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1 後宮に入りましたが退屈です
しおりを挟む「つまらないわ」
後宮の一房室に鈴のような可愛い声が響く。少女は長榻に寝そべり、うんざりとした表情を浮かべていた。
「鈴花様、そうはおっしゃっても、まだ後宮は開かれたばかりですし、お渡りがないのも仕方がありませんよ」
鈴花と呼ばれた少女は、後宮に入った妃嬪の一人だった。歳は16で、幼さが残る顔立ちであり、茶色の瞳に不満を込めて少し離れたところに立つ侍女に向ける。
「だってもう二週間よ? あんまりじゃない」
「まぁ、そうですが……」
不満そうな少女を宥めているのは、鈴花に付いている侍女の春明である。この宮の主人である鈴花には数人の宮女と下女がついていたが、春明だけは玄家から連れてきた側付きだった。歳は18で、幼い時から一緒に育ったため姉のような存在だ。
(暇すぎて体が溶けそうよ……)
鈴花が体を起こすと、衣擦れの音がし、長い艶のある黒髪が襦裙の上へ流れ落ちる。長い髪は耳の上で巻き上げ、残った髪を後ろに流していた。白い襦の襟には梅の花が刺繍され、今の季節に合った装いになっている。肩から薄水色の帔帛を垂らしており、髪と混ざりあっていた。胸の下で留めている淡い桃色の裙の裾を、鈴花は行儀悪く蹴り上げる。
「市井《そと》に行きたいわ! この宮から出られないし、会うのは春明と宮女たちだけなんて、寂しすぎるもの!」
「はしたないですよ。駄々をこねた子どもみたいなことをして……。退屈なのでしたら、他の妃嬪をお訪ねになればよろしいでしょう」
呆れ顔で提案する春明は黒目黒髪の凡庸な顔立ちで、油で整えた髪を二輪に結い上げ、刺繍の少ない襦裙を身に着けている。鈴花は唇を尖らせ小さく首を横に振った。
「嫌よ……どうせ、私のことを器用貧乏の玄家から来た小娘って思ってるわ」
鈴花の生家である玄家は、代々幅広い事業に手を出しそこそこの業績を上げてきた名家だ。織物、玉といった装飾から酒楼や妓楼、果ては鍛冶まで。どれもその分野で三番手や四番手で、いつしか器用貧乏の玄家と呼ばれるようになったのである。鈴花からすれば恥ずかしくて仕方がない。
「そもそも、後宮に入ることになったのも家が器用貧乏のせいよ!」
後宮に行ってくれと頼んできた父親の顔を思い出したら腹が立ってきた。時間が経とうがまだ怒りは収まっていない。一か月前、玄家の邸で小遣い稼ぎに写本をしていた鈴花のもとに、食えない笑みを浮かべた父親がやって来たのだ。なんでも、皇帝が即位し新たに後宮が開かれるから、妃嬪の一人して入ってほしいと。
玄家は鳳蓮国が建国した時から仕えている名家で、皇帝の妃に迎えられるほどの格はある。いかに器用貧乏で、他の四家に劣ると見られていても名家は名家だ。後宮に迎えられるのは名誉であり、寵姫になるのは女の子なら誰しもが抱く夢ではあるのだが……。
「お父様が何の腹積もりもなしに娘を後宮に入れるわけがないのよ。ただでさえ、皇位争いがあったから朝廷がまだ安定していないのに……」
お金と貸し借りに厳しい父の言葉をそのまま受け取れるほど、鈴花の頭はおめでたくなかった。父親がにこやかな笑みを浮かべて頼みごとをしてくる時は、たいてい何かに行き詰まっているからだ。優しく問い詰めれば、案の定新規分野に参入するための資金繰りに困っているからと返って来た。後宮の妃嬪は皇帝、ひいては国に仕えるため、少なからず予算がつき、生家にもお金が入る。
「実入りの少ない事業からは手を引けばいいのに、引き際がわからないから家はいつまでたっても器用貧乏なのよ」
鈴花は長榻の肘置きで頬杖を付き、わざとらしくため息をつく。そんな主の様子に、春明は困ったように頬に手を当ててから「お言葉ですが」と口を開いた。
「器用貧乏の玄家の娘ではなく、器用貧乏妃と呼ばれております」
「そこ!? しかも器用貧乏妃ってどういうことよ!」
また小言でも始まるのかと思っていた鈴花は、思わぬ指摘に目を剥く。聞き捨てならない呼び方だ。春明は生暖かい視線を向けて、薄く微笑んだ。
「鈴花様、政治、思想、詩歌、舞踊、楽器と妓女の如く修練されていましたね」
「えぇ。妓楼で三番手になれるくらいの実力は身に付いたわ。気の利いた言葉を言うのが苦手だけど」
玄家に教えに来ていた老師《せんせい》が才女だと鈴花を褒めたたえたほどの実力だ。
「それに手習い、裁縫も」
「そりゃぁ、女性として最低限必要ですもの。写本や仕立てはいい小遣い稼ぎになるし」
玄家は子どもを箱入りで育てることはなく、手に職がつくよう教育していた。名家の娘が小銭稼ぎをするのはどうかと春明は思わなくないが、常に資金繰りに四苦八苦している玄家では助けになる。
「他にも細々としたことをされていますし」
「備えあれば憂いなしよ」
当然のように鈴花は答える。玄家では幅広く様々な教養や技能を身に着けることは当たり前だが、普通はここまでしない。
「これが器用貧乏じゃなくて、何を器用貧乏と言うんですか。ただでさえ鈴花様は飽き性ですから、究める前に次に行かれるでしょう」
「うっ……そうだけど」
そこを突かれれば反論の余地はなく、もういいわよと拗ねてずるずると長榻に沈んでいった。肘置きを抱えるように腕を置き、その上に顎を乗せる。
「そんな名前で呼ばれてるんじゃ、ますます他の妃嬪に会いたくないわ……」
そしてちらりと訴えるような瞳を春明に向け、猫なで声を出した。
「ねぇ、春明。ちょっとでいいから身代わりになってよ。どうせ誰も来ないし、髪型と化粧を変えたら分からないわ。その間、市井《そと》でおいしいものが食べたいの!」
妃嬪は滅多なことが無い限り後宮を出ることは許されていない。必要なものは行商から買うことができるので不便はないのだが、鈴花は市井の雑踏の中を気ままに歩いておいしいものを食べたいのだ。その点、侍女の春明は主人の用事を言付かって、後宮を出入りすることができた。
「いけません。甘いものが食べたいなら、点心を作ってさしあげますから我慢してください」
「春明の点心はおいしいけど、屋台で食べるからいいのよ。それに、ずっとここにいたら腐っちゃうわ。することもないし、陛下のお渡りもない。何をしろって言うのよ!」
「……では、その陛下について手に入れた情報をお話しましょうか」
退屈過ぎて抜け出しかねない鈴花を見て、春明は仕方がないと宮女たちから手に入れた変わり者の皇帝の話を始めるのだった。
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