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Chap.6 赤と黒の饗宴

Chap.6 Sec.12

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 行為が終わったあとも、ステンドグラスは厳粛な光を灯していた。青みのある白い光。花の色もせている。

「……大丈夫?」

 立ち上がろうとすると脚が震える。筋肉に残る負荷を感じていると、頭上からロキの声が聞こえた。床に座りこんだまま見上げると、多少は心配する気配のある顔がこちらを見ていた。

「立てねェの?」
「……だいじょうぶ」

 白い手すりを頼りに立つと、ロキは掌を見せていた手をひらりと下ろした。手を貸そうとしてくれていたのかも知れない。

 脚の筋が小さく痙攣けいれんしている。今夜はまだあと2人も相手をしなければいけないのかと思うとぞっとする。イシャンとの夜に比べれば——そう自分に言い聞かせるしかない。

「なァ、アンタさァ……」

 ロキが口を開いたタイミングで、

「——ロキ」

 低く鋭い声が、かかった。
 私よりもロキのほうがびっくりしたようすで、声の方を振り返る。
 ステンドグラスの青白い光に染まった短髪の——セトが、カードゲームをしていた部屋に通じる階段を下りて来た。

「……は? いつからいたワケ?」
「今。つか、そんな所でやるな。部屋でやれってサクラさんにも言われたろ」
「サクラさんサクラさんってマジうっせェな……飼い犬くんはご主人様の言うことがすべてですかァ~?」

 そばまでやって来たセトの目が、不愉快そうに細まる。しかしそれはすぐに閉じられ、ため息とともに開かれた。

「終わったんなら俺に回せ」
「何言ってンの? 次はハオロンじゃん」
「ハオロンなら、ティアに完敗してリベンジしてる。そいつのことは眼中にねぇよ」
「……ハオロンが負けた? マジで?」
「信じられねぇなら見てこい」

 セトが背後の方を目で指した。戸惑いを見せるロキに言い足りないと思ったのか、目線を横に流して考えるそぶりをしてから、改めてロキを見すえ口角を上げた。

「お前も、昔からカード得意だよな? ハオロンのこと、手伝ってやれよ」

 意外な顔だった。信頼した者にしか見せない懐っこさを含んだ、やわらかな表情。笑顔というには、硬いけれど。
 そう感じたのは私だけではなかったのか、一瞬ロキもほうけたような間があった。

「……得意っちゃ得意だけど……ハオロン負かすようなヤツに勝てる気しねェよ?」
「そんなの分かんねぇだろ。ハオロンが無理でもお前なら勝てるかも知んねぇし……」
「……オレが勝ったとして、それってハオロンを手伝ったコトになんの?」
「知らねぇ。ティアを先に落として、そのあとハオロンに負けてやればいいんじゃねぇの?」
「………………」
「ハオロンのやつ、このままだと朝までやるぞ。早く終わらせて、こいつ取りに来いって言っといてくれ」

 すれ違いざまにロキの肩をたたくと、セトは私の腕を掴んで引いた。来た道とは反対の階段に向かって。疲労から足がもつれ段差につまずくと、「ちゃんと歩けよ」厳しい声で腕を強く引き上げられた。掴まれた部分が痛い。セトを見上げると、彼は私ではなく背後のロキの方に目を向けていた。視線の先を追う。ロキはもう背を向けて反対の階段を上がりきったところだった。こちらを振り返らずに廊下に向かうのを見届けてから、セトは長い息を吐き出して私を見下ろし、

「あぁ、わりぃ」

 腕を離した。状況を理解していない私の顔を見て、セトが眉を寄せる。

「……ロキと居たかったか?」
「…………いいえ」

 ロキがいいか? そんなことを訊かれた気がする。質問の意図が不明だが、否定を返すと「なら来い」そのまま指先で手招きされた。

 引き締まった背中を追いながら、頭に疑問が浮かぶ。3人の相手をしろとサクラに言われ、ロキを含む新しいひとたち——つまり、残りはハオロンとメルウィンだと勝手に思っていたが…………。


 ぼんやりとした炎色のライトがおぼろに照らす廊下を進んで行くと、左手に大きな窓が並んでいた。玄関とは違う広いホールが眼下に見える。ここも吹き抜けで天井が高く、1階からしか入れない造りなのかドアは無かった。ホールは真っ暗で、外から入る本物の月明かりに照らされている。天井から垂れる壮麗なシャンデリアが淡くきらめいていた。

 突きあたりの透明の柱にたどり着くと、セトはドアを開けて乗り込んだ。ならって中に入り、鏡の自分に目がいく。乱れた服。背中のリボンがほどけたままだと気づいた。ドアの方に体を反転させ、透明のドアに浮かびあがる文字の光で照らされた、セトの横顔をうかがう。何も思っていないようなので、首まわりだけ整えて背後は意識しないことにした。

 ドアに映る4の文字。開いたドアから出てセトは左の廊下を進む。このエレベーターは建物の四角よすみにでもあるのか、直角に折れ曲がった廊下が常に左右に広がっている。

 エレベーターから歩いてふたつ目のドアの前。足を止めたセトは手をかざしドアを開けた。ドアの先に続く部屋の電気がひかえめな光量でつく。青色だった。だだっ広い空間には大きなベッドと、頭を覆うカバーの付いた奇抜きばつな形状のリクライニングチェアらしき物。どちらも見慣れない形をしている。ここだけ近未来を感じたが、そもそもこちらが正しいのか。古城じみたこの建物のほうがあえて古い様相をしているのだろう。

「……シャワー浴びるか?」

 振り返ったセトの眼は、鋭くはなかった。ただ淡々とした声音で、機嫌がいいというわけでもない。

「つぅか風呂か? ……どっちでもいいけど。使いてぇなら好きに使えよ」

 左手奥の壁にあるドアを指さし、セトはベッドへと歩いていって腰を下ろした。返事がないのを不審に思ったのか、胡乱うろんげな目がこちらを捉えた。

「聞いてるのか?」
「……しゃわーを、する?」
「浴びたくねぇならいい。眠いなら寝ろよ」
「…………せとが、オソウ?」
「…………だったらなんだよ」

 目つきが怖くなった。ひくりと反射的にひるんだ私を見て、セトは吐息した。

「しねぇよ。なんのためにティアが頑張ってると思ってんだ。無駄にするわけねぇだろ」
「……てぃあ?」
「お前を休ませるために、ハオロンを引き留めてる。あいつが本気出してんだから当分は負けねぇだろ。ティアに感謝してお前は好きに休めよ」
「…………わからない。……なんて?」
「……ティアが、お前の為に、ハオロンの相手をしてる」
「……わたしのため?」
「ああ」
「…………アリガトウ」
「俺に言うな」

 話の内容が曖昧だった。ティアのおかげで今夜はハオロンの相手をしなくていい、みたいなことだと解釈したが。そうなるとなぜ私がここにいるのか分からない。セト個人の部屋らしきこのシンプルな空間に呼ばれた理由は、説明してもらえないのだろうか。それとも話のなかに含まれていたが私が聞き取れていないのか。
 尋ねたら答えてくれるだろうか……いや、怒られそうな気がする。

「浴室使わねぇなら俺が使うぞ」
「……よくしつ?」
「……そうか。そういやお前、使い方が分かんねぇのか?」

 立ち上がったセトが、私から見て左のドアに向かい私を指で呼んだ。開かれたドアの先には、ガラス張りのシャワールームと、楕円だえんに近い丸みのあるひょうたん型の浴槽。どちらも形状が洗練されていて見慣れないが、それぞれの機能は簡単に推測できた。

「風呂、入りたいか?」

 セトが指さしたのは浴槽だった。遠慮するべきか迷ったが「はい」素直にうなずくと、セトが指示を口にし、浴槽に湯が溜まり始めた。

「座ってろよ」

 浴槽を見つめていた私の腕をセトが軽く引いた。今度は痛くなかった。

 ベッドに座ってもいいらしいので端に座ると、隣にセトが腰かけた。ベッドのマットレスが沈む。湯船に浸かってからセトの相手をしろ、という感じなのか。状況に思考を巡らせていると、沈黙に飽きたのかセトが口を開いた。

「お前、好み変わってるな」
「…………コノミ?」

 横を向くと、セトが青い光の映る横目をこちらに投げた。

「ロキが好みなんじゃねぇの? 自分から誘ってたじゃねぇか」
「…………?」
「ティアなら……まあ分かるけど。ロキが好みなのは理解できねぇ」
「…………このみ、なに?」
「お前は、ロキみたいなのが好きなのかって話だよ」
「…………ろき、みたい?」
「……お前、ロキは好きなのか? って」
「………………」

 聞き違いでなければ、ロキが好きかどうか訊かれている。不穏な質問だと思った。2日前に似たような質問でセトを怒らせている。どう返すのが正しいか分からずに沈黙したが、よく考えると前回も沈黙を選択して怒らせたような。
 黙ったのをどう取ったのか、セトは納得したように前を向いた。

「なら、俺のこと嫌いなのも仕方ねぇのか……。昔から、ロキを好きなやつには嫌われるんだよな。……なんでか知んねぇけど」
「? ……わたし、せと、きらいじゃない」

 会話が飛躍した。ロキの話をしていたはずなのに、何故かセトにすり替わっている。私がセトを嫌っているという箇所だけ理解できたので否定すると、セトの目がちらりとまた戻った。

「……あっそ」

 淡白な返答。怒ってはいない、と思うが。
 会話はそこで途絶え、浴槽の湯が溜まるまで互いに無言だった。
 湯が溜まったしらせが届くと、セトはバスルームに向かった。

「適当に使え」

 中に入ると、私に薄いバスローブとタオルを渡してくれた。サイズが明らかに大きすぎる気がするが、ふんわりとしたルームシューズらしき物も。すぐにバスルームを出ていったので、このまま入れということなのだと思う。
 服を脱ぎ、置き場所が分からず床にたたんで置いてから、湯船に足を入れる。なかなか広い。けれどあまり使われていないのか新品のような浴槽だった。ぬるい湯に身体を沈めると、変な硬直が残っていた脚の筋がやわらぐのが分かった。これならセトの相手も平気かも知れない。……乱暴でなければ。

 ほっとするような温かさの中で目をつむると、心地よさにこの場から離れたくない気持ちが強くなっていく。この安心に満ちた温かさは昨夜もあったな、と。記憶をたどった。セトの腕のなかと似ているのか。少しだけセトと距離が縮んだような幻想をいだいた、あの時間。

——好きじゃねぇよ、こんなやつ。

 パチリと目を開ける。ひらめいた言葉を頭から払って、身体を洗おうと意識を変えた。ガラス張りのシャワールームの方を見ると、なんとなく使い方が分かりそうなのでそちらに移動することにした。



 §



 バスルームを出るころにはそれなりに覚悟ができていた。セトがどういう態度であっても、仮に少し乱暴であっても、抵抗することなく受け入れようという意思はあった。元よりセトに対して感謝しているので抵抗する気はないのだが、怖い顔をされるとどうしてもひるんでしまう。それを表に出さないよう努力しようという気持ちでいた。——いた、のだが。

「…………せと?」

 広いベッドの奥に横たわるその姿に、あれ? と首をかしげた。そろりと反対側に回って様子をうかがうと、金の眼はまぶたに覆われ、横を向いて寝る身体は私の呼び声にも微動だにしなかった。眠っている……のか。

 拍子ひょうし抜けした気分で、しかし安堵の息をこぼしていた。昨夜の化け物たちとの戦いで疲れが残っていて寝落ちしたのなら申し訳ないとも思うが、相手をしなくていいのなら何よりだった。

 ベッドの傍らに膝立ちになって、静かに眠るセトの顔を見ていると、その頬に走るいくつもの傷に自然と目がいった。光源が乏しいのではっきりとは見えないが、間違いなく残っている。これは痕にならないだろうか。綺麗に治るだろうか。私の脚に貼られたテープのような物をセトは貼らないのだろうか。
 浮かんでくる疑問に答えは出ない。セトの顔に流れ落ちた髪をそっとどけて、目立っている傷に触れてみる。皮膚の上に筋があるのを指先で感じる。あのテープが今あればこっそり貼っておけるのに。最初に出会ったとき、セトに治療してもらった私の腕は綺麗に治りかけている。セトにも貼ってほしいが、本人は貼る気がないのだろうか。

 顔の傷から焦点を広げる。あの凶悪になりがちな金眼が無いせいか、ずいぶんとあどけない寝顔だった。閉じられた薄い口唇を見つめながら、この唇とキスしたことがあるのだと気づいて胸がざわりとしたが、それがどういう感情なのかよくわからない。恋愛などではないが、嫌悪でもないような。境遇に慣れつつあるせいか、段々と性行為自体に対してもただの仕事として脳内で処理できてきている気がした。もしかすると、その意識の変化は怖いことなのかも知れない。

 相手をしなくてすんだ放心からか、あるいは深く眠っているセトの顔を見ていたせいか、うっすらと湧いてきた眠気に視界がぼやけ始めた。……ここで眠ってもいいだろうか。かといって他に行く所もないのだが、3人の相手をするというサクラの命令はどうなっているのだろう。ハオロンはいいとして、もうひとりは? セトということでいいのか確信がもてない。現在セトの相手をしていると周りに思われているのなら、眠っていても不都合はない……? 少なくもセトが起きるまでは。

 両脚を折って床に座り、ベッドの端にほんの少し側頭部をあずけて目を閉じた。寝づらい体勢ではあったが、ロキとの行為の疲労感によって意外にもすんなりと眠りに落ちていけた。

 セトの匂いがする。
 そんなことを、思いながら。
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