【完結】あの日の小径に光る花を君に

青波鳩子

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【26】誰も居ない庭

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与えられている部屋に戻り、廊下に控えていたブレッサン邸の侍女に声を掛けた。

「少しお庭に出たいの。私が歩いても問題ないところがあれば、案内してもらえるかしら」

「かしこまりました。ご案内いたします」

侍女の後にノーラと共に付いて行く。
祝賀会までは支度時間を考慮しても少し余裕があるので、庭で休みたかった。
ヴィオラのことをゆっくり考えるには、自然に囲まれた場所が良さそうに思えた。

「こちらのお庭は、サンタレーリ公爵令嬢様のお部屋からしか見えない造りになっております。広くはございませんが、ご自由にご散策ください。お庭でのお茶もご用意できますが、いかがいたしましょうか」

「いえ、お茶は戻ってから部屋で戴くわ。ありがとう」

「かしこまりました」

侍女が下がると、ノーラと護衛にも下がってもらった。
もちろん私から見えないところに移動するだけで誰もいなくなるわけではないけれど、一人になりたかった。
丁寧に整備された花の小径をゆっくり歩く。
我が家の庭は石が敷かれているところが多いけれど、ここは枕木が敷かれていた。踏み込みの当たりが柔らかくて、気持ちよく歩いて行ける。
小径の両脇には薄桃色のモスフロックスが、カーペットのように敷き詰められていてとても見事だ。

「絵の中にいるみたい。アルマンドは素敵なお庭がある部屋を与えてくれたのね」

誰も見えない気安さから、独り言を言う。
開いた傘のように可愛らしく剪定された木の前に、ベンチがあった。腰を下ろして空を仰ぎ、ゆっくりと流れていく雲を見る。
庭でこんなふうにゆったりと寛ぐことなど、ここのところまったく無かった。
何も考えず、ただ雲の動きを見ていると自然に瞼が落ち、小鳥の囀りや木々の葉が揺れる音がより鮮やかに聞こえてくる。
視界からの情報を遮断することで研ぎ澄まされる、耳に届く音、頬に触れる風、そして鼻腔に届く緑の香りを楽しんだ。
しばらくの間そうしていると、その中にザクザクと枕木を踏みしめる音が混じり、私は目を開けた。

「レティーツィア」

誰もいないはずの庭にやってきたジュスティアーノ殿下が、柔らかな微笑みを浮かべて立ち止まった。

「ここは誰もいないと聞いていました」

「すまない、アルマンドにレティーツィアと少し話せないか尋ねたら、ここを教えてくれた。眠っているのかと思った」

「これからというところでしたわ」

「それは邪魔をしてしまったな」

殿下を立たせておくわけにもいかず、立ち上がってベンチを勧めると、殿下はベンチの端に座って私にも座るように言い、反対の端に腰を下ろす。
ジュスティアーノ殿下はこのような場所まで何故やってきたのだろう。
用があっていらしたのだから、先に口を開くのは殿下だろうと静かに待った。
チチチチと囀る小鳥たちが、木から飛び立っていく。

「聞きたいことがあったんだ。前回の定例議会の日、レティーツィアは手に怪我をしていただろう? 議会の最中に何があったのかと案じていた」

定例議会の日のこと……。
殿下とヴィオラの婚約の話で意識を飛ばしそうになり、痛みを以てそれを止めたことを思い出す。
あの時の複雑な感情を殿下にうまく伝えられるはずもなく、伝えて良いとも思えなかった。

「……爪が、折れてしまったのです。お気遣いありがとうございます」

「爪が……そうだったのか」

殿下は納得していないような表情を浮かべているけれど、本当は違うことを聞きたかったのではないだろうか。
私がヴィオラから彼女の胸の内を聞いていたのではないかと、殿下にそう思われていてもおかしくない。
ただ実際は、殿下との婚約のことさえヴィオラから事前に伝えられていなかったけれど……。

「こちらにいらした本題をお話しくださいませ。ヴィオラのことで私に何かお尋ねになりたいことがおありなのではないですか? と申しましても、先ほどお話したこと以外、特に情報を有してはいないのですが……」

「本題……? あ、いや、別に他に聞きたいことがあったわけではなく……前に、レティーツィアが婚約破棄となっただろう? その後、体調など崩していないか、新たな婚約者が決まったのかと……心配だったというか、なんというか……」

口元を手で覆いその先の言葉を呑み込んだ殿下は、いつもの何事にも動じない雰囲気が消えている。
それが私にまで移ってしまったのか、言葉がすぐに出てこない。
何か言わなくては……。

「……ご心配……いただき、ありがとうございます……新たな婚約者はまだ決められていません。体調は、はい、もう絶好調……違うわ……良好……? あの、普通に、ええ……元気で……」

「絶好調……っふっ……ははは!」

「え? あっ……もう!」

堪え切れないという感じにジュスティアーノ殿下が吹き出して笑ったので、私もつられて笑ってしまった。
一瞬、微妙な空気が流れたけれど、笑ったことでその空気が吹き飛ばされてホッとする。

「心配だったというのは本当なんだ。しばらく話す機会もなかっただろう? でも、今は絶好調なようで安心した」

「絶好調は忘れてください!」

「残念ながら優秀な第一王子は記憶力がいいんだ」

「ご自分のことを、残念な第一王子なんておっしゃらなくて大丈夫です」

「久しぶりに不敬ポイントを集め始めたな?」

「そろそろ景品に換えられる頃かしら」

「貴族牢宿泊券がそんなに欲しかったとは」

「貴族牢……煩わしいことから離れてゆっくり過ごせそうね」

「レティーツィアは何でも楽しめるのだったな」

このところずっと眉間に皺を刻み、目の下に隈があったジュスティアーノ殿下が笑っている。
こんなふうにジュスティアーノ殿下と話せるとは思っていなかった。
今まさに、自分の婚約が無かったことになろうとしているから、婚約破棄となった私のことを気遣ってくれたのだろうか。
殿下の立場を考えれば、私よりもずっと重い婚約の解消となるはずだった。
ジュスティアーノ殿下には時に厳しすぎるほど、常に完璧な第一王子像を求めていらっしゃる陛下がヴィオラのことでどうなさるか、私には何も分からない。

ヴィオラが殿下の婚約者になりたかったのはたぶん、自分が努力している時に遊んでいた妹エデルミラ嬢が、いずれ王妃になることを受け入れられなかったからだけではない。
ヴィオラが幼い頃に胸に秘めていた、ジュスティアーノ殿下への想いがあったからなのだと思っている。
それを知れば、女公爵を目指していたヴィオラに王室の力で捻じ曲げた婚約だったと思っているかもしれない殿下の心の呵責も少しは軽くなるだろうか。
だけど、私がそれを言うことはできない。
誰であっても、他者の心の内の想いを勝手に明らかにすることなど許されない。
しかもヴィオラ本人が直接私にそう言ったわけではないのだから。
これから婚約を白紙に戻す過程において、ヴィオラは殿下に打ち明けるかもしれない。
それで少しでも、殿下の心の負担が減ることを祈ることしか、私にできることはなかった。

「……そろそろ部屋に戻ります。祝賀会への準備をしなくてはなりません」

「そう、だな。邪魔をして悪かったが話すことができてよかった。祝賀会では、レティーツィアには外国から招聘した技術者たちや内外の貴族たちと話をしてもらえればと思っている。サンタレーリの石の質についてなど、聞きたい者もいるだろう」

「かしこまりました。亡き母も開港を楽しみにしていたと聞いていますので、サンタレーリの石に関して何を尋ねられても良いように準備をしてあります」

「ああ、それはお母上も喜ばれるだろう。では後ほど」

ジュスティアーノ殿下が見えなくなるまで立って見送ってから、ベンチに座り込んだ。
先ほどのように目を閉じても感覚が研ぎ澄まされることはなく、ただジュスティアーノ殿下の声が頭の中で繰り返され、胸を締め付ける痛みに変わっていくのを茫然と受け入れるだけだった。

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