【完結】婚約破棄を3時間で撤回された足枷令嬢は、恋とお菓子を味わいます。

青波鳩子

文字の大きさ
6 / 32

【6】初恋と発熱(アリシア視点)

しおりを挟む
お妃教育はいったん中断ということになったけれどシャーリド王国の件で呼ばれており、やはり今日も王宮に行かなければならない。
会議は午後からということだったので、久しぶりにゆっくりと何もしない午前を過ごした。

出かける前に、料理長によるできたての桃のパイを堪能することができた。
侍女のメリッサが『お嬢様の分として二つ持ってきました!』と、飼い主に獲ってきた鳥を自慢する猫のように出してくれた。
でもあまりゆっくり食べてもいられないので、メリッサにひとつ分けて同じテーブルで食べた。
メリッサはそんなつもりではありませんでしたと小さくなりながらも、料理長自慢のカスタードクリームたっぷりのパイをとても喜んでいた。

子供の頃からずっと付いてくれているメリッサは私より七つ上の姉のような存在だ。
私が何かを学ぶ前と後に、脳に直接甘い物を叩きこむようにお菓子を食べずにはいられないことを、ずいぶんと助けてくれている。
メリッサのおかげでいつも部屋にクッキーを切らしたことがない。
私はそれを食べ続けながら、覚えなければならない本を読むのだった。


***


王宮に着くと、いつも案内してくれる執事がどことなく慌てているように見えた。

「どうかなさいましたか?」

「アルフレッド殿下が少々熱を……。たいしたことはないようですが」

「まあ……。早く回復なさることをお祈りいたします」

執事は私のことを会議が行われる部屋に案内してくれようと歩き出して、途中で急に止まった。

「アリシア様、アルフレッド殿下を見舞っていただくわけにはいかないでしょうか。本日の会議は、殿下が参加できなければ中止となるかもしれません」

「お邪魔しても殿下がご迷惑でなく、お身体に障りがないようでしたら、少しだけ……」

「ありがとうございます、ではこちらに」

熱が出て休んでいるところに私などが邪魔をしたら、アルフレッド殿下は余計に気分を悪くするのでは……と思いながら、つい早足になる。

「こちらがアルフレッド殿下の私室でございます。私は扉の無い続きの部屋におりますのでいつでもお声がけください」

相手が伏せている病人でも、部屋の中に男女を二人きりにしないというマナーを守ってくれることがありがたかった。
この王宮には毎日のように来ているけれど、殿下の私室に入るのはもちろん初めてだ。
いくら殿下が眠っているとはいえ、あまり部屋の中をきょろきょろ見るのは失礼だと思いつつも、ついあちこちに目がいってしまう。
ヴェルーデの第一王子の部屋ならもっと煌びやかでありそうなのに、調度品は飾りの無い落ち着いたものばかりで、カーテンや壁紙も濃い青色がシックでこのセンスは好きだなと思った。

よく考えてみれば部屋の主がキラキラしているのに部屋まで煌びやかだったら眩しくて落ち着かないわ。
このシックな部屋こそが殿下の美しさに似合うのだと思い直してうんうんと小さくうなずく。



壁際にベッドがあり、そこにアルフレッド殿下が横になっていた。
音を立てないように近づくと、静かな寝息を立てている。

眠っているお顔も……綺麗だわ。
ほんの少しだけ眉間にしわを寄せているけれど、それすら美しい。
まるで苦悩を抱えた彫刻みたい。
彫刻だったら私の部屋に置きたいけれど、こんな美しい彫刻があったら胸がいっぱいになってお菓子も食べられないわね……。
前髪が少し乱れていて、いつもと雰囲気が違うところにドキドキしてしまう。

このところ、何かとお忙しいご様子だった。
学業と公務の両立に加えシャーリドの件もあって、熱が出てしまうのも無理もない。
婚約破棄を告げて関係を断ち切りたかった私を引き留めないとならないくらいに、手が足りなくて大変なのだ。
もうこの顔には騙されないと思っているけれど、私なんかの手さえ借りたいくらいに大変なのなら、少しくらい助けて差し上げてもいいと思っている。
この王国を支える公爵家の娘としてあたりまえのことだ。

アルフレッド殿下が担うシャーリドの王太子の饗応役と簡単そうに言うけれど、実際とても荷が重い任務だ。
百人からなる一行に何事も起こらないように、すでに周ってきた他の王国に遜色のないおもてなしをしなければならない。
一行を最初に迎える国であれば物珍しさに何でも喜ばれるかもしれないが、最終訪問地とあってはもう疲れて帰りたい気持ちのほうが強いだろう。
こってりとした歓迎をすればいいわけでもない。

陛下は今回の饗応で、南方国シャーリドだけではなく皇女殿下を差し出す帝国に対しても、ヴェルーデの名を上げると意気込まれている。
そんな重責を第一王子の肩書で支えなければならない殿下なのだ……。

「アルフレッドさま……」

ついその名を口にしてしまう。
婚約破棄と言われてから、お慕いしている気持ちをなんとかちぎって捨てようとしている。
それなのにこうして無防備で弱った殿下を見ていると、ただ傍にいたいと浅ましく思ってしまうのをどうしても止められない。
殿下の額の粟粒のような汗を、静かにそっとハンカチで押さえていく。
冷たい水に浸したほうが気持ちいいのかもと、執事に水を張ったボウルを頼もうと立ち上がりかけたら、手首を掴まれた。

「……アリシア、ここに……」

「殿下、起こしてしまって申し訳ありません」

小声で謝罪をすると、アルフレッド殿下の口元が緩んで笑ったようにみえた。
こんな静かで穏やかなほほえみを至近距離で見てしまっては心臓がうるさい。他のことなら自制できるのに、美しい顔にこんなに弱い自分が忌々しいわ。

「殿下……ではなく、フレディと呼んでくれないか」

急に! 急にそう言われてうるさい心臓がさらに暴れて大変なことになった。
王太子殿下を愛称で呼ぶなど、そんなのまるで婚約者みたいでは?
いや、婚約者のような気はするけれど、でも……。

「親しい方々からそう呼ばれているのですか? それなら私も……」

「いや、誰もそうは呼ばない。許していない」

「え?」

「はは……君のその『え?』という驚き、この前からなかなか気に入っているんだ。いつも何も見せないようにしているのに、一瞬だけ本当のアリシアが見えるようで」

「殿下……?」

「殿下、ではない、フレディだ……」

小声とはいえ、たくさん喋ったからかアルフレッド殿下の声が途切れがちになる。
少し眠ったほうがいいような気がする。
さっきから妄想めいたことを言うほど意識が低下しているようだった。
妄想ならば少し付き合ってあげてもいいかしら……。

「では、その……フレディさま。少しお疲れのようなので、お休みになってください」

「いいね……もっと呼んで欲しい」

「そっ、そういうのは誤解される言葉ですので、本当にもうお休みになってください」

そんな綺麗な顔でまつ毛を伏せて優しそうに微笑みながら言っていいセリフではないと、夢の中で全世界の人から説教されるといいわ……。
具合が悪いせいで混濁している殿下の言葉だとしても、こちらにもいろいろ都合があるの。
夜着姿で乱れた前髪で、少し弱った美しい人の至近距離にいるというのは、私の歴史上初めてのことなのだから!

「なんか久しぶりに、モヤモヤしたものがここに無くて、気分がいい」

「ご気分がいいと伺って安心いたしました。どうぞごゆっくりお休みください、お目覚めの頃にはさらに良くなっていらっしゃると思います……そろそろ失礼いたしますわ」

「そうか……今日はすまなかった」

いいえ、なんて言うとまるで恋人同士が帰り際に別れを惜しんでいるみたいなやりとりが続いてしまいそうなので、綺麗な顔に背を向ける。

なんかこう、ぎゅっと胸を掴まれているような苦しみを感じる。
もしかして調子に乗って近寄り過ぎて私にも殿下のお熱が移ってしまったのかしら……。
いつもは頭の中がすっきり片付けられているのに、なんだかぼんやりしている。

目を伏せているアルフレッド殿下から離れがたい。
もう少しこの美しい顔を見ていたいような……。
もう一度フレディ様とお呼びしてみたいような……。

でもそういうわけにもいかない、殿下にはゆっくり眠っていただきたい。お熱があるとはいえ、せっかく身体を休められる機会を邪魔してはいけない。
何かを断ち切るようにゆっくりとお傍を辞し、すぐ近くに居るという執事に小さく声を掛けた。

「あの、私はこれで失礼いたします」

「かしこまりました。アリシア様、やはり本日の会議は取りやめとなりました。馬車までお見送りいたします」

「はい、ありがとうございます」

「会議の日程につきましては、また追ってのご連絡になると存じます」

ということは、アルフレッド殿下が寝込んでいらっしゃる間は何もしなくていいということかしら。
やっ……た、と言いそうになって慌てて口元を押さえる。
殿下のご体調が悪いことを喜んでいるみたいで、それは最低だった。


「こちらは今日の会議の後にお出しするはずだったお菓子です。よろしければお持ち帰りください」

「ありがとうございます、嬉しいです。いただきます」

丁寧に包まれた菓子を執事から受け取ると、バターの甘い匂いが鼻先をくすぐった。
今日の王宮への用事は私にとって、束の間の休日の延長のようだったわ。


***


馬車に揺られながら、またいろいろと考える。
どうして執事は私をアルフレッド殿下のお部屋に連れていったのか、そこのところが実はよく分からない。
第一王子の私室というのは機密事項なのではないだろうか。

いくら婚約者といえども、そこに伏している第一王子というのは弱っているところを晒しているようなもので、私が刺客だったら大変なことになったかもしれないのに。
もちろんお部屋の中には、終始無言の護衛騎士が控えていた。
それにどちらかというと、無防備な殿下こそが無意識に私をザクザク刺しにきていたけれど。
美しいお方が弱っているというのは大変よくないということがよくわかった。
見舞っているはずの私なのに、胸が苦しかった……。

そしてまたひとつ、考えなければならないことが増えた。

頭のノートに『執事の思惑は?』という文字を書き込んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~

ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」 義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。 父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。 けれど―― 公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。 王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。 さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。 そして下されたのは――家ごとの褫奪。 一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。 欲しがったのは肩書。 継いだのは責任。 正統は叫びません。 ただ、残るだけ。 これは、婚約を奪われた公爵令嬢が “本当に継がれるべきもの”を証明する物語。

【完結】氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋
恋愛
銀髪紫眼の美貌の侯爵令嬢、マリーローズ。 完璧な淑女に育った彼女だったが、母は捨て子ジュリエットを寵愛。 婚約者の公爵家嫡男アレックスも、友人も、次々に奪われる――。 家族に裏切られ、すべてを失った彼女が下した決断は、 家族を見かぎり、国を捨て、自らの人生を取り戻すこと。 理不尽な悲恋を力に変え、運命をひっくり返す令嬢の逆転劇! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄したその場から、ざまぁは始まっていました

ふわふわ
恋愛
王国随一の名門、アルファルド公爵家の令嬢シャウラは、 ある日、第一王子アセルスから一方的に婚約を破棄される。 理由はただ一つ―― 「平民出身の聖女と婚約するため」。 だが、その“婚約破棄したその場”で、ざまぁはすでに始まっていた。 シャウラは泣かず、怒らず、抗議もしない。 ただ静かに席を立っただけ。 それだけで―― 王国最大派閥アルファルド派は王子への支持を撤回し、 王国最大の商会は資金提供を打ち切り、 王太子候補だったアセルスは、政治と経済の両方を失っていく。 一方シャウラは、何もしていない。 復讐もしない。断罪もしない。 平穏な日常を送りながら、無自覚のまま派閥の結束を保ち続ける。 そして王国は、 “王太子を立てない”という前代未聞の選択をし、 聡明な第一王女マリーが女王として即位する――。 誰かを裁くことなく、 誰かを蹴落とすことなく、 ただ「席を立った」者だけが、最後まで穏やかでいられた。 これは、 婚約破棄から始まる―― 静かで、上品で、取り返しのつかないざまぁの物語。 「私は何もしていませんわ」 それが、最強の勝利だった。

クリスティーヌの本当の幸せ

宝月 蓮
恋愛
ニサップ王国での王太子誕生祭にて、前代未聞の事件が起こった。王太子が婚約者である公爵令嬢に婚約破棄を突き付けたのだ。そして新たに男爵令嬢と婚約する目論見だ。しかし、そう上手くはいかなかった。 この事件はナルフェック王国でも話題になった。ナルフェック王国の男爵令嬢クリスティーヌはこの事件を知り、自分は絶対に身分不相応の相手との結婚を夢見たりしないと決心する。タルド家の為、領民の為に行動するクリスティーヌ。そんな彼女が、自分にとっての本当の幸せを見つける物語。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました

あおくん
恋愛
父が決めた結婚。 顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。 これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。 だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。 政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。 どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。 ※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。 最後はハッピーエンドで終えます。

悪役令嬢は自称親友の令嬢に婚約者を取られ、予定どおり無事に婚約破棄されることに成功しましたが、そのあとのことは考えてませんでした

みゅー
恋愛
婚約者のエーリクと共に招待された舞踏会、公の場に二人で参加するのは初めてだったオルヘルスは、緊張しながらその場へ臨んだ。 会場に入ると前方にいた幼馴染みのアリネアと目が合った。すると、彼女は突然泣き出しそんな彼女にあろうことか婚約者のエーリクが駆け寄る。 そんな二人に注目が集まるなか、エーリクは突然オルヘルスに婚約破棄を言い渡す……。

《完結》初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

処理中です...