いつから魔力がないと錯覚していた!?

犬丸まお

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この時期の池の水はまだ冷たい

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 椅子の上に小さく折り畳んだ紙が置いてある。
 なんだろうと手に取って広げてみると、そこには「放課後学園庭園の水蓮池まで来てください」と書いてあった。一体誰だ? と思って周囲に視線を走らせると、隣の席の大人しい彼が俯きながらもチラッとこちらに視線を投げた。些か顔色が悪く、どこかおどおどとしている。
 どうやらこのメモは彼が置いたものらしい。直接話せないからメモで伝えようとしたんだろう。俺は視線で了解の意を伝える。なんの話をしたいのかわからないけど、特に断る理由はないし。もしもすっぽかされたとしても、庭を楽しめばいいや。
 なにしろ庭園はこの学園の自慢だそうだからな。よく手入れされていて季節ごとに色々な花が咲くらしいが、まだ行ったことはない。今日行ってみて、よかったら次はパーシヴァルと行こう。
 いつものように淡々と授業を受けて、昼は読書をしながらランチ……と思っていたけど、またしてもケレなんとかがやってきた。昨日遠回しに構わないでくれオーラを出したから今日は来ないかと思ったけど、どうやら懲りない男らしい。引き際を見極められないやつはモテないぞ。
 ケレなんとかは、学園には慣れたか? だとか、友人はできたか? だとか聞いてくるが、わざわざ聞かないでもわかるようなことを聞いてどうする。友人が一人もいないことは一目見ればわかるだろう。御為ごかしではなくもっと面白い話をするなら聞いてもやるが、面倒なので適当な相槌を打ってやり過ごした。
 厄介なことに、この男は学園で人気がある令息らしい。彼といると、嫉妬や妬みの籠った視線がビシバシと飛んでくる。こいつに関わっているとなんだか面倒なことになりそうなので、俺は早々にランチを腹に収めて席を立つと遑を告げた。引き留める声が聞こえたけれど、最近の俺は耳が遠いのだ。わっはっは。
 そういえば、彼が何者なのかパーシヴァルに聞くのを忘れていた。今後の対策の為にも、今日こそ忘れずに聞かなくちゃ。

 そして放課後。
 特に時間は指定されていなかったので、適当に庭園に向かった。とりあえず待ってればくるだろうし、すっぽかしならそれでもいい。
 それにしても、噂には聞いていたけれど確かに綺麗な庭だなぁ。ちらほらと散策する学生も見える。指定された睡蓮池は庭園の一番奥にあるらしいので、見事に整えられた庭を眺めながら奥に向かう。昼寝ができそうなベンチや東屋もある。夏場は涼しそうで、居心地も良さそうだ。
 奥に進むほど学生は少なくなって、しまいには誰もいなくなった。それにしても、随分と広いなぁ。

「……お、あれが睡蓮池かな?」

 まもなく、きらきらと光る水面が見えた。思ったより大きな池は睡蓮池と言うだけあって、綺麗な睡蓮がたくさん咲いている。池の水は澄んでいて深さもそれほどではなさそうだ。魚もいるのかな? 気になって池を覗き込むと、突然背中に衝撃を受けた。

「は?」

 と思った時には、俺は顔面から睡蓮池に突っ込んでいた。派手な水飛沫を上げて水没する。睡蓮池の底は泥土だ。水深はそれほどではないが、泥に足を取られるし、生地がしっかりとした制服は水を吸うととてつもなく重い。ひ弱な俺の体にはかなりの負担だ。それに水の冷たさが徐々に身に沁みてくる。俺が漸く立ち上がれば、いくつもの笑い声が降ってきた。

「まぁ、皆様ご覧になって! びしょ濡れですわ!」

 池のほとりには数人の学生が立っていて、池の中の俺を見下ろし高々と笑っている。あの面々は初日に本を落とした奴らだ。それから……笑っている奴らの後ろで、青ざめた顔をして震えている隣の席の少年。
 彼はこいつらに巻き込まれたんだろうな。家のこともあるだろうし、断るに断れなかったんだろう。貴族の家に生まれれば、学生とはいえいろいろな柵もあるだろうさ。とはいえ、普通の良識ある貴族だったら、こんなくだらない方法で他者を虐げるような教育はしないだろうけど。

「身の程もわきまえずにケレイブ様に近づいたりするからだよ。これに懲りたら、二度との方に近づくなよ」

 はぁ? 誰だそれは? そんな奴は知らん。一体どこのどいつだ。俺は誰にも近づいてなんかいないだろう。
 そう思いかけて、ふとある人物の顔が脳裏を過ぎる。……ん? いや、ちょっと待て。
 はっ! あいつか! 確か相席卿(仮)がケレイブなんとかって名乗っていた!
 ケレイブなんとかは俺から近づいたんじゃなくて、向こうが勝手に来たんだ。むしろこちらは迷惑していたんだぞ。そう言う事は俺にじゃなくて、ケレイブとやらに直接言ってくれ。
 関わったら面倒なことになるんじゃないかと思っていたけど、案の定面倒なことになったじゃないか。
 くっそー……

「まぁ、君はそれくらい汚れている方がお似合いだよ」

「そもそも、我が校の制服は家名も持たないような輩が着ていいものではない。品位が下がる」

 へぇー。自分より立場の低いものを虐げては喜んでいるんだから、それはそれは随分とご立派な品位をお持ちだな。俺には到底持ちえないものだ。俺の知る品位と大きく違うが、敢えて黙ったまま奴等の言葉を聞いていた。
 下賤だとか賤しいだとかそれぞれ言いたいことを言い尽くすと、品位ある貴族のご令息ご令嬢たちは腰まで水に浸かっている俺を残し去っていった。隣の席の少年は俺を気にして振り返っていたけれど、彼らに小突かれるようにして連れて行かれた。あいつらに酷いことをされなければいいけどな。
 おそらく、品位ある方々の計画はこれで終わりではない。泥水でずぶ濡れの俺が惨めに寮へ戻って行くところを人前で嘲笑するまでがセットだろう。人目につきやすい庭園の入り口か、学舎のどこかで待ち伏せているはずだ。

「だけど、俺は転移ができちゃうんだよねぇ」

 俺がやって来るのをまだかまだかと待っているあいつらを思うと、ちょっと笑える。気が済むまで、存分に待ってもらおうじゃないか。
 部屋の浴室に転移をした俺は、魔法具でバスタブにお湯を張る。濡れて脱ぎにくくなっている制服を悪戦苦闘しながら脱ぎ捨てて、お湯に飛び込んだ。季節は春の終わりでだいぶ暖かいとはいえ、水はまだ冷たかった。

「はぁー……あったかーい!」

 服を脱ぐのに手間取ってだいぶ体が冷えてしまったから、お湯の温かさが染みる。何年も離れで放置されてても病気だけはしなかったから、こんなことぐらいで風邪なんか引かないと思うけど。万が一体調でも崩したら癪だからな。
 それにしても、今世での俺の死因もやっぱりくだらない事なんじゃないかと心配になってきた。こんな幼稚な騙し討ちに遭うなんて。ただの池だからよかったものの、落とされた先が竜の巣だったり火の山の釜だったりしたら一巻の終わりだ。危ない、危ない。これからは気をつけよう。
 泥のついた髪の毛と制服を洗って、体も十分温まったのでさぁ出るかと思ったところで気がついた。池から直接転移してきたから、体を拭くタオルも着替えも持ってきていない。
 
「ま、いっか」

 床は後で拭けばいいよなと全裸で浴室を出ると、ちょうど部屋に戻ってきたパーシヴァルと鉢合わせした。

「あ、パーシヴァルおかえり!」

「……サフィラス!」

 俺と目があったパーシヴァルは真顔のまますごい早さで向かってくると、制服の上着を脱いで俺を包んだ。ええっ、そんなことをしたら制服が濡れちゃうだろ。

「え? な、何? 床ならちゃんと拭くよ?」

「そんなことは気にしていない。少しそこで待っていてくれ」

 困惑している間に、チェストから俺の下履きと大きなタオルを持って戻ってきたパーシヴァルは、手早く丁寧に水が滴る髪を拭ってくれた。

「……何か事情があってのことだとは思うが、せめて下履きは身につけてから浴室から出てきてくれ」

「ごめん。浴室に直接転移したから、着替えもタオルも無くてさ」

 制服の代わりにタオルを被せてもらった俺は、いそいそと下履きを履く。
 俺の裸なんて今更だと思うけど。ヴァンダーウォールの湖でも見てたはずだし。下履き一つ履いていないくらい、たいして変わらないと思うけどなぁ。ついてるものは一緒なんだから。そんなことを考えながら、自分の薄っぺらな体に視線を落とす。だいぶ肉がついたとはいえ、相変わらずあばらが目立つ。
 ……いや、前言撤回。ついているものは似て非なるものかもしれない気がしてきた。

「こんなに早い時間に入浴しているなんて珍しいな」

 まだ夕食前だしね。そう思うのも当然だ。隠すようなことでもないので、庭園で池に突き落とされた事を話す。ついでに、庭園はなかなかだったことも付け加えておく。

「思った以上に素敵な庭園だったから、今度一緒にって……え? ちょっと待って、パーシヴァル? どこに行くんだよ!」

 俺の話を聞いていたパーシヴァルが突然部屋を飛び出てゆこうとしたので、慌ててシャツを掴んで引き留める。

「学園長に抗議する。池に突き落とすなど言語道断だ。これはもはや看過できる状況ではない」

「まぁ、まぁ、パーシヴァル。ちょっと落ち着こう」

 器用にも冷静に怒っているパーシヴァルの胸をポンポンと叩いて、なんとか怒りをおさめてもらう。

「水はちょっと冷たかったけど、大したことないよ。睡蓮もなかなかに綺麗だったしね。それに俺はこの状況を結構楽しんでるんだ」

「俺はサフィラスがこのような目に遭わされて、非常に不愉快だが」

「それは……ごめん。だけど、もうすぐ魔法実技の授業も始まるだろ。これも仕込みの一環みたいなものだから」

 落差は大きい方が面白いじゃない? そう言って笑って見せれば、パーシヴァルは小さくため息をついて肩の力を抜いた。

「その顔をされてしまうと弱いな……だが、要らぬ我慢だけはしないでくれ」

 うん? その顔ってどの顔?

「もちろん! 俺はそんなに辛抱強くないから!」
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