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第九節 〜遷(うつり)・彼是(あれこれ)〜

107 焔雲と稲妻 3

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105 106 107 108は“ひと綴りの物語”です。
いろいろと、自分のおケツを拭くのは大変ですってお話し。
 《その3》
ご笑覧いただければ幸いです。

※注
黒い◆が人物の視点の変更の印です。
白い◇は場面展開、間が空いた印です。

 ◆ (引き続き、『サチ』の視点です)
―――――――――
 でも、その手が私に届くことはなかった。


 少女の右腕が肘からありえない方向に曲がってぶら下がっている。肉体の限度を超えればそうなる。それを不思議そうに見ている。いや、戸惑っている。そして腕によりいっそう派手に焔雲と稲妻を纏わせると徐々に元に戻っていき、やがて真っ直ぐとなる。

 驚破すわ治癒魔法かと思ったが、違う。たぶん骨やその他の損傷はそのままで、雷電の力で筋肉を収縮させ、元に戻ったと見せかけているだけだ。でも少女の目は満足そうに細められている。痛覚は、たぶん既に殺されている。遣り切れない怒りに身を震わせ、直ぐに止めさせなければと改めて思う。まずは離脱を図る。

 視線の隅で少年の姿が掻き消える。次の瞬間には少年の爪先が顔面いっぱいに迫っていた。いくら速くても来るのが解っていれば対処はできる。焔雲を硬化させた腕で受ける。それでも再び派手に吹っ飛ばされ、激痛が全身に走る。意思は保っていられたが、今回も直ぐには立ち上がれそうもない。次で確実に終わるが、当然追撃は来ない。

 見ると少年が転がって、のた打ち廻っていた。壊れた自動人形のように懸命に手と足を動かしている。上手く立ち上がれないようだ。やはり片足が有り得ない方向に曲がっている。何故自分が立ち上がれないのか理解できていない。

 私は酷い虚無感に打ち震える。これが完成形なのか。強いという事なのか。
 この戦い方を私は知っている。ハムが見せていた。無力な私達を救ける為に。覚悟して、無力なハムが。決して治癒出来るからと解っていたからじゃない。どうしても仕方なく。弱者の戦い方だった。
 だから私達は感謝をしほぞを噛む。より底辺で無力な自分に。だけれどもこれは、違うと思う。根本的に。何かが違う。違うと思うぞオルツィ。

 少女は直接の殴打戦は自らも傷を負うと悟ったのか、今度は私を追ってこず、いまだ沼田打のたうつ少年の側で佇んでいる。少年には一瞥もくれないが。
 少女の腕が大きく広がる。稲妻を空中放電させる気だ。不味い。少女の負荷超過ロードオーバーさせた超高圧な電雷は確実に死を招く。私も、少年も。たぶん少女自身も。 

 身体に稲妻の力を貯め始めた。
 無詠唱での発動は可能だが、大きな魔法には必ず僅かなタイムラグが生じる。その隙を突けなければ私達は確実に終る。ようやく上半身に感覚は戻るが、下半身は痺れたままだ。逃げられない。そもそも、逃げる場所なんて無い。しかしながら、この状態でも打てる対策を私は持っていた。

 ハムには獣化も稲妻を纏う事も話していないが、始めて会った時に見せてしまった片鱗から察したのだろう。その対策は彼からもたらされた。
 ハムはサガンに辿り着き、アラクネやギルドの持つ技術を目にし、吸収して大きく飛躍した。それとも本来の力を取り戻したのか。少なくとも、つつあると思う。

 少女が行おうとしている放電は全方位に及ぶ。
 稲妻に方向性を持たせる事は出来ない。稲妻を矢のように飛ばせる事は出来ない。絶縁体である空気で満たされた空間での“空中放電”は迷走し、自らは行く道を示せない。なら導いてやればいい。とハムが偉そうにのたまわっていた。

 オルツィに手を引かれ逃げたあの夜。私を“導いて”くれる者など無く、獣化が進み意識が半分溶けた私は言われるままに最高位の“紅い稲妻レッドスプライト”を連続放電させ、仲間を幾人も殺した。

 無論、そんな事情はハムは知らず、でも全方位無軌道に及ぶ空中放電の恐ろしさを知るハムはただ色々と察し、その望まぬ脅威を軽減出来る現実を見せる為だけに造ったのだろう。私の為に。
『今度雷が鳴ったら見せてやるよ』

『ハム君たら、優しいのね』
『そんなんじゃねーよ。ただ稲妻を征する俺様を自慢したいだけだ』
『そう言う事にしておきましょうね。でも楽しみね、サッちゃん』

 まだ見せてもらった事はないが、こんな状態で使われるとは思ってもいなかっただろうが、今使わせてもらう。

 渡された魔導具を起動させる。着火棒より簡単だ。その着火棒と見紛う長さのそれが2メトル程に伸びる。その一端を床に射すと、もう一方の頭上の端から幾重もの蜘蛛の糸が四方に飛び出し廊下に一瞬で蜘蛛の巣が張られた。私は背を低くし、備える。
“避雷針蜘蛛糸魔改造バージョンの術” というのだそうだ。

 展開と同時に少女の空中放電が始まる。激しくとも美しい閃光と大質量の重金属を互いに激突させ響かせる地を揺るがす轟音が何時までも、何時までも続く。連続した放電は無差別に周りの人間を襲う。はずが、全ての閃光が蜘蛛の巣糸に絡め取られ、魔導具へと吸い込まれていく。

 それが例え最高位の“紅い稲妻レッドスプライト”だったとしても。ただ、強すぎる力は術者自らを深く傷つける。あの時の私のように。身も心も。全身が焼き爛れ、よりいっそう獣化が進む。

 永遠に続くかと思われた放電の嵐の終わりに合わせ、少女の元へと飛び出す。しかしリミッターを外した身体能力は少女のほうがやはり勝っていた。容易には捕まえられず、逆に迎撃される。ただ腕を振り回して当ててくるだけの攻撃だったが。駄々っ子のように。有効な拳打技には程遠く、全てパリィして凌ぎ。隙を伺う。

 唐突に攻撃が止まる。顔に生暖かい液体が飛沫となって降りそそぐ。少女の低い雄叫びが響く。
「あぁああああああああああーーーーーーーーーーーーーー」

 幼い少女の細く華奢な腕が高速の圧に耐えられるはずもなく、既に損傷していた右腕は捥げて既に無く、左手は辛うじて繋がっていたが原型を留めていなかった。痛覚を失っている少女の、沸騰して溶け落ちた目玉を含む左顔面は酷く焼き爛れ、残った右目は何を見ているのか。
 肩だけを振り回すだけの壊れた人形となった少女。
 怒りで、やり場のない気狂いしそうな痛みで身が張り裂けそうだ。少女の悲鳴が響く。
「あぁああああああああああーーーーーーーーーーーーーー」

 私は彼女を抱きとめる。少女の不揃いなギザギザな牙が私の肩に食い込む。身を震わせながら。残った右目から涙を流しながら。火傷で大きく崩れた元は美しかっただろうの顔。
 いつの間にか這いずって来ていた少年の、醜い乱雑な牙が私の太ももに喰らいつく。
そして二人から再び電撃を食らう。
 
 朦朧とする意識の中で、どす黒い怒りが私を翻弄する。あの時の自分が目を覚ます。全てを終わりにする、壊れた私が全てを蹂躙する本物の獣の意思が首を擡げ、無能な私を塗り替えようとする。すべてを終わりにしろと、いいじゃないか、無い事にしよう。全てを擦り潰そうぜと、あの時の私のように。丹田に力が、魔力が漲る。原初の最も純な、最も 直截な本能に直結した破壊衝動が。

『大丈夫だよサッちゃん。大丈夫、私が付いてる。だから、何時もの優しいサッちゃんに戻って欲しいな。大丈夫だよ。私が付いてる』

 主様。……主様。私は……。
 少女を右腕に、少年を左腕に掻き抱き、静かに接触型の雷電を放つ、優しく意識を刈り取る為に。

 ハム、早く来てくれ、そして私達を救ってくれ。エリエル様の身にも危険が迫っている。私には判る。何時も生意気で、優しい笑みで私達を救ってくれ。何時ものように。

 早く来て、ハム。


 ◆ (“名もなき傭兵団”団長『重旋風のベルディ』の視点です)

 いやはや。血気にはやるとは、こう言う事か。

 赤鎧は俺の手で引導を、なんて考えもしてねぇさ。
 そんなバカバカしい。一文の得にもなりやしねぇ
 小僧を助けてやる気も、いわんや手を出す気もサラサラなかった。
 はずだったんだけどなぁ。



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お読み頂き、誠にありがとうございます。
よろしければ次話もお楽しみ頂ければ幸いです。
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