131 / 228
Chap.12 薔薇色に塗り潰すなら
Chap.12 Sec.4
しおりを挟む
流れで連れて来てしまった。
「……とりあえず、座る……か?」
ベッドへ足先を向けながら尋ねると、ウサギは首を振った。セトの顔から目線をわずかに下げたまま、「このまま、だいじょうぶ」稚拙な発音で返す彼女は、ドアのそばから離れるようすがない。セトは3秒ほど悩んだが、同じように立ったまま話すことを決めた。
「お前に訊きたいがことがあって……その……サクラさんのことで……」
サクラの名前に、ウサギが顔を上げた。表情のない顔には、何も思いは浮かんでいないように見える。セトは逡巡していた唇を開き、
「サクラさんに……何か、脅されてるのか?」
「………………」
血色の悪い頬が、一瞬だけ硬くなったような気がした。しかし、ウサギは言葉の意味を考えるような間をもってから、
「いいえ」
きっぱりとした口調で、短く答えた。いつかを思い出すような蝋人形の顔。こちらを怖がっているふうではなく、単に何も感じていないように見える。
「そう……だよな。……いや、それなら……いいんだけどよ」
「……はなしは、おわり?」
「ああ、まぁ……そうだな?」
「いしゃんのへやに、いってもいい?」
文法がマシになっているな、と。頭の端で考えていたせいで反応が遅れた。
「——いや、行かなくていい。行きたくねぇだろ……? イシャンなら、俺が話をつけてきてやるよ」
最初からそのつもりはあった。自室に連れてくる予定ではなかったが、一度ウサギから引き離して、イシャンとふたりきりで話をしようと思っていた。改めて考えたが、イシャンが本気でウサギを殺すわけがない。そんなことができる人間ではない。長年を共に過ごしてきたのだがら、イシャンの人となりは分かっているつもりだ。感染者の話で不安を覚えたのは事実だが……感染者を死者と同一視する者は多い。ウサギは感染者でないのだから、殺してもいいなんて判断はありえない。
生殖行為はしない——そんな宣言をされるとは思っていなかったが、そこに執着が無いなら話をつけるのは簡単だ。
ウサギを残して部屋を出ようとした。が、ドアの前に立っていたウサギはそこを退くことなく、立ち塞がったまま首を振った。
「いい、だいじょうぶ」
「……?」
「わたし、いしゃんのへやに、いく」
「は?」
「いくから……せとは、いい」
「何言ってんだ? 前に……痛い目に遭わされたんだろ? 腕の痕だって……イシャンにやられたんじゃねぇのか?」
「……あれは……ちがう。わたしは、だいじょうぶだから……せとは、いかないで」
「はぁ?」
思い詰めたような顔で見上げながら、行く手を阻むように両手を前に出した。
「……わたしは、だいじょうぶ。……せとは、もう、わたしを——まもらないで」
切実な願いを唱えるかのように、彼女は強く訴えた。泣きそうなほど痛切な瞳に動じて、思わずその両手を取り、
「なに言ってんだよ……? 俺は別に、護ってるつもりねぇし……そもそも護れてもいねぇだろ……?」
「……わたしは……せとに、なにもかえせない。だから、めいわく、したくない……」
「迷惑なんて思ってねぇよ」
「ちがう……わたしは……なにも、してない。なにも、できなかった……せとのために、わたしは……できなかった……」
「なんの話をしてんだよ? 昨日のことなら、お前は悪くねぇっつったろ」
「ちがう…………わたしは、せとのために……できるか……わからない。だから、おねがい。わたしに……なにもしないで」
握っていた手を、振りほどかれた。蒼白な頬に涙は無かったが、何かに追い詰められているかのように逃げる瞳は、もうこちらを見ようともしない。いつものように怖がっている——とは違う気がするのに。その可能性がある以上、再度触れるのはためらわれた。
「……もしも、わたしにできることが……みつかったら、いってください。……せとには、かんしゃしてるから……わたしができることは、なんでもします」
目を合わさずに、小さく開かれた唇が形式ばったセリフを口にした。彼女にしては明瞭な発音で。まるで練習したみたいに。
そうして目を逸らしたまま身体を回すと、ドアに手をかざし、出て行こうとした。
——こんな状態で?
こっちの意見も気持ちも、丸ごと捨て置いて。気遣いのつもりか知らないが——完全な拒絶にしか思えないのは、俺がおかしいのか?
開かれたドアから逃げて行くその腕を、掴むこともできない。捕まえてしまえば——おそらく酷いことをしてしまう。入り乱れてぐちゃぐちゃとした思考の多くは苛立ちに染まっていて。残された良心のようなものだけが、彼女のことを案じている。傷付けたくないと願っているのは、そのカケラほどの意識だけだ。あとはすべて——苛虐的な衝動。正気じゃない。
——あんたたちが、狂ってるの。
記憶から、非難の声に囁かれた気がした。今では遠い日々が、軛となって平穏を妨げてくる。
——オレって、やっぱおかしい? 異常?
——私は間違っているだろうか?
——ぼくは、変ですか?
——君たちは、“普通”じゃない。
……眩暈がする。
——私は“普通”を望んでいるよ。普通が何かも、理解しきれていないのにね。
閉じたドアに重なる顔は、思い出のなかでも今と同じ青い眼でセトを見つめている。変わるはずない。何も——疑う必要はない。
胸を痛めつけるこの感情は、無知な彼女の理解をこえた行動に振り回される不快感と、閉塞した日常で知らずしらず蓄積するストレスからくるものであって、一時的な激昂だと思いたい。——そう思うことにした。
「……とりあえず、座る……か?」
ベッドへ足先を向けながら尋ねると、ウサギは首を振った。セトの顔から目線をわずかに下げたまま、「このまま、だいじょうぶ」稚拙な発音で返す彼女は、ドアのそばから離れるようすがない。セトは3秒ほど悩んだが、同じように立ったまま話すことを決めた。
「お前に訊きたいがことがあって……その……サクラさんのことで……」
サクラの名前に、ウサギが顔を上げた。表情のない顔には、何も思いは浮かんでいないように見える。セトは逡巡していた唇を開き、
「サクラさんに……何か、脅されてるのか?」
「………………」
血色の悪い頬が、一瞬だけ硬くなったような気がした。しかし、ウサギは言葉の意味を考えるような間をもってから、
「いいえ」
きっぱりとした口調で、短く答えた。いつかを思い出すような蝋人形の顔。こちらを怖がっているふうではなく、単に何も感じていないように見える。
「そう……だよな。……いや、それなら……いいんだけどよ」
「……はなしは、おわり?」
「ああ、まぁ……そうだな?」
「いしゃんのへやに、いってもいい?」
文法がマシになっているな、と。頭の端で考えていたせいで反応が遅れた。
「——いや、行かなくていい。行きたくねぇだろ……? イシャンなら、俺が話をつけてきてやるよ」
最初からそのつもりはあった。自室に連れてくる予定ではなかったが、一度ウサギから引き離して、イシャンとふたりきりで話をしようと思っていた。改めて考えたが、イシャンが本気でウサギを殺すわけがない。そんなことができる人間ではない。長年を共に過ごしてきたのだがら、イシャンの人となりは分かっているつもりだ。感染者の話で不安を覚えたのは事実だが……感染者を死者と同一視する者は多い。ウサギは感染者でないのだから、殺してもいいなんて判断はありえない。
生殖行為はしない——そんな宣言をされるとは思っていなかったが、そこに執着が無いなら話をつけるのは簡単だ。
ウサギを残して部屋を出ようとした。が、ドアの前に立っていたウサギはそこを退くことなく、立ち塞がったまま首を振った。
「いい、だいじょうぶ」
「……?」
「わたし、いしゃんのへやに、いく」
「は?」
「いくから……せとは、いい」
「何言ってんだ? 前に……痛い目に遭わされたんだろ? 腕の痕だって……イシャンにやられたんじゃねぇのか?」
「……あれは……ちがう。わたしは、だいじょうぶだから……せとは、いかないで」
「はぁ?」
思い詰めたような顔で見上げながら、行く手を阻むように両手を前に出した。
「……わたしは、だいじょうぶ。……せとは、もう、わたしを——まもらないで」
切実な願いを唱えるかのように、彼女は強く訴えた。泣きそうなほど痛切な瞳に動じて、思わずその両手を取り、
「なに言ってんだよ……? 俺は別に、護ってるつもりねぇし……そもそも護れてもいねぇだろ……?」
「……わたしは……せとに、なにもかえせない。だから、めいわく、したくない……」
「迷惑なんて思ってねぇよ」
「ちがう……わたしは……なにも、してない。なにも、できなかった……せとのために、わたしは……できなかった……」
「なんの話をしてんだよ? 昨日のことなら、お前は悪くねぇっつったろ」
「ちがう…………わたしは、せとのために……できるか……わからない。だから、おねがい。わたしに……なにもしないで」
握っていた手を、振りほどかれた。蒼白な頬に涙は無かったが、何かに追い詰められているかのように逃げる瞳は、もうこちらを見ようともしない。いつものように怖がっている——とは違う気がするのに。その可能性がある以上、再度触れるのはためらわれた。
「……もしも、わたしにできることが……みつかったら、いってください。……せとには、かんしゃしてるから……わたしができることは、なんでもします」
目を合わさずに、小さく開かれた唇が形式ばったセリフを口にした。彼女にしては明瞭な発音で。まるで練習したみたいに。
そうして目を逸らしたまま身体を回すと、ドアに手をかざし、出て行こうとした。
——こんな状態で?
こっちの意見も気持ちも、丸ごと捨て置いて。気遣いのつもりか知らないが——完全な拒絶にしか思えないのは、俺がおかしいのか?
開かれたドアから逃げて行くその腕を、掴むこともできない。捕まえてしまえば——おそらく酷いことをしてしまう。入り乱れてぐちゃぐちゃとした思考の多くは苛立ちに染まっていて。残された良心のようなものだけが、彼女のことを案じている。傷付けたくないと願っているのは、そのカケラほどの意識だけだ。あとはすべて——苛虐的な衝動。正気じゃない。
——あんたたちが、狂ってるの。
記憶から、非難の声に囁かれた気がした。今では遠い日々が、軛となって平穏を妨げてくる。
——オレって、やっぱおかしい? 異常?
——私は間違っているだろうか?
——ぼくは、変ですか?
——君たちは、“普通”じゃない。
……眩暈がする。
——私は“普通”を望んでいるよ。普通が何かも、理解しきれていないのにね。
閉じたドアに重なる顔は、思い出のなかでも今と同じ青い眼でセトを見つめている。変わるはずない。何も——疑う必要はない。
胸を痛めつけるこの感情は、無知な彼女の理解をこえた行動に振り回される不快感と、閉塞した日常で知らずしらず蓄積するストレスからくるものであって、一時的な激昂だと思いたい。——そう思うことにした。
30
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。
クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。
3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。
ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。
「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる