【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.14 純白は手折りましょう

Chap.14 Sec.2

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 夜を意識しないよう努める頭は、引き換えにサクラが占めていた。胸中に広がる息苦しさのせいか、足がおぼつかない。
 2階の通路から、サクラのいる中央棟への入り口、ステンドグラスが見える。あとは階段を下るだけ、というところで、イシャンが振り返り、

「先ほどの話は……嘘だ」

(…………え?)
 かけられた言葉に、理解が追いつかず、思考が止まった。

「……サクラさんは、貴方を呼んでいない」

 続いた言葉に、翻訳の間違いかとも思った。何か情報が欠けているのかも、と。
 言葉を発せず固まっていると、イシャンが足りない情報を補うように、

「……ロキを退かせるために言った、出任せだ。……貴方がどう過ごそうと自由だが……共用スペースで、め事に繋がりそうなことは……避けてもらいたい」

 黒檀こくたんの色をした眼が静かに、深遠な感情をわずかに映して、見つめている。

「…………ごめんなさい」
「……謝罪は要らない。以後、気をつけてもらえるなら……それでいい」
「……ウソ、なら……わたしは、さくらのところへ……いかなくていい?」
「ああ」
「……でも、」
「……?」
「ろきは、わたしのいばしょ……わかる。これは……この、ウソは……」

 後から、トラブルを招かないだろうか。彼女の憂慮ゆうりょを推測したイシャンは、焦ることなく否定した。

「ロキが、そこまで確認するとは、思えない。嘘が発覚しても……ロキは、私に怒るだけだろう。……この程度のことで、サクラさんからのとがめはない。……何も、支障は無い」

 イシャンの言葉と、サクラの許へ行かなくてもいいという事実に、細く安堵あんどの息をもらした。言葉を返そうと口を開いたが、ふいにイシャンの目が、すっと何かを捉えて動いた。目線をたどって振り返ると、つい今しがた降りてきたエレベータのドアが開いて、セトが姿を見せていた。ドキリと、心臓が震える。たったいま部屋から出て、ここまでやって来たようだった。イシャンが止めずにあのままだったら——と思うと、冷や汗が出る。
 まだ距離はあったが、セトもこちらに気づいたような反応が……。

「……話は以上だ」

 背後で、イシャンが早口につぶやいた。セトから目を戻すと、すでに背を向けたイシャンは短い階段を下り始めていて、ステンドグラスの方へと。

「いしゃん、まって……」

 まだ、言うことが——。
 呼びかけて、離れた距離を取り戻そうと踏み出した足が、もつれた。サクラに呼び出されたと勘違いしていた、極度の緊張のせいか——それとも、安心して油断したせいなのか。

「あっ……」

 段差を無視したように滑り落ちた足と、バランスを崩して前方にかたむく身体。とっさに出た右手は手すりに少しも届かず、痛みへの覚悟でぎゅっと目を閉じた。

「…………?」

 着地の衝撃が全身を襲う——ことはなく、感じた衝撃はわずかだった。なぜ……? 疑問から目を開けたが、すぐには状況がつかめず、「大丈夫か……?」頭上から降ってきた冷静沈着な声音に、はっ——と。

「ごめんなさい!」

 抱き止められていた。イシャンに。イシャンの胸のなかに。
 理解した瞬間、最大の反射神経で後ろに跳びのいた。恐怖も、あったのかも知れない。でも、身体を強く支配していたのは——離れなくては!——という焦りだった。
 私にしてはあまりにも素早い動きで、表情の動かないイシャンも驚いたような……

「………………」
「ご……ごめんなさい……」
「……気をつけて、歩いてもらいたい」
「はい……きをつけ、ます……」
「………………」
「………………?」
「……何か、用があったのではないのだろうか?」
「(呼び止めたんだった)……ありがとう、を……いおうと……おもって」
「……意味が、分からない」
「ろきを、とめてくれて……ありがとう」
「………………」
「…………?」
「……貴方が、」

 何かを告げようとした唇が、諦めたように閉じられた。小さな吐息と、伏し目がちの双眸そうぼうが、あきれているように見える。……見える、だけで、見た目に大きな変化はない。

「……いしゃん……?」
「……他に、用は?」
「……ない、です」
「それなら、失礼する」

 ふっとイシャンの目線が上がったが、すぐに背を向けて娯楽室がある方へと去って行ってしまった。彼は、なにか言おうとしていたはずだが……。小さくなる後ろ姿に、イシャンの言いたかったことを考えながらぼんやりとし、……なにか忘れているような。

「………………」
「………………」

 背後の気配に、そっと反転してみる。階段の上で、こちらを見下ろす鋭い瞳が。

「……こんにち……は?」
「………………」

 こういうとき、なんと声掛けするのが正しいのだろう。朝食時に会っているから、挨拶はいらないのか。セトの片眉が(なに言ってんだこいつ)というように上がったので、とりあえずこの発言は間違っていたのだと思う。
 私たち、よく会いますね。なんていう日常会話をする間柄でもないので、早くどこかへ(……どこに?)立ち去ろうと、目的もないまま1階のエントランスホールに下りる大きな階段へと足を向けた。

「おい、ちょっと待て」

 リズムよく階段を下りきったセトに、腕を取られた。ロキに続いて、逃げ終えるよりも先に捕獲される。今日は不運な日かも知れない。……幸運な日も、今までにそうなかったか。
 足許の階段から、セトへと目を上げる。ロキほどではないが、大概セトも距離が近い。もうすこし距離をとってくれれば、緊張もやわらぐのだけど……そう思っていると、腕を押さえていた手が離れた。

「お前……大丈夫か? いま、落ちたよな?」
「(見られてた……)だいじょうぶ。いしゃんが……たすけて、くれた」
「イシャンが? お前を?」
「……はい」
「……なら……よかったな」

 よかったな、との言葉とは反対に、セトの表情はどこか懐疑かいぎ的だった。イシャンを疑っているのかと思ったが目はこちらを見ていて、(私が、疑われている……?)思わず萎縮すると、セトがため息をついた。

「痛いとこ、ねぇのか?」
「……はい」
「気をつけろよ? 前にも転んで怪我けがしてるんだろ」
「……きをつけます」
「………………」
「………………」

 居心地のわるい沈黙。り上がった金の眼に耐えられず、今度こそ立ち去ろうとしたが……本来の、ロキに会う前の目的を思い出した。

「なにか……わたしに、しごと、ある……?」
「ねぇよ」
「………………」

 精一杯の勇気は、ばっさりと切り捨てられて跡形もなく失せた。この場にいる意味を今度こそなくし、いっそロキの部屋に行くべきかと。足先だけ、エレベータに戻る方向へ合わせた。

「しごと、みつかったら……いってください……」

 なるべく丁寧に述べて小さく頭を下げてから、その場を離れようと足を進め——たのに。なぜか、またセトに腕を取られた。

「……?」
「どこ行くんだ? お前さっき下に行こうとしてたろ。メルウィンの所じゃねぇのか?」
「…………いくところ、かわった……から」
「どこに」
「…………うえ?」
「上のどこだよ」
「……ろきの、へや?」
「は?」

 城館の中を下手に歩き回り、ロキにまた見つかって窮地きゅうちに追い込まれるくらいなら、はじめから彼の部屋に行くのが賢明だと思う。イシャンの希望にも沿う。役目もまっとうできる。その場の思いつきみたいな回答だったが、意外にも理に適っていた。
 答えきってから、自分のなかで筋が通ったことに充足を得ていると、見下ろすセトの睨み顔にヒヤリと背を伸ばした。
 こわい。いつもながら、こわい。腕を掴むセトの手に力が入った。

「ロキのは今夜だろ」
「? ……はい」
「〈今夜〉の意味、ちゃんと分かってるか? 夕メシの後でいいんだ。日中は好きに過ごせばいい。メルウィンからも言われただろ?」
「…………でも、」
「でもじゃねぇ。少しは周りの親切に気づけ」
「……シンセツ……」
「メルウィンもティアも、お前に時間をやろうとしてんだ。仕事仕事言ってねぇで、自分のための時間にしろよ」
「……でも」
「あ? まだ文句言うのか? 普段はハイハイ言ってるくせに、そういうとこだけ強情じゃねぇか」
「………………」

 ……でも、私のための時間とは、何をしたらいいのか。無為むいな時間は、サクラとの約束が頭に浮かんで、心休まらない。何かをしているほうが、誰かの為になっているほうが、よっぽど——。
 途方に暮れる視界が、くらい。何をしたらいいのか、セトに尋ねることもできず、視線を落とした。頭上から、苛立いらだったような舌打ちが聞こえ、

「それなら、俺が仕事をくれてやる。手伝え」

 握られた腕に、痛みが生まれた。
 見上げた先の、狼の眼。身じろぎひとつせず、いつもにらんでるみたいなそれは、かつて——映像のなかで——喜びを含み、きらめいていた。ここには影も形もない。彼のほころぶ顔を、私が見ることはありえないのだろう。
 自分のものに思えない細腕は、セトの力強い手にかかれば、造作ぞうさもなく折られてしまいそうだった。
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