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Chap.5 溺れる涙
Chap.5 Sec.8
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サクラとイシャンは、ほとんど同時にリビングへと戻ってきた。
古い映画を映像と音声だけで、つまるところVRではなく俯瞰的な鑑賞をしていたティアは、映画を消して運転席を回した。
「おはよ。ふたりとも早いね?」
「私は昨日の昼も眠っているからな」
「イシャン君は大丈夫? もうすこし寝てたら?」
「……いいや、支障は無い」
「そう?」
珈琲が入っていると思われるマグカップを手に、サクラはソファへと腰を下ろした。イシャンは食事のトレイを手にしていて、テーブルへと座った。
「サクラさんは、ごはん食べないの?」
「今は要らない」
「ふーん……」
「セトは治療していたか?」
「え? ……うん、脚のとこだよね? してたよ」
「そうか」
「……ところでさ、さっきロン君から連絡が入ったんだけどね、」
立ち上がって、ソファの前まで移動する。イシャンはキッチンを背にしたイスで食事をとっているので、ティアは向かい合うように着席し、ソファの方へと体を向けた。サクラは珈琲に口をつけながら目を投げ、イシャンも内容が気になるのか無言で話に耳を傾けている。
「どうかしたのか?」
「アリスちゃんのこと、伝えてなかったんだね。セト君が拾った子って、僕、うっかり喋っちゃったんだ……大丈夫だった?」
「構わないよ」
「そう? サプライズしたかったのかな? って焦ったんだけど……違ったならよかった」
「連絡するほどでもないだろうと思ってな。サプライズか……あれに、その価値があるか?」
「あるでしょ。喜ぶひともいるんじゃない? ……ね、イシャン君」
視線を流し、声をかける。トレイの中のマンサフ——本来、米などと食べる肉料理だが、これはマシンからの合成食のため、それらしい風味と食感を再現しただけの物——のラム肉もどきを口に入れようとしていた手が、止まった。暗い眼は、ティアを見すえることなくトレイの中央に向けられている。
「……私は、分からない。反対する者も……いるとは、思う」
「そうかな? たとえば誰?」
「………………」
「浮かばない?」
「憶測で話したくはないが……可能性としては、ハオロンか、メルウィン」
「なるほど。いい線いってるね」
「いい線……? どの水準を満たしているのか、分からないが……」
「読みがいいよねって。僕もそのふたりは反対派だと思うな。口に出さないだろうけど。……サクラさんは、どう? 反対するひと、当ててみる?」
目を伏せて珈琲をひとくち嚥下したサクラは、目線を斜め下に向けて一瞬間をおいてから、口を開いた。
「ロキ」
「……えっ? そこ?」
「お前は違うのか?」
「僕は表立って反対するひとは誰もいないと思ってるけど……ロキ君なんて賛成の筆頭じゃない?」
「……賭けるか?」
「うん? ……いいけど、何を?」
「お前が欲しがっていたワイン、どれでも好きな物をやろう」
「えぇっ? ほんとに!? ……好きな物ってどれでもいいの? DRCのどれかでも?」
「ロキが賛成なら、な」
「わ……嬉しいな……どうしよう、どれにしよう……やっぱりロマネ・コンティかな……でもリシュブールも飲んでみたい……ヴィンテージに制限ある? 古くてもいい?」
「好きにしたらいい。今や金銭的な価値は無い。ただ、気が早いな……負ける可能性は頭にないか?」
「え? だってロキ君でしょ? 喜んで受け入れると思うな。ところ構わずアリスちゃんに手を出してさ、それできっとセト君ともめると思う。もうね、その光景が目に見えてる」
ワインセラーに並んだボトルを思い浮かべながら、夢見ごこちでペラペラと予想を語る。ロキとの交流はそこまで深くないが、性関係は奔放だと把握している。伝聞でも過去にハウスをぬけだして遊んでいたらしく、ティアの知る範囲でも外部の人間と人目をはばからずコトに及んでいた。——つまり、
「負ける気がしない!」
「そうか。なら、お前の賭物はなんでも構わないな?」
「いいよ。……理不尽なのは、なしね? 相応な物にしてね?」
「物は要らない。簡単な頼み事をしたいだけだ。……必要なときが来たら、頼もうか」
「うん。……わぁ、ほんとに嬉しいな。禁酒してた甲斐があるな……」
「禁酒なんてしていないだろう? お前は一昨日に呑んでいたはずだよ」
「あれはワインじゃないから。カウントしない」
「随分と都合がいいな……」
苦笑ぎみに口角を上げるサクラ。
イシャンは無関心にトレイの中身を口に運び続けている。
「あ、でもこの賭けのこと、セト君には内緒にしてね? 怒られそう」
自然とゆるむ頬をおさえて、ティアはサクラに念を押した。クスリと微笑するサクラの青い目が、三日月のように細まり、
「それは同感だな」
艶やかな声で、そう応えた。
古い映画を映像と音声だけで、つまるところVRではなく俯瞰的な鑑賞をしていたティアは、映画を消して運転席を回した。
「おはよ。ふたりとも早いね?」
「私は昨日の昼も眠っているからな」
「イシャン君は大丈夫? もうすこし寝てたら?」
「……いいや、支障は無い」
「そう?」
珈琲が入っていると思われるマグカップを手に、サクラはソファへと腰を下ろした。イシャンは食事のトレイを手にしていて、テーブルへと座った。
「サクラさんは、ごはん食べないの?」
「今は要らない」
「ふーん……」
「セトは治療していたか?」
「え? ……うん、脚のとこだよね? してたよ」
「そうか」
「……ところでさ、さっきロン君から連絡が入ったんだけどね、」
立ち上がって、ソファの前まで移動する。イシャンはキッチンを背にしたイスで食事をとっているので、ティアは向かい合うように着席し、ソファの方へと体を向けた。サクラは珈琲に口をつけながら目を投げ、イシャンも内容が気になるのか無言で話に耳を傾けている。
「どうかしたのか?」
「アリスちゃんのこと、伝えてなかったんだね。セト君が拾った子って、僕、うっかり喋っちゃったんだ……大丈夫だった?」
「構わないよ」
「そう? サプライズしたかったのかな? って焦ったんだけど……違ったならよかった」
「連絡するほどでもないだろうと思ってな。サプライズか……あれに、その価値があるか?」
「あるでしょ。喜ぶひともいるんじゃない? ……ね、イシャン君」
視線を流し、声をかける。トレイの中のマンサフ——本来、米などと食べる肉料理だが、これはマシンからの合成食のため、それらしい風味と食感を再現しただけの物——のラム肉もどきを口に入れようとしていた手が、止まった。暗い眼は、ティアを見すえることなくトレイの中央に向けられている。
「……私は、分からない。反対する者も……いるとは、思う」
「そうかな? たとえば誰?」
「………………」
「浮かばない?」
「憶測で話したくはないが……可能性としては、ハオロンか、メルウィン」
「なるほど。いい線いってるね」
「いい線……? どの水準を満たしているのか、分からないが……」
「読みがいいよねって。僕もそのふたりは反対派だと思うな。口に出さないだろうけど。……サクラさんは、どう? 反対するひと、当ててみる?」
目を伏せて珈琲をひとくち嚥下したサクラは、目線を斜め下に向けて一瞬間をおいてから、口を開いた。
「ロキ」
「……えっ? そこ?」
「お前は違うのか?」
「僕は表立って反対するひとは誰もいないと思ってるけど……ロキ君なんて賛成の筆頭じゃない?」
「……賭けるか?」
「うん? ……いいけど、何を?」
「お前が欲しがっていたワイン、どれでも好きな物をやろう」
「えぇっ? ほんとに!? ……好きな物ってどれでもいいの? DRCのどれかでも?」
「ロキが賛成なら、な」
「わ……嬉しいな……どうしよう、どれにしよう……やっぱりロマネ・コンティかな……でもリシュブールも飲んでみたい……ヴィンテージに制限ある? 古くてもいい?」
「好きにしたらいい。今や金銭的な価値は無い。ただ、気が早いな……負ける可能性は頭にないか?」
「え? だってロキ君でしょ? 喜んで受け入れると思うな。ところ構わずアリスちゃんに手を出してさ、それできっとセト君ともめると思う。もうね、その光景が目に見えてる」
ワインセラーに並んだボトルを思い浮かべながら、夢見ごこちでペラペラと予想を語る。ロキとの交流はそこまで深くないが、性関係は奔放だと把握している。伝聞でも過去にハウスをぬけだして遊んでいたらしく、ティアの知る範囲でも外部の人間と人目をはばからずコトに及んでいた。——つまり、
「負ける気がしない!」
「そうか。なら、お前の賭物はなんでも構わないな?」
「いいよ。……理不尽なのは、なしね? 相応な物にしてね?」
「物は要らない。簡単な頼み事をしたいだけだ。……必要なときが来たら、頼もうか」
「うん。……わぁ、ほんとに嬉しいな。禁酒してた甲斐があるな……」
「禁酒なんてしていないだろう? お前は一昨日に呑んでいたはずだよ」
「あれはワインじゃないから。カウントしない」
「随分と都合がいいな……」
苦笑ぎみに口角を上げるサクラ。
イシャンは無関心にトレイの中身を口に運び続けている。
「あ、でもこの賭けのこと、セト君には内緒にしてね? 怒られそう」
自然とゆるむ頬をおさえて、ティアはサクラに念を押した。クスリと微笑するサクラの青い目が、三日月のように細まり、
「それは同感だな」
艶やかな声で、そう応えた。
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