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第3章:生い立ち編2 ~見聞の旅路~
第151話 エピローグ(とある騎士の遠い記憶)
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「それで?東の歪みを正しただけに留まらず、マデュラのブレンを改心させたと言うのか?」
「左様にございます」
王都騎士団総長ジェラル・エフェラル・ド・シュタインの御前で今回の貴族騎士団巡回に際し役目を与えられたエステール伯爵家、セルジオ騎士団団長セルジオとその補佐を命じられたラドフォール公爵家、ラドフォール騎士団団長アロイスにより一連の報告が王城騎士団総長謁見の間で行われていた。
「ふむ、にわかには信じられぬが、そなたらが申す事だ。嘘偽りなき真実なのであろうな」
ジェラルは深い紫色の瞳で跪く2人の団長を見下ろした。
「まぁ、私も驚いてはいるのだ。あのマデュラ騎士団団長ブレンが城塞内に孤児院を設置したいと申してきた時は耳を疑った」
2人の言葉を信じるとは言ったものの、その言葉に見合う事柄を探す様にジェラルは呟いた。
「その後、マデュラはどうなっている?」
現状をアロイスに尋ねる。
「既に建物は完成し、館と城塞内の世話人から孤児院を運営する者を募っている様です。セルジオ様が西の屋敷に帰還される頃には孤児院開設の報が届くかと存じます」
アロイスは影部隊から逐次もたらされる最新の情報をジェラルへ伝えた。
「ふむ、この度の事、そなたの姪子に褒美を与えねばなるまい」
ジェラルは思案気にセルジオ騎士団団長を見つめた。
「恐れながらっ!総長に進言致します」
セルジオ騎士団団長セルジオが声を上げた。
「なんだ?申してみよ」
「はっ!我が姪に多大なるお言葉を賜り感謝申します。しかしながら、この度の貴族騎士団巡回の役目は我がセルジオ騎士団に下された総長よりの命にございました。その命にたまたま我が姪が相応であっただけにて、褒美を頂く事など他家貴族騎士団に対し示しがつきません。
また、東の歪みを正し、マデュラ騎士団団長を改心させましたのは他ならぬラドフォール騎士団団長アロイス殿と王都訓練施設責任者ポルデュラ殿のご尽力があったればこそ。我が姪ならびにその従者に褒美を取らせるなど恐れ多い事にございます」
ピクリッ!
ジェラルはセルジオの物言いに肘掛に置いた指先をピクリと動かした。
「そなた、私の褒美が要らぬと申すのか!」
14歳で先代から総長の座を引き継いだジェラルは齢23歳、先代の時代からその貢献ぶりを評価されている8歳年長のセルジオ騎士団団長に報いたいと常々考えていた。
その厚意を拒絶されたと感じたジェラルは眉をひそめる。
「滅相もございません」
ジェラルの少し怒気を帯びた言葉にセルジオは呼応し言葉をついだ。
「我が姪への総長の御心は最上の誉れにございます。ただ、総長から下される命《めい》を全うする事は貴族騎士団にとり当たり前のこと。いえ、やり遂げねばならぬ役目にございます。今回、その役目を果たした事に褒美を与えられては、常々の貴族騎士団の役目全てに褒美を与えねばなりません。
この事はあくまでも役目として他家貴族騎士団へ認識させ、更に総長がお考えの騎士団入団前に他家貴族騎士団と交流を持たせ総長を頂きとしたシュタイン王国全貴族騎士団の結束を高める施策の好例として公言されてはいかがかと」
セルジオ騎士団団長は跪き顔を伏せたままジェラルに考えを告げた。
ジェラルは不服そうな顔をアロイスに向ける。
「アロイス、そなたの考えを聞きたい」
「はっ!恐れながらセルジオ騎士団団長のお考えに賛同致します。この度の命が特別な事柄となっては後々の禍の種となりましょう。青き血が流れるコマンドールの再来を皆が慶事として捉えてはおりません。
褒美を取らせ特別な事柄とすれば『青き血が流れるコマンドールだからできたことだ』となり、特別な者のみ、特別な騎士団のみが総長の命に従えばよいと考える者が出てこぬとは言い切れません。騎士団だけに留まらず各貴族家も同じことにございます。常々の事とすることが肝要かと存じます」
アロイスも顔を伏せたままジェラルに進言した。
「ふむ・・・・」
ジェラルは暫く肘掛に置いた指でトントンと拍子を取っていたが、思いついた様に椅子から立ち上がった。
ガタンッ!!!
「両名、面を上げよっ!」
2人が顔を上げるとジェラルは台座の上から見下ろしていた。
「褒美の件は承知した。常々の役目を成し遂げた事、大義っ!セルジオ騎士団城塞にて巡回に関わりし者達を丁重にもてなすがよいっ!
また、セルジオ騎士団団長には新たな役目を与えるっ!雪解けを待ち、近隣諸国を含めた国外への巡回を命ずるっ!人員、物資など必要な準備品は全てこの私、ジェラル・エフェラル・ド・シュタインの名の元に揃える事を許すっ!両名、この先もシュタイン王国の為に尽力せよっ!この度の巡回報告大義であったっ!」
「「はっ!!!」」
ジェラルは2人の呼応にふっと笑うと謁見の間から退出していった。
セルジオ騎士団団長は「ふぅ」と一つ息を吐き、アロイスへ視線を向けた。
「アロイス殿、数々のお計らい感謝申します。我が姪、エリオス、バルド、オスカーが命を繋ぎましたのは貴殿のご尽力あったればこそ。この先もセルジオ騎士団共々良しなに願います」
セルジオ騎士団団長は左手を胸に置き、深々と頭を下げた。
アロイスはゆったりと呼応する。
「いえ、私自身も共に・・・・セルジオ様ご一行と共に事を成せたこと感謝申します。この後もセルジオ騎士団とラドフォール騎士団は西と北の守りの要として結束を強めていきたく存じます」
アロイスも左手を胸に置き、深々と頭を下げた。
「アロイス殿、よろしければ我が城塞に立ち寄られませんか?共に帰還するセルジオ一行を出迎えたく存じます」
セルジオ騎士団団長の申し出にアロイスは首を横に振った。
「いえ、この度は遠慮致します。我らラドフォールが青き血が流れるコマンドールの守護についた事を今はまだ広義の事とせぬ方がよいかと。申し上げにくい事ではありますが、団長と兄君、ハインリヒ様の手前もございましょう。家門内に表立っての諍いがあると思われてはこれも禍の種となります。団長はあくまで王都騎士団総長の命に従ったこととされた方がセルジオ様の身を守る事にも繋がるかと」
セルジオ騎士団団長はアロイスの言葉に少し哀し気な目を向け頷いた。
「数々のご配慮、感謝申します。左様ですね。セルジオにとってもここが終わりではなく、ここが始まりとなりますから、誰ぞが手を貸してくれるものだと思わぬ様にせねばなりますまい」
アロイスは呼応する。
「まだまだ、お小さい身でありますが、この1年余りでのご成長は見事としか言いようがありません。国外巡回に際しましても影ながらセルジオ様の力となれればと思っています。どうぞ、良しなにお声かけ下さい」
「感謝申します」
セルジオ騎士団団長がアロイスに呼応すると2人は連れ立ち王都騎士団総長謁見の間を後にした。
セルジオ達一行はセルジオ騎士団城塞西の屋敷への帰還道中、初代セルジオの遺灰が埋葬されたと伝わる西の森の胡桃の大樹に立ち寄った。
街道から外れた小道に入る。ザァザァと風に揺られる西の森の木々がセルジオ達一行を出迎えてくれている様だった。
小道を暫く進むと西の森の入口は直ぐだった。
カコッカコッカコッ・・・・
カコッカコッカコッ・・・・
少し開けた場所に出ると天を貫くかと思う程大きな木が目に入った。
「セルジオ様、ひと際大きな樹が初代様とオーロラ様の遺灰が埋葬されたと伝わる胡桃の樹です」
バルドがセルジオにそっと耳打ちをする。
「・・・そうか、あれが・・・・」
「どうどう・・・・」
バルドは胡桃の樹の手前で馬を止めた。
「馬より下り、根元付近までまいりますか?」
バルドは大樹を見上げるセルジオの様子を確認しながらそっと耳打ちした。
ザアァァァァ・・・・
既に葉が落ちてはいるが、どっしりと構える大樹は他の木々が風に揺れているのにビクともしない。
「・・・・」
セルジオは暫く無言で胡桃の樹を見上げていたが、エリオスへ目を向けた。
同じように胡桃の大樹を見上げるエリオスはセルジオの視線に気づくと微笑を向ける。
初代セルジオの想いが強いとされる場所を訪れても胸の底から込上げてくる濃紺の塊を感じない。
セルジオはその事を確かめると振り返りバルドを見上げた。
「バルド、初代様は・・・・」
セルジオは、左手を胸にあてる。
「初代様は私の中で鎮ずかに眠っておられる様だ。胸の痛みも、込上げる濃紺の塊も感じはしない」
胸にあてた左手で拳を握る。
「この先も初代様は、記憶も悔恨の感情も表に出される事はないと思う。バルド、私は大事ないぞ」
セルジオはバルドに未だかつて見せた事のない程の笑顔を向けた。
ギュッ!!!
「セルジオ様っ!」
バルドはセルジオを抱き締める。
初代セルジオの悔恨の感情を胸に抱え生まれてきたからこそ、背負う事になった過酷な宿命に少しでも翻弄されず生きる道が開けたのだ。
「バルド・・・・くっ苦しいぞ・・・・」
バルドは腕の中で少しはにかみ、もぞもぞと動くセルジオが愛おしくてたまらなかった。
セルジオ達は街道に戻りセルジオ騎士団城塞を目指した。
西の森を越えれば城塞城壁が見えてくる。
12月初旬の透き通る様な青空が広がる中、金糸で縁どられた深い蒼色のセルジオ騎士団紋章旗が城塞城壁にはためいているのが目に入った。
ザッザッ!!!
紋章旗と同じ紋様のマントを纏ったセルジオ騎士団騎士と従士、総勢84名が城塞南門に整列していた。
カコッカコッカコッ・・・・
カコッカコッカコッ・・・・
バルドとオスカーは連れ立ち南門に向う。
2頭の馬が間近までくるとセルジオ騎士団団長はひと際大きな声を上げた。
「青き血が流れるコマンドールと守護の騎士総勢4名、我がセルジオ騎士団城塞西の屋敷への帰還だっ!開門っ!!」
ガコンッ!!!
ギィギィィィ!!!
城壁門が開かれると整列は4隊列となり、後方2列が城壁門内側左右に配置した。
ワアァァァァァ!!!
ワアァァァァァ!!!
城塞内から人々の歓喜の声が溢れる。
カコッカコッカコッ・・・・
カコッカコッカコッ・・・・
2頭の馬に跨る4人はセルジオ騎士団団長の御前までくると軽々と馬から下りた。
ストンッ!!!
ストンッ!!!
「ほう・・・・」
その姿に団長は感嘆の声をもらす。
西の屋敷を出立してから14ヵ月、背丈も伸び心なしか肉付きがよくなったセルジオと守護の騎士達が団長の御前で跪いた。
「セルジオ騎士団団長に拝謁致します。セルジオ・ド・エステール、並びにエリオス・ド・ローライド、我らが師バルド、オスカー、セルジオ騎士団団長名代として王都騎士団総長より賜りました任を完遂し、ただ今セルジオ騎士団城塞西の屋敷に帰還しましてございます」
門内かの大歓声にかき消されない様、セルジオは腹の底から声を発した。
「・・・・」
4人の姿を馬上からじっと見下ろすセルジオ騎士団団長の背中をエリオスの叔母である第一隊長ジグランは心配そうに見つめていた。
「ジグランっ!!」
セルジオ騎士団団長は突然、第一隊長ジグランの名を呼んだ。
「はっ!!!」
左横に馬を寄せたジグランに団長は耳打ちをする。
「はっ!承知致しましたっ!」
ジグランは団長の左横から一歩後退すると馬上で声を上げた。
「セルジオ・ド・エステール、エリオス・ド・ローライド、セルジオ騎士団騎士バルド、セルジオ騎士団騎士オスカー、団長より帰還に際しお言葉を賜るっ!馬上にて待機せよっ!」
通常、臣下の者は主が見下ろせる様に跪く。まして、馬上で言葉を発することも主の言葉を聞くこともない。
団長の名代として巡回に出向いたセルジオ達を団長と同等の者として扱う行いだった。
更にジグランはバルドとオスカーが既に騎士団を退団し、当時は従士であったにも関わらずセルジオ騎士団の騎士と公言したのだ。
唖然とする4人にジグランは普段通りの物言いで語り掛ける。
「何をしておる。団長のお言葉だぞ。早々に馬上に戻れ」
「「はっ!!!」」
4人は急ぎ馬上に戻りセルジオは先ほどと同じように声を発した。
「改めセルジオ騎士団団長に拝謁致します。この度のお計らい身に余る誉れにてっ!セルジオ・ド・エステール、並びにエリオス・ド・ローライド、我らが師バルド、オスカー、セルジオ騎士団団長名代として王都騎士団総長より賜りました任を完遂し、ただ今セルジオ騎士団城塞西の屋敷に帰還しましてございますっ!!」
キリッとした顔をセルジオは団長に向けた。
「セルジオ・ド・エステール、並びにエリオス・ド・ローライド、セルジオ騎士団騎士バルド、セルジオ騎士団騎士オスカー、この度の働き大義っ!王都騎士団総長より我が城塞西の屋敷にて丁重にもてなすようお言葉を賜ったっ!時が許す限り滞在して貰いたいっ!我が名代での役目完遂の事、誠に大義であったっ!この後もシュタイン王国の御為、その力余すことなく尽くす事を願っているっ!」
団長はここで腰に携えているセルジオ騎士団団長に代々引き継がれている剣を鞘から抜いた。
シャンッ!!!
高々と天に剣を掲げる。
柱頭部分に埋め込まれた深く蒼い色のサファイアが陽の光を受け輝きを増した。
「皆の者っ!!!青き血が流れるコマンドールと守護の騎士の帰還が叶ったっ!!この日を我がセルジオ騎士団の祝祭日とし祝宴を執り行うっ!!!」
ドワアァァァァァ!!!!
ドワアァァァァァ!!!!
重厚な城壁門内外に地響きがする程の歓声が轟いた。
セルジオ騎士団団長が定めた新たな祝祭日を祝う祝宴は三日三晩執り行われた。
季節が冬に入っていたことから西の隣国スキャラル国への警戒を緩められる事も幸いした。
城塞近隣の街や村々、準男爵家が治める所領からも祝いの品が届き、城塞内はかつてない程賑わいを見せた。
そんな状況であるから主役が席を外す訳にはいかず、セルジオ達4人は三日三晩ほぼ眠る事ができなかった。
漸くお開きとなったのはセルジオ達の様子を案じた第一隊長ジグランがセルジオ騎士団団長に祝宴の閉会を願い出た4日目の夜明け前だった。
「全く・・・・団長にも困ったものだ。そなたらの帰還が嬉しいのは解るが・・・・セルジオ様もエリオス殿もフラフラではないか・・・・」
半ば眠るセルジオとエリオスを抱え西の屋敷の回廊を滞在部屋へと向かうバルドとオスカーにジグランは申し訳なさそうに呟いた。
バルドに抱えられたセルジオがボソボソと呼応する。
「だんちょうは・・・・かんしゃもうします・・・・われら・・・・」
眠気を堪え必死に呼応しようとするセルジオをバルドはきゅっと抱き締め、愛おしそうに微笑んだ。
「!!!バルドっ!!なんだっ!そなたのその顔はっ!!!」
ジグランがバルドの表情に度肝を抜かれたと言わんばかりに驚いた顔をオスカーに向ける。
「ふふふ・・・・ジグラン様、バルド殿はこの様に愛おしそうにセルジオ様を抱き寄せ、眠られた後は頭にそっと口づけをされるのですよ」
オスカーは微笑みながらバルドへ視線を向けた。
「なっ!!!くっ、口づけだとっ!!バルドがかっ!あのバルドがっ!口づけ・・・・」
ジグランが驚愕の声を上げバルドを見るとバルドは左肩に頬をつけ眠るセルジオの頭にそっと口づけをしていた。
バルドはすっとジグランへ視線を向けると嬉しそうに微笑んだ。
「ジグラン様、私はセルジオ様に誰かを愛おしく想う心を授けて頂いたのです。騎士として心を殺す事が最善であること。誰よりも理解していると自負してまいりました。されど、愛おしく想う心を知らねば、真に騎士の矜持を貫くことはできぬと知りました。愛おしく想う心が人に強さをもたらし、強靭な精神を育みます。今の我らは最強の騎士と言えましょう」
バルドは誇らしげにオスカーと顔を見合わせた。
ジグランはふっと笑うと立ち止まった。
「そうか、そうだな。そうかもしれぬ。この巡回の策で成長するのは師弟ともどもという事か」
ジグランは立ち止まった己に顔を向けるバルドとオスカーを見つめた。
「そなたらを誇らしく思っている。我が第一隊きっての騎士としてな。この先が楽しみだ」
ジグランはそう告げると踵を返し、祝宴が行われていた食堂に戻っていった。
バルドとオスカーは暫くジグランの後ろ姿を眺めていたが、顔を見合わせると頷き合った。
西の屋敷の滞在部屋に到着し、セルジオとエリオスをベッドへ下ろすとセルジオがむくりと起き上がった。
目を擦りながらバルドの名を呼ぶ。
「バルド・・・・行かねばならぬ・・・・」
そう呟いてバルドに両手を差し出す。
バルドはセルジオを抱き上げながら問いかけた。
「セルジオ様、どちらへ行かねばならぬのですか?西の屋敷に帰還したのです。ご安心下さい。暫くは西の屋敷に滞在し、出立は雪解けを待ってからとなります」
暗殺を目論む黒魔女からセルジオの身を守るためにバルドがセルジオ騎士団団長に願い出ていた騎士団入団までの間の国外巡回は、王都騎士団総長からの新たな命として任ぜられた。
セルジオが寝ぼけているのだと思ったバルドは抱えたセルジオの背中をトントンと拍子を付けて優しく叩く。
セルジオはバルドの腕の中でフルフルと首を
横に振った。
「そうではない。皆で約束したではないか。西の屋敷に戻ることができた時は出立の日と同様に北西の塔から西の森を眺めると・・・・約束したのだぞ・・・・」
ゴシゴシとバルドの左肩に顔を擦りつけ、眠気を覚まそうとしているセルジオの声にエリオスが反応し飛び起きた。
「そうですっ!約束したのですっ!皆で西の屋敷に戻れたなら初代様の創られたあの美しい光景を皆でっ!4人で眺めるとっ!!」
エリオスはベッドから下りると扉へ向かい、振り返った。
「さっ、参りましょうっ!夜が明けてしまいますっ!」
窓外が白々としてきているのを確かめるとエリオスは勢いよく扉を開けバタバタと駆け出した。
「エリオス様っ!!ローブをっ!いかがされたのだ、あの様に慌てて・・・・バルド殿、先に向かいます」
オスカーはローブを手に掛けだしたエリオスの後を追った。
「バルド・・・・このまま頼む・・・・」
セルジオは歩く事もできない程、眠気に襲われているのだろう。バルドの首に両手を回し呟いた。
「承知しました。セルジオ様、北西の塔に到着しましたら起こしますので、お休み下さい」
バルドはトントンッと拍子をつけてセルジオの背中を優しく叩く。
「・・・・頼む・・・・」
セルジオはバルドの肩に頬を寄せてスースート寝息を立てた。
セルジオ騎士団城塞西の屋敷の城壁北西塔最上部に出ると冷たい空気に包まれた。
既に到着していたエリオスとオスカーが2人を出迎える。
バルドはローブの布をそっと捲りセルジオの顔を外気に触れさせた。
「セルジオ様、北西塔の最上部に到着致しました。お目覚め下さい」
東の空が濃紺から薄紫色に変わり、霧がサフェス湖からゆっくりと西の森へ移動している。
「・・・・わかっ・・・・た・・・・」
ゴシゴシとバルドの肩に顔を擦りつけ眠気を覚ますセルジオにエリオスが声を掛けた。
「セルジオ様っ、西の森に霧が渡っていきますよっ!ご覧下さいっ!初代様が何より大切に思われた光景です」
エリオスは城壁に手を掛け身を乗り出した。
「エリオス、危ない・・・・ぞ・・・・」
この14ヵ月でかなり背が伸びたエリオスは、オスカーに抱えられずとも城壁から頭2つ分ほど顔を覗かせられている。
「大事ございません。セルジオ様、何度見ても美しい光景ですね」
冷たい冬の風に身に纏うローブがハタハタと揺れている。
セルジオはバルドの肩に頭を乗せ、光景に見惚れるエリオスを眺めた。
ポソリと呟く。
『そうだな。この季節の晴れた日の夜明けが一番に美しいのだ。我が一番に愛した場所で我が愛した者達と共に眺めるこの光景が永遠に続くと願っているぞ』
「セルジオ様?」
バルドはセルジオの声音が初代セルジオのそれに聞こえ一瞬身体を強張らせるが、寝息を立てるセルジオを目にすると胸を撫で下ろした。
「セルジオ様、大事ございません。この光景が永遠に続く様、我らが役目を果たしましょうぞ」
バルドはセルジオの頭にそっと唇を寄せた。
胸の辺りがやけに熱く感じ遠のいていた意識が徐々に蘇る。
「・・・・は・・・めざ・・・・っ!!風の・・・・早くっ!!」
聞き覚えのある声が近づいてくる。
「起きてっ!!!」
ドンッ!!!
胸に感じた凄まじい衝撃に目を見開いた。
「起きましたねっ!よかったっ!!!これから前々生の浄化をしますっ!!」
「・・・・」
声だけは鮮明に聞こえるが視界がボヤけ、目の前の人物がよく見えない。
ゆっくりと瞼を開閉しながらここがどこなのかと記憶を辿っていると胸の辺りから突然熱いものが込上げてきた。
「風の魔女の鎖が出ますっ!!!」
声が耳に届くか届かないかの内に私の口からジャラジャラと音を立て銀色の鎖が飛び出してきた。
「えっ!!」
口を開いたまま、止めどなく出てくる銀色の鎖を呆然と眺めていると目の前の人物が声を荒げた。
「次っ!水の精霊が施した金の水泡っ!!痛いですよっ!力を抜いてっ!!!」
熱さを覚えていた胸が締め付けられ激痛が走る。
「うっ・・・・う・・・・」
咄嗟に身体を丸めた。
「ダメですっ!胸を開いてっ!!!鼻で大きく息を吸って下さいっ!!!」
私は痛みを堪え言われたままに鼻で大きく息を吸った。
ここで漸く意識がハッキリした。そうだった。
前世の浄化をお願いしている最中だった。
私の目の前で霊視コンサルの桐谷さんが両手に巻き付けた銀色の鎖に光を当てながら呪文の様な言葉を発している。
「風の魔女が施す守護の鎖よ、浄化の時を迎えその役目を終える。砕けよっ!」
頑丈そうな銀色の鎖がサラサラと砂粒状になると、いとも簡単に砕け跡形もなく消えた。
私は大きく吸った息を溜らず吐き出した。
ゴボッ!!!
どうやって出てきたのか判らないが、大きな金色の水泡が私の口から飛び出す。
桐谷さんはすかさず、金色の水泡に両手をかざした。
「水の精霊の加護を受けし者、風の魔女が施す守護の鎖を解き浄化の時を迎えた。水の泡、自然に還り浄化せしめし者を天上へと導けっ!」
ボコッボコッ!!!
桐谷さんが唱える言葉と共に私の口からナマコの様な形をした濃紺の塊が飛び出し徐々に形を変えていく。
ナマコから触手の様なものが伸び人の手足に変わった。口元に近い部分は人の頭部の様に見える。
「ガハッ!!!」
胸から込上げる熱いものに溜まらず私は全てを吐き出した。
先ほどまで目にしていた重装備の鎧を身につけた騎士が私の目の前で足を天井に向けて浮かんでいる。
ガシッ!!!
騎士が突然、私の顎の左側を右手で掴んだ。
掴まれている感覚だけで痛みはない。が、徐々に天井へ向け浮上している騎士に連れていかれそうだ。
「きっ、桐谷さん、騎士が私の顎を掴んで・・・・」
『いやだっ!行きたくないっ!我はここに留まり、鎮ずかに眠り続けるのだっ!どこにもいかぬっ!!』
顎を掴む騎士の喚き声が聞こえた。
「桐谷さんっ!騎士が・・・ここから動きたくないと言っています・・・・」
溜らず桐谷さんに救いを求める。
「説得して下さいっ!!!」
お会いして初めて聞く桐谷さんの怒気を帯びた声に驚く。
「せっ、説得ですか?どう言えば・・・・」
どういった説得を試みればよいのか戸惑っていると桐谷さんは騎士の身体を包むように金色の水泡を押し出した。
「『この身体は今世を生きる私のもの。あなたは過去の感情でしかない。900年の時を経て浄化の時を迎えた今、天上にお還り下さい』と説得して下さいっ!!!早くっ!このまま、一緒に天に昇りますか?」
いやいや、それでは元も子もない。前世の浄化をして楽になることが目的だったはずだ。
私は桐谷さんが発した言葉を顎を掴む騎士に投げかけようと目を向けた。
ドキッ!!!
吸い込まれそうな程、深く青い瞳と目が合った。
すぅと自然に言葉が口をついて出る。
「この身体は今世を生きる私のものです。あなたは過去の私の感情。900年の時を経て浄化の時を迎えました。今こそ、今度こそ、天へ向け旅立たれて下さい。皆が・・・・」
じっと見つめる深く青い瞳に胸がつまる。その瞳は私の言葉に全てを察した様にゆっくりと瞼を閉じた。
『皆が我を待っているのであろう?いつかまた逢えると信じ留まり続けた我を許せ。そなたの言葉に従い目を閉じる。永の時を共に過ごせた事、感謝する』
そう言うと騎士は私の顎から手を離した。
ザンッ!!!
桐谷さんが押し出した金色の水泡に騎士の全身が包まれる。
スッ・・・・
水泡は小さな金色の粒に縮み静かに天に向け浮上した。
フッ・・・・
天井に届くか届かないかの内に金色の粒はその姿を消した。
「ふぅ、風の魔女が封印した前々生の悔恨の感情は浄化できました」
桐谷さんは私に微笑みを向けた。
ポロッ・・・・
「うっ・・・うぅうぅ・・・・」
胸の辺りがやけに軽く感じる。だが、なぜかぽっかりと穴が開いた様で心もとない感覚だった。
無意識の内に涙が止めどなく零れ落ちている。
止めるどころか堰が切れた様に溢れ出て止まらないのだ。
隣に座る彼女がそっと私の手を包み込んだ。
「愛憎の言葉は『愛』が最初にくるんです。愛がなければ憎しみは生まれない。愛が最初なんです。永く永く、胸に留めてこられた愛から生まれた憎しみと悔恨の感情、浄化できてよかったですね」
彼女と桐谷さんは私の涙が止まるまで見守ってくれた。
ギシッ・・・・
ドサッ・・・・
ベッドに仰向けに転がり天井を見上げる。
どうやって帰ってきたのかさえ覚束ない程、疲労困憊していた。
ゆっくりと目を閉じ今日一日を思い返す。
2回目の前世の浄化はとてつもなく永い時間を旅した様だった。
私は別れ際の桐谷さんの言葉を思い出していた。
「前世の浄化の前に前々生の浄化ができて幸いでした。悪夢の根源は恐らく前世の中に封印されていた前々生の悔恨の感情に作用されたものでしょう。前回も少しお話ししましたが、執着が強ければ強い程、浄化をしても悪夢が解消されない場合があります。
今回、前々生の感情を上手く浄化できたのは、風の魔女と水の精霊が感情の封印時に浄化の道をつけていたからです。そうでなければ私独りでは、いささか荷が重い感情でした」
桐谷さんは机に目を落とした。
「前世の記憶を夢として思い出されていましたが、前々生の浄化をするための引き金だったのでしょうね。風の魔女が・・・・」
桐谷さんは「あっ」と声を出して私に目を向けた。
「ご覧になっていた前世の記憶で風の魔女がいましたよね?」
桐谷さんの言葉にふっと先ほどの情景が思い浮かんだ。
「はい・・・・確かに・・・・ええっと、名前が・・・確かポル・・・・」
姿は思い浮かぶが名前が思い出せない。察した様に桐谷さんは私に両手をかざした。
「思い出さなくても大丈夫です。遠い過去の記憶ですから。今世を生きる者には本来不要なものです」
桐谷さんは微笑み言葉を繋いだ。
「前々生の騎士、前世の騎士、両騎士は取り巻く方々から深い愛情を受けていた様ですね。風の魔女が施した前々生の浄化の道筋は、前世の騎士を生かすものであり、前々生の騎士を天に導くものでした。風の魔女に頼まれました。どうか、天に導く浄化の光を与えて欲しいと」
この言葉に私の涙腺は崩壊したのだが、今更ながら恥ずかしさに顔が熱くなる。
「一旦、前世の浄化は終わりとしましょう」
桐谷さんは意外な言葉を口にした。1年ほどをかけて前世の浄化をしていく予定だった。
「えっ?前世の浄化、まだできていないのではないですか?」
そうなのだ。涙でぐちゃぐちゃの顔で問いかける私に桐谷さんはゆったりとした微笑みを向けてこう言った。
「はい、前世の浄化はまだです。ただ、前々生の浄化の為に思い出された記憶だったとするのが今の私の見解です。かなり重たい感情でしたし、先ほど風の魔女の名前を覚えてはいませんでしたから様子を見て、このまま前世の記憶を思い出す事がなく、悪夢を見る事がないようでしたら無理に前世の浄化をせずともよいと思います。ですから一旦様子見という事にして、また悪夢が続く様でしたらご連絡下さい」
こうして、覚悟を決めて取り組んだ前世の浄化は何ともあっけなく幕を閉じた。
ギシッ・・・・
はぁ、しかし、過去の記憶を辿るという作業はこんなにもエネルギーを消費するものなのか。
身体がベッドに沈む様に重く感じる。
ただ、子どもの頃から感じていた胸の重さと胸に詰まる黒々とした塊が全く感じられない。
「これは・・・・よく眠れそうだ・・・・・」
私はそのまま瞼を閉じた。
コツッコツッコツッ・・・・
「・・・・うっ・・・・うう・・・・」
コツッコツッコツッ・・・・
廊下に響く冷たい石床を歩く靴音が聞こえてくる。
「・・・・うっ・・・・うう・・・・」
夢うつつの中、私は見覚えのない建物の廊下に佇んでいた。
コツッコツッコツッ・・・・
「マルギット様、お呼びでしょうか?」
シュタイン王国王都マデュラ子爵家私邸の執務室に入室した侍従のベルントは窓外を眺めるマルギットに恭しく頭を下げた。
マルギットは優雅に振り向き、ベルントに視線を向けた。
執務机の上に砕け散った黒水晶が散乱している。
「ベルント、片付けておくれ」
「かしこまりました」
顔を上げたベルントの瞳は赤黒く揺らめいている。
ベルントが砕けた黒水晶を手に取るとサラサラと砂粒と化した。
パチンッ!!!
マルギットは広げた扇子を閉じると忌々し気に左掌に打ち付けた。
「此度もポルデュラにしてやられた、光と炎を引き入れた様だしな」
マルギットは「してやられた」と言いながらも口元は不敵な笑みを浮かべていた。
「まぁ、よいわ。せいぜい、我を退けたと思っていればよいわ。いずれ綻びが生まれ、我の思い通りとなろう・・・・ふふふ・・・・あっはははははっ!その時のあやつの顔が目に浮かぶわっ!どこで事を仕損じたと狼狽える姿がっ!見ておれ、忌々しきセルジオの命は我の手中にあると思い知らせてやろうぞっ!あっははははっ!!!」
砂粒と化した黒水晶を黙々と片付けるベルントを眺め、マルギットの高らかな笑い声が執務室に響いた。
「はっ!!はぁ・・・はぁ・・・・」
なんだ?これは?また・・・・騎士の記憶?
とある騎士の遠い記憶
第3章 生い立ち編2~見聞の旅路~ 完
2024年2月26日 春華(syunka)
「左様にございます」
王都騎士団総長ジェラル・エフェラル・ド・シュタインの御前で今回の貴族騎士団巡回に際し役目を与えられたエステール伯爵家、セルジオ騎士団団長セルジオとその補佐を命じられたラドフォール公爵家、ラドフォール騎士団団長アロイスにより一連の報告が王城騎士団総長謁見の間で行われていた。
「ふむ、にわかには信じられぬが、そなたらが申す事だ。嘘偽りなき真実なのであろうな」
ジェラルは深い紫色の瞳で跪く2人の団長を見下ろした。
「まぁ、私も驚いてはいるのだ。あのマデュラ騎士団団長ブレンが城塞内に孤児院を設置したいと申してきた時は耳を疑った」
2人の言葉を信じるとは言ったものの、その言葉に見合う事柄を探す様にジェラルは呟いた。
「その後、マデュラはどうなっている?」
現状をアロイスに尋ねる。
「既に建物は完成し、館と城塞内の世話人から孤児院を運営する者を募っている様です。セルジオ様が西の屋敷に帰還される頃には孤児院開設の報が届くかと存じます」
アロイスは影部隊から逐次もたらされる最新の情報をジェラルへ伝えた。
「ふむ、この度の事、そなたの姪子に褒美を与えねばなるまい」
ジェラルは思案気にセルジオ騎士団団長を見つめた。
「恐れながらっ!総長に進言致します」
セルジオ騎士団団長セルジオが声を上げた。
「なんだ?申してみよ」
「はっ!我が姪に多大なるお言葉を賜り感謝申します。しかしながら、この度の貴族騎士団巡回の役目は我がセルジオ騎士団に下された総長よりの命にございました。その命にたまたま我が姪が相応であっただけにて、褒美を頂く事など他家貴族騎士団に対し示しがつきません。
また、東の歪みを正し、マデュラ騎士団団長を改心させましたのは他ならぬラドフォール騎士団団長アロイス殿と王都訓練施設責任者ポルデュラ殿のご尽力があったればこそ。我が姪ならびにその従者に褒美を取らせるなど恐れ多い事にございます」
ピクリッ!
ジェラルはセルジオの物言いに肘掛に置いた指先をピクリと動かした。
「そなた、私の褒美が要らぬと申すのか!」
14歳で先代から総長の座を引き継いだジェラルは齢23歳、先代の時代からその貢献ぶりを評価されている8歳年長のセルジオ騎士団団長に報いたいと常々考えていた。
その厚意を拒絶されたと感じたジェラルは眉をひそめる。
「滅相もございません」
ジェラルの少し怒気を帯びた言葉にセルジオは呼応し言葉をついだ。
「我が姪への総長の御心は最上の誉れにございます。ただ、総長から下される命《めい》を全うする事は貴族騎士団にとり当たり前のこと。いえ、やり遂げねばならぬ役目にございます。今回、その役目を果たした事に褒美を与えられては、常々の貴族騎士団の役目全てに褒美を与えねばなりません。
この事はあくまでも役目として他家貴族騎士団へ認識させ、更に総長がお考えの騎士団入団前に他家貴族騎士団と交流を持たせ総長を頂きとしたシュタイン王国全貴族騎士団の結束を高める施策の好例として公言されてはいかがかと」
セルジオ騎士団団長は跪き顔を伏せたままジェラルに考えを告げた。
ジェラルは不服そうな顔をアロイスに向ける。
「アロイス、そなたの考えを聞きたい」
「はっ!恐れながらセルジオ騎士団団長のお考えに賛同致します。この度の命が特別な事柄となっては後々の禍の種となりましょう。青き血が流れるコマンドールの再来を皆が慶事として捉えてはおりません。
褒美を取らせ特別な事柄とすれば『青き血が流れるコマンドールだからできたことだ』となり、特別な者のみ、特別な騎士団のみが総長の命に従えばよいと考える者が出てこぬとは言い切れません。騎士団だけに留まらず各貴族家も同じことにございます。常々の事とすることが肝要かと存じます」
アロイスも顔を伏せたままジェラルに進言した。
「ふむ・・・・」
ジェラルは暫く肘掛に置いた指でトントンと拍子を取っていたが、思いついた様に椅子から立ち上がった。
ガタンッ!!!
「両名、面を上げよっ!」
2人が顔を上げるとジェラルは台座の上から見下ろしていた。
「褒美の件は承知した。常々の役目を成し遂げた事、大義っ!セルジオ騎士団城塞にて巡回に関わりし者達を丁重にもてなすがよいっ!
また、セルジオ騎士団団長には新たな役目を与えるっ!雪解けを待ち、近隣諸国を含めた国外への巡回を命ずるっ!人員、物資など必要な準備品は全てこの私、ジェラル・エフェラル・ド・シュタインの名の元に揃える事を許すっ!両名、この先もシュタイン王国の為に尽力せよっ!この度の巡回報告大義であったっ!」
「「はっ!!!」」
ジェラルは2人の呼応にふっと笑うと謁見の間から退出していった。
セルジオ騎士団団長は「ふぅ」と一つ息を吐き、アロイスへ視線を向けた。
「アロイス殿、数々のお計らい感謝申します。我が姪、エリオス、バルド、オスカーが命を繋ぎましたのは貴殿のご尽力あったればこそ。この先もセルジオ騎士団共々良しなに願います」
セルジオ騎士団団長は左手を胸に置き、深々と頭を下げた。
アロイスはゆったりと呼応する。
「いえ、私自身も共に・・・・セルジオ様ご一行と共に事を成せたこと感謝申します。この後もセルジオ騎士団とラドフォール騎士団は西と北の守りの要として結束を強めていきたく存じます」
アロイスも左手を胸に置き、深々と頭を下げた。
「アロイス殿、よろしければ我が城塞に立ち寄られませんか?共に帰還するセルジオ一行を出迎えたく存じます」
セルジオ騎士団団長の申し出にアロイスは首を横に振った。
「いえ、この度は遠慮致します。我らラドフォールが青き血が流れるコマンドールの守護についた事を今はまだ広義の事とせぬ方がよいかと。申し上げにくい事ではありますが、団長と兄君、ハインリヒ様の手前もございましょう。家門内に表立っての諍いがあると思われてはこれも禍の種となります。団長はあくまで王都騎士団総長の命に従ったこととされた方がセルジオ様の身を守る事にも繋がるかと」
セルジオ騎士団団長はアロイスの言葉に少し哀し気な目を向け頷いた。
「数々のご配慮、感謝申します。左様ですね。セルジオにとってもここが終わりではなく、ここが始まりとなりますから、誰ぞが手を貸してくれるものだと思わぬ様にせねばなりますまい」
アロイスは呼応する。
「まだまだ、お小さい身でありますが、この1年余りでのご成長は見事としか言いようがありません。国外巡回に際しましても影ながらセルジオ様の力となれればと思っています。どうぞ、良しなにお声かけ下さい」
「感謝申します」
セルジオ騎士団団長がアロイスに呼応すると2人は連れ立ち王都騎士団総長謁見の間を後にした。
セルジオ達一行はセルジオ騎士団城塞西の屋敷への帰還道中、初代セルジオの遺灰が埋葬されたと伝わる西の森の胡桃の大樹に立ち寄った。
街道から外れた小道に入る。ザァザァと風に揺られる西の森の木々がセルジオ達一行を出迎えてくれている様だった。
小道を暫く進むと西の森の入口は直ぐだった。
カコッカコッカコッ・・・・
カコッカコッカコッ・・・・
少し開けた場所に出ると天を貫くかと思う程大きな木が目に入った。
「セルジオ様、ひと際大きな樹が初代様とオーロラ様の遺灰が埋葬されたと伝わる胡桃の樹です」
バルドがセルジオにそっと耳打ちをする。
「・・・そうか、あれが・・・・」
「どうどう・・・・」
バルドは胡桃の樹の手前で馬を止めた。
「馬より下り、根元付近までまいりますか?」
バルドは大樹を見上げるセルジオの様子を確認しながらそっと耳打ちした。
ザアァァァァ・・・・
既に葉が落ちてはいるが、どっしりと構える大樹は他の木々が風に揺れているのにビクともしない。
「・・・・」
セルジオは暫く無言で胡桃の樹を見上げていたが、エリオスへ目を向けた。
同じように胡桃の大樹を見上げるエリオスはセルジオの視線に気づくと微笑を向ける。
初代セルジオの想いが強いとされる場所を訪れても胸の底から込上げてくる濃紺の塊を感じない。
セルジオはその事を確かめると振り返りバルドを見上げた。
「バルド、初代様は・・・・」
セルジオは、左手を胸にあてる。
「初代様は私の中で鎮ずかに眠っておられる様だ。胸の痛みも、込上げる濃紺の塊も感じはしない」
胸にあてた左手で拳を握る。
「この先も初代様は、記憶も悔恨の感情も表に出される事はないと思う。バルド、私は大事ないぞ」
セルジオはバルドに未だかつて見せた事のない程の笑顔を向けた。
ギュッ!!!
「セルジオ様っ!」
バルドはセルジオを抱き締める。
初代セルジオの悔恨の感情を胸に抱え生まれてきたからこそ、背負う事になった過酷な宿命に少しでも翻弄されず生きる道が開けたのだ。
「バルド・・・・くっ苦しいぞ・・・・」
バルドは腕の中で少しはにかみ、もぞもぞと動くセルジオが愛おしくてたまらなかった。
セルジオ達は街道に戻りセルジオ騎士団城塞を目指した。
西の森を越えれば城塞城壁が見えてくる。
12月初旬の透き通る様な青空が広がる中、金糸で縁どられた深い蒼色のセルジオ騎士団紋章旗が城塞城壁にはためいているのが目に入った。
ザッザッ!!!
紋章旗と同じ紋様のマントを纏ったセルジオ騎士団騎士と従士、総勢84名が城塞南門に整列していた。
カコッカコッカコッ・・・・
カコッカコッカコッ・・・・
バルドとオスカーは連れ立ち南門に向う。
2頭の馬が間近までくるとセルジオ騎士団団長はひと際大きな声を上げた。
「青き血が流れるコマンドールと守護の騎士総勢4名、我がセルジオ騎士団城塞西の屋敷への帰還だっ!開門っ!!」
ガコンッ!!!
ギィギィィィ!!!
城壁門が開かれると整列は4隊列となり、後方2列が城壁門内側左右に配置した。
ワアァァァァァ!!!
ワアァァァァァ!!!
城塞内から人々の歓喜の声が溢れる。
カコッカコッカコッ・・・・
カコッカコッカコッ・・・・
2頭の馬に跨る4人はセルジオ騎士団団長の御前までくると軽々と馬から下りた。
ストンッ!!!
ストンッ!!!
「ほう・・・・」
その姿に団長は感嘆の声をもらす。
西の屋敷を出立してから14ヵ月、背丈も伸び心なしか肉付きがよくなったセルジオと守護の騎士達が団長の御前で跪いた。
「セルジオ騎士団団長に拝謁致します。セルジオ・ド・エステール、並びにエリオス・ド・ローライド、我らが師バルド、オスカー、セルジオ騎士団団長名代として王都騎士団総長より賜りました任を完遂し、ただ今セルジオ騎士団城塞西の屋敷に帰還しましてございます」
門内かの大歓声にかき消されない様、セルジオは腹の底から声を発した。
「・・・・」
4人の姿を馬上からじっと見下ろすセルジオ騎士団団長の背中をエリオスの叔母である第一隊長ジグランは心配そうに見つめていた。
「ジグランっ!!」
セルジオ騎士団団長は突然、第一隊長ジグランの名を呼んだ。
「はっ!!!」
左横に馬を寄せたジグランに団長は耳打ちをする。
「はっ!承知致しましたっ!」
ジグランは団長の左横から一歩後退すると馬上で声を上げた。
「セルジオ・ド・エステール、エリオス・ド・ローライド、セルジオ騎士団騎士バルド、セルジオ騎士団騎士オスカー、団長より帰還に際しお言葉を賜るっ!馬上にて待機せよっ!」
通常、臣下の者は主が見下ろせる様に跪く。まして、馬上で言葉を発することも主の言葉を聞くこともない。
団長の名代として巡回に出向いたセルジオ達を団長と同等の者として扱う行いだった。
更にジグランはバルドとオスカーが既に騎士団を退団し、当時は従士であったにも関わらずセルジオ騎士団の騎士と公言したのだ。
唖然とする4人にジグランは普段通りの物言いで語り掛ける。
「何をしておる。団長のお言葉だぞ。早々に馬上に戻れ」
「「はっ!!!」」
4人は急ぎ馬上に戻りセルジオは先ほどと同じように声を発した。
「改めセルジオ騎士団団長に拝謁致します。この度のお計らい身に余る誉れにてっ!セルジオ・ド・エステール、並びにエリオス・ド・ローライド、我らが師バルド、オスカー、セルジオ騎士団団長名代として王都騎士団総長より賜りました任を完遂し、ただ今セルジオ騎士団城塞西の屋敷に帰還しましてございますっ!!」
キリッとした顔をセルジオは団長に向けた。
「セルジオ・ド・エステール、並びにエリオス・ド・ローライド、セルジオ騎士団騎士バルド、セルジオ騎士団騎士オスカー、この度の働き大義っ!王都騎士団総長より我が城塞西の屋敷にて丁重にもてなすようお言葉を賜ったっ!時が許す限り滞在して貰いたいっ!我が名代での役目完遂の事、誠に大義であったっ!この後もシュタイン王国の御為、その力余すことなく尽くす事を願っているっ!」
団長はここで腰に携えているセルジオ騎士団団長に代々引き継がれている剣を鞘から抜いた。
シャンッ!!!
高々と天に剣を掲げる。
柱頭部分に埋め込まれた深く蒼い色のサファイアが陽の光を受け輝きを増した。
「皆の者っ!!!青き血が流れるコマンドールと守護の騎士の帰還が叶ったっ!!この日を我がセルジオ騎士団の祝祭日とし祝宴を執り行うっ!!!」
ドワアァァァァァ!!!!
ドワアァァァァァ!!!!
重厚な城壁門内外に地響きがする程の歓声が轟いた。
セルジオ騎士団団長が定めた新たな祝祭日を祝う祝宴は三日三晩執り行われた。
季節が冬に入っていたことから西の隣国スキャラル国への警戒を緩められる事も幸いした。
城塞近隣の街や村々、準男爵家が治める所領からも祝いの品が届き、城塞内はかつてない程賑わいを見せた。
そんな状況であるから主役が席を外す訳にはいかず、セルジオ達4人は三日三晩ほぼ眠る事ができなかった。
漸くお開きとなったのはセルジオ達の様子を案じた第一隊長ジグランがセルジオ騎士団団長に祝宴の閉会を願い出た4日目の夜明け前だった。
「全く・・・・団長にも困ったものだ。そなたらの帰還が嬉しいのは解るが・・・・セルジオ様もエリオス殿もフラフラではないか・・・・」
半ば眠るセルジオとエリオスを抱え西の屋敷の回廊を滞在部屋へと向かうバルドとオスカーにジグランは申し訳なさそうに呟いた。
バルドに抱えられたセルジオがボソボソと呼応する。
「だんちょうは・・・・かんしゃもうします・・・・われら・・・・」
眠気を堪え必死に呼応しようとするセルジオをバルドはきゅっと抱き締め、愛おしそうに微笑んだ。
「!!!バルドっ!!なんだっ!そなたのその顔はっ!!!」
ジグランがバルドの表情に度肝を抜かれたと言わんばかりに驚いた顔をオスカーに向ける。
「ふふふ・・・・ジグラン様、バルド殿はこの様に愛おしそうにセルジオ様を抱き寄せ、眠られた後は頭にそっと口づけをされるのですよ」
オスカーは微笑みながらバルドへ視線を向けた。
「なっ!!!くっ、口づけだとっ!!バルドがかっ!あのバルドがっ!口づけ・・・・」
ジグランが驚愕の声を上げバルドを見るとバルドは左肩に頬をつけ眠るセルジオの頭にそっと口づけをしていた。
バルドはすっとジグランへ視線を向けると嬉しそうに微笑んだ。
「ジグラン様、私はセルジオ様に誰かを愛おしく想う心を授けて頂いたのです。騎士として心を殺す事が最善であること。誰よりも理解していると自負してまいりました。されど、愛おしく想う心を知らねば、真に騎士の矜持を貫くことはできぬと知りました。愛おしく想う心が人に強さをもたらし、強靭な精神を育みます。今の我らは最強の騎士と言えましょう」
バルドは誇らしげにオスカーと顔を見合わせた。
ジグランはふっと笑うと立ち止まった。
「そうか、そうだな。そうかもしれぬ。この巡回の策で成長するのは師弟ともどもという事か」
ジグランは立ち止まった己に顔を向けるバルドとオスカーを見つめた。
「そなたらを誇らしく思っている。我が第一隊きっての騎士としてな。この先が楽しみだ」
ジグランはそう告げると踵を返し、祝宴が行われていた食堂に戻っていった。
バルドとオスカーは暫くジグランの後ろ姿を眺めていたが、顔を見合わせると頷き合った。
西の屋敷の滞在部屋に到着し、セルジオとエリオスをベッドへ下ろすとセルジオがむくりと起き上がった。
目を擦りながらバルドの名を呼ぶ。
「バルド・・・・行かねばならぬ・・・・」
そう呟いてバルドに両手を差し出す。
バルドはセルジオを抱き上げながら問いかけた。
「セルジオ様、どちらへ行かねばならぬのですか?西の屋敷に帰還したのです。ご安心下さい。暫くは西の屋敷に滞在し、出立は雪解けを待ってからとなります」
暗殺を目論む黒魔女からセルジオの身を守るためにバルドがセルジオ騎士団団長に願い出ていた騎士団入団までの間の国外巡回は、王都騎士団総長からの新たな命として任ぜられた。
セルジオが寝ぼけているのだと思ったバルドは抱えたセルジオの背中をトントンと拍子を付けて優しく叩く。
セルジオはバルドの腕の中でフルフルと首を
横に振った。
「そうではない。皆で約束したではないか。西の屋敷に戻ることができた時は出立の日と同様に北西の塔から西の森を眺めると・・・・約束したのだぞ・・・・」
ゴシゴシとバルドの左肩に顔を擦りつけ、眠気を覚まそうとしているセルジオの声にエリオスが反応し飛び起きた。
「そうですっ!約束したのですっ!皆で西の屋敷に戻れたなら初代様の創られたあの美しい光景を皆でっ!4人で眺めるとっ!!」
エリオスはベッドから下りると扉へ向かい、振り返った。
「さっ、参りましょうっ!夜が明けてしまいますっ!」
窓外が白々としてきているのを確かめるとエリオスは勢いよく扉を開けバタバタと駆け出した。
「エリオス様っ!!ローブをっ!いかがされたのだ、あの様に慌てて・・・・バルド殿、先に向かいます」
オスカーはローブを手に掛けだしたエリオスの後を追った。
「バルド・・・・このまま頼む・・・・」
セルジオは歩く事もできない程、眠気に襲われているのだろう。バルドの首に両手を回し呟いた。
「承知しました。セルジオ様、北西の塔に到着しましたら起こしますので、お休み下さい」
バルドはトントンッと拍子をつけてセルジオの背中を優しく叩く。
「・・・・頼む・・・・」
セルジオはバルドの肩に頬を寄せてスースート寝息を立てた。
セルジオ騎士団城塞西の屋敷の城壁北西塔最上部に出ると冷たい空気に包まれた。
既に到着していたエリオスとオスカーが2人を出迎える。
バルドはローブの布をそっと捲りセルジオの顔を外気に触れさせた。
「セルジオ様、北西塔の最上部に到着致しました。お目覚め下さい」
東の空が濃紺から薄紫色に変わり、霧がサフェス湖からゆっくりと西の森へ移動している。
「・・・・わかっ・・・・た・・・・」
ゴシゴシとバルドの肩に顔を擦りつけ眠気を覚ますセルジオにエリオスが声を掛けた。
「セルジオ様っ、西の森に霧が渡っていきますよっ!ご覧下さいっ!初代様が何より大切に思われた光景です」
エリオスは城壁に手を掛け身を乗り出した。
「エリオス、危ない・・・・ぞ・・・・」
この14ヵ月でかなり背が伸びたエリオスは、オスカーに抱えられずとも城壁から頭2つ分ほど顔を覗かせられている。
「大事ございません。セルジオ様、何度見ても美しい光景ですね」
冷たい冬の風に身に纏うローブがハタハタと揺れている。
セルジオはバルドの肩に頭を乗せ、光景に見惚れるエリオスを眺めた。
ポソリと呟く。
『そうだな。この季節の晴れた日の夜明けが一番に美しいのだ。我が一番に愛した場所で我が愛した者達と共に眺めるこの光景が永遠に続くと願っているぞ』
「セルジオ様?」
バルドはセルジオの声音が初代セルジオのそれに聞こえ一瞬身体を強張らせるが、寝息を立てるセルジオを目にすると胸を撫で下ろした。
「セルジオ様、大事ございません。この光景が永遠に続く様、我らが役目を果たしましょうぞ」
バルドはセルジオの頭にそっと唇を寄せた。
胸の辺りがやけに熱く感じ遠のいていた意識が徐々に蘇る。
「・・・・は・・・めざ・・・・っ!!風の・・・・早くっ!!」
聞き覚えのある声が近づいてくる。
「起きてっ!!!」
ドンッ!!!
胸に感じた凄まじい衝撃に目を見開いた。
「起きましたねっ!よかったっ!!!これから前々生の浄化をしますっ!!」
「・・・・」
声だけは鮮明に聞こえるが視界がボヤけ、目の前の人物がよく見えない。
ゆっくりと瞼を開閉しながらここがどこなのかと記憶を辿っていると胸の辺りから突然熱いものが込上げてきた。
「風の魔女の鎖が出ますっ!!!」
声が耳に届くか届かないかの内に私の口からジャラジャラと音を立て銀色の鎖が飛び出してきた。
「えっ!!」
口を開いたまま、止めどなく出てくる銀色の鎖を呆然と眺めていると目の前の人物が声を荒げた。
「次っ!水の精霊が施した金の水泡っ!!痛いですよっ!力を抜いてっ!!!」
熱さを覚えていた胸が締め付けられ激痛が走る。
「うっ・・・・う・・・・」
咄嗟に身体を丸めた。
「ダメですっ!胸を開いてっ!!!鼻で大きく息を吸って下さいっ!!!」
私は痛みを堪え言われたままに鼻で大きく息を吸った。
ここで漸く意識がハッキリした。そうだった。
前世の浄化をお願いしている最中だった。
私の目の前で霊視コンサルの桐谷さんが両手に巻き付けた銀色の鎖に光を当てながら呪文の様な言葉を発している。
「風の魔女が施す守護の鎖よ、浄化の時を迎えその役目を終える。砕けよっ!」
頑丈そうな銀色の鎖がサラサラと砂粒状になると、いとも簡単に砕け跡形もなく消えた。
私は大きく吸った息を溜らず吐き出した。
ゴボッ!!!
どうやって出てきたのか判らないが、大きな金色の水泡が私の口から飛び出す。
桐谷さんはすかさず、金色の水泡に両手をかざした。
「水の精霊の加護を受けし者、風の魔女が施す守護の鎖を解き浄化の時を迎えた。水の泡、自然に還り浄化せしめし者を天上へと導けっ!」
ボコッボコッ!!!
桐谷さんが唱える言葉と共に私の口からナマコの様な形をした濃紺の塊が飛び出し徐々に形を変えていく。
ナマコから触手の様なものが伸び人の手足に変わった。口元に近い部分は人の頭部の様に見える。
「ガハッ!!!」
胸から込上げる熱いものに溜まらず私は全てを吐き出した。
先ほどまで目にしていた重装備の鎧を身につけた騎士が私の目の前で足を天井に向けて浮かんでいる。
ガシッ!!!
騎士が突然、私の顎の左側を右手で掴んだ。
掴まれている感覚だけで痛みはない。が、徐々に天井へ向け浮上している騎士に連れていかれそうだ。
「きっ、桐谷さん、騎士が私の顎を掴んで・・・・」
『いやだっ!行きたくないっ!我はここに留まり、鎮ずかに眠り続けるのだっ!どこにもいかぬっ!!』
顎を掴む騎士の喚き声が聞こえた。
「桐谷さんっ!騎士が・・・ここから動きたくないと言っています・・・・」
溜らず桐谷さんに救いを求める。
「説得して下さいっ!!!」
お会いして初めて聞く桐谷さんの怒気を帯びた声に驚く。
「せっ、説得ですか?どう言えば・・・・」
どういった説得を試みればよいのか戸惑っていると桐谷さんは騎士の身体を包むように金色の水泡を押し出した。
「『この身体は今世を生きる私のもの。あなたは過去の感情でしかない。900年の時を経て浄化の時を迎えた今、天上にお還り下さい』と説得して下さいっ!!!早くっ!このまま、一緒に天に昇りますか?」
いやいや、それでは元も子もない。前世の浄化をして楽になることが目的だったはずだ。
私は桐谷さんが発した言葉を顎を掴む騎士に投げかけようと目を向けた。
ドキッ!!!
吸い込まれそうな程、深く青い瞳と目が合った。
すぅと自然に言葉が口をついて出る。
「この身体は今世を生きる私のものです。あなたは過去の私の感情。900年の時を経て浄化の時を迎えました。今こそ、今度こそ、天へ向け旅立たれて下さい。皆が・・・・」
じっと見つめる深く青い瞳に胸がつまる。その瞳は私の言葉に全てを察した様にゆっくりと瞼を閉じた。
『皆が我を待っているのであろう?いつかまた逢えると信じ留まり続けた我を許せ。そなたの言葉に従い目を閉じる。永の時を共に過ごせた事、感謝する』
そう言うと騎士は私の顎から手を離した。
ザンッ!!!
桐谷さんが押し出した金色の水泡に騎士の全身が包まれる。
スッ・・・・
水泡は小さな金色の粒に縮み静かに天に向け浮上した。
フッ・・・・
天井に届くか届かないかの内に金色の粒はその姿を消した。
「ふぅ、風の魔女が封印した前々生の悔恨の感情は浄化できました」
桐谷さんは私に微笑みを向けた。
ポロッ・・・・
「うっ・・・うぅうぅ・・・・」
胸の辺りがやけに軽く感じる。だが、なぜかぽっかりと穴が開いた様で心もとない感覚だった。
無意識の内に涙が止めどなく零れ落ちている。
止めるどころか堰が切れた様に溢れ出て止まらないのだ。
隣に座る彼女がそっと私の手を包み込んだ。
「愛憎の言葉は『愛』が最初にくるんです。愛がなければ憎しみは生まれない。愛が最初なんです。永く永く、胸に留めてこられた愛から生まれた憎しみと悔恨の感情、浄化できてよかったですね」
彼女と桐谷さんは私の涙が止まるまで見守ってくれた。
ギシッ・・・・
ドサッ・・・・
ベッドに仰向けに転がり天井を見上げる。
どうやって帰ってきたのかさえ覚束ない程、疲労困憊していた。
ゆっくりと目を閉じ今日一日を思い返す。
2回目の前世の浄化はとてつもなく永い時間を旅した様だった。
私は別れ際の桐谷さんの言葉を思い出していた。
「前世の浄化の前に前々生の浄化ができて幸いでした。悪夢の根源は恐らく前世の中に封印されていた前々生の悔恨の感情に作用されたものでしょう。前回も少しお話ししましたが、執着が強ければ強い程、浄化をしても悪夢が解消されない場合があります。
今回、前々生の感情を上手く浄化できたのは、風の魔女と水の精霊が感情の封印時に浄化の道をつけていたからです。そうでなければ私独りでは、いささか荷が重い感情でした」
桐谷さんは机に目を落とした。
「前世の記憶を夢として思い出されていましたが、前々生の浄化をするための引き金だったのでしょうね。風の魔女が・・・・」
桐谷さんは「あっ」と声を出して私に目を向けた。
「ご覧になっていた前世の記憶で風の魔女がいましたよね?」
桐谷さんの言葉にふっと先ほどの情景が思い浮かんだ。
「はい・・・・確かに・・・・ええっと、名前が・・・確かポル・・・・」
姿は思い浮かぶが名前が思い出せない。察した様に桐谷さんは私に両手をかざした。
「思い出さなくても大丈夫です。遠い過去の記憶ですから。今世を生きる者には本来不要なものです」
桐谷さんは微笑み言葉を繋いだ。
「前々生の騎士、前世の騎士、両騎士は取り巻く方々から深い愛情を受けていた様ですね。風の魔女が施した前々生の浄化の道筋は、前世の騎士を生かすものであり、前々生の騎士を天に導くものでした。風の魔女に頼まれました。どうか、天に導く浄化の光を与えて欲しいと」
この言葉に私の涙腺は崩壊したのだが、今更ながら恥ずかしさに顔が熱くなる。
「一旦、前世の浄化は終わりとしましょう」
桐谷さんは意外な言葉を口にした。1年ほどをかけて前世の浄化をしていく予定だった。
「えっ?前世の浄化、まだできていないのではないですか?」
そうなのだ。涙でぐちゃぐちゃの顔で問いかける私に桐谷さんはゆったりとした微笑みを向けてこう言った。
「はい、前世の浄化はまだです。ただ、前々生の浄化の為に思い出された記憶だったとするのが今の私の見解です。かなり重たい感情でしたし、先ほど風の魔女の名前を覚えてはいませんでしたから様子を見て、このまま前世の記憶を思い出す事がなく、悪夢を見る事がないようでしたら無理に前世の浄化をせずともよいと思います。ですから一旦様子見という事にして、また悪夢が続く様でしたらご連絡下さい」
こうして、覚悟を決めて取り組んだ前世の浄化は何ともあっけなく幕を閉じた。
ギシッ・・・・
はぁ、しかし、過去の記憶を辿るという作業はこんなにもエネルギーを消費するものなのか。
身体がベッドに沈む様に重く感じる。
ただ、子どもの頃から感じていた胸の重さと胸に詰まる黒々とした塊が全く感じられない。
「これは・・・・よく眠れそうだ・・・・・」
私はそのまま瞼を閉じた。
コツッコツッコツッ・・・・
「・・・・うっ・・・・うう・・・・」
コツッコツッコツッ・・・・
廊下に響く冷たい石床を歩く靴音が聞こえてくる。
「・・・・うっ・・・・うう・・・・」
夢うつつの中、私は見覚えのない建物の廊下に佇んでいた。
コツッコツッコツッ・・・・
「マルギット様、お呼びでしょうか?」
シュタイン王国王都マデュラ子爵家私邸の執務室に入室した侍従のベルントは窓外を眺めるマルギットに恭しく頭を下げた。
マルギットは優雅に振り向き、ベルントに視線を向けた。
執務机の上に砕け散った黒水晶が散乱している。
「ベルント、片付けておくれ」
「かしこまりました」
顔を上げたベルントの瞳は赤黒く揺らめいている。
ベルントが砕けた黒水晶を手に取るとサラサラと砂粒と化した。
パチンッ!!!
マルギットは広げた扇子を閉じると忌々し気に左掌に打ち付けた。
「此度もポルデュラにしてやられた、光と炎を引き入れた様だしな」
マルギットは「してやられた」と言いながらも口元は不敵な笑みを浮かべていた。
「まぁ、よいわ。せいぜい、我を退けたと思っていればよいわ。いずれ綻びが生まれ、我の思い通りとなろう・・・・ふふふ・・・・あっはははははっ!その時のあやつの顔が目に浮かぶわっ!どこで事を仕損じたと狼狽える姿がっ!見ておれ、忌々しきセルジオの命は我の手中にあると思い知らせてやろうぞっ!あっははははっ!!!」
砂粒と化した黒水晶を黙々と片付けるベルントを眺め、マルギットの高らかな笑い声が執務室に響いた。
「はっ!!はぁ・・・はぁ・・・・」
なんだ?これは?また・・・・騎士の記憶?
とある騎士の遠い記憶
第3章 生い立ち編2~見聞の旅路~ 完
2024年2月26日 春華(syunka)
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