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Chap.10 DRINK ME, EAT ME
Chap.10 Sec.4
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朝食のときも、イシャンはセトに会っていた。セトは早々に食べきり出て行ったと思っていたが、およそ1時間後、またしてもイシャンの前に現れた。
「トレーニング、付き合ってくれよ」
私室にいたイシャンを訪れたセトは、頼み事をしているわりにはぶっきらぼうで、誘われた側のイシャンは(トレーニング? 共に?)言葉の意味を拾い損ねて数秒間、静止した。
「……何をトレーニングするのだろう?」
「対人。ロボじゃないやつ。イシャン、前にやりてぇって言ってたろ?」
「ああ、近接格闘術か。……それは、言ったかも知れない」
「やろうぜ」
「……今?」
「今」
しっかりと頷くセトの顔に、イシャンは断る理由もなく、承諾して私室を後にした。
ハウスには、かつて運動室があった。ロボット相手のスポーツや、健康のためのトレーニングが行える部屋として存在していた。かつて——というのは、今ではイシャンによって別の目的のために特化されているからである。
「……この場合、どちらが受け手になるのだろう?」
何もない室内に、イシャンの問いが響いた。マシンはすべて収納されていて、戦いやすい空っぽの空間だった。それぞれ簡易の防具を胴や脛に着け、距離を取って向かい合う。セトはストレッチをしながら、
「どっちも攻めでいいんじゃねぇの?」
「……目標は、制圧でいいか?」
「ん。……つぅか、先に運動でもするか。いきなりだと身体動かなくねぇか?」
「……このままでいい。……むしろ、こちらのほうが実戦に近いと思う」
「なら……俺、軽く本気出していいか?」
「構わない。……私も、全力で対応しよう」
始まりを告げる掛け声などは、なかった。
セトが浅く鳴らした呼吸音に、イシャンは身構える。セトの足が迷いなく攻撃範囲に踏み込んだかと思うと、イシャンの頬めがけて拳が放たれた。速い。しかし、予想の範囲内。イシャンは左腕で受け流し、生まれた隙を突いて右腕を突き出した。防御されるかと思ったが、セトはそれを首だけずらして受け流し、待ち構えていたかのように掴んだ。捕らえられるのは良くない。セトの握力は強すぎる。
ただ、力で振り払えないと分かっている分、冷静に判断できる。腕を外側に回して外した。セト相手には、力をそのまま受けるのではなく、受け流すかたちでやらなければいけない。
思考を止めることなく低い蹴りを繰り出していく。防具に覆われていない関節をねらうが、セトは防具を使わず、靴底に近い部分でピンポイントに受け止めた。どの蹴りもすべて無駄に終わる。次の攻撃に迷った一瞬で、セトの脚が跳ね上がった。残像を捉えられない。脊髄反射——いや、直感に近い判断——で、肩にくると読んだその攻撃から、間一髪で身を引く。いったん間合いを取った。
「反応、はえーな」
「……そうか。トレーニングの成果かも知れない」
「格闘もやってんのか……射撃だけじゃねぇんだな」
「当然だ」
「トレーニング頻度は?」
「項目は日によって変わるが、トレーニング自体は毎日おこなっている」
「……そうまでして、お前はいったい、なんの為に強くなろうとしてんだ!」
言葉尻の勢いにのせて、身を低くしたセトがイシャンの腹部に突進した。懐に入り込まれるのを避けようと半身を下げるが、フェイクだったのか切り替えたのか、滑りこむようなセトの足払いが綺麗に足首へとヒットした。動きが速すぎる。セトの本来の特性は、力よりも俊敏さだった。判断も行動も、滞ることなく展開されていく。
痛みから動きが遅れたイシャンに、下からセトの腕が、空気を切り裂く鋭さで伸びた。あの手に掴まれば終わる。床に倒されるイメージが浮かんだ。
——正攻法で、セトに勝てるはずが、ない。
時間にすると1秒も満たさない。小数点以下の認識が、イシャンのリミッターを取り払った。
低い位置にあったセトの顔へと、まるで無造作に出したかのように、イシャンの手が向けられた。拳ではなく、開かれた形のまま、あまり意味がないような動きで。——しかし、
「っ?」
それに気づいたセトの口から、声にならない驚きがもれた。イシャンへと突っ込もうとしていた勢いを殺し、とっさに身をひねって回避したためバランスを失う。片手を床についたセトの頭上へと、イシャンは自身の肘を正確に落としにいった。躊躇は、セトに反攻の余地を与えると理解して、迷いなく。
セトからは、頭上の攻撃は、見えていなかったと思われる。そこから先のセトの判断は、おそらく——人ではなかった。
確実にくると感じ取ったのだろう。致命傷をねらった攻撃を素早く腕の防具で迎えうち、弾き返した下から、金の眼光でイシャンを捉えた。先ほど、眼を潰しにいったイシャンの——殺意を、悟った、その眼に、
——なんで、そんなこと言うんだよっ……。
イシャンの脳裏で、思い詰めた瞳が重なる。
——殺すとか、簡単に言うなよ……お前までどうしたんだ? ウサギが俺らに何かしたか? 何もしてないやつを、リスクがあるからって殺すのか? ……そんなの、おかしいだろ……?
記憶を掻き消すように、セトの身体が動いた。
床についた手を軸に、下半身をひねり上げ——しなやかな足先が、わずかな隙間を通して、イシャンの頸動脈をねらい打った。
頭をぶつけたときに似た衝撃と、呼吸の仕方を忘れたかのような閉塞感。視界から光が奪われる。
遅れてくる痛みと痺れに、イシャンはもう、何もできなかった。
——俺、軽く本気出していいか?
本気?
そんなもの、セトは元から出していない。眼球をねらい、頭頂部に肘を落としにいったイシャンと違い、セトは人体の急所を積極的に突いてこなかった。
優しさかも知れない。侮られているのかも知れない。それとも——その手加減こそが、人間らしいということなのか。
イシャンには分からない。イシャンは昔から、〈人間らしい〉などという形容は——認めていない。
手放してしまいたい意識は、途切れることなく残っている。気絶させることも、できただろうに。
最後の最後まで、セトは本気を出さなかった——そういうことなのだろう。
「トレーニング、付き合ってくれよ」
私室にいたイシャンを訪れたセトは、頼み事をしているわりにはぶっきらぼうで、誘われた側のイシャンは(トレーニング? 共に?)言葉の意味を拾い損ねて数秒間、静止した。
「……何をトレーニングするのだろう?」
「対人。ロボじゃないやつ。イシャン、前にやりてぇって言ってたろ?」
「ああ、近接格闘術か。……それは、言ったかも知れない」
「やろうぜ」
「……今?」
「今」
しっかりと頷くセトの顔に、イシャンは断る理由もなく、承諾して私室を後にした。
ハウスには、かつて運動室があった。ロボット相手のスポーツや、健康のためのトレーニングが行える部屋として存在していた。かつて——というのは、今ではイシャンによって別の目的のために特化されているからである。
「……この場合、どちらが受け手になるのだろう?」
何もない室内に、イシャンの問いが響いた。マシンはすべて収納されていて、戦いやすい空っぽの空間だった。それぞれ簡易の防具を胴や脛に着け、距離を取って向かい合う。セトはストレッチをしながら、
「どっちも攻めでいいんじゃねぇの?」
「……目標は、制圧でいいか?」
「ん。……つぅか、先に運動でもするか。いきなりだと身体動かなくねぇか?」
「……このままでいい。……むしろ、こちらのほうが実戦に近いと思う」
「なら……俺、軽く本気出していいか?」
「構わない。……私も、全力で対応しよう」
始まりを告げる掛け声などは、なかった。
セトが浅く鳴らした呼吸音に、イシャンは身構える。セトの足が迷いなく攻撃範囲に踏み込んだかと思うと、イシャンの頬めがけて拳が放たれた。速い。しかし、予想の範囲内。イシャンは左腕で受け流し、生まれた隙を突いて右腕を突き出した。防御されるかと思ったが、セトはそれを首だけずらして受け流し、待ち構えていたかのように掴んだ。捕らえられるのは良くない。セトの握力は強すぎる。
ただ、力で振り払えないと分かっている分、冷静に判断できる。腕を外側に回して外した。セト相手には、力をそのまま受けるのではなく、受け流すかたちでやらなければいけない。
思考を止めることなく低い蹴りを繰り出していく。防具に覆われていない関節をねらうが、セトは防具を使わず、靴底に近い部分でピンポイントに受け止めた。どの蹴りもすべて無駄に終わる。次の攻撃に迷った一瞬で、セトの脚が跳ね上がった。残像を捉えられない。脊髄反射——いや、直感に近い判断——で、肩にくると読んだその攻撃から、間一髪で身を引く。いったん間合いを取った。
「反応、はえーな」
「……そうか。トレーニングの成果かも知れない」
「格闘もやってんのか……射撃だけじゃねぇんだな」
「当然だ」
「トレーニング頻度は?」
「項目は日によって変わるが、トレーニング自体は毎日おこなっている」
「……そうまでして、お前はいったい、なんの為に強くなろうとしてんだ!」
言葉尻の勢いにのせて、身を低くしたセトがイシャンの腹部に突進した。懐に入り込まれるのを避けようと半身を下げるが、フェイクだったのか切り替えたのか、滑りこむようなセトの足払いが綺麗に足首へとヒットした。動きが速すぎる。セトの本来の特性は、力よりも俊敏さだった。判断も行動も、滞ることなく展開されていく。
痛みから動きが遅れたイシャンに、下からセトの腕が、空気を切り裂く鋭さで伸びた。あの手に掴まれば終わる。床に倒されるイメージが浮かんだ。
——正攻法で、セトに勝てるはずが、ない。
時間にすると1秒も満たさない。小数点以下の認識が、イシャンのリミッターを取り払った。
低い位置にあったセトの顔へと、まるで無造作に出したかのように、イシャンの手が向けられた。拳ではなく、開かれた形のまま、あまり意味がないような動きで。——しかし、
「っ?」
それに気づいたセトの口から、声にならない驚きがもれた。イシャンへと突っ込もうとしていた勢いを殺し、とっさに身をひねって回避したためバランスを失う。片手を床についたセトの頭上へと、イシャンは自身の肘を正確に落としにいった。躊躇は、セトに反攻の余地を与えると理解して、迷いなく。
セトからは、頭上の攻撃は、見えていなかったと思われる。そこから先のセトの判断は、おそらく——人ではなかった。
確実にくると感じ取ったのだろう。致命傷をねらった攻撃を素早く腕の防具で迎えうち、弾き返した下から、金の眼光でイシャンを捉えた。先ほど、眼を潰しにいったイシャンの——殺意を、悟った、その眼に、
——なんで、そんなこと言うんだよっ……。
イシャンの脳裏で、思い詰めた瞳が重なる。
——殺すとか、簡単に言うなよ……お前までどうしたんだ? ウサギが俺らに何かしたか? 何もしてないやつを、リスクがあるからって殺すのか? ……そんなの、おかしいだろ……?
記憶を掻き消すように、セトの身体が動いた。
床についた手を軸に、下半身をひねり上げ——しなやかな足先が、わずかな隙間を通して、イシャンの頸動脈をねらい打った。
頭をぶつけたときに似た衝撃と、呼吸の仕方を忘れたかのような閉塞感。視界から光が奪われる。
遅れてくる痛みと痺れに、イシャンはもう、何もできなかった。
——俺、軽く本気出していいか?
本気?
そんなもの、セトは元から出していない。眼球をねらい、頭頂部に肘を落としにいったイシャンと違い、セトは人体の急所を積極的に突いてこなかった。
優しさかも知れない。侮られているのかも知れない。それとも——その手加減こそが、人間らしいということなのか。
イシャンには分からない。イシャンは昔から、〈人間らしい〉などという形容は——認めていない。
手放してしまいたい意識は、途切れることなく残っている。気絶させることも、できただろうに。
最後の最後まで、セトは本気を出さなかった——そういうことなのだろう。
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