領主の妻になりました

青波鳩子

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【最終話】領主の妻になりました

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今日は朝から大忙しだ。
私は初めて別邸に足を踏み入れた。
自分は別邸に何か思うことがあるだろうかと、事前にぐずぐず考えた時間は無駄だった。
クライブ様がブリジット様を囲って暮らしていた別邸は、以前の領主が美術品を魅せるために作った館というだけのことがある、さすがデザイン性に富んだ建物だなと思っただけだった。
クライブ様とアーサーが、別邸の使用人たちの今後を決めていった。
基本的には本人の希望を優先して、クライブ様と一緒に伯爵領に行く者たち、本邸の使用人を少し増やすことにしたので本邸で働くことになる者たち、退職を選んだ者たちもいる。
ブリジット様の侍女やメイドだった者たちは、全員が退職を自ら選んだ。
本邸で働くことになる者の中で、女性についてはヘレナの意見をよく聞いた。

ブリジット様の残した多くのドレスや貴金属類、帽子や靴や本に至るまでのすべてを、使用人たちに分け与えることになった。
質の良いものが多いので、売ればお金になる。
女性物ばかりだが男性にも公平に分けていく。妻や妹などへあげてもよいし、もちろん売ってもよい。
その分配などもクライブ様とアーサーが中心となってやっていた。
ヘレナは、最初は要らないと言ったけれど、売ればお金になるしジュエリーは宝石を外して再利用することもできるからと言ったら、それなら戴きますと小さな笑顔を見せた。
下着類や靴下まですべてが誰かの手に渡り、ブリジット様の部屋が空っぽになった。

「実はこの部屋に入るのは初めてなんだ」

空になった部屋を見回して、クライブ様が驚くようなことを言った。
アーサーが少し前に、『クライブ様はフォスティーヌ様とも白い結婚だったが』と口を滑らせた。
まさかあれだけ仲睦まじく、大切に囲っていたブリジット様と何も無かったのかと少し驚いた。
夫婦や恋人同士という『閉ざした世界』の中のことは、外から伺えるものではないのだと改めて思う。

「こうしてすべての物を出してみれば、ここに在った物たちは僕の愚かだった日々を形にしたものだと思えて、君に申し訳ない気持ちがまた湧き上がってくる」

「歩み寄ろうとする姿勢が私にあったかと言えば、そうでもありませんでしたので、もう過ぎたことです」

「いつまでも何度も謝罪の言葉を口にするのも返って失礼だと、分かってはいるのだがつい出てしまうのだ」

「クライブ様のお荷物はもう片付いたのですか?」

「ああ、ほとんど馬車に入れてある。今度の領地はここよりずっと暖かいようだから、寒冷地用の上着などは、ここに残る従者たちに置いていく。必要であれば使ってもらえたらと」

「クライブ様、昼食でもご一緒しませんか?」

「アーサー、ありがたいが、まだ少しやるべきことが残っているんだ。あと二名分の紹介状を書かなければならない。よく働いてくれた者たちだから、良いところをいくつも書こうと思っている。これが終わればすぐに伯爵領に向かう。
見送りは要らないから、今ここでお別れだ」

クライブ様は私に向かって言った。

「僕は結婚式の場で、君を愛することは無いと、愚かにも言ってしまった。
どうか二人は、愛し愛され……幸せになってほしい、そう心から願っている」

「クライブ様も、どうかお幸せになってください」

「お身体お気をつけてくださいね」

「ありがとう、では」

クライブ様は微笑を浮かべると、別邸の執務室に入りパタンと扉を閉めた。
私たちは閉じた扉を見つめて立ち尽くした。
しばらくそうして扉を見つめ、そしてくるりと向き直るとアーサーは歩き出し、私もその後ろを歩いていく。
クライブ様は、私たちに見送られることを柔らかく拒絶した。

人に優しくされることに慣れていない人だと感じていた。
結婚の前に私宛に『弟のことをよろしく頼む』と一行だけの手紙を陛下から戴いたのは、そうしたクライブ様のことを慮ってのことだったのだろうと今なら分かる。
クライブ様と私は初めからずっと、互いの人生が重ならないようになっていたかのようだった。踏み込んでいく勇気の無い私と、傷つくことを恐れて最初から踏み込ませないようにするクライブ様。
きっとブリジット様がいなくても、結果は同じだったように思えた。


***



あの日、クライブ様を乗せた馬車がオールブライトを後にするのを、本邸の二階の窓からアーサーと共に静かに見送ってから七か月が過ぎた。
その七か月は、噛み砕いた飴玉みたいに忙しさの中に溶けていった。
本邸と別邸の改装工事がようやく終わった。
ピートとヘレナの他に別邸から従者がやって来て、本邸も少し賑やかになった。

今日は結婚式。
と言っても、私は再婚なので実を言えば教会での式はしたくなかった。
でもアーサーがどうしてもと言うので、またあの街はずれの小さな教会で式をすることにした。
真っ白ではなく、遠目からは白っぽく見える淡いモスグリーンのワンピースを選んだ。

この七か月、夕食後にもいろいろな作業があって本当に時間がなかったけれど、眠る前の僅かな時間にレースのベールを編んだ。
ここから遠い島国の最北端の島には、極細の羊の糸で編むレースがあるという。
その島で作られる、極細の糸と同じくらいの細さでモッカ婆さんが撚ってくれた糸玉は、本当に細くて軽くて編み目を間違うと解くのも一苦労だった。
モッカ婆さんは、糸玉を作るのはこれが最後だと言った。
指先が思うように動かせなくなってきたと寂しそうに言ったモッカ婆さんが撚った最後の糸玉を、私は大切に大切に編んだ。
結婚式が終わったら、モッカ婆さんにあげる予定だ。
とても軽い糸で長方形に編んだので、細長く畳めばマフラーのようにもなるし、そのまま羽織っても肩周りを軽く温めてくれるだろう。
ちなみにモッカ婆さんのことを、アーサーとの結婚が正式に決まってからは『モニカ様』とお呼びするのにそれだと返事をしてもらえない。
モッカ婆さんと言い直すと満面の笑みで振り返るので、この頃は堂々とモッカ婆さんと呼んでいる。

今日はヘレナが髪を結ってくれる。
短く切ってしまった髪も、ずいぶん伸びてきた。
モッカ婆さんの細い糸で編んだ花のモチーフを、ヘレナがひとつひとつ髪につけていく。
髪を少し束に取って、そこに花のモチーフの糸を結んでいくという、根気のいる作業をヘレナは楽しそうにやってくれている。

「このお花、とても繊細で素敵ですよね。こんな細い糸では自分は編めませんが、普通の毛糸ならできそうなのでいつか教えてください」

「まあ、私が誰かに編み物を教えることになるなんて。オールブライトへ来るまでは、針も棒も持ったことがなかったのよ?」

「フォスティーヌ様は、生まれた時からオールブライトにいるみたいですよ。
さあ、お支度ができました。早くアーサー様に見せてあげてください。
落ち着かないのか、廊下をずっと行ったり来たりしていますから」

ヘレナが開けてくれた扉から部屋を出ると、アーサーが振り返った。

「……すごい、綺麗だ……こんな……何のひねりもない言葉しか出てこない……」

「どうしてひねらないといけないの、……ありがとう、アーサーも素敵よ。ちょっとタイを直すわね」

アーサーはシルバーグレーのコートに、私のベールとお揃いの糸で編んだタイを結んでいる。
お世辞抜きで素敵だった。まともに顔を見られないのでタイを直すのは都合がいい。

「タイを締めるのは好きではないけど、こうして毎朝直してくれるなら、毎日してもいいな……」

「毎日するなら自分できちんとできるようになるわ、良かったわね」

「……ヘレナ、聞いたか? 俺は今、意地悪を言われたんだよな?」

「はいはい、もうお時間ですので急いでくださいね」

ヘレナに背中を押され、私たちは本邸の前に停めてある馬車に乗り込んだ。
ピートも走って出てきて、大きく手を振ってくれている。

オールブライトの旗にもなっている紋章の入った馬車に、私は初めて乗った。
いつもは本邸から歩いて乗合い馬車の停留所に行っていた。
思ったより豪華という訳でもないのね。

「初めてオールブライトの馬車に乗ったわ、それほど豪華でもないのね……ってところですか?」

「まさかそれは私の真似なのかしら。まったく下手ね。
初めてオールブライトの馬車に乗ったわ、それほど豪華でもないのね、こうよ」

「本人による真似はずるい、似ているに決まっている!」

私は声に出して笑ってしまった。
アーサーが私の緊張感を和らげるためにわざとふざけているのが分かって、まんまと笑う。
でも、むしろこういう何気ない幸せの一場面が、私の涙を探し出してくる。
だから笑う。今はまだ泣いてはいけない。

教会に着くと、今日も誰かに案内されるわけでもなく、自分たちで司祭がいる部屋まで行く。
そこにいた司祭はあの日の司祭とは違う人で、ほんの少し安堵した。
すぐにセレモニーを行うようで、私たちは礼拝堂の入口に立つ。
父や兄にエスコートをされて祭壇の前にいる新郎まで歩くわけではなく、最初から二人で祭壇まで歩いていく。


 陽の光が地上のすべてを暖かく優しく照らすときも
 雨粒が濁流となりすべてを押し流そうとするときも

 あなたがたは互いの手を取り、支え合い生きることを誓いますか
 そしてその手を離すことなく、貞操を固く守ることを誓いますか


柔らかな司祭の声が、礼拝堂の高い天井に響いてそこから降り注ぐ。
合図もなく、アーサーと私の声が重なった。

「はい、誓います」

顏の半分ほどをふわりと覆っていたベールをアーサーが上げる。
濃いエメラルドグリーンの瞳が私を捉え、優しい瞬きをした。
そこに愛があるか無いか、分からない訳が無かった。
瞳は真実を映す鏡で、私はそこに映る偽りの無い愛を見つめる。
アーサーの顏がゆっくりと近づき、私は目を閉じた。
私のくちびるに温かいアーサーが優しく触れ、そっと離れる。

「あなたを愛しています」

近くに居る司祭にも聞こえないほどの声で囁いた。
堪えていた涙がこぼれ、それをアーサーが優しく拭う。

「私も……あなたを愛しています」

やっと、この気持ちを言葉にすることができた。
水の湧く泉が胸にあるように涙が次々溢れてきて、アーサーは私を横抱きにした。
その胸に私を抱き留めたまま教会の中を歩き、誰かが扉を開け放った。

そこにはヘレナやピート、本邸で働く者たち、そしてオールブライトの街の人たちがいた。
驚く私に、おめでとうの声が降り注ぐ。


「フォスティーヌ、挨拶をしよう。みんな居るから一人一人に挨拶に行く必要はないようだ」

結婚したら私の名前をそのまま呼ぶと言っていたアーサーが、その時の言葉どおりフォスティーヌと私を呼んで、そっと降ろした。
ああ、私はこの人の妻になったのだと、そんな思いがこみ上げる。

「この度、領主の妻になりました、フォスティーヌと申します」

お辞儀をすると、大きな拍手が私を包んだ。
野菜屋の御主人が弾く、鍵盤の抜けた古いオルガンから明るい曲が流れる。
聴いたことがあるような無いような、でも踊り出したくなる曲だ。
結婚式にはもっと荘厳な曲が合うのかもしれないけれど、私たちにはこれが似合う。
アーサーが跪いて私の手を取り、私は回る。
ワンピースのスカートが、幸せでふんわりと膨らんだ。



おわり





====================================

これにて完結です、ここまでお読みくださってありがとうございました!
たくさんのエールやブックマークやしおりなど、とても嬉しかったです。

               青波鳩子(*´ω`*)

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