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第2章 動物入所棟 水芭蕉
6話 タゲリの研修生活~遭遇~
しおりを挟む「自己紹介も終わったようなので、僕はこれで失礼します。姫神さん、皆さんに教わってしっかり仕事を見てきてください。反省会をするので終業の30分前に迎えに来ます。」
腕時計をちらりと見た黒森さんは、それではよろしくお願いします、と言って事務所を出て行った。ツグミさんが「うぃっすー。今日もよろしく。」とおどけてみせると何となく朝礼も終わった雰囲気になり、私とツグミさん以外の職員は散り散りに自分の仕事に戻っていった。
「さて、じゃあ早速だけど仕事について説明するわ。ついておいで。」
そう言って歩き出したツグミさんの後ろを追いかけて、再びさっきの植物群の中を歩く。
「水芭蕉についての概要は聞いた? 」
「はい。大まかにですけど教わりました。特定のお部屋とかを決めてる訳じゃなくて、動ける入所者さんたちはこの植物の中で自由に暮らしているんですよね。」
黒森さんの説明を思い出しながら言う。
「その通り。でもちょっと補足すると、どの入所者も全くの好き勝手に暮らしてる訳ではないわ。パッと見分かり辛いけど、肉を食べる者とそうでない者は別にしてあるし、身体の小さい者は他に襲われたりしないように隔離してあるの。今見えてるこのジャングルにいるのは、比較的動ける軽~中等度の肉をあまり食べない入所者よ。」
「肉を食べる入所者はどこにいらっしゃるんですか? 」
「彼らはここの隣の棟にいるわ。 水芭蕉は超ー巨大な屋根型ハウスがいくつかくっついたみたいな形でね、さっきタゲリちゃん達が入ってきた正面玄関とその反対側にもう一つ裏玄関があるの。言ってしまえば肉食さん専用の出入り口よ。あ、裏玄関なんて言ったら失礼ね。別玄関に訂正しとくわ。」
別玄関なんてあるのか。さっき入ってきた時全然気が付かなかった。肉食でない者用の玄関でもシャッターや麻酔銃を備え付けているくらいだ。肉食専用の玄関となると、あれより厳重になっていたりするんだろうか。
「別玄関にもあるんですか? その、離設防止……でしたっけ。」
大股でさっさと歩くツグミさんを小走りに追いかけながら口を開く。さっきから思っていたがこの人は尋常じゃないくらい歩くのが早い。さてはせっかちか。
「もちろん。後で見てもらうけど、造りはほとんどこっちと一緒よ。動物たちは昔よりもずっと理性的になったけど、認知症で本能のままに生きていた頃みたいに戻ってしまうこともあるからね。肉食さんは特に、他のアニマを襲って怪我させたりするってこともあるかもしれないし。一種のリスクヘッジよね。」
タゲリちゃんも気を付けてね、そう言って大股でさっさと先を歩くツグミさんは、何故だか、少しだけ寂しそうだ。
「説明に戻るわ。」
咳払いを一つ、髪をガシガシと掻き回して彼女はまた話し出した。
「まあ水芭蕉はさっき言った通り、棟内でうまいこと入所者の棲み分けをしている訳なのよ。でも、これは種族を問わずのことだけど、重度になるとまず身体の自由がきかないのね。当然こんなジャングルの中で自由に過ごすことなんて無理オブ無理。医療的な処置も必要だし、免疫力の低下で感染症にもかかりやすくなる。だから重度者にはそれぞれ医療設備のある個室を割り当ててるの。今から見学してもらうのはそのエリアね。」
長い石畳を通り抜けた私たちは大きな扉の前に来ていた。扉の横には玄関にあったような機会が設置してあり、ここも職員証をかざして開錠するシステムになっているらしい。ツグミさんが慣れた手つきで自らの職員証をかざすと、小さな液晶画面に花火が踊るのが見えた。
扉の向こう側はこれまでの植物園とは少し違い、病院のようになっていた。棟内へ一歩足を踏み入れると、ドアのすぐ近くに備え付けられた装置が作動して霧状の何かが全身に吹きかけられる。
「消毒スプレーよ。感染症予防のためにこの棟に入る者には必ずやってもらってるの。刺激の少ないやつだから目に沁みたり肌が荒れたりはしないはずよ。はい、マスクもつけてね。」
瞼をシパシパと瞬いてみると、確かに痛くもなんともない。消毒液特有のツンとした臭いもヒンヤリとした感触もない。ただほのかにミントのような香りが漂うだけだ。手渡されたマスクをつけると、マスクからも微かにカモミールに似た香りがする。
ツグミさんは歩きながら棟内の設備や居室について説明してくれた。
だが、そのほとんどは耳を突っ切って反対側に流れ出て行ってしまった。スタッフさんが動き回る音、機械の音、水道を使っている音、それ以外が何も聞こえてこない。あまりに静かだからだ。さっきまでいた植物園ほどではないが、この棟もそれなりの広さがある。入所者も少なくない数いるはずだ。その割に、あまりに、静かなのだ。
「ここに入所してる方はあまりいらっしゃらないんですか? 」
思わず口をついて出る。話の腰を折られたツグミさんは怪訝な顔をしてこちらを見た。
「え? まあ、他の棟に比べたら少ない方ではあるけど、どうして? 」
「静かだなと思いまして。」
「ああ、タゲリちゃんは耳がいいんだったわね。ここの空気はどんなふうに聞こえるの? あっちとは何か違う? 」
長い指が指すのは、さっき通ってきた植物園だ。
「そうですね。あっちは茂みや木の影から足音や呼吸、心音なんかが聞こえたんですが、ここはそういうのが聞こえてこないんです。」
「全くの無音ってこと? 入所者だけじゃなくスタッフもいるのよ? 」
「スタッフさんの音は分かります。若いアニマと年老いたアニマとでは音が違うんです。」
「へぇ、なるほどね。そんな風に聞こえてるのかぁ。」
ツグミさんは腕組みをして頷いて見せると、私の目をまっすぐ見て話し出した。
「聞こえないって言うのはその通りかもしれないわ。」
淡い緑色の目が細められ、所在なさげな手はまた髪をクシャクシャと掻き回す。
「ここに入所してるのはもう長くない者ばかりなの。24時間365日ずっとベッドの上にいて、喋ることはおろか口から食べ物を食べることもない。ほとんど眠っていて、目を覚ますのは月に3~4日ってところよ。ちょっとでも何かあればすぐでしょうね。」
『すぐ』に続く言葉を連想してしまって苦い思いがした。ツグミさんはある部屋の前で立ち止まってドアの窓越しに中を見るよう促した。小さめの個室の中、分厚いマットを敷いたベッドの上に犬が横たわっているのが見えた。
「ルリさん。統一年齢で言うと98歳。ここに入所して5年になるわ。」
黄金色の毛皮のゴールデンレトリーバーだ。若い時分はさぞかし立派な犬だったのだろうに、その身体はすっかり痩せこけ、黄金色の毛は半分以上剥げ落ちてしまっている。
「図書館の司書をしてきたアニマでね。前脚を骨折して生活に困るようになって入所になったの。来たばかりの頃はまだ頭もはっきりしてて、スタッフや他の入所者、家族と色んな本の話をしたもんだわ。」
肋骨の浮いた胴、ちょうど胃のあたりからは白いチューブがつけられている。胃瘻だ。
「リハビリにも積極的だったのよ。早く元気になって家族のもとに帰るんだって。でも、ある時から認知症を発症してね。あっという間にこんな風になっちゃった。」
身体を丸めたルリさんはピクリとも動かない。ドアにギリギリまで近付いて分かる弱弱しい心音とほんの微かな呼吸音、時折大きくうねる胴がかろうじてその生命を知らせている。
「本当ならもう生きていられる状態じゃないんだけど、家族の希望で胃瘻にして無理やり生きてる感じね。たまに目をうっすら開けるくらいで何か意思表示をしたりはもう出来ない。」
ツグミさんは私に向き直ると困ったように笑って言った。
「こんなアニマばっかりだからさ。そりゃ聞こえないわよね。」
笑って、いるんだろうか。マスクに阻まれてツグミさんの表情が読めない。私は何も言えずに黙り込んだ。
「そ、れ、は、そ、う、と! 」
重くなった空気を消し飛ばすように私の肩を叩いたツグミさんは、すっかり今朝のようなお調子者に戻っていた。
「研修よ! 本当なら新人さんにこそこういう重度入所者の担当をしてほしいところなんだけど、対象入所者の選考は南昌爺さんの仕事だからさ。残念だわ。」
そうだった。今は研修に来ているんだ。危なく忘れるところだった。というか、黒森さんにジジイと言われツグミさんに爺さんと言われる南昌さんって一体何なんだ。
「私は誰を担当することになってるんですか? 」
そう。イスカの話を聞いてから、自分がどんな入所者の担当になるのかずっと気になっていたんだ。
「んー、まあ……それはね。」
何か言いかけたツグミさんの言葉を遮るように、けたたましい絶叫が響いた。
「あー! キーンとくる……キーンと! 」
思わず耳を塞ぐ。超音波を浴びせられた気分だ。
「あら、お出ましね。」
「何ですか? 」
ツグミさんが見ている方に視線を送る。
「うわぁ。」
そこにいたのは、さっき事務所から飛び出していったイヌワシだった。大きな翼に逞しい脚、鋭い目つきがかっこいい。
「もしかしてさっきの……? 」
こっそり問うとツグミさんは苦笑して人差し指を唇に当てる。
「こんにちわ先生。今日から新人が入りましたので挨拶に来ましたよ。」
背中を押されて前に出される。戸惑いながらも挨拶すると、先生と呼ばれたイヌワシは私をギロリと睨み付けた。
「お前は誰だ。」
「私は姫神タゲリといいます。今日から研修で」
「聞こえん! こいつは何だ! 誰だ! 何をしにここに来た! 」
私の言葉を待たずイヌワシは大声でがなり立てる。どうしよう、怒ってる。
「あ、あの、私は! 姫神タゲリです! 今日からお世話をさせていただきます! 」
「俺を世話するだと! 偉そうに! 手前は私を馬鹿にしているのか! 」
間違えた。ここで使う言葉ではなかった。何と言えばいい? どうすれば受け入れてもらえる?
「すみません……! 馬鹿になんてしていません! 私は」
「馬鹿だと!? 手前私のことを馬鹿と言ったな! 」
「ち、違います! そんなつもりじゃ! 」
「小娘の分際で生意気な! 」
だめだ。こちらの意思がねじれねじれて伝わってしまい会話にならない。焦る私を見かねたらしいツグミさんが仲裁に入ってくれた。
「まあまあ。先生、こちら今日から実習に来た姫神タゲリさん。右も左も分からないひよっ子なんで、色々教えてあげてください。」
「ふん、小娘め。」
「よ、よろしくお願いします! 先生! 」
これはなかなか癖の強い入所者に当たってしまったのではないだろうか……。
応援ありがとうございます!
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