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【9】身辺整理(アルフレッド視点)
しおりを挟む友人たちから、新しく旨い物を出す店ができたから行こうと声がかかったが断った。
あれからマチルダと話をしていない。
皆と出掛けてその中でマチルダとありふれた会話をすることで、少し特別だった位置から皆と同じ位置になったのだと改めて互いが確認できる機会ではあった。
だがハワード公爵から、シャーリドへの事前視察の話を聞いて遊ぶどころではなくなった。
片道三日かかるシャーリドへの視察となると、最低でも往復十日は要するとみるべきだろう。
シャーリドで長く滞在すればもっとかかる。
ハワード公からは、視察は我々がしっかりするので殿下はゆったりとシャーリド王国を見物してくださればよいので構える必要はありません、などと舐めたことを言われた。
アリシアも連れていくのに物見遊山気分でいられるわけもない。
つむじ風のようにリカルドが執務室へ入ってきた。
「兄上が学園の後に執務室で仕事をしているなんて、雨が嫌いな僕は外に出ない方がいいかな。
それより、退学したはずの兄上の婚約者が学園内で絡まれているのを見ましたよ。
上級生から部外者だ、侵入者だ、そう詰め寄られていた。
あの上級生のことを、僕が王宮で見かけたことがあるのはどうしてだろうね、兄上。
兄上は、別れるのも含めて女遊びが下手だと自覚したほうがいい」
「アリシアが部外者……侵入者……?」
「彼女の友人のことを、部外者を手引きしたと言われてアリシア嬢は頭を下げていたよ。公爵令嬢が男爵令嬢にね」
リカルドは言いたいことは言ったという顔をして執務室を出て行った。
アリシアが学園に何をしにやってきたのか、俺が見かけたのは女生徒の誰かの後を小さくなって歩いているうつむいた横顔だった。
誰と歩いていたのかは分からないが、穏やかな状況ではないことには気づいた。
いつだって淡々と、俺が婚約破棄を告げた時さえ、文句を呑み込んでなんでもない顔をしていたのに。
あんなに元気のないアリシアを見たことがなく、名前を呼ぶ以上のことができなかった。
アリシアに向かって、部外者と言った上級生というのはマチルダか。
たしかにリカルドの言う通り、俺はマチルダと上手く別れたとは言い難い。
そもそも『別れた』というような関係ではないはずだが、マチルダがどう思ったかは俺には分からない。
こういうことを、リカルドに『女遊びが別れるのも含めて下手』と言われたところなのだろうな。
それにしても、リカルドこそいつの間に女遊びについて俺にいっぱしの意見を言うほどになったのかと少しおかしくなった。
いつまでも俺の後ろを追いかけてきた弟のままではないのだな。
いや、そんな微笑ましい話ではない。
執事や護衛の前で俺に非難めいた発言をしたということは、それを誰に聞かれてもいいとリカルドが腹を決めたということになる。
ひっそりと冷たい視線を送っていた段階から、悪いほうにリカルドが一歩進んだ事実を俺は重く受け止めた。
「アルフレッド殿下、マチルダ・パーカー男爵令嬢と名乗る女性が殿下を訪ねてきておりますが、お会いになりますか」
言伝を受けた執事がそう伝えてきた。
マチルダが俺に会いにここへ……。
まさにマチルダをどうしたらいいか考えているところだった。
きちんとケリをつけるべきは今なのだな。
リカルドの言うところの『上手な別れ方』ができるかどうか、自分でも分からないが。
「一番手前の応接室が空いていればそこに通してくれ」
「かしこまりました」
一番手前の応接室は、それほど身分の高くない者を接遇する部屋だ。
先日のように広い客間に通すことはもう無い。
***
「ずいぶんのんびりした登場ですこと。それなのにお茶はポットもなくてカップに一杯だけ。あんまりな酷い扱いね」
「それはすまなかった。この部屋はそういう部屋なのだ」
すまなかったと言いながら新しいお茶を出さないことが、この後の話を示唆していることにマチルダが気づいている感じはない。
「この前の話をきちんと聞こうと思って。学園ではいつも誰かがいるでしょう? 一応、これでもあなたの立場に気を遣っているのよ」
俺の立場を気にしてくれるならここには来ないで欲しかったところだが、俺は自分の蒔いた種を刈り取るためにこの部屋に来たのだった。
「この前のネックレスが手切れ金ってどういうことかしら」
「そのままの意味だ。もうこうして二人で会うつもりはない。互いにひととき楽しく遊んだ、だがその時間は終わった。最初からそう納得の上で始めたことだろう」
「そう……。思ったより終わりが来るのが早かった、そこだけ驚いたわ。あなたはあの足枷令嬢とうまくやっていくことにしたのね」
「あのって、やはり彼女に会ったのだな」
「そうよ、退学したくせに学園内をウロウロしていたから上級生として部外者に注意をしたの。アルが足枷と言っていたのはあなたのことねと言ったら顔色を変えたわ」
アリシアに俺が『足枷』と言っていたなどと言ったのか……。
足枷というのは自分に婚約者がいる状態のことであってアリシア個人のことではないのだが、まあそう受け取られても仕方がなくマチルダに話した俺が悪い。
「寝物語をアリシアに話すことで、君がその時の自分を支えられたのならよかったよ」
パン! と顔の前でマチルダが手を叩いた。
顔を張られるのかと思ったが違った。
「さすがに王族に手は出さないわ、どんなに酷いことを言われてもね。このネックレス、お返ししようと思ったけど手切れ金ということなのでいただくわ。卒業パーティの時にこれみよがしにつけていくわよ? これより高価なものは持っていないもの」
「ああ、君に似合っていた」
「……本当に、最低ね。でもおかげでスッキリしたわ。考えてみれば『足枷』令嬢なんて軽すぎて重りにもならないわね。あなたの足にはこの王宮やこの王国が括りつけられているのですもの。わたくしに鎖に繋がれた囚われ人は似合わないわ。
ではごきげんよう。学園ではもう話し掛けないでね。わたくし、男女の間に友情は成り立たない派閥の会長なのよ」
マチルダはそう言うと立ち上がり、執事に案内されてこの狭い応接室を出て行った。
代わりに静寂がこの部屋を満たした。
「……ジャン、俺はうまく言えていたか?」
つい立ての向こうに控えているジャンに静かに尋ねる。
「別れの言葉はナイフに乗せて差し出すほうが親切と聞くので、その点においてはまあまあ及第点じゃあないですか?」
「及第点……不敬な発言だがそのとおりだろうから許そう」
「パン、と何かを叩く音がしたときは飛び出しかけましたが、まさか令嬢がご自分の手を叩くとは。それなりに分別もあって状況判断のできる女性だったのですね。
その直前の殿下の言葉も相当でしたが、最後の手切れ金代わりのネックレスが似合っていたというのは、聞いていたこちらも何かをえぐられるような思いがしました。
きれいに終われたと思いますが、もう二度とあんな言葉を女性に言う場面を作り出さないでください」
「そうありたいと思っている。マチルダは卒業パーティであのネックレスを着けてくると思うか?」
「……着けてくるでしょう。彼女の中で殿下はただの過去の男の一人に成り下がったでしょうから。過去の男がこの国の第一王子なら勲章みたいなものです。勲章は公式で華やかな場所で着けるものですからね」
「ジャンはこうしたことに詳しいのだな。どれだけの数の女に勲章を手渡したのか」
「あいにくですが勲章どころか紙のバッヂにもならない身分ですので」
「数については言及しない、と」
ジャンはそれには返さずにギロリと睨んできたが、女性を手玉に取るような時間がジャンに無かったことは俺が一番よく知っている。
こんなふうに誰かを明確な意図をもって切り離したのは初めてで、動揺しなかったと言えば嘘になる。
いや、アリシアに婚約破棄を言い渡したことこそがそうだった。
アリシアの時は理由も何も言わなかった。
ただ一方的に切りつけるように告げて、同じ重さで受け止めなければならないアリシアからの言葉を聞く前に去った。
それはアリシアから見れば「逃げた」ことに他ならない。
そのことについて自分の状況が変わったからとへたくそな言い訳をしただけで、まだ本当のことは伝えていないしそれに関しての謝罪もしていない。
アリシアは、あの日いきなり切りつけられたままなのだな……。
マチルダから切り返される覚悟はできたのに、アリシアからは逃げたままだ。
何故俺はアリシアと向き合えないのだろう。
そう思った瞬間にすぐに答えに辿り着く。
俺は怖いのだ。
アリシアに対して自分の中に生まれつつある感情に。
本当のことを伝えて拒絶されることで、その生まれそうな感情がアリシアに向かって歩き出す前に死んでしまうことが怖い。
「ジャン、百戦錬磨のおまえに教えて欲しいのだが、俺はどうしたらいいのか」
「一戦もしていない俺ですが、俺ならその状態で視察の旅には出ません。今の殿下は、狡猾で頭の回転が速いと言われているハワード公に対抗できないでしょうし、シャーリドに入ってもどれが拾うべき情報かを瞬時に判断できるとも思えません。
乳兄弟で長年の友人としての立場で言わせてもらえるなら、とっととアリシア嬢に全部ぶっちゃけて謝ってちゃんと君が好きだと言ってこい! ということでしょうか。意外にも初めての恋に動揺している第一王子なんていうのは、国の存亡に関わるのでさっさとカタをつけてください。あ、万が一の時には骨は拾ってあげますので安心してください」
「……ジャン……おまえ一戦もしてなかったのか……。シャーリドの件が片付いたら休暇をやることにする」
「そこですか!? 俺の話を聞いていました?」
「ありがとうな、ジャン」
「やめてくださいよ、明日は雨になるじゃないですか」
リカルドにもジャンにも明日は雨だと言われた。ずっとモヤモヤしたものにまとわりつかれているが、そのモヤモヤから雨が落ちてくるというなら俺はずぶ濡れ確定だな。
王の第一子として生まれたときからどう歩いていくかの道は決められていた。
そのことに文句はない。
決められた道を行くことに文句は言わないから、誰と行くのか何に乗っていくのか、いつ目的地に到着するようにすればいいのか、そのくらいの自由は求めたかった。
アリシアと婚約することもいつ結婚するかも決められてしまったことに不満があった。
皮肉なことに、婚約破棄を告げるまではアリシアのことを思わない日の方が多かったのに、婚約者という足枷の鎖を斬ったと思ってからは、一日の中で何度もアリシアのことを考えている。
たしかにこの状態でシャーリドに視察に行っても、それこそハワード公の思惑どおり物見遊山になりかねない。
シャーリドへ立つ前に、何らかの形でケリをつけたかった。
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