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学園編 18歳

幕間 プリン伯爵襲来

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「クリス。好きな人ができたの、別れてくれる?」

 ある日、書斎で書類決済をしていたクリスの下にエリーナが来て、唐突にそう言った。

「……え?」

 クリスは言葉の意味を理解できず、とっさに聞き返す。エリーナはにこにこと笑っていた。

「だから、好きな人ができたの。その人と結婚したいから、別れて」

 プリンの話をする時のような表情で突き付けられた言葉に、クリスは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。

「……え、エリー? 冗談だよね」

 それは一縷の望みだ。「嘘よ」とからかうような笑みを向けてくれると信じて、かすれた声を出す。

「どうして冗談を言わないといけないのよ。私は本気よ。一生を共にしたい人を見つけたの!」

 エリーナはいつになく嬉しそうであり、そわそわと落ち着きがない。今にも踊り出してしまいそうだ。ここにきてようやくクリスも、これを現実として理解し始め顔色を無くす。

「ま、待って!? どういうこと? 僕の他に好きな人ができたの?」

 見事なまでに狼狽し、仕事机に座っていたクリスは椅子の音を鳴らして立ち上がった。エリーナの手を取ろうと近づくが、ひらりと交わされる。

「そうよ。とても素敵でいい人なの。紹介するわ」

 嘘だろと心の中で叫ぶ。心が通じ合ったばかりなのに、エリーナに別れを切り出された挙句、その相手を紹介されるという。まさに地獄だ。

「ちょっと、エリー?」

 クリスの制止する声も聞かず、エリーナはドアから顔を出して誰かに合図をした。すぐに一人の男が姿を見せ、クリスは絶句する。

(プリン……)

 それが第一印象だった。そのあまりにもプリンらしい外見に、クリスはエリーナが惹かれた理由を察する。顔の造形はよいが、それよりもプリン感が気になる。彼はにこやかな笑みを浮かべながら近づいてきて、クリスの目の前に立った。ふわりと甘い香りがして、甘いものが苦手なクリスは眉を顰める。バニラの香りであり、ますますプリンを連想させた。

「お義兄さん。妹さんを私にくださいプリン♪」

「プリン!?」

 おかしな語尾にクリスは目を剥いて、素っ頓狂な声をあげた。なんて男にひっかかったんだと、男の隣に立つエリーナに顔を向けるが、いたって平然としていた。男が不思議そうに目を瞬かせる。

「お義兄さん、私のことをご存知なんですか? 私はフラン・プリン。西の島国で伯爵位を賜っております」

 どうやら聞き間違いだったらしい。あまりにもプリンに衝撃を受けた為、幻聴まで聞こえた。クリスはメンタルに多大な打撃を受け、頭を抱えたくなる。

「お前に兄などと呼ばれたくはない」

 プリンっぽい男を睨みつけると、ふくれっ面のエリーナが間に入って来た。

「クリス、そんな怖い顔しないでよ。プリン伯爵は素晴らしい方なのよ? そもそもプリンは伯爵の国発祥で、もとは長い航海でも食べられる蒸し料理だったんですって。プディングと呼ばれているの。他にもライスプディングやブラックプディングなんてものもあるのよ? プリン伯爵の話からはプリンの歴史を感じられて、胸が高鳴るの」

 頬に手を当てて、ぽぅっと顔を赤くするエリーナは恋の末期症状だ。クリスは眩暈を感じ、息も苦しくなってくる。エリーナが他の男に取られると考えただけで、倒れそうだ。そんなクリスを気にもかけず、エリーナはうっとりとした顔で話を続ける。

「彼の領地はプリン専用の卵と牛乳の産地で、プリンの聖地なの! それに、色々なプリン料理があって、さらに各国に派生していったプリンを集めたプリン祭りもあるのよ! プリン姫としては参加するしかないわ!」

 いつからプリン姫になったのだというツッコミは置いておく。クリスにはつっこむ余裕などない。

「それに、クリスは甘いもの苦手でしょ? 私のためにおいしいプリンを作ってくれたことには感謝しているけど、私は一緒に食べて研究してほしいの。その点、プリン伯爵はプリンが大好きで、自作のレシピも数多く持ってるのよ! 最高の結婚相手だわ!」

 甘いものが苦手なのは事実であり、何も言い返せない。現に、今部屋に充満している甘い香りだけで胸焼けがしそうなのだ。

「だから、私はプリン伯爵と西の島国へ行ってくるわね! 手紙と冷凍プリンを送るから!」

 そう満面の笑みでプリン伯爵の手を取ったエリーナは、「今までありがとう」とお礼を言って男に手を引かれて出て行く。クリスは悲壮な顔でエリーナの背中に手を伸ばし叫んだ。


「エリー!」


 天井に向けて手を伸ばし、叫んだところで目が覚めた。全身に嫌な汗をかいており、息が荒い。クリスとエリーナは西の国へ向かう途中であり、国境付近の街で宿を取っていたのだ。

(ゆ、夢か……)

 クリスは額に浮かぶ汗を腕で拭い、肺中の空気を吐き出した。

(夢でよかった……)

 あの完璧なプリンに、勝てる気がしなかった。あまりにも屈辱的である。
 そしてぼうっとしながら気持ちを落ち着かせていると、ふと甘い香りが漂っていることに気が付いた。開いている窓から流れ込んできているように思える。気になってベッドから立ち上がると同時に、ドアが軽くノックされて開いた。

「クリス様? 声が聞こえましたがどうかされましたか?」

 物音に気が付いたのか、サリーが様子を見に来たのだ。

「ん、いや。なんでもないよ。なんだか甘い香りがするから気になってね」

 窓辺に近づくと香りは強くなる。甘いバニラの香りは先ほど夢で嗅いだものと同じで、思わずクリスは窓の外に彼がいないか見回した。宿屋から見える景色は落ち着いた街並みで、怪しい人影はない。

「この香りは、お嬢様の部屋で焚いているアロマでございます。ミシェル様が旅立つお嬢様に贈られたプリンのアロマです」

「プリンのアロマ……」

 ミシェルに効能は何だと問いただしたくなった。確実に悪夢の原因はこれだ。

「お嬢様はプリンに包まれているみたいと、幸せそうに眠りにつかれました。今頃プリンの夢でもご覧になっているかと」

「そう……それなら、いいや」

 エリーナが幸せなら何でもいいと思えるクリスは、そうとうエリーナの虜である。どこまでも甘い自分に苦笑しつつ、クリスは窓を閉めてサリーを下がらせた。まだ夜明けまで時間はある。しっかり寝なければ移動が辛くなる。
 旅程は半分が過ぎた。明日にはアスタリア王国に入れるだろう。クリスは隣の部屋でプリンの香りに包まれて眠るエリーナを考えながら、再び眠りについたのだった。
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