですから」
「日奈子が生まれてすぐ、母は乳母に私たちを預け、姿を消したと聞いている。なぁ、翼禮、竜胆」
「なんでしょうか」
「母上は……。最初の結婚のとき……、つまり、廃后される前、子供はいたのだろうか」
「……子供が出来る前に簒奪を疑われ、廃后にされたと記録にはありました。どうやら、とても深く寵愛されていたようで……。何か怪しい術、妖術を使っていると周囲には思われていたようです」
「そうか……。母は禍ツ鬼の王に出会う前から、凄まじい人生を歩んでいたのだな……」
主上の目に、悲哀の雫が浮かんだ。
「陛下、太皇太后陛下はお元気ですか?」
「あ、ああ。とても元気だよ。……もしや、翼禮。大叔母上が廃后の姫君だと疑っているのか?」
不安そうな主上。愛情をこめて世話をしてくれた人を疑いたくないのだろう。
「いえ。そういうわけではありません。ただ、何かご存知なのではないかと思いまして。例えば、陛下と長公主様方を預けに来た乳母の特徴とか……」
「そういうことか……。それは聞いてみる価値があるな。私が引き受けよう」
「ありがとうございます」
「今月末の大祓で会う予定だからちょうどいいだろう」
「お任せいたします。わたしたちはこれから地獄へ行ってまいりますので、また数日離れることに……」
「じ、地獄、だと⁉ 行けるのか!」
「……何があっても陛下は連れてはいきませんから」
「ぐっ……。そ、そうか。それはとてもひどくすごくかなり残念だ……」
一瞬輝かせた目を伏せ、指先をもじもじと動かしながらすね始めてしまった。
「……何か獄卒に纏わるものを持ち帰ってまいりますので、あまり落ち込まないでください」
「そ、そうか? 本当に、持ち帰ってきてくれるのか?」
「はい。ただ、地獄の物質はそれだけでかなり熱いですし、硫黄臭いので、持ち歩くようなことはやめてください」
「うむ! 二人とも、気を付けて行くのだぞ!」
どうやら機嫌が直ったようだ。
つい先日二十歳を迎えたばかりの青年は、いくら天子といえど、その好奇心を隠せるほど巧妙な性格ではないようだ。
「そういえば、御生誕祭のようなことは行わないのですか?」
「ああ、今年はやらぬ。内裏の改装にかなりの金をつぎ込んだからな。それに、本当の誕生日は私も姉も妹も知らんのだ。単に、乳母から大叔母上に引き取られた日ってだけだからな」
「そうだったのですね。では、姉兄妹みんな同じ誕生日ですか?」
「ああ、そうだ。だから余計に気にならんのだ。家族が健康で生きていればいい」
「たしかに。その通りです」
わたしと竜胆は「では、行ってまいります」と、主上に平伏し、その場を後にした。
すぐに自分たちの仕事部屋に行き、火恋を呼ぼうと連絡したところ、「ごめん! 凶悪犯が刑場から逃げちゃって超忙しいの! 迎えを寄こすから、それで地獄に来て!」とのこと。
「もうすぐお盆だものね。そりゃ、亡者たちも浮き足立っちゃうわ」
「そうですね。行っておきますが、お盆の時期は地獄よりも我々の方が忙しいんですよ」
「……ああ、こっちに亡者が里帰りしに来ちゃうから?」
「そうです。火恋たちと力を合わせて、厳しく取り締まらなくてはなりません」
「まかせて! 私、多分そういうの得意だから」
「ええ、期待しています」
そうこうしているうちに、迎えがやって来た。
「翼禮さまぁ、迎えに来ましたにゃ」
人間の十歳児くらいの大きさの猫が二匹、豪華な牛車をひきながら空に現れた。
「お疲れ様です。いつもありがとうございます」
「いえいえ。お得意様ですもにょ! あ! 竜胆さまぁ。いつも赤猫牛車のご利用ありがとうございますにゃぁ」
「うふふ。赤猫牛車さんは速いし揺れないから好きなの。今日もよろしくね」
「はいですにゃ!」
わたしと竜胆はさっそく牛車に乗り込んだ。猫たちの可愛い「行くにゃ!」という掛け声とともに動き出した牛車はまったく揺れることなく旋回し、幽界にある地獄へと出発した。
「では着替えてしまいましょう。焔蚕の糸から作られた、耐火の衣に」
わたしが取り出したそれを見て、竜胆は顔をしかめた。
「……え? デザイン、ちょっと古風過ぎない? これ、深衣じゃないの」
「焔蚕の糸がいくらするか知ってます? その糸から布を織って衣に仕立ててもらうのがどんなにお金かかることか知ってます⁉」
「はいはいごめんごめん。ちょっとびっくりしただけだからそんなに怖い顔しないでよぉ」
「この二着でわたしのお給料一年分無くなるんですからね」
「あら、私のドレスより数百倍高価なのね! そう思うと……、レトロで可愛いって感じ?」
「はぁ……。もういいですからさっさと着ましょう」
わたしは黒、竜胆は青の深衣をそれぞれ着た。
「上半身は少しぴったりめで下半身部分はとっても広がるスカートみたいにひらひら。結構可愛いかも! ……でも、この下に履くズボンのダサさはちょっとね……」
「そうですか? 動きやすくてわたしは好きですけど」
「まぁ、そうね。動きやすさで言ったらそうよね」
竜胆はわざと大きくため息をついて見せてきたが、わたしは気にしないことにした。
服は動きやすさが一番大事だ。デザインはその次の次くらい。
靴は獄卒から地獄専用のものを借りることになっている。
あの灼熱の中を歩いて原形を保っていられる靴は地獄でしか作れないのだ。
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