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分厚い壁

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翌日、軽いだるさと頭痛を覚えながら勤務に就く僕。
シフトインミーティングでいきなり店長に絞られることとなる。
「橋本君、週末の大口注文の仕込みが全然進んでないんだけど⁉おとといの遅番の時にみんなに指示を出してなかったの⁉」
しまった。
おとといは異様に忙しく、目先の営業を回すのにいっぱいいっぱいで重要な任務を忘れてしまっていた。
「す、すみません…ついバタバタして…」
「正社員になりたいなら、こういうタスクをどんな忙しくてもこなせるようにならなきゃダメなの!しっかりして!」
べつに社員になりたいとこちらから頼んでいるわけではない。
…などと言える筈もなく…。
「とにかくチキンの捌き作業だけは今夜中に終わらせて!」
「は、はい…すみません…」
僕自身は遅番業務をこなしながらでは、余分な作業はできない。ほかのマネージャーの能力ならこなせるのかもしれないが…。
営業時間内にそれを済ますには、奥の厨房で作業する学生バイトたちの協力を仰ぐしかない
「す、すまないけど、チキンを10袋分、すぐ調理できるように捌いておいてくれないかな…」
「はあ⁉何言ってるんすか⁉」
厨房に入っているのはあの小笠原君と、彼と仲の良い手塚君だった。
「俺ら今日早く帰らないといけないんすよ。テストも近いんでー。」
「時給上がるんすか?あがらないっしょ?てか橋本さんにそんな権限ないし。」
「どうせ店長に怒られるから焦ってるんでしょ?俺らにケツ回さないでくれます?」
そんな…
小笠原君達は最早僕には一瞥もくれず、馬鹿話をしては笑い合っていた。
自分は今、さぞかし情けない表情を浮かべてるんだろうな。
とにかく僕自身が終業後、作業をして帰るしかない…。
ああ…また帰りが、寝るのが遅くなる…。
これじゃコンディショニング云々どころじゃない…。

球速測定当日。
「きょうはありがとうございます。よろしくお願いします!」
グラウンドに待ち合わせ時間通りに来てくれた野村先輩に深々と頭を下げた。
「いいってことよ、なんか面白そうだしな。んじゃとりあえずキャッチボールからするか。」
「はい!」
朝方ドリンク剤を飲んできた。
とにかくこのコンディションで、できうる限りの球速を絞り出して見せるしかない。
すこしでもファースト・ドアへのアピールができる記録を…。
念入りにウォームアップをする。
野村さんがネット裏でスピードガンとハンディカムを構える中、僕は第一球を投げた。
「八八キロ!」
…軽く眩暈がした。そこまで低い数値が出てしまうとは思わなかった。
どんなハンデがあろうと。自己最速の一〇三キロは確実にオーバーするつもりで鍛えまくってきたつもりだったのに…。
くそっ。
足を高く蹴り上げ、体のひねりを大きくして、僕は必死にぶん投げた。
九五キロ、九六キロ…。
四〇球投げても球速が一〇〇キロを超えてこない。
「橋ちゃん。そろそろ仕舞にした方がいいんじゃないか⁉
肩でも壊したら…。」
見かねた野村さんはそう言うが…
「すみません、あと5球だけ!」
僕はそう言って続行を志願した。
ここで終われるか!このままでは遠のいてしまう。
ファースト・ドアのスポンサー支援も、僕の夢も…。
そして渾身の力を込めたラスト一球!
「一〇〇キロ‼」
「よっしゃ‼」
なんとか、ぎりぎりのところで面目は保ったが…。
結果そのものは不本意極まるものであった。
「映像見たけど、速い球を投げたいあまりに投球フォームが乱れてしまってるな。典型的な上半身投げやね。」
技術面では、野村さんにそう指摘を受けた。
確かに。自分でも自覚症状はある。本来専門家に一からフォーム指導を受けるべきなのだ。上のレベルを狙うなら。
それが出来るだけの金があればの話だが…。
クールダウンを終え、ため息をつきながらグラウンド整備をする僕を、野村さんも手伝った。
「橋ちゃんよ、もちろん夢を追うのは自由だけど、ぼちぼち就職も考えないといかんぞ。そのファースト・ドアが正社員にしてくれるって話じゃないんやろ?」
先輩の言葉が胸に刺さる。弥生みたく変なエゴからではなく、それなりに親身になって言ってくれているからこそ余計にだ。

夢の前に厳然として立ちはだかる「現実の壁」
それは想像以上に高く、分厚い。
僕はどうすべきなのだろう。
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