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Chap.14 純白は手折りましょう
Chap.14 Sec.6
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——ハンドガン、撃ったことねェの?
毒についての学習から、どうしてこうなったのか。
ロキが解放してくれなかったのもあり、彼の部屋で致死性の毒について知識を得るはずだったが……『毒殺より銃殺にしたら?』なぜか物騒な勘違いをされていて、さらなる物騒な提案してくるものだから、『誰も殺さないよ』再三にわたって釈明していたところ話がそれていき、最終的にシューティングのトレーニングをやりに行こうとかなんとか言い出して、部屋を出ることになった。
透明のストレートな花瓶に似た、いつもの細長いエレベータに乗り込んで1階へ。会話の言語は彼らのものに切り替わっていたが、話の流れで冒頭の質問になる。
「……わたしは、うったことない」
「ふ~ん? 経験ねェのが本来の普通だっけなァ? こんな自衛必須の世じゃ、当然経験あるもんかと思ってたけどねェ~」
「……ろきは、うったこと、ある?」
「あるよ。VRでもトレーニング用のでもなくて、リアルで、本物のヤツ」
「それは……そとの、にんげんみたいな……いきものを、うったの?」
「俺が撃ったのは、ただの的。人間みたいな生き物って何?」
「はうすのそとの、ずっとそとにいる……にんげんみたいな、こわい、いきもの」
「感染者のこと言ってンの?」
「……カンセンシャ?」
感染者。翻訳された言葉を理解する前に唱え返したのと、たどり着いた先のドアが開いたタイミングが重なった。そのせいかロキが説明をくれることはなく——私もまた、ドアの先に広がる無機的な空間と、居合わせた彼らに意識をそらされた。
全体は薄いグレーの広いホール。床から突き出したような円柱の棚だけが、家具と呼べた。ちょうどそこに銃器を片付けたらしい、ふたりの人間が振り返る。振り返らなくても、分かった。くすんだ金髪と、後ろに流された黒髪。互いに似た背丈の、威圧感のある体躯。私の右隣上から、気だるげな舌打ちが聞こえた。
振り返った彼らと、目が合う。こちらの姿を捉えたセトは眉を寄せたが、何も言わない。イシャンの目も細く私に刺さっていて、彼のほうは纏う空気がひどく怖い。ひるんで動けない私とは違い、ロキは意に介さず足を踏み出した。
「ニュービーなウサちゃんは、反動のレベル下げたほうがいいかもねェ~」
場にそぐわない声が、薄っぺらに響く。先客の存在から、(部屋に戻ったほうが……)思わず彼を呼び止めるように手を伸ばして、一歩。その空間に足を入れた途端、
「——入るな」
低く、重たい声が。
イシャンの、命令するその響きが。全身を駆け巡るようにして、凍てついた恐怖を呼び起こした。
身体を縛り付けられ、胸を潰されたかのような息苦しさ。記憶から湧き出したのは、首を絞められた夜ではなく、狭いカプセルベッドのなか手を縛られたあの夜——。
「……はァ? アンタ誰に命令してンの?」
硬直した脳を瞬時に醒ましたのは、ざらついたノイズ混じりの声だった。聞き慣れたものよりも低い、圧の増した音。
条件反射のように滲んだ涙越しに、ロキの背中が色鮮やかに見えた。こちらへ歩み寄って来るイシャンよりも、鮮明に。基調は黒なのに、光が当たると赤く艶めく不思議な色。室内の明るい光を受けて、まぶしく発色していた。
イシャンが、ロキと対峙するように立ち塞がった。
「ロキに命令してはいない。……その人間に対して、命じている」
「ウサギに命じる権限なんて、犬ごときが持ってねェよなァ?」
「外者を、ここに入れることは……認められない」
「誰が認めねェって? アンタの君主様がそう言ったワケ?」
「………………」
「言ってねェよなァ~? こんなオモチャしかねェような場所、ウサギが入ったところでノーリスクじゃん。サクラが禁止してたらドアが開くわけもねェし」
鼻で笑ったロキが半身だけ振り返り、動けずにいた私の肩に腕を回した。うむを言わせない力で引き寄せられ、強制的にイシャンの眼光のもとに晒される。警戒の刻まれた眉根に、よりいっそう力が入った。
不穏な空気にロキを見上げたが、彼は薄笑いを浮かべている。
「仮に、ウサギが危険人物だとして? 何か問題を起こした場合——それは、加入を決めたサクラの責任だろ?」
「………………」
「個人的な被害は自己防衛しろよ、ガキじゃあるめェし。オレ自身はウサちゃんが危険だと思ってねェから。むしろウサちゃんにとっちゃオレらが危険だとすら思うけど? ……まァ、そこは今の問題じゃねェよな。どっちも自己責任だ」
「……自己責任、か。ロキは、ティアと同意見ということか……」
「サイキックの意見は知らねェよ」
「………………」
私を捉える暗い眼を、身のすくむ思いで見つめ返す。サクラに似た冷酷さと、どこか観察するような——ティアと重なる目つき。イシャンの背後から、セトが「おい、イシャン」諫めるように、軽く肩へと手を乗せた。
黒の眼が、私を放す。イシャンの閉ざされていた唇が開いた。
「……ロキは、この人間にトレーニングを受けさせるつもりだろうか?」
「そォだけど? 一緒にやったら悪ィの?」
「悪いかどうかは、知らない。だが……その行為は、私が認めない」
「はァっ? ……だからさァ、アンタにそんな権限ねェんだって」
「……ある。武器に関しては私に一任されている。他人が触れるのは、許可しない」
「あァ?」
ロキの強圧的な声に、ひやりと身体が震えた。
この場にいたくない、いるべきじゃない。
「——おい、お前らちょっと離れろ」
向かい合うふたりのあいだに、セトが割り込んだ。「変なことで揉めんなよ。イシャンも、ロキのことはほっとけ」ふたりに対して、というよりは、イシャンを中心に宥めようとしている。
「放っておく……? このまま、この人間がトレーニングするのを認めろ、と……?」
「そういう意味じゃねぇ。とりあえず離れろって言ってんだ。お前は大事にしたくねぇだろ?」
「………………」
「ロキに言っても無駄だ。サクラさんに確認して、指示を仰げよ」
すっと身を引いたイシャンは、納得したようだった。セトの助言に、ロキがわざとらしく笑い声をあげた。
「あァ~あ。忠犬どもは飼い主に訊かねェと、なァんにも分かんねェか。役に立たねェ脳みそだなァ~?」
ざらりとした浅い挑発に、セトの横目が尖ったが、「……腹減ったし、なんか食いに食堂でも行こうぜ」相手にすることなくイシャンに戻った。イシャンのほうは困惑を見せて、
「……もう空腹に……?」
「いいだろ。気にすんな」
ドアから出て行こうとするセトの提案に乗ったような乗っていないような、曖昧なようすでイシャンが私たちの横を通り過ぎ——る、前に、
「——てめェは、どっちなんだよ」
ロキの、低く静かな問いが、投げられた。
「……あ?」
言いぶりに、自分への問いだと察したのか、セトが振り返った。首だけ。全身で向き合うことなく、後ろ髪を引かれるようなかたちで。私の隣で、薄い呼気がこぼれた。笑い声にしては弱くて、もっとずっと……やるせない何かが、あふれたような。
私の肩をぐるりと回して、ロキはセトへと向いた。
「——オレは、ここにあるのは武器じゃなくてトレーニング器具だと思ってる。だから、そっちの軍犬にあれこれ言う権限は無ぇよ。……けど、トレーニングっていうなら、ここはてめェの管理下だよな?」
「……だからなんだって言うんだよ」
「てめェの意見を聞かせろよ。権限のあるヤツの言い分なら、オレも従ってやるよ」
「…………は?」
理解していない顔で、セトが眉間を細めた。思考の間を挟んで、
「……なら、ウサギにトレーニングさせんのはやめとけ。余計なトラブル起こす必要ねぇだろ」
「ウサギにトレーニングさせると、何がどう余計なトラブルになんの?」
「今あったろ。イシャンはよく思ってねぇんだから、わざわざやるな」
「てめェは?」
「は?」
「てめェも、ウサギが危険だって思ってンの?」
金の眼に、ぐっと力が入った。私に流れたその瞳が、何か言いたげに戸惑った気がしたが……。
「拾い主としての意見も聞きたいねェ~? ワンちゃんは、ハウスにとって害あるもんを拾って来たワケ?」
「……害があるなんて思ってねぇよ」
「じゃァ、ウサギがトレーニング受けるのは賛成だよな?」
「…………いや、反対だ」
「なんで?」
「受ける必要ねぇだろ」
「トレーニングはハウスに居る人間の義務じゃねェ?」
「ハウスに居るやつじゃなくて、ハウスに残る兄弟の義務だ。仲間うちの話だろ」
「あァ、ウサギは仲間じゃねェって? つまり他人? 都合のいい娼婦?」
「そんなこと言ってねぇ……なんなんだよ、お前は。うっとうしい絡みしてくんな」
セトの煩わしげな目に、ロキの様子が心配になった。よくない流れだと感じたが、話に割って入れるようすでもない。うかがうようにロキの顔を仰いで、「ろき、へやに、かえろう……?」小さく提言してみたが、多彩な眼は私を見ない。セトだけを映したまま、
「否定しねェのは、できねェからだろ?」
「あ?」
「気まぐれに拾って、捨てたくせに。やることはやろうとしてさァ~? 都合いい娼婦って認識、否定できねェじゃん?」
「拾ってねぇし、捨ててもねぇよ」
「拾ったし、捨てただろ」
「違う。俺は助けただけだ」
「てめェが引き止めたって宣言したよな? ウサギの意思は無視したンじゃねェの?」
「……それは、ウサギと話がついてる。お前に関係ねぇだろ」
「どう話がつくわけ? ノリで助けたけど、やっぱ面倒だし責任はナシにして? 残るのはそっちの意思だからカラダは寄越せ——って?」
「あぁ?」
身体ごと振り返ったセトの気迫に、私のほうがびくりと震えてしまった。ハッとしたセトと、目が合う。イシャンがセトの肩に手を伸ばしかけていたが、掴み掛かるような勢いが消えたせいか、手を下ろした。
消えた怒りの代わりに、金の眼が鋭くロキを見すえ、
「——お前は、なんなんだ? サクラさんに世話になっておきながら、文句ばっか言いやがって……」
冷たい黄金。
この空間と同じ、無機的な印象を与える、冷ややかな色。
「サクラさんに反抗できねぇからって、俺やイシャンにいちいち絡んでくるな。最近は他のやつらにも突っ掛かってるよな? ストレス感じてるのは、お前だけじゃねぇんだぞ。ここ以外に行き場がねぇと思い込んでるやつだっている。余計なこと言って、あいつらの不安を煽るな。不満があるなら、ぐだぐだ言わずに黙ってハウスから出て行——っ?」
——やめて。
声にならない気持ちから、思わず目の前にあったセトの胸板に手をついていた。
翻訳機から届いた言葉よりも、セトの淡々とした響きと、私の肩に回されていたロキの手が。……ぎゅっと、私に縋りついた強さが、私の手を突き動かしていた。
「……なん、だよ?」私に落ちるセトの目には、当惑が見える。急に動いた私に驚いたのか。イシャンの目も私に向いていた。
そちらは見ずに、金の眼を見つめて、
「……わたしは、とれーにんぐは、しない。へやに、かえるから……もう、いい?」
「……部屋って、どこに」
「ろきの、へや」
「……メルウィンの手伝いは?」
「めるうぃんには、ごめんなさい、つたえたから……だいじょうぶ。かわりに、あした、いっぱいする……やくそくした」
「明日は……」
「?」
「いや、なんでもねぇよ。……好きにしてくれ」
ふっと目線を外すように、セトは顔を背けた。「行こうぜ」イシャンに声をかけ、そのまま食堂へと行くのか、こちらに背を向けると廊下をエントランスホールの方へと歩いて行った。イシャンは一瞬だけロキへと視線を流したが、何も言うことなくセトについて行く。
「………………」
ふたりの背中が角を曲がるまで。
黙って静かに見送っていたが……そっと。横を見上げた。小さな地球の眼も、私を見下ろしていた。
「……へやに、かえろう?」
「ヤだね。なんでオレがアイツらの主張に合わせなきゃいけねェの?」
「……とれーにんぐ、そんなに、したい?」
「……べつに」
「それなら、へやで……げーむ、しよう? ……げーむで、はんどがん、おしえて?」
「……ウサちゃんの願いを聞くなら、オレのも聞いてもらうけど」
「いいよ。なんでも、どうぞ」
「……なんでもって、無責任。やれること全然ないくせに」
「……できることで、なんでも、どうぞ」
「…………考えとく」
考えるためかどうか、むっつりと口を閉じたロキの横顔。それを見ながら、胸に湧く不思議な感情について考えていた。
手のかかる子供を、それでも見放せない母親のような。
自分の立場を忘れてしまうほどに、本来は弱い意志の私を突き動かすこの気持ちは——なんだろう?
空っぽの胸に芽生えた感情の正体は、まだ分からない。ただ、これが……何もない私にとって、とても大切なもののように思えた。
毒についての学習から、どうしてこうなったのか。
ロキが解放してくれなかったのもあり、彼の部屋で致死性の毒について知識を得るはずだったが……『毒殺より銃殺にしたら?』なぜか物騒な勘違いをされていて、さらなる物騒な提案してくるものだから、『誰も殺さないよ』再三にわたって釈明していたところ話がそれていき、最終的にシューティングのトレーニングをやりに行こうとかなんとか言い出して、部屋を出ることになった。
透明のストレートな花瓶に似た、いつもの細長いエレベータに乗り込んで1階へ。会話の言語は彼らのものに切り替わっていたが、話の流れで冒頭の質問になる。
「……わたしは、うったことない」
「ふ~ん? 経験ねェのが本来の普通だっけなァ? こんな自衛必須の世じゃ、当然経験あるもんかと思ってたけどねェ~」
「……ろきは、うったこと、ある?」
「あるよ。VRでもトレーニング用のでもなくて、リアルで、本物のヤツ」
「それは……そとの、にんげんみたいな……いきものを、うったの?」
「俺が撃ったのは、ただの的。人間みたいな生き物って何?」
「はうすのそとの、ずっとそとにいる……にんげんみたいな、こわい、いきもの」
「感染者のこと言ってンの?」
「……カンセンシャ?」
感染者。翻訳された言葉を理解する前に唱え返したのと、たどり着いた先のドアが開いたタイミングが重なった。そのせいかロキが説明をくれることはなく——私もまた、ドアの先に広がる無機的な空間と、居合わせた彼らに意識をそらされた。
全体は薄いグレーの広いホール。床から突き出したような円柱の棚だけが、家具と呼べた。ちょうどそこに銃器を片付けたらしい、ふたりの人間が振り返る。振り返らなくても、分かった。くすんだ金髪と、後ろに流された黒髪。互いに似た背丈の、威圧感のある体躯。私の右隣上から、気だるげな舌打ちが聞こえた。
振り返った彼らと、目が合う。こちらの姿を捉えたセトは眉を寄せたが、何も言わない。イシャンの目も細く私に刺さっていて、彼のほうは纏う空気がひどく怖い。ひるんで動けない私とは違い、ロキは意に介さず足を踏み出した。
「ニュービーなウサちゃんは、反動のレベル下げたほうがいいかもねェ~」
場にそぐわない声が、薄っぺらに響く。先客の存在から、(部屋に戻ったほうが……)思わず彼を呼び止めるように手を伸ばして、一歩。その空間に足を入れた途端、
「——入るな」
低く、重たい声が。
イシャンの、命令するその響きが。全身を駆け巡るようにして、凍てついた恐怖を呼び起こした。
身体を縛り付けられ、胸を潰されたかのような息苦しさ。記憶から湧き出したのは、首を絞められた夜ではなく、狭いカプセルベッドのなか手を縛られたあの夜——。
「……はァ? アンタ誰に命令してンの?」
硬直した脳を瞬時に醒ましたのは、ざらついたノイズ混じりの声だった。聞き慣れたものよりも低い、圧の増した音。
条件反射のように滲んだ涙越しに、ロキの背中が色鮮やかに見えた。こちらへ歩み寄って来るイシャンよりも、鮮明に。基調は黒なのに、光が当たると赤く艶めく不思議な色。室内の明るい光を受けて、まぶしく発色していた。
イシャンが、ロキと対峙するように立ち塞がった。
「ロキに命令してはいない。……その人間に対して、命じている」
「ウサギに命じる権限なんて、犬ごときが持ってねェよなァ?」
「外者を、ここに入れることは……認められない」
「誰が認めねェって? アンタの君主様がそう言ったワケ?」
「………………」
「言ってねェよなァ~? こんなオモチャしかねェような場所、ウサギが入ったところでノーリスクじゃん。サクラが禁止してたらドアが開くわけもねェし」
鼻で笑ったロキが半身だけ振り返り、動けずにいた私の肩に腕を回した。うむを言わせない力で引き寄せられ、強制的にイシャンの眼光のもとに晒される。警戒の刻まれた眉根に、よりいっそう力が入った。
不穏な空気にロキを見上げたが、彼は薄笑いを浮かべている。
「仮に、ウサギが危険人物だとして? 何か問題を起こした場合——それは、加入を決めたサクラの責任だろ?」
「………………」
「個人的な被害は自己防衛しろよ、ガキじゃあるめェし。オレ自身はウサちゃんが危険だと思ってねェから。むしろウサちゃんにとっちゃオレらが危険だとすら思うけど? ……まァ、そこは今の問題じゃねェよな。どっちも自己責任だ」
「……自己責任、か。ロキは、ティアと同意見ということか……」
「サイキックの意見は知らねェよ」
「………………」
私を捉える暗い眼を、身のすくむ思いで見つめ返す。サクラに似た冷酷さと、どこか観察するような——ティアと重なる目つき。イシャンの背後から、セトが「おい、イシャン」諫めるように、軽く肩へと手を乗せた。
黒の眼が、私を放す。イシャンの閉ざされていた唇が開いた。
「……ロキは、この人間にトレーニングを受けさせるつもりだろうか?」
「そォだけど? 一緒にやったら悪ィの?」
「悪いかどうかは、知らない。だが……その行為は、私が認めない」
「はァっ? ……だからさァ、アンタにそんな権限ねェんだって」
「……ある。武器に関しては私に一任されている。他人が触れるのは、許可しない」
「あァ?」
ロキの強圧的な声に、ひやりと身体が震えた。
この場にいたくない、いるべきじゃない。
「——おい、お前らちょっと離れろ」
向かい合うふたりのあいだに、セトが割り込んだ。「変なことで揉めんなよ。イシャンも、ロキのことはほっとけ」ふたりに対して、というよりは、イシャンを中心に宥めようとしている。
「放っておく……? このまま、この人間がトレーニングするのを認めろ、と……?」
「そういう意味じゃねぇ。とりあえず離れろって言ってんだ。お前は大事にしたくねぇだろ?」
「………………」
「ロキに言っても無駄だ。サクラさんに確認して、指示を仰げよ」
すっと身を引いたイシャンは、納得したようだった。セトの助言に、ロキがわざとらしく笑い声をあげた。
「あァ~あ。忠犬どもは飼い主に訊かねェと、なァんにも分かんねェか。役に立たねェ脳みそだなァ~?」
ざらりとした浅い挑発に、セトの横目が尖ったが、「……腹減ったし、なんか食いに食堂でも行こうぜ」相手にすることなくイシャンに戻った。イシャンのほうは困惑を見せて、
「……もう空腹に……?」
「いいだろ。気にすんな」
ドアから出て行こうとするセトの提案に乗ったような乗っていないような、曖昧なようすでイシャンが私たちの横を通り過ぎ——る、前に、
「——てめェは、どっちなんだよ」
ロキの、低く静かな問いが、投げられた。
「……あ?」
言いぶりに、自分への問いだと察したのか、セトが振り返った。首だけ。全身で向き合うことなく、後ろ髪を引かれるようなかたちで。私の隣で、薄い呼気がこぼれた。笑い声にしては弱くて、もっとずっと……やるせない何かが、あふれたような。
私の肩をぐるりと回して、ロキはセトへと向いた。
「——オレは、ここにあるのは武器じゃなくてトレーニング器具だと思ってる。だから、そっちの軍犬にあれこれ言う権限は無ぇよ。……けど、トレーニングっていうなら、ここはてめェの管理下だよな?」
「……だからなんだって言うんだよ」
「てめェの意見を聞かせろよ。権限のあるヤツの言い分なら、オレも従ってやるよ」
「…………は?」
理解していない顔で、セトが眉間を細めた。思考の間を挟んで、
「……なら、ウサギにトレーニングさせんのはやめとけ。余計なトラブル起こす必要ねぇだろ」
「ウサギにトレーニングさせると、何がどう余計なトラブルになんの?」
「今あったろ。イシャンはよく思ってねぇんだから、わざわざやるな」
「てめェは?」
「は?」
「てめェも、ウサギが危険だって思ってンの?」
金の眼に、ぐっと力が入った。私に流れたその瞳が、何か言いたげに戸惑った気がしたが……。
「拾い主としての意見も聞きたいねェ~? ワンちゃんは、ハウスにとって害あるもんを拾って来たワケ?」
「……害があるなんて思ってねぇよ」
「じゃァ、ウサギがトレーニング受けるのは賛成だよな?」
「…………いや、反対だ」
「なんで?」
「受ける必要ねぇだろ」
「トレーニングはハウスに居る人間の義務じゃねェ?」
「ハウスに居るやつじゃなくて、ハウスに残る兄弟の義務だ。仲間うちの話だろ」
「あァ、ウサギは仲間じゃねェって? つまり他人? 都合のいい娼婦?」
「そんなこと言ってねぇ……なんなんだよ、お前は。うっとうしい絡みしてくんな」
セトの煩わしげな目に、ロキの様子が心配になった。よくない流れだと感じたが、話に割って入れるようすでもない。うかがうようにロキの顔を仰いで、「ろき、へやに、かえろう……?」小さく提言してみたが、多彩な眼は私を見ない。セトだけを映したまま、
「否定しねェのは、できねェからだろ?」
「あ?」
「気まぐれに拾って、捨てたくせに。やることはやろうとしてさァ~? 都合いい娼婦って認識、否定できねェじゃん?」
「拾ってねぇし、捨ててもねぇよ」
「拾ったし、捨てただろ」
「違う。俺は助けただけだ」
「てめェが引き止めたって宣言したよな? ウサギの意思は無視したンじゃねェの?」
「……それは、ウサギと話がついてる。お前に関係ねぇだろ」
「どう話がつくわけ? ノリで助けたけど、やっぱ面倒だし責任はナシにして? 残るのはそっちの意思だからカラダは寄越せ——って?」
「あぁ?」
身体ごと振り返ったセトの気迫に、私のほうがびくりと震えてしまった。ハッとしたセトと、目が合う。イシャンがセトの肩に手を伸ばしかけていたが、掴み掛かるような勢いが消えたせいか、手を下ろした。
消えた怒りの代わりに、金の眼が鋭くロキを見すえ、
「——お前は、なんなんだ? サクラさんに世話になっておきながら、文句ばっか言いやがって……」
冷たい黄金。
この空間と同じ、無機的な印象を与える、冷ややかな色。
「サクラさんに反抗できねぇからって、俺やイシャンにいちいち絡んでくるな。最近は他のやつらにも突っ掛かってるよな? ストレス感じてるのは、お前だけじゃねぇんだぞ。ここ以外に行き場がねぇと思い込んでるやつだっている。余計なこと言って、あいつらの不安を煽るな。不満があるなら、ぐだぐだ言わずに黙ってハウスから出て行——っ?」
——やめて。
声にならない気持ちから、思わず目の前にあったセトの胸板に手をついていた。
翻訳機から届いた言葉よりも、セトの淡々とした響きと、私の肩に回されていたロキの手が。……ぎゅっと、私に縋りついた強さが、私の手を突き動かしていた。
「……なん、だよ?」私に落ちるセトの目には、当惑が見える。急に動いた私に驚いたのか。イシャンの目も私に向いていた。
そちらは見ずに、金の眼を見つめて、
「……わたしは、とれーにんぐは、しない。へやに、かえるから……もう、いい?」
「……部屋って、どこに」
「ろきの、へや」
「……メルウィンの手伝いは?」
「めるうぃんには、ごめんなさい、つたえたから……だいじょうぶ。かわりに、あした、いっぱいする……やくそくした」
「明日は……」
「?」
「いや、なんでもねぇよ。……好きにしてくれ」
ふっと目線を外すように、セトは顔を背けた。「行こうぜ」イシャンに声をかけ、そのまま食堂へと行くのか、こちらに背を向けると廊下をエントランスホールの方へと歩いて行った。イシャンは一瞬だけロキへと視線を流したが、何も言うことなくセトについて行く。
「………………」
ふたりの背中が角を曲がるまで。
黙って静かに見送っていたが……そっと。横を見上げた。小さな地球の眼も、私を見下ろしていた。
「……へやに、かえろう?」
「ヤだね。なんでオレがアイツらの主張に合わせなきゃいけねェの?」
「……とれーにんぐ、そんなに、したい?」
「……べつに」
「それなら、へやで……げーむ、しよう? ……げーむで、はんどがん、おしえて?」
「……ウサちゃんの願いを聞くなら、オレのも聞いてもらうけど」
「いいよ。なんでも、どうぞ」
「……なんでもって、無責任。やれること全然ないくせに」
「……できることで、なんでも、どうぞ」
「…………考えとく」
考えるためかどうか、むっつりと口を閉じたロキの横顔。それを見ながら、胸に湧く不思議な感情について考えていた。
手のかかる子供を、それでも見放せない母親のような。
自分の立場を忘れてしまうほどに、本来は弱い意志の私を突き動かすこの気持ちは——なんだろう?
空っぽの胸に芽生えた感情の正体は、まだ分からない。ただ、これが……何もない私にとって、とても大切なもののように思えた。
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