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六、手招く美女

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 最近、夜のお忍びの回数がやたら増えた。ここ一週間は毎晩行っている。また、ホリスやチヅエ、ブライトン神父の顔を見るたびに、急に頭が締め付けられ、目が異様に冴えるような感覚に襲われるようになり、血への飢えは、それに比例して日に日に増していくように思われた。

 ブラッド一号は悩んだ。誰に相談したものか。
 自分のお忍びを知っているのは今のところ榊だけだが、失礼だが、この話をしても頼りになるとは思えない。自分はロボットであり、誰か人間に作られた自動で動く機械人形である。だが誰が自分を作ったのか知らないし、もし故障したら誰に直してもらえるかもわからないまま、今まで日々を安穏と暮らしてきた。
 そもそも、自分は榊たちと一緒に、遠い未来の日本という国から来たそうなのだが、そこの記憶が全くない。これはかなりまずいことだ。壊れたら終わりである。人間のような感情はあるので、それに対する恐怖もかなりある。が、いちばん怖いのは、自分がダメになることで、ホリスさんやチヅエさんが悲しむことだ。


 ただひとつ確かなのは、自分の燃料は動物の血液なのだが、そのことが最近揺らいできていることだ。こんなふうに夜中に山で狼や鹿を殺して血を飲むだけでは物足りない。そして同居している生身の人間たちに接するたび、ある種の言いようのないあせりのような、なにか普通でない感覚にとらわれる。毎晩、大量の動物を殺すうち、自分の中に、気づいてはならない、知ることを禁じられた何かが、確実に発生しているのを感じる。
 だが実は、それがなんなのか、薄々気づいていた。といって確信は持てなかったが。
(いや、まさか)
(いくらなんでも、そんなことは……)
 その考えが浮かぶたび、顔を振って否定する。そして今夜も、また狩りが始まる。



 一匹のウサギを追って、森のかなり奥深くまで入ってゆく。そこは入ったことのない場所だった。木々のあいだから、その巨大な塊がぬっと現れたとき、ブラッド一号はぎょっとして立ち止まった。月明かりにこうこうと照らされたそれは、月夜にそびえるいかつい古城だった。

 それでも好奇よりも血への飢えが勝り、そのままウサギを追って敷地に走り、あいている門に飛び込んだ。朽ちた城内に足を踏み入れたとき、前方の階段に誰かが立っているのが見えた。若い女性のようで、その手にはカンテラを下げている。
 逃げるでもなく突っ立って見つめていると、相手は階段をゆっくり降りてきた。白衣だった。それも現在の科学者か医者が着るような、前のあいたボタンつきのコートで、ズボンも白だった。どう見ても、この時代のものではない。

 下におりて、侵入者から二メートルほどの位置で止まり、カンテラをあげてこっちを照らした。相手は耳下まで垂れたボブヘアーで、顔は色白で整っており、シャープな感じのする、かなりの美女だった。ブラッド一号は動けなかった。またあの感覚に支配され、相手の顔を食い入るように見つめていた。
 こっちを確認するや、女は一瞬目を見開いたが、すぐに口元をにっと吊り上げた。そしして、おもむろに喋りだしたが、少しハスキーがかった低めの少年ぽい声と、そんな言葉づかいだった。

「……こりゃ、驚いたねえ」
 かなり邪悪な目つきで、その「女子高生」をじっと凝視する。
「ブラちゃんじゃない。いったい、どうやってここへきたの?」
「わ、わ」
 ブラッド一号は、やっと口をひらいた。
「わたしを、ご存知なんですか?」
「『ご存知』だって?! あはははは!」
 いきなりげらげら笑い、涙目で口を手でふさぎ、やっと止まった。
「ごめんごめん、だって、あまりにも君らしくないからさぁ」
「はあ……」
 きょとんとしたが、次第に我に返ってきて、自分に目を落とし、悲しげに言った。
「これ、私らしくない、ですかね……?」
「まあいいや、君もいろいろあったんだろうし」
 そして女は階段を戻りだし、手招きした。
「来なさい。歓迎するよ」

「あ、すみません、勝手に入ってしまって」
「いいの、いいの」
 上がりかけて止まったまま、やけにご機嫌な顔を向けた。が、すぐにまた魔女のような目つきに戻り、ニヤつくと、こう言った。
「……ウサギを追いかけてきたんでしょ?」
「え? ええ、そうなん――」
「血がほしくて」

 ブラッド一号は、ぎょっとして後ずさった。
「あ――あなたは、誰なんです?!」
「私は、桜庭凛(さくらば・りん)」
 また上がりかけて止まり、再度振り向いて、蛇のような顔で言った。
「君を作った科学者だよ、ブラッド一号ちゃん」
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