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本編

人並み以上

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 しんと静まり返った店内に、響くのは外から漏れ聞こえる微かな町の声だけ。 
 
 何も道具のない店内は、空っぽの棚ばかりでいつもより広く感じてくすぐったい。

 握られた手が心なしか冷たい。
 私が緊張しているのか、ディオが緊張しているのか。少しばかりしっとりとしている手のひらを意識すれば、また緊張してしまう。
 目の前にある顔は飄々とした表情で、にこりと微笑んだ。


 それを見て、こくりと頷く。

 目を閉じて、この呪いを消したいと強く願う。
 苦しんでいた魔物の声が、聖女様の苦しみを思い出す。

 あの苦しみを解いていくように、溶かしていくように心の中で強く願う。
 
 ——強く願って——

 また頭の中で声が響く。

 魔法がうまくいかなかった時と違って、声を聞く方法がうまくわかる気がした。

 今までは技術や方法で魔法を使おうとして失敗ばかりしていたけど、目の前の人を見て、この人の苦しみを取り除きたいと願えば、その声はすんなりと耳に入ってくる。
 その声に従って、魔力を注ぐ。

 そうか……
 魔法が失敗していた理由は、みんなと魔法の使い方が違うからだったんだ。声を聞いていなかったから——


 涼しい風が、ブワリと髪の間をすり抜ける。

 ふわりと香るのは、毒特有のむせかえるような甘い匂いではなく、花の香りが鼻を掠めた。


 サラリと、目の前を黒い髪が横切り、見慣れた瞳がきらりとこちらを捉えた。

 風が止み、魔力を目一杯注げば、ぱりん、と音がなり、ディオに絡みついた黒いものがバリンと鳴き声を上げた。

「あれ……息が、苦しくない……?」

「ディオ、呪いが……!」

 ディオが自身の頬を触ると、突如パキパキパキと音がなり、ボロボロと呪いが割れ落ち、徐々にディオの素顔が現れ始める。

 ガシャン、と、ガラスが割れるような一際大きな音がなった。
 一気に呪いが飛び散り、砂のように散っていく。ディオと一緒に黒い霧に覆われたのも一瞬のことで、一筋の風が吹き込むと同時にその黒い霧は光の粉となり消えた。
 
 つい先程まで黒い髪に黒い肌、指の先まで漆黒の呪いに包まれた、疲れてくたびれた青年だったのに、目の前に現れたのは、艶やかな銀の髪にアイスブルーの瞳をもつ、美しい青年だった。
 
 いつだって疲れていて、私の魔法で回復したとは言ってもどこか疲れていて丸まった方が不健康でヒョロリとした印象を与えていたが、その面影はなく、ピシリと伸ばされた背筋は品がよく、それもまた、美しさを際立たせている。

 呪いがある時も美しい顔立ちであったが、呪いが解けると、そこには煌びやかな美しさがあった。

「ディオ……」

「……ありがとうステラ、成功みたいだ」
 
 ディオの嬉しそうな笑顔をに私も自然と笑顔になる。しかし同時に、寂しい気持ちも込み上げてきた。
 仕方ないことだけど、きっともう会うことは無いだろう。
元々私たちの関係は、回復魔法の効かないディオを癒すことができたのが私の毒魔法だったという理由だけだ。


 これで、さよならかと思うと、胸が苦しくなる。また少し涙が浮かびそうになるのをグッと堪え、笑顔を必死で保つ。


 ぼやけ始めた視界の中で、華やぐような笑顔を浮かべて、ディオはぎゅうと私の両手を握り込みんだ。


 そっと唇をそこに寄せる。
 柔らかな感触が、手の甲に伝わり、は、と息が止まる。カッと体温が上がり始める。

「なっ」

「ステラ、今から君と、新しい関係を築きたいんだが、許してもらえるだろうか?」

「新しい関係……?」

「今までは僕が君に毒を強請るばかりの関係だった。だから。今から。今この瞬間から、利害関係だけの関係じゃなくて、何でもない僕と新しい関係を築けませんか?」

「え?」

 ぐんと近くなるディオの顔に、顔が赤くなる。心臓もバクバクとうるさい。

「だって、私が必要だったのは、毒で、だって、ポンコツで落ちこぼれで」

ディオの瞳が優しく細められる。

「一緒にいる理由が必要?」

「どう、いうこと?」

「僕は君を離したくないステラ。毒魔法に苦しむ君も愛おしかったけど、それだけじゃない。僕がどんな姿であろうとも態度を変えないステラにいつだって心を奪われている」

 キラキラと光る髪が、頬にかかる。
 随分と近い距離にある瞳が、じっと私を見つめている。

「つまり、君が好きなんだ」

「!」

「君の魔法が、じゃないよ。君が好きってことだからね」

「な、な、な」

「ああ! もちろん、まだまだ君の暴けていない部分をもっと見たいのも本心だよ。魔法の循環も、随分と不思議な言葉が出てくるその頭の中も……心も、体もね。おっと、もちろん僕の事も十分調べてくれて構わないけど?」

「えっはっ!? やめ、ぬ、脱ぐな~」

「ふふ……返事は? どうかな。——まぁ、もう離す気はないんだけどさ」




 ぎゅう、と抱きついてきた体は、随分と暖かく、キュッと私も体を預けた。





◆◆


 王城は、想像していたよりも何倍も大きなものだった。当たり前だが、想像を絶する大きさだ。
 
 どれほどの高さなのか見上げようとすれば、首が変な音を立てそうだったし、この日のためにメグが整えてくれた髪はグシャリと潰れてしまいそうになるので、慌てて首を元に戻した。


 まさか王城に自分が来ようとは。
 思いもしなかった出来事に父と母にも手紙を出したが、それが彼らに届くかはわからない。
 「私どうやら聖女らしい、かも」なんてことは書かなかった。
 詐欺にでもあったのかと心配されてしまうに決まっている。
 心配しないように、当たり障りない日常の文章の最後に追伸として記しておいた。

 タイミングよく店の売り上げがしっかり確保されていたので、ありがたくそのお金で派手すぎないこの世界で言うスーツのようなドレスを選んだ。

 メグはもっと目立つような豪奢なものにするように横槍を入れてきたが、私にはどう考えても馴染みそうになかったので遠慮した。

 侍女が身に纏うような物だそうだが、それでも十分だった。

 堅苦しいものは私には合わない。可愛らしいドレスは確かに可愛いと思うが、自身が着るとなると別だ。メグが着ている服を見てるだけで十分と言うものだ。
 前世ではカチッとしたスーツは苦手だったし、やっぱりこの世界でもコルセットなんてつけられたものではなかった。前世であれほど楽な服装に慣れきってきたのだ。そう思うのも当然と言うものだ。





 ディオに手渡された国王からの手紙の内容は、こうだった。

『保護した聖女の救済を貴殿にお願いしたい』
 要約するとそんな感じだった。
 聖女の1人であるシェリーさんに話を聞いたら、私の名前が出たのだ。

 ——奇跡の力を持つものがいる。

 その話は瞬く間に王城で広がり、まずは衰弱し始めた聖女たちを治してほしいという事らしい。
 ディオが『魔女』の報告書をあげ、早急に解決するべき案件となった。

「国外に売られた聖女達は、残念ながら生命を維持できなかったようだ」

「維持ができない、ってことは魔物に...?」

 ディオはため息混じりに頷いた。

「ある日突然居なくなったと聞いている。魔物になった後も自身の思い出を辿り、未練のある場所、思い出のある場所に戻ってきていたと言う感じかな」

「じゃあ、もう魔物になってしまった聖女様達は救えないのね......」

 ずっしりとした何かが胸にのしかかる。
 魔物に変わってしまった聖女さまの助けを求める声を思い出すと、苦しい。
 しかし、もうこの世にいない人を助けることなんてできない。そればかりは、どうしようもない。

「とにかく、君の力が本物か国王は見たいんだろう。このような事件が起こった後だ。また魔物をこの国から出すような事はしたくないんだと思うよ。大丈夫。僕も一緒に行くさ」

 そういった目で見られているのかと緊張が走るが、ディオが一緒ならば、と考えれば少し心が落ち着いた。

 コクと頷き、早速王城へ向けて準備を始めた。時間は止まってはくれない。日取りもすぐそこである。

 せめて無礼にならないようにと、王城のマナーに詳しいメグに話を聞くことにしたと言うわけなのだ。そして冒頭に戻る。





 城の大きな門の前に左右分かれて1人づつ騎士が立ち並んでいる。深く被られた帽子で遠目からはわからなかったが、そこには見たことのある顔があった。

 にこりと笑った大きな体の男性は、ニカっと微笑み、その体に似合わず小さな動作で気安く手を振っていた。

 反対側で立つ騎士が驚いた顔をして近寄ろうとしていたが、サンジェルさんが「知り合いなんだ」と言うと頷き、軽いお辞儀と共に定位置に戻った。

 知り合いと聞くと警戒を解くとは、どうやらサンジェルさんへの信頼は相当に厚いようだ。

「サンジェルさん!」

「やぁ、セナード嬢。見違えたよ。随分大人ぽくなるもんだなぁ。ああ、ディオは扉の向こうだよ」


 そういうと、ちょいちょいと手招きをするので、近づけば、サンジェルさんが深々と頭を下げた。

「ちょっと! なんですかサンジェルさん!?」

「セナード嬢、貴女に最大の感謝を申し上げる。ディオの呪いを治してくれてありがとうございます」

「や、やめてください、私、そんな」

「謙遜なされるな。さぁ、中へどうぞ」

「ぁ、ありがとうございます」

「いいえ、段差にお気をつけて」

 開かれた大きな扉を抜けると、煌びやかなフロアが広がっている。


「ステラ」

 声がした方を向けば、そこには美しい騎士の服を身に纏ったディオがそこにいた。
 普段着ている服よりも特段に綺麗で、美しい。
 ピシリと整えられた格好に、小さな頭がちょこんとついている。
 まるでモデルのような出立ちに、この空間がとっても似合っていた。とろけたような笑顔が私に向けられている。
 うっとりするような銀の髪は綺麗に結われていて、高い鼻にアーモンド型の目がイタズラに歪む。形のいい唇は嬉しそうに弧を描いた。

「うん、さすが僕のステラ。素敵だ、さ、行こうか」

 歯の浮くようなセリフにどきりとするが、緊張が上回りうまく返事ができない。

「うん」       

 それだけなんとか返して、差し出された手を取った。

「いったい何を聞かれるのかしら」
「何を聞かれたって正直に話せばいいさ。良くわからない話は流せばいいよ」

「そんなことして大丈夫なの!?」

「王族が国力の低下を無視した結果さ。僕も君も良く働いた国民だよ。恩はあれど、罪になるような事はしていないからね」

 広いフロアを抜けて、部屋を2つほど抜けると、長い廊下が現れた。

 一際大きな扉が、私たちの姿を捉えたメイド達によってゆっくりと開かれていく。
 
 その奥の大きな椅子があった。
そこにはたくさんの髭を蓄え、雑誌でも見たことのある国王の顔があった。

 どっしりと座る国王の顔は、紙面で見たような晴れやかな笑顔ではない。

「良く、お越しになられた」

 低く、嗄れた声が広い部屋に響く。

 大きな窓に囲まれた部屋は、明るい部屋に時おり雲の影を落としていく。
 
 国王が首を振れば、部屋からメイド達が頭を下げ出ていった。全員居なくなり、広い部屋にポツネンと私とディオ、そして国王だけが残された。

「ディオ・プリスト、いやディオ騎士隊長」

「はい陛下」

「よくやってくれた、新たに現れた魔物を討伐してくれた。原因まで突き止めるとは、恐れ入った」

「とんでもございません」

「そして、ステラ・セナード嬢。其方が我が国の聖女を魔物から人間に戻したと、そう聞いているがそれはまことか?」

 さらに低くなった声に、ゴクリと息を呑む。

「は、はい」

「そうか、同様に他の聖女も見てやってはくれないか?この城に保護している……できるだけ早く」

「はい! この後、すぐにでも」

「うむ……、其方はディオ騎士隊長の、魔物化した聖女の呪いをも解いたと報告があった。これにも嘘はないか」

「……はい」

「……そうか、まさに奇跡と言える力だ……その力、我が王族の元で厳重に保護し、管理、監視しなくてはなるまい」

「! 陛下、それは!」

 ディオが声を荒げる。
 それを見て、国王が目を細めた。
 息が止まりそうな静寂が訪れる。それが一瞬なのか、数分か。首筋を汗がなぞる。

「我が愚息なんぞはどうだ?」
「陛下」

「戯言だ、許せ。しかしセナード嬢が望めば喜んで席を用意するが……」

 おとぎ話のシンデレラストーリーにはよくある話なのかもしれないが、私にはピンとこない何の感情もない話に、ぶんぶんと首を振った。
 ぼんやりとしていたらあっという間に政治のコマになってしまうようなそんな話の進み方にどきりとした。
 そんな私の反応を知ってか知らずか、「残念だ」と国王様は呟いた。

「……我が国の国力の為にそうすべきなのだろう、本来であれば……しかしそれをすれば、我々はまた間違える。支配するばかりで、力を持ち始めた者達は感謝の気持ちを忘れていく事だろう……それは避けなければならない。恐ろしいことだ」

 疲れたように、何かを思い出すように吐き出した国王様の声は後悔が滲んでいるように思えた。

「我が国で良く働いてくれた聖女達を助けてやってくれ……よろしく頼む。これは我々の失策が招いた失態だ。その尻拭いをさせて申し訳ない。魔法によって傷ついた民を、どうかよろしくお願いいたします」
 


 聖女様、そう国王様が頭を下げると、それ以上は何か咎められることも頼まれる事もなく、謁見は終了を迎えた。


 




「こちらでございます」


 謁見を終えて扉を出れば、そこには緊張したようなメイド達の姿があった。彼女達に連れられてやってきたのは、王城の中庭に位置する場所に作られた、美しいガラス張りの温室だった。

 色とりどりの花々や木々に覆われた室内は美しく、鳥達も自由に飛び回っている。
 
 二重にも三重にも鍵がかかった扉を除けば、そこはまさに楽園とも言える場所と言えるだろう。

「! ひどい」
 
 そこにはずらりと並べられたベッドに横たわる女性達が目に入った。異様な光景に、ひゅ、と息を呑む。

「あ、たすけ……」

 こちらに気がついた女性に目を向ければ、もはや私の方を見ていなかった。
 そっと彼女の腕に触れると、冷たく、魔法の気配をあまり感じない。

 手に力が入る。
 こんなこと、あってはいけない。

 ぎゅっと両手を組み、この女性達が助かりますようにと強く願う。
 頭の中に響く声は、もはや私が願う声と重なっている。


 大きな光の玉が、彼女達の頭上に浮き上がり、やがてパン、と弾け金の粉が彼女達を包み込んだ。

「どうか、助かって……!」


 キラキラと温室中に降り注ぐ金の粉は、雨のように降り注いで行く。

 ぎゅ、と祈るように、魔法に思いをのせる。


「あら? わたくし」
「どうして」
「ここは……?」


 次々に声が聞こえ始め、目を開けると、ベッドに寝ていた女性達が次々に起き始め、周りを見渡した後、ステラの姿を捉えた。


「よかった……!」
 そうほっとして口に出せば、次々に女性達がベッドから起き上がり、私に向かって深く頭を下げ始めた。

「このお声……このお方が助けてくださった……、感謝いたします聖女様」
「最大の感謝を、聖女様」
「聖女様」
「聖女様」


 温室の中は感謝の声で溢れていく。

 その様子を見ていたメイド達は信じられないとでも言うように頬を染め、両手で口を押さえ、涙を流す者さえいた。温室の中の聖女様達を看病していた者達だろう。温室を出た後も、顔を真っ赤にしたメイド達に深く頭を下げられ続けた。










 その様子を出口の隅で見ていたディオは、優しく私に微笑みかける。今まで見た笑みの中でも、労うようなその微笑みは一等優しい笑顔だった。



「成功したね、魔法」
「そうみたい。……もうディオの好きな毒魔法は起こらなくなっちゃった」
 
「問題ないさ! 僕はステラの魔法も愛していたけど、僕が欲しいのは、君の魔法じゃない。聖女でもない。決して見た目に騙されたりしない、君自身だからね」

「ひゃ」

「離さないよ、僕の天使様」



 ディオの大きな手が私の頬を撫でる。
 銀の髪がふわりと頬を撫で、そのくすぐったさに身を捩ると、ディオがクスリと笑った。

 救い上げるようにディオの手が私の顎にかかる。
 その指も、顔も、驚くほど美しい。
 黒い呪いもなくなり、惜し気もなく晒される美しさにくらりとした。



「離さないでね、私の呪騎士さん」

「~~~! 絶対逃さないから!」

 そう言うと、ディオはぎゅっと私に抱きつき、唇を重ねた。



 どうやら、ポンコツじゃなくなって、聖女になったみたいだけど、呪騎士だった彼にはまだ求められているようです。






end
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