【完結】領主の妻になりました

青波鳩子

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【15】静かに確認した *クライブ視点

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帰り道はずっと無言だったアーサーが、本邸に戻ると自分の部屋に招いてくれた。

「旦那様が頭に血が上って何かしてしまわないかと心配でしたが、自分のほうが完全に危険でした。あと少しであの女の顔面に拳を叩き込むところでした」

「アーサーの血が下がってくれてよかった」

「でも、ダレスの顔面には叩き込んでもいいと思っています。いつか絶対やってやりますので、許可を今ください」

「ちょっとその許可は出せない。アーサーにはオールブライトでずっと働いてもらいたいのだ。その時は私がアーサーの代わりにダレスを殴ろう。私なら誉められはしないが咎められもしない」

「私が旦那様の代わりに殴りたいのに何かおかしい」

アーサーはそう言うと笑いながら、私が持ってきたワインをスープカップに注いで飲んだ。
王都に行く風を装ったボストンバッグに入れたのは酒と着替えだけだった。

「酒はそれで止めておけ。まだこれからブリジットの部屋を確認するが残っている。飲むのはその後でいいだろう?」

「今夜はヤリますよという言質を取ったのも同然なのに、やはり確かめに行くのですか」

「行く。確認が大事だと言ったのはアーサーだろう」

「踏み込みませんよね?」

「今夜のところは」

「しかしどうしてこんなことに……」

「……私は今、自分でも意外なのだが存外この状況を楽しめてもいるんだ。ぼんやりしていたものがはっきりするのは悪くない。
ブリジットに呼ばわりされていたのをこの耳で聞いて、それがどのくらい心を冷やすのか初めて分かった。
フォスティーヌに対して同じことをしていた私へ、別の方向から報復がきたのだ。
ブリジットの言葉が刺さったのではなく、自分がこれまでフォスティーヌにしていた仕打ちが自分に刺さった。
こんな見事な返り討ちに遭うことなどそうそうない。それが清々しくて可笑しいのだ」

「では、これからは奥方様をきちんと奥方様として傍に置かれるのでしょうか」

アーサーは、こちらの目の奥にあるものを読み取ろうとするような目を向けた。

「ブリジットの正体を知ったからと言って、今更フォスティーヌを傍に……などとは全く考えていない。
私と目が合ったフォスティーヌは見るなり走り去った。こんな酷い結婚生活を強いた男なのだから、逃げて当然だ」

アーサーは無言で立ち上がり、マットにしてしまったあのひざ掛けを持ってくると私に突きつけた。

「このひざ掛けは、あれからヘレナが綺麗に丁寧に洗って二日掛けて乾かしました。
街のおかみさんに聞いたのですが、女性が自分の髪を売った金で毛糸を買って願掛けをして贈る相手を思って編むとその願いが叶うという言い伝えが、このオールブライト領にあるそうです。
おそらく奥方様はそれを聞いて長く美しかった髪を切って売り、毛糸を買った。
奥方様がどんな願掛けをしたのかは分かりません。でも髪を売って編まれたこのひざ掛けを、旦那様は今からでも大事にしてください」

「髪を売って……買った毛糸に願を掛けた……私はそのように心が込められていたものを、靴で踏みつけたというのか……。私は、なんてことを……」

「後悔だけでは道の灯りになりません。反省してそれを活かしてこそ、この先を照らす灯りになるのです。
私は祖母からそんなふうに教わりました。自分が実践できているかは分かりませんが」

「分からないのか。でもいい言葉だ。反省を活かしてこそ、この先を照らす灯りに……」

アーサーは、後悔だけでは灯りにならないと言ったが、ぼんやりと進むべき道が見えてきたように思えた。
取返しのつかないことを嘆いていても、フォスティーヌからすれば見苦しいだけだろう。
自分を傷つけた者が『今自分はこんなに辛い』と言うのを見せられるのは、二度傷つけられるのと同じだ。
嘆くなら、相手から見えない地の果てでやるべきだ。
ならば私はどうすればいいか。

「さあそろそろ行きましょう。悪女と悪党と呼び合うヤツらの決定的な場面を、我々の目でしっかり見届けなくては」

まずはこの目でしっかりと確認して、己の愚かさと深く向き合うのだ。
深く向き合えなければその先にある反省は浅く、パフォーマンスにしかならない。
アーサーと共に本邸を出て、夜を味方にして別邸に向かった。


外からやってくると別邸の中はありえないほど無駄に暖かいと感じる。
こんなに暖かいところにいる私に、フォスティーヌはひざ掛けを編んでくれたのだ。
自分の髪を切ってそれを売り、夜の寒さに耐えながら。
願掛けをしながら編んだとアーサーが言ったが、彼女はどんな願を掛けたのだろう。
私はフォスティーヌの心のこもった物をブリジットに言われて床に敷き、結果的に靴で踏みつけにした。
それは彼女の願いを踏みにじったということになる。

今は別のことを考えている場合ではないというのに、昼に本邸で見かけたフォスティーヌの怯えた顔を思い出す。
彼女にあんな顔をさせたのは紛れもなくこの自分だ。

アーサーは私の前を靴音ひとつ立てることなく歩いている。
私の部屋のすぐ横にブリジットの部屋がある。どちらの部屋の扉も見える物陰にアーサーと潜んだ。
どれくらいそうして夜陰に隠れていただろうか。
コツコツと靴音が聞こえた。
靴音をさせている主のダレスは私の部屋の扉を足蹴りにしてから、隣の扉を拳で三度叩いた。

「遅かったじゃない」

ついこの間まで心地よく聞こえていたはずの声が、生温かい汚物を耳に流し込まれたように感じてきつく目を閉じる。

──確かに遅かった。もっと早く気づくべきだった。

目を開けると悪女の部屋に悪党が滑り込み、静かに扉は閉まった。


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