タゲリとアトリ

彩華じゅん

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第2章 動物入所棟 水芭蕉

5話 緑の守り人達

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「へ? ここは一体……。」


 入所者のいるという居住スペースは、パッと見巨大な森、というかジャングルというか、とにかく自然に溢れた場所だった。扉からまっすぐ伸びた石畳の道を圧迫する勢いで樹木や植物が生い茂っている。外はあんなに寒かったのに、ここは暑くもなく寒くもなく快適だ。時折草むらの陰や少し離れた木の枝でゴソゴソと何かが動く音や鳴き声が聞こえてきたりしてなかなか賑やかだ。


「見慣れない者には驚かれます。」


 私の反応も想定内といった様子で黒森さんが言う。


「ここは屋外なんですか?」

「屋内ですよ。天井もあります。」


 黒森さんが指さした先を見ると、背の高い木々の隙間から、細かく張り巡らされた骨組みと曇り空が見えた。さっきちらほらと降っていた雪は止んだようだ。


「青天井ということですか? 」

「違います。この棟の天井は強化ガラスで出来ているんです。」

「ガラスの屋根ですか。壊れてしまいませんか?」

「ガラスですから割れることもあります。ですがこの環境を維持するために日光は欠かせないので。小さなひびでもすぐ対処できるよう小まめに設備点検が入ることになっています。」


 なるほど、と頷いた。さっきの朝礼で南昌さんが言っていた設備点検というのはこのことだったらしい。


「なんだか植物園みたいですねぇ。この中に入所者さんがいるんですか? 」

「そうです。さっきも言いましたが、動物入所棟は獣型の者が入所する棟です。毛深い者、うろこのある者、色々います。自然の中で生きてきた彼らにはそれぞれ生活するのに適した環境があるので、なるべくその環境を再現しようとして出来たのがここです。」


 獣がいて、屋内なのに自然がある。そういう施設の事を昔本で読んだことがある。人間時代にあった、何といったっけ? 


「あれみたいですね、動物……」

「それはここでは禁句です。入所者の前では絶対に言ってはいけません。」


 ひそめ声で言いかけた私の言葉を鋭い声が遮った。


「す、すみません。」


 顔を上げると、今までにないほどの厳しさで、薄浅葱の目がキッと私を睨み付けていた。怖い。


「学校で学んできたかと思いますが、今姫神さんが言おうとしていた施設は、人間時代、知能の低い獣たちが収容され見世物になっていたところです。未だにある動物差別の根源といっても差支えないでしょう。分かりますね? 」

「はい。」


 視線に耐え切れず、俯いた私に黒森さんは諭すように言う。


「ここに入所しているのは、獣の中でも非常に高い知能を持った者ばかりです。差別された経験から、施設に収容されること自体良く思っていない者もいます。発言には気を付けてください。」

「すみません。気遣いが足りませんでした。」


 不覚だった。獣型への差別についてはちゃんと授業で教わってきたのに。


「いいえ。こちらこそ言い方がきつくなってすみません。彼らの中でも、長らく人型に従属してきた種族の者は、我々人型に対しても敵対心をあまり持ちません。しかし、そうでない者たちは、人型を危害を加える種族として敵対視しているきらいがあるんです。不用意な発言は自分の身を危険にさらすことになる。だから注意しました。」


 頭を下げた私に、黒森さんは幾分か柔らかい声でそう告げた。おずおずと顔を上げると、その険しかった表情はすっかり元の無表情に戻っている。少しほっとした。


「ご指導ありがとうございます。」


 私はそう言ってもう一度軽く頭を下げる。入所者のことだけでなく、新人職員の私の事も慮って厳しいことを言ってくれたのだ。感謝しなくては。
 黒森さんはしばし私をみつめていたようだが、何も言わずに前に向き直って歩き出した。


「説明に戻ります。『水芭蕉』のコンセプトは見てのとおり自然環境の再現です。建物の構造は木であまり見えませんが、屋根型ハウスの増強版と思っていただければいいです。」


 屋根型ハウスというのは、それこそ天井がガラスで出来ていて、周りがビニールで囲われている農業用の建物だ。日当たり抜群で保温性が高く、換気用の窓やファンで空気を入れ替えることが出来る。また、水道とパイプの配置を工夫することによって、作物へ一気に水やりすることも出来る。植物の育成にはうってつけだ。


「入所者さんたちのお部屋はどうなっているんですか? 」


 棟だけでこの設備だ。入所者にはさぞ良い部屋が割り振られているんだろう。


「個別に部屋というものは作っていません。その辺の木の上とか、木の洞ですとか、適当に設置した岩の陰なんかに好きなように住んでもらっています。」


 黒森さんの言葉の軽さに、目から星が出る思いがした。


「え、それでいいんですか? クレームとか来ませんか? 」


 高齢者介護では尊厳とプライバシーの保護が重要視される。入所施設で個人の部屋が決まっていないなんて、普通ならクレームが来てもおかしくないことだ。


「以前は区画整備してこちらで住む場所を指定していたんですが、なかなかそこに落ち着かなかったんです。ダメ元で自由化してみたら案外うまくいって今にいたります。別にクレームは来てませんね。今のところはですけど。」

「そんなものなんですか? スタッフの皆さんは? 」

「常駐スタッフは入所者同様植物の中にいますよ。ここは棟の中でもまだ動ける方の入所者が多いので、彼らと同じ獣型のスタッフが生活の世話をしています。」


 なるほど。野生を暮らしてきた獣型だから、自由な環境にしておいた方がいいのか。介護されるにしても、自分と同じ体を持つスタッフの方が勝手を分かっている分楽な面もあるんだろう。そう考えると、この形式はなかなか理にかなっているのかもしれない。


「ちなみに水芭蕉の職員配置についてはパンフレットに書いてある通りです。獣医師の資格を持つ者を中心に、獣、鬼、人型で構成された支援チームで介護に当たっています。」


 黒森さんは歩きながらパンフレットを開くと、動物入所棟の紹介ページを開いて見せた。


「獣以外の方もいらっしゃるんですね。」

「やはり種族によって得手不得手がありますから。繊細な作業を要する医療職は人型。獣としての自我がしっかり残っている軽~中度者の介護は獣と亜人。力のいる重度者の介護は鬼。相手の心に寄り添う必要のある相談業務・クレーム対応は変化能力が高い者。など、得意分野によって分業されているんです。」

「なるほど。どの棟でもそんな感じなんですか? 」


 細い指がまた口元に運ばれ、きちんと髭の剃られた顎をするすると撫ぜる。


「概ねそうです。最初にも説明しましたが、あのジジィ……いや、南昌さんは適材適所至上主義なので。これも個人が最大限力を発揮するための企業努力ですね。」

「ジジイって言いましたね? 」

「何の話ですか? 」


 ぷいっとそっぽを向いた黒森さんはそのまま木々の間の道をズンズン奥の方へ進んでいく。この人は南昌さんに対して何故こんなに刺々しいんだろう。
 苔のカーペットを踏む2人分の足音の他、辺りからは鳥のさえずりや草が擦れる音、そこいらに潜む獣たちの息遣いが絶えず聞こえてきて、まるで深い森の中に迷い込んだかのようだ。やがて木が途絶えると、目の前には蔦に覆われた2階建ての小屋のような建物が表れた。


「着きました。ここが動物入所棟の事務所です。」


 出入り口らしい引き戸には木製のプレートがかかっており、何か書いてあるが、酷くかすれていて読めない。引き戸自体も引っ掻いたような傷や凹みだらけで、ここで普段どんなことが起こっているのか想像に難くない。扉の向こうも随分と賑やかだ。


「中で何かやってるんですか? 」

「そのようですね……。」


 黒森さんは一瞬表情を曇らせるが、仕方ないといった面持ちで引き戸をノックした。


「お疲れ様です。新人の紹介と挨拶に来ました。」


 言い終わると同時に私は引き戸の脇に押しやられ、私の前で何故か身を低くかがめた黒森さんが勢いよく取っ手を引いた。瞬間――


「よけてー! 」


 ものすごい怒号と共に、室内から黒い何かが飛び出してきた。1メートルほどの大きさのそれは甲高い声で鳴き、弾丸のように木々の合間に消えていった。


「イヌワシ、ですか? 」

「そのようですね。」


 それが飛び立った後を2人でぽかんと眺めていると、開け放たれた引き戸からバタバタと駆け出て来る者がいた。


「大丈夫ですか!? 」

「うっはぁ……。」


 思わずおかしな声が漏れる。それは大型の犬だった。つぶらな瞳の素朴な顔立ち、がっしりとした足、くるりとカールしたたくましい尻尾、そして、真っ白でふわふわな毛並。


「い、イケ犬だぁ……。」

「えっ? 」


 見とれる私を黒森さんが二度見くらいした気がする。


「あ、黒森さん。お疲れ様です。今の大丈夫でした? ゼンさんが食事に毒を盛られたって事務所に立てこもっていたんです。そちらの方も怪我とかしてないですか? 」


 ふわふわなイケ犬さんは、黒森さんの足元でふんふんと鼻を鳴らしている。もっふもっふと動く尻尾が見事だ。


「どちらも大丈夫です。今日からこちらで研修する新人の挨拶に来ました。」


 小一時間見とれても不思議ではないその毛並みに見向きもせず、黒森さんは事務的にそう告げた。


「ああ新人さん! どうぞお入りください! 」

「失礼します。」


 案内されたのは建物の中。書類棚やデスクが並んでいる、いわゆる事務所といった趣だ。ここの内装も至る所に南昌さんのエッセンスを感じるが、本館に比べて質素で汚れや傷が目立つ。
 今はちょうど散らばった書類や何かを数名が這いつくばって拾い集めているところだった。


「さっきの襲撃で大分荒らされまして。散らかっててすみません。姉さん呼んできますね。」


 大きな綿菓子のようなイケ犬さんはテクテクと奥の方へ向かい、すぐに一人の女性を伴って戻ってきた。


「姉さん連れてきました! 」

「ちょっとぉ、姉さん呼びやめなっていつも言ってんでしょ。管理者様と呼びなさい管理者様と。」


 背が高く、とてもスタイルの良いその女性は、ぼさぼさの短い金髪を手で掻きまわしながら現れた。掘りの深い顔立ちに花萌葱色の目。白い半そでブラウスにジーンズというシンプルな出で立ちがよく似合うその姿は、まるで外国人のようだ。


「どうも、こちら新人の……」

「おはようございます。私……」


 黒森さんが話し出すのと完全にタイミングがかぶってしまい、思わず顔を見合わせる。少し気まずい。


「お疲れでーす。新人ちゃんね。トビさんから聞いてる。よろしくー。」


 金髪美女さんは空気よりも軽い感じで挨拶すると、そのまま奥へ戻ろうとした。


「あの、忙しいとこすみませんけど、最初なんで一応自己紹介してもらっていいですか? 皆さんも。」


 黒森さんの言葉にニッと笑みをこぼした彼女は、ジーンズのポケットに手を突っ込んで言った。


「なーに、冗談よ。おちょくりがいのある男だね黒森は。はーい、みんな集合! 」


 彼女の言葉に、事務所の中にいた者たちは一様にこちらに集まってきた。さっきのイケ犬さんと、茶色い中型犬と、青い肌の女性だ。


「みんな来たね? こちら新人の姫神タゲリちゃん。今日から研修でしばらく一緒に働くことになりまーす。名前、役職、あと趣味2つ以上必ず挙げて自己紹介ね。はい、まずはタゲリちゃん。」


 金髪美女さんはパキパキと早口で話すと私に水を向けてきた。


「はい。今日からお世話になります姫神タゲリと申します。役職は、研修スタッフです。趣味はファッションと可愛い物集めです。よろしくお願いします。」


 再び一礼する私に面々は、よろしく、と声をそろえる。


「次はあたしね。名前は小岩井ツグミ。獣医でここ動物管理棟のリーダー的存在。管理者様かツグミちゃんって呼んでいいよ。趣味は、う~ん、カメラとお酒。はい次。」


 金髪美女――ツグミさんは、隣にいた中型犬の首根っこを掴んで私の前に引っ張り出した。コッペパンのようにこんがりと茶色い毛皮、眉のあたりにある白い麻呂模様が愛らしい中型犬は、思わぬ不意打ちに動揺しながらおずおずと私を見る。


「ちょ、え、えっと。ぼ、僕は軽米キリ、動物看護師です。趣味は、昼寝と読書ですかね。よ、よろしくお願いします。」


 イケ犬さんと比べると随分控えめな中型犬――軽米さんは一礼するとすぐに後ろに下がり、目線を伏せた。内気なタイプと見た。


「はい次。」


「はい。俺は手代森ロク。相談員で、趣味はギターと合コンです。ロクとかロッキーって呼ばれてます。よろしくです! 」


 軽米さんの次に指名されたのは、例のまっ白ふわふわなイケ犬――ロクさんだ。四足なのにギターを嗜むのにもびっくりだが、合コンを自信満々に趣味と言い切るメンタルが不思議だ。


「ちなみに今フリーで彼女大募集中です。あ、深い意味はないですよ。」

「こらロッキー、仕事場でナンパしてんじゃねえぞ! ステイステイ! 」


 尻尾を振りつつ目をぎらつかせる犬の頭をツグミさんが小突く。


「ごめんね。この子ちょっとがっつくタイプでさ。初対面の女の子全員に対してこんな感じだから。気にしないでね。はい、次の人。」


 ツグミさんに押さえつけられるロクさんは完全にオスの目をしている。綿あめのような外見とは裏腹に肉食系なようだ。 ……ちょっと引く。


「私は小鳥沢ツユ子です。動物看護師です。趣味は、なんだろ。お菓子作りとカフェめぐりかな。よろしく。」


 ロクさんの次に名乗ったのは青い肌の女性。大きくうるんだ瞳に微笑みをたたえた口元、魚のヒレのような耳が特徴的だ。見るからに優しそうで、鈴を転がすような甘く軽やかな声に思わず聞き惚れてしまう。


「これで全員だね。あともう一人相談員がいるんだけど、今日は休みなんだよね。会ったら適当に挨拶しといて。新人が来たことは言っとくからさ。」


 ツグミさんはまたボリボリと頭を掻きながら私を振り返る。


「分かりました。介護職員の皆さんにもご挨拶をしたいのですが……。」

「介護さんは忙しくてそれどころじゃないわ。休み時間にでもゆっくりやってよ。」


 少し棘のある言い方にドキリとする。怒らせてしまっただろうか。


「小岩井さんはこの通りサバサバしているので、キツい話し方をすることがありますが怒ってるわけではないです。」


 不意に低い声がささやいた。自己紹介の流れですっかり忘れていたが、そういえば黒森さんと一緒に来たのだった。いけないいけない。


「聞こえてんのよ黒森ぃ。せめて小声で話せ? な? 」


 ツグミさんは片眉を吊り上げ、黒森さんに睨みを利かせる。


「まあまあ姉さん。黒森さんなりのフォローですよきっと。ところで姫神さん狐ですよね? 人型でいるの疲れませんか? 獣型にはならないんですか? 」


 肉食ふわふわイケメンのロクさんが二人の間に割って入った。こういう時にさらりとフォロー出来るのは、さすが相談員だ。(さっきちょっと引いてしまったが。)


「私は妖狐です。子供の頃からずっと人型で来たので慣れました。こっちの方が色々と便利ですし。」

「あら、タゲリちゃん妖狐様なの~? あたし狐人。仲良くなれそうな気がするわ。」


 ツグミさんが笑顔で手を差し出してくる。本当に怒っているわけではなさそうだ。


「そうなんですか。嬉しいです。」


握手を交わす私たちの周りをぐるぐると回りながらロクさんが割り込んでくる。


「俺は秋田犬ですけど、実は人型にもなれるんですよ。後で見せるんで連絡先教えてもらえませんか? 」

「え、えー……? 」

「ロッキー! ハウス! 」


 ――〆られても諦めないあたり、さすが肉食系といったところだ。


「タゲリさん、ここの仕事は大変だと思いますけど、同じくらい楽しいことも多いです。一緒に頑張りましょうね。」


 ツグミさん、ロクさんのやりとりを横目に、小鳥沢さんが優しく微笑みかけてくれた。


「こ、困ったことがあったら、相談してください。僕ら、サポート、しますので。」


 こんがり麻呂麻呂しい軽米さんも、ぎこちない笑顔でそう言ってくれた。


「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。」


 私、この人たちとなら上手くやっていけそうな気がする。

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