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13 身代わりを宦官に紛れ込ませます

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 翌日。鈴花は人払いが住んだ房室へやの前で深呼吸をした。先ほど宵を連れてきたと春明が伝えてくれ、彼は中ですでに待っているらしい。宦官候補としてうまく中にいれたらしく、極力人目につかないようにここまで来たという。

(さぁ、気合をいれてかかるわよ)

 鈴花が朱塗りの戸を開けて中に入ると、物珍しそうに調度品を見ている宵が目に入った。花街育ちの図太さというか、緊張しているそぶりはない。

「あれ、小鈴シャオリン?」

 そして入って来た鈴花を見て目を丸くした。後ろから続いて入って来た春明を一瞥し、怪訝そうに首を傾げる。

「もしかしてここ、小鈴が働いているとこか? 俺、高貴な人の側付きになるって聞いたんだけど」
「……間違ってはないわね」

 どこから話そうかと鈴花が考えていると、戸を閉めた春明がしずしずと宵に近づいた。

「初めまして、私は侍女の春明と申します。たしかにお声、髪色とよく似ていらっしゃいますね」
「あ、どうも。宵といいます……。しっかし、調度品といい二人の服といい、そうとう金持ちなんだなここ。禄も前払いしてくれたし」

 ほくほく顔の宵は通された部屋からそう判断したらしい。まぁ間違ってはいない。

(お父様、気前よく払ったけど碌な説明してないわね)

 おそらく重要なところは全てぼかしたのだろう。宵は付き人か小間使いでもするものと考えていそうだ。鈴花は引きつりそうになる顔で微笑みを浮かべ、簡潔に事の起こりから説明をしていくのだった。真実を知った宵の表情の変化は見事で、驚き、顔を青くし、好奇心を覗かせ、目を輝かせる。

「つまり、小鈴は玄家のお嬢様で、行方不明の皇帝の身代わりを探してると。で、俺が呼ばれてここは後宮と……」

 最後、顔がにやけた。宵は皇帝が行方不明という非常事態に驚きは隠せなかったが、すでに興味は後宮へと移っている。女たらしと言われるだけあった。

「てことは、可愛い子がよりどりみどりじゃねぇか。命の危険があるって言われてたけど、ここで死ねるなら悪くない」

 それを聞いた鈴花は汚らわしいと顔を歪めて、思わず心の声が出てしまった。

「やっぱり切り落とそうかしら」
「世の女性のためにもその方がよろしいかと。さっそく医局に連絡して自営の準備を」

 自営は自ら切り落とすことであり、宮刑とは区別される。そしてそれを聞いた宵は血相を変え、後退った。

「え、待てよ。何言って、は?」

 官吏の中には出世のために望んで切り落とすものもいるが、多くの男性にとっては恐怖である。腰が引けている宵に、笑顔を消した鈴花が近づく。

「あなたには宦官として後宮に入ってもらうのだもの、当然でしょう?」
「そ、それは聞いてないって! それに考えてみろよ! この顔を後世に残せなくなるなんて、鳳蓮国の損失だぞ!?」
「あなたのようなのは去勢した方が世の中の女性のためになるわ!」

 目を剥いて自信満々の顔で胸を張る宵に、鈴花は目を吊り上げて言い返す。絶対監視をつけようと心に決めた。

「絶対無理! 皇帝の身代わりは引き受けても宦官はやだ!」
「ちょっと声を抑えて、誰かに聞かれるでしょ!?」

 宮から人払いはしているが、どこに人の耳があるか分からない。二人は睨み合い、鈴花が一歩詰めれば宵は一歩引く。捕まったら終わると危機感のある顔をしていた。膠着状態に入りかけた時、事態を見守っていた春明が手を叩く。

「ひとまず、皇帝の身代わりの件は引き受けていただけるのですね?」
「金ももらったからな。宦官にはなれないけど、それがこの国のためだってんならやる。国に忠義があるわけじゃねぇけど、一度国のてっぺんからの景色を見てみたいからな。それに、きれいな女の子たちをたくさん見られるだろ」

 なんとも軽い宵らしい理由で、春明は頷くと棚の上に置いてあった桐箱を両手で持ち上げた。厳重に封がされていて、見覚えのない箱に鈴花は首を傾げる。

「あなたを完全に信用したわけではありませんが、私たちは共犯です。ですから共に、他の宦官を騙そうではありませんか」

 物騒な物言いだが、事実ではある。春明に何か策があるのだろうと、鈴花は続きを待つ。宵は訝しそうな顔で箱に視線を向けており、明らかに警戒していた。
 春明は穏やかな微笑を浮かべて宵へと近づいていく。

「何が宦官の証になるか、ご存知ですか? たとえ宦官同士でも、おいそれと曝け出すわけにはいきません」

 桐箱を手渡された宵は振ってみようとするが、春明が手で止めた。

「……宦官は、切り離した自分の一部を証として保管するのですよ。宝と称して……どうぞ、それをお使いください。ご自身のものは念のため布で押さえつけておいてくださいね」
「え……?」
「春明、まさか……」

 二人の視線が桐箱に注がれる。その中身に思い至った瞬間、鈴花は鳥肌が立った。宵はあんぐりと口を開け、固まっている。

「そんなのどこから持ってきたのよ。まさか……誰かを襲って?」
「まじかよ」
「違います」

 そこまでするのかと怯えた表情を見せる二人に対し、春明はため息をつく。

「玄家は質屋もしているでしょう? そこに、生活に困った年老いた宦官が売りに来たんです」

 言われてみれば質屋もしていた気がするが、小さなものの一つなので鈴花は覚えきれていない。その宝を買い取ったほうが驚きだ。

「そんな昔の物、大丈夫なのかよ」

 宵は持っていたくないと、近くの卓子つくえに置く。

「店のものが中身は確かめたそうですよ。問題ないとのことです」

 何が問題ないのか、それ以上を考えるのは止めようと鈴花は口を挟む。

「じゃぁ、それでいきましょう。宦官に登用してもらうための試験は明後日、それまでに教養と所作を叩きこむからね」
「え、試験?」
「そうよ。それと、万が一あなたが宦官じゃないってバレたら、その時点で首が飛ぶから覚悟しなさいよ?」
「わ、わかった……」

 話はこれで終わりと、鈴花はふぅと息を吐く。なんだかどっと疲れてしまった。

(本当にこれでよかったのかしら……)

 宵は引き受けてくれたが、いつ心変わりするかも分からない。

「宵、皇帝がお戻りになるまで、玉座を守り抜くわよ」

 それでも、今は信じて前に進むしかない。
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