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二章
22 歩み寄ろうとする心
しおりを挟むイリスが図鑑を手に取り、作業を始めて暫くたち、ヴァルクスがぽつりと言った。
「……君が森で煎じてくれた薬湯、なかなか興味深い配合だった。特に、苦味のある薬草ばかりを煎じているはずなのにあの微かな甘みは……忘れようにも忘れられない。かつて、ある娘が、私のために心を込めて調合してくれたものと、驚くほど似ている。彼女は、私が疲れているといつも心配してくれて、薬湯を準備してくれた……、…だがきっと、私がそれを飲んでいることすら、知らなかったはずだ。それほどまでに、私はその娘への気持ちを表に出せなかった」
その声には、深い後悔と、そして前世のユーファへの痛切な想いが滲んでいた。
イリスの心臓が、ドクン、と大きく脈打つ。彼は、あの時のことを言っている。
(あの頃、ヴァルクス様は私を嫌っていたのではなかった…? 私の気遣いを、迷惑だと思っていたのでは…?)
イリスは混乱した。ヴァルクスの言葉は、彼女が長年抱き続けてきた「嫌われていた」という確信を、根底から揺るがすものだったからだ。
でも、それならば、なぜあの頃はあんなにも冷たく、私を拒絶するような態度をとったのだろう。
「…なぜ、その娘に、あなたの本当の気持ちを、伝えなかったのですか…?」
イリスは、自分でも気づかないうちに、そう問いかけていた。ヴァルクスの真意を探りたいという気持ちが、自己否定よりもわずかに勝った瞬間だった。
ヴァルクスは、書物から顔を上げることなく、静かに答えた。
「…私は常に悪意に狙われていた。王などと、笑わせる。…だから、ただ、守りたい一心で、自分から彼女を遠ざけることしか考えられなかったのだ。それが、どれほど彼女を傷つけ、命すら軽んじさせることになるかも知らずに」
その言葉は、明確にイリス――ユーファ――に向けられたものだった。
彼は、過去の自分の過ちを認め、そしてそれを償おうとしているのだろうか。イリスの胸は、期待と不安で張り裂けそうだった。
図書室での作業は、数日に及んだ。イリスは、ヴァルクスがリストアップした薬草について、古い図鑑や文献を一つ一つ丁寧に調べていく。
そんな調査の合間に、イリスはヴァルクスが持ち込んだと思われる、竜族の古い伝承が記された書物を手に取る。その中の一節――「月詠の乙女と紺碧の鱗を持つ竜」という物語に、イリスの目は釘付けになった。それは、あまりにも自分たちの過去と酷似していたからだ。
「……娘を蔑ろにしたやつらは、王が国を去った後、後悔してそのような物語を流行らせたのだろう。…おそらく、グンナルの話を聞いてな」
いつの間にか背後に立っていたヴァルクスが、静かに言った。イリスは驚いて振り返る。
「…娘は番いである竜のために、命懸けで月影の秘花を探しに行った。あまりにも……命を顧みない愚かで、そして……愛おしいほどに献身的な娘だった……」
ヴァルクスの声は、遠い過去を慈しむように優しく、そしてどこまでも悲しげだった。
彼は書架の合間を回想するようにゆっくりと歩いていく。
「もし、その竜が乙女の真意に気づき、彼女の愛を、その献身を、ただの一度でも真っ直ぐに受け止めていたとしたら……結末は、あるいは変わっていたのだろうか。娘は死を恐れてくれただろうか。別離を怖がっただろうか。…王であった男は、千年以上もの間、ずっとそれを考えてきたのだ」
その言葉は、もはやイリスへの問いかけではなく、ヴァルクス自身の魂からの告解だった。
ヴァルクスは、ユーファの犠牲を片時も忘れたことはなく、その愛の深さを理解できなかった自分を責め続けてきたのだ。
イリスの瞳から、涙が溢れた。ヴァルクス様は、私を嫌ってなどいなかった。それどころか、私のことを……。しかし、それでも、あの頃の彼の冷たい態度が、深い傷となってイリスの魂に刻まれている。
なぜ、もっと早く気づいてくれなかったの。なぜ、あんなにも私を苦しめたの。ユーファの時の気持ちもまた、イリスの内側にある。
「ヴァルクス様……その娘は、たとえ優しく愛されていたとしても、番いを助けるためなら死をも恐れなかったでしょう…その娘にとって、自分の命よりも…」
その時、イリスの泣くような声をかき消す無粋な男の声が響いた。
「イリス! こんなところにいたのか! お前如きが王城に招かれているとはどういう了見だ!」
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