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【28】オールブライト領に戻って
しおりを挟む王都から戻る馬車がオールブライトに到着したのは、すっかり陽が落ちてからだった。
オールブライトの手前の宿場町に泊まった時、すでに季節が晩秋から初冬へと移っていく空気を感じていた。
本邸の馬車寄せに停めた馬車からクライブ様は降りず、そのまま敷地の奥の別邸に向かう。
「皆も長旅に疲れただろう。今夜はゆっくり旅の疲れを癒して欲しい」
馬車が到着する前に、クライブ様はそうおっしゃった。
この本邸に帰ってくると、王宮での出来事が遠い日のことのように感じる。
別邸には、もうブリジット様と執事のダレスは居ない。
これからやるべきことが山のようにあるが、今夜くらいはいろいろ考えることをやめておきたい。
「おかえりなさいませ! 奥方様、お約束のバタークリームケーキができていますよ!」
「嬉しいわ、ただいま帰りました」
ピートが私たちを迎えてくれる。
馬車から四人で荷物を運び、アーサーもヘレナも私も、湯浴みや荷解きを済ませたら食堂に集まることにした。
***
「長旅お疲れさまでしたー!」
テーブルにはピートの温かい料理が並んでいた。
栗と塩漬け豚肉のグラタンをピートが小皿に分けてくれる。
このグラタンは全員の大好物だ。
栗の甘さと豚肉の甘さが別の種類で、本当に美味しい。きのこも二種類入っていてとても贅沢だった。
「アーサーの分を多めに盛ってあげて、旅の報酬として」
「報酬はこれだけ!……でも、大盛りにしてくれるならそれでいいような気もしてきました」
ピートは私とヘレナの皿に、割れていないきれいな栗を載せてくれた。
「別邸のメイド仲間には言えないんですよね、本邸では奥方様と同じ料理を食べているなんて」
「本邸に配属されたのは可哀相なことだと思われているのだから、そのくらいの秘密があってもいいでしょう。それに奥方様用の豪華な食事を我々が一緒に戴いているのではなく、奥方様が使用人の食べるものを一緒に食べてくださっているわけですから。この栗だって街で売っている高価なシロップ漬けではなく、本邸の裏に植えられた栗の木から拾って来たものですしね」
「でもそのほうがある意味贅沢なのよね。ピートが安い材料を美味しい料理に変えてくれているのよ」
そうして皆でピートの食事を楽しんだ後、おまちかねのバタークリームケーキがテーブルに置かれた。
私はこの家族のようなピートとヘレナに、話すべきことがあった。
「ケーキを戴く前に聞いて欲しいことがあるの。
クライブ様と私は離縁となりました。既に王宮で離縁届が正式に受理されています」
「では、奥方様はここを出て行かれるのですか!?」
ピートの質問に応えたのはアーサーだった。
「ジェイラス国王陛下の御裁量で、クライブ様は領地替えが決まり、ある伯爵領に転封となった。
そしてここオールブライト領は、俺が治めることになったんだ」
「アーサーがオールブライトの領主に! どんなミラクルがあったか知らないがすごいじゃないか! でも俺の質問の答えではないな。奥方様がどうなってしまうのかを知りたかったんだ……」
私はアーサーがこれから言おうとしていることを予想して、思わず俯いた。
「俺はオールブライト領主となるにあたって、結婚することになった。
紹介しよう、俺の愛しい妻となるフォスティーヌ様だ」
ピートが立ち上がるのに失敗して、椅子がひっくり返った。
愛しいなんて、アーサーは言わなくていいことまで言うからだ。
「なんてことだ!! ミラクルがミラクルを産んだミラクルの出産パーティじゃないか!」
「ちょっと何を言っているのか分からないけど、言いたいことは分かるわ!」
ヘレナも立ち上がった。
王宮で陛下から話があった時に、ヘレナは私の侍女として同じ部屋には居た。
そうした場で高位の人が話した内容を、自分の頭の中で素通りさせられるのが良い使用人なのだ。
「バタークリームケーキでこのめでたい日をお祝いしましょう!」
ピートのその言葉で、立ち上がっていたヘレナがお茶を淹れ、アーサーが新しい皿を並べる。
みんなの気持ちはとても嬉しくて自分もとても幸せなのに、心からおめでたいと思えない部分もあった。
そんな私の何かを察したのか、紅茶とケーキがそれぞれの前に置かれるとアーサーが静かに言った。
「二人の気持ちはとてもありがたいけれど、祝いはすべてが終わってからにしたいと思っているんだ。なんだかうまく言えないんだが」
「私も、ピートが留守番をしてくれて優しい気持ちで焼いてくれたこのバタークリームケーキを、優しい気持ちで食べたいわ。二人に話したいことがたくさんあるの。クライブ様のことも、私たちのことも」
「そうですね、たくさん聞きたいです。まずは食べましょう」
それから優しい味のバタークリームケーキをみんなで味わい、ヘレナが何度もお茶を淹れ直してくれるくらい、たくさんの話をした。
すっかり月が高くなった頃、ピートとヘレナがそれぞれの部屋に戻り、私はアーサーが淹れてくれたお茶を飲んでいる。
たくさんお茶を飲んだせいか、疲れているのに少しも眠くなかった。
「これから忙しくなりますね。でもどんな時も俺がついています、あまり無理をしないでください。疲れた時はそう伝えてください」
「ありがとう」
そう言えば、アーサーは私の前で自分のことを『俺』と言うようになっていた。
『私』からいつ頃変わったのだろう、あまり覚えていなかった。
「フォスティーヌ様、少し待っていて貰えますか」
「ええ分かったわ」
アーサーが慌ただしく部屋を出て行き、しばらくして紙袋を手にして戻って来た。
「フォスティーヌ様、オールブライトに来られて最初に街へ行った時に買ったインクは、あとどれくらい残っていますか?」
「え? あのインクなら今二つ目の瓶で、あと三分の一くらい残っているかしら」
「ではその残りと未開封の瓶を俺が貰ってもいいですか」
「……それは構わないけれど、どういうこと?」
「これからはこれを使ってください」
アーサーが紙袋からインク瓶を六つ並べた。
一つを手に取ると、濃いエメラルド色のインクで、他の瓶もすべて同じ色。
私をまっすぐに見ているアーサーの瞳を見て、私はハッとした。
「……あのインク瓶を店で渡してくれた時、アーサーは気づいていたのね……」
あの日、私はクライブ様の瞳の色のような、青いインクを探していた。
そのことにアーサーは気づいて、あの時『お探しの青はこれでしょうか』と渡した……。
「あの日、俺の心の中に真っ黒なインク瓶が置かれたのです。
主の奥方様に持っていい感情ではなかった。
自分を蔑ろにしている夫の瞳の色のインク瓶を探しているあなたの横顔に、決して言葉にしてはいけない思いを黒々と抱いてしまった。
今日から、このインクで文字を綴ってもらえませんか。
あなたが綴る言葉を、景色を、俺の目の色で」
インク瓶を手に取って、灯りに透かして見る。
濃いエメラルド色に、紺色を少し落として混ぜたような色。
灯りの下で、一対の同じ色の瞳が私を見ている。
「侯爵家で育った私は心を顔に表さないのは得意だったけれど、アーサーはそれよりもっと上手だったのね」
「そうでもないです。今の俺はあなたに焦がれていることをたぶん少しも隠せていないでしょう」
「それはきっと私も同じね……。
このインクを使ったら、私は詩人になってしまいそうだけど、そんな転職も素敵かもしれないわ」
「インク瓶はあったものを全部買い占めてきましたから、壮大な戯曲も書けるかもしれませんよ」
私は急に恥ずかしくなって立ち上がり、窓から外を見た。
この胸の内を言葉に綴れば、下手な詩人になってしまうことは避けられない。
あの暗い夜空にも白い月にも、下手な詩人はそこに愛しい人を投影してしまう。
「抱きしめてもいいですか」
背後に立ったアーサーが、掠れた甘い声で囁いた。
「……断られた時のことを考えていないなら、聞かなければいいのに」
「そうですね、失敗しました」
アーサーの体温が私を包んだ。
こんなにも温かく、安心できる場所があるなんて知らなかった。
オールブライトにやってきた日から、ずっと一人だった。
それは、バーネット侯爵家に居たときからずっと……。
誰にも甘えることもできず、寄りかかることもなかったけれど、これからはそうではないのね。
部屋の灯りが作る影は、しばらくそのままだった。
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