【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.9 盤上の赤と白

Chap.9 Sec.1

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 ヴァシリエフハウスは都市部から遠く離れた地にある。地理的には渓谷に囲まれ、遠くにりょう線が見える開けた高台にあり、住まいとして使用されている城館は広大な私有地のおおよそ中央に位置する。
 静閑なる森の奥深く、荘厳な古城がたたずむその様相は時代にそぐわず、童話の挿絵のように現実離れした美しさがあった。

 かつてのティアはハウスに来ることを望んでいなかったが、ここに初めて来たあの日、ブルーグレーの屋根と白亜の館が魅せる情緒あふれる外観と、ここから見える景色だけは一目で気に入っていた。

 遮光モードを解除した窓には、あまねく注がれるで秋色の世界がえがかれている。ブラウンを帯びたダークグリーンは、夏の緑とは違う。山の木々はマスタードとバーミリオンが入り混じった、ノスタルジックなオレンジ。雲に隠されつつあるが日はすっかり昇りきっていて——秋に染まったこの地は日の出が7時半ごろ、日の入りは18時前くらいなので——朝型のセトたちからすれば早起きとは言えないが、ティアのなかでは早いほうである。
 ソファで寝落ちしたせいで身体がすこし痛むが、起きてすぐにシャワーを浴び、外の眺めを見たおかげで気持ちは晴れやかだった。……一瞬だけ。窓から目線を彼女に向け、晴れやかさは瞬時に吹き飛んだ。

「わ! その眼どうしたのっ?」
「…………?」

 明るさに包まれた室内で、ソファに座りティアを見上げる彼女の眼は赤かった。目の周りまでうっすらと浮腫むくんでいる。

 彼女を起こさないよう静かにシャワーを浴びに行ったつもりだったが、シャワー室から戻ると彼女はソファに移動していて、きちんっと今のように座ってティアを待っていた。もしかすると、とっくに起きていたのかも知れない——そんな考えも浮かんではいたが、これは予想していなかった。

「眠れなかった? 大丈夫?」
「……だいじょうぶ」

 硬い表情で肯定する彼女に、(どうしたんだろう?)原因を考えていて、ふと思い出した。そうだ——昨夜はセトがいた。いつのまにか消えていたので、正しく自室に戻ったのかと安心していたのだが……彼女の様子からすると、ひょっとして、

「……セト君、きみに何かした?」
「……せと?」

 いきなり出た名前に、赤い眼はきょとりとしている。ティアの質問の意味を考え、

「せと、よるに、へやにいく……した」
「……セト君は、夜のうちに、自分の部屋に戻った?」
「はい」
「そう……」

 ずれた回答だが、意図的にはぐらかしたわけではないらしい。ストレートに、泣かされたの? なんてけない。
 問い詰めるのも可哀想かわいそうかと思い、「アリスちゃんも……シャワー浴びる?」迷いつつ尋ね、(これ、鏡みたら自分の泣きらした顔に気づいちゃうよね……)心配したが、首を振ったので安堵あんどした。

「朝食、部屋に呼ぼうか。なに食べたい?」
「……ごはん?」
「うん、部屋を出ると、面倒なひとたちに絡まれるかも知れないから、ここで食べようよ」
「……?」
「あれ? サクラさんから聞いてない? ……僕ら、順番を決めたわけだけど……これって夜だけじゃなくて、次の日も日中は持続してるんだよ。部屋から出るまでは、他のみんなアリスちゃんに手を出せないの」
「………………」
「伝わった?」
「へやを……でると?」
「他の人が、アリスちゃんと……することもできる……」
「……?」
「説明しにくいな……あのね、今は、ここにいたほうがいいと思うんだ。僕以外の誰かに会いたいなら別だけど……ロキ君とか?」
「……ろき?」
「会いたい? ……君にとっては、話せる相手だし」
「あう? ……ろきに、あう?」
「食堂にいるかどうか知らないけど……起きてるかも分かんないな……あ、そうだ。——ねぇ、ミヅキ君」

 ブレス端末に向けて声をかけると、小さなライトがともった。

《——なぁに?》

 聞こえてきた音声に、彼女の目がティアの手首に向く。ミヅキの映像や音声は、私室の空間には出力できない。今はハウスのコンピュータに接続されたブレス端末が媒体となっている。ティアは正確な範囲を把握していないが、出力可能な空間は限られているらしい。

「あのさ、みんなの居場所って教えてもらえる?」
《サクラは中央棟にいるよ。セトとイシャンは外に出ていて、ロキとハオロンはロキの私室。メルウィンは調理室で、アリアはラボ101》
「そのうち起きているのは?」
《セト、イシャン、メルウィン、アリアの4人が活動中です》
「なるほど。じゃ、このあと1時間内に食堂に来る可能性があるのは? 誰かいる? メル君は除いて」
《可能性は全員に考えられます》
「んーと……行動パターンとか、入眠時間とかからみて……40パーセント以上の確率で来るひとって……いる?」
《公開されているデータを平均化して予測した場合、該当者はいません。ですが、不確定要素が多すぎます。——つまり当てにしないほうがいいよ?》
「え~……? ミヅキ君ってそんな感じなの? 僕でも観察してたら大体は分かるよ?」
《すごいね。ティアは頭がいいんだね》
「う~ん……そういうお世辞は上手に仕込まれてるのになぁ……」
《役に立てなくてごめんね? でも、直近2日間のデータは、みんな平均値からズレが大きすぎるよ》
「……そう」

 手首から目線を上げて、彼女に向ける。

「ロキ君は寝てるって。食堂はメル君以外は来ないかも? ……当てにならないらしいけど」
「……?」
「食堂いく? ここで食べる? ……どっちがいい?」
「……てぃあが、すきなほう」
「じゃ、ここで食べよう。何がいい?」

 彼女の隣に腰を下ろして、前の空間に映像を出し、簡単な説明をそえる。

「ここに載ってるのはメル君の手作りで、こっちはマシン供給ね。当然だけど、メル君の手作りがおすすめだよ。今朝の焼きたてパンはバゲットだね……セト君みたいに朝からたくさん食べるひともいるから、スープや卵料理もあるよ。僕はフルーツとバゲットにするけど、アリスちゃんはどれが……ん? ……ちょっとまって、メル君からメッセージが届いたみたい」

 朝食リストを出したまま、メルウィンのメッセージを再生した。

《ブランチに、採れたてのフルーツと、バターたっぷりのクロワッサンはどうかな? もちろんミルクティーも。よかったら、起きたときに連絡をください。アリスさんの分もあるよ》

「——だって」
「……めるうぃん?」
「僕とアリスちゃんのために、特別メニューがあるらしいよ」
「とくべつ……トビキリ? てぃあと、わたし?」
「そうそう。いつもの僕はもうすこし遅く起きるから、ブランチのつもりみたいだね……ちょっと早いかもだけど……連絡してみよっか」

 半分わかっていて半分わかっていないような顔の彼女は、隣で小さく頷いた。
 ブレス端末を通してメルウィンへとつなぐ。程なくして応答があった。

《ティアくん、おはよう》
「おはよ。メッセージ見たんだけど……早すぎたかな?」
《ううん、大丈夫だよ。もうすこしでクロワッサンが焼けるところ》
「メル君も食べる予定?」
《えっと……すこし? 僕は朝食も食べたから……ミルクティーと、クロワッサンひとつだけ、食べようかな?》
「それならさ、僕の部屋で一緒に食べない?」
《ぇ……?》
「サクラさんから連絡まわったでしょ? アリスちゃんの……独占権? ……が、部屋を出るまでだから」
《ぁ……そっか……えっと……それなら、僕のことはいいよ? 部屋に届けるよ?》
「や、せっかくだし、みんなで食べようよ。メル君が居たほうが、アリスちゃんも気持ちが明るくなると思うから」
《……ぇ……それは……どう、かな? 明るくなるかな?》
「なるなる。じゃ、待ってるね?」
《う、うん……?》

 半ば強引に締めくくった。これくらい強気に誘わないとメルウィンは来てくれないだろうし。ハオロンとセトから学んだ手法。

——メル君が居たほうが、アリスちゃんも気持ちが明るくなると思うから。

 嘘ではない。すこし誇張しているだけ。
 彼女に対して、メルウィン自体がそこまで効果があるとは思わない。ただ、彼の料理を食べているときは、表情が明るいことが多いので。
 それに、よりも、もうひとり増えたほうが彼女は安心らしい。昨夜のセトの訪問で分かったが、一対一というのは、彼女にとって身を構える状態なのだろう。

 昨夜と違って、今朝は彼女の表情が硬くなっている——元の状態に戻った——ことは、すでに気づいている。この明白な変化で察したが、昨夜の違和感は薬によるものだったのか。アリアの管轄かんかつなのだから、危険な薬物ではないと思う。サクラの独断でないことを願いたい。

「——さて、アリスちゃん」

 気持ちを切り替え、高めのトーンで呼びかけた。メルウィンが用意をととのえてやって来るまで、15分くらいはあるはず。なので、

「洋服、着替えない?」
「……?」
「じつは僕ね、おとといの夜に作ったんだ」
「……てぃあが、ふくを、つくった?」
「ごめん、言い方が悪かったかも。僕はデザインというか、パターンから選んだだけね? 作ったのはマシンね? 前時代的に夜なべしてちくちくしたわけじゃないよ? ここってさ、専用のマシンを個人で所有してるんだよ。ほんと財力が底知れないよね……」
「……ふくを、つくった。……ましん?」
「……あれ? その反応はもしかして、洋服作ったことない? 教育課程にあったよね? パターン選んでルームウェア作り、みたいなさ……ん? あれって必須じゃないんだっけ?」
「……きょういく……かて?」
「…………アリスちゃん、ひょっとして……義務教育、受けてない? ……え、そんなことないよね?」
「……ぎむ、きょういく……?」
「僕は特殊だから人に教わったけど……普通はオンラインで教育を受けるんでしょ?」
「……わからない」
「……まぁ、共通語を知らないんだから、その可能性も……ある?」
「…………?」
「……うん、こんなこと、今はどうでもいいよね。時間もないし着替えよっか」
「?……はい」

(両親もいないうえにオンラインの義務教育も受けてない? ……ヴァシリエフハウスや僕と同じで、この子も特殊環境で育ったのかな……?)

 疑問は残るが、時は金なりというし。貨幣の価値が消失した今や、時間はお金以上なので。
 一緒に立ち上がった彼女に「気に入ってくれるといいな」微笑ほほえんでみせると、ぎこちなく口角を上げた彼女は、ちいさく微笑を返してくれた。

 知れば知るほど謎めいていく彼女の過去については、今しばらく目をそらしておこう。
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