【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.15 A Mad T-Party

Chap.15 Sec.5

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 温かで豊かなアロマが広がる。室内に満ちる紅茶の爽やかな香りに、ティアは顔をほころばせた。

「なんだかんだ言って、古き良きアールグレイが一番好きかも。グレイ伯爵はくしゃくに感謝しないと……彼のこと、よく知らないけどね?」

 そそがれた紅茶のカップを手に取る。同じく向かいで茶の席に着いていた彼女も、ティーカップにそっと触れた。まだ熱い。香りだけ味わいながら、それぞれの前に鎮座するケーキを眺める。今日のケーキは共通のデセールではなく、メルウィンに頼んで個別に作ってもらった。このお茶会のためだけの——ティアにとって特別な——ケーキ。ホールケーキにしたかったけれど、さすがに食べられないので小さな物をふたりぶん。重ねられたスポンジケーキは白くコーティングされ、ライラックカラーのバラが載せられている。ティアも一部だがケーキづくりに貢献していた。

「ねっ、このバラ、飾ったらけっこう見映えするよね。失敗したとこ分かんないよね?」
「はい、とてもきれい」
「アリスちゃんの薄いグリーンも、とってもきれいだね」
「ありがとう」

 崩してしまうのがもったいなくて、なかなかフォークを差しこめない。ティアと彼女はケーキを前に紅茶を口に含んだ。彼女のミントグリーンのワンピースの袖がひらひらとしている。ひとくち飲んだ彼女が、遠慮がちに、

「きょうは……なにか、とくべつ?」
「うん? ……ううん、そんなことないよ。今日は、なんでもない日」

 口角だけで、意味ありげに微笑んでみる。

、なんでもないんだよ」
「……きょうは?」

 強調された単語を拾って、彼女は考えるように小首をかしげた。まねして首を傾ける。ミラーリング、こちらは笑顔で。

「明日は——僕の誕生日なんだ」

 ぱちっと開いた目は、小さな驚きを映した。「たんじょうび……」未知のワードに遭遇したみたいな反応で、頭上に浮かんだ“はてなマーク”が、瞬時に“びっくりマーク”へと変わるのが見てとれた。

「てぃあ……あしたが、たんじょうび?」
「うん、そう」
「それは……」

 決まり文句みたいに何かを言おうとして、彼女の口が中途半端に開いたまま停止した。考えていることは分かる。「こんなとき……なんていう?」お祝いの言葉なんて、知らなくて当然。

「〈お誕生日おめでとう〉かな? あとは、幸せと喜びに満ちた誕生日を願うよ……とか」

 こくっとうなずいた彼女が「おたんじょうび——」言いかけたのを、あわてて止めた。

「まってまって」
「……?」
「それを言うのは、もうちょっと待ってもらっていいかな?  できたら……12時すぎてから言ってほしいんだ、誕生日になってから」

 ケーキ作りの関係で、お茶会の開始は遅かった。入浴して、すこしだけドレスアップしたのもある。現在の時刻は23時。

「遅くなっちゃうんだけど……今夜だけ、いいかな……?」
「はい、もちろん」
「ありがとう」

 迷いなく肯定した彼女を見て、ティアの目にわずかな憂いが浮かんだ。断らない——断れないと知っていながら尋ねている。
 僕たちはずるい。笑顔の仮面をかぶるだけで何もしない。サクラたちが不在のあいだも、ただ時が流れるのを黙って受け入れていた。穏やかな日々を過ごす彼女が、ずっと彼らの——おそらくサクラの——帰還を気にしていたのは、分かっていたけれど。
 彼女は何かを案じている。思いつめた表情から読めることはない。推測では、セトを追い出すことに関係している“なにか”だろうが……訊けない。訊けば、戻れない。

 ティアはティーカップを離した手に目を落とした。白のテーラードジャケットは艶やかでまぶしい。気持ちを切り替えて顔を上げた。
 
「アリスちゃんがハウスに来てくれて、ほんと嬉しいな。誕生日を祝うなんて、すごく久しぶり。ここに来てから初めてだよ」
「……たんじょうび、いつもは、しない?」
「うん、しないね。僕のが、ってわけじゃなくて、誰のもお祝いしてないと思うよ」
「………………」
「最初の頃は——パーティがあったんだ。僕がここに来て……1年も経たないころかな? 一番下の弟の誕生日を、一緒にお祝いしたよ」
「……いちばんしたの、おとうとは……はおろん?」
「ううん、また別の子。今はもう、ここにいないよ」

 “ここ”にいない。ハウスと限定しなかったのは、意図的だった。今日あえて語る話でもない。明るく笑ってフォークを掲げた。

「食べよっか? このまま飾っておくわけにもいかないし」
「はい」

 肩を上げておどけてみせると、ふんわりと小さな笑みを浮かべて、彼女もフォークを手に取った。フォークは柔らかくケーキに沈んでいく。口に含むと、味見とはまた違って完成された上品な甘さに感動する。果実酒のふくよかな香気が風味の品格を上げているのだと思う。数種類のベリーのフレーバー。見た目からはまったく分からないけれど、メルウィンによるショートケーキの新解釈。甘酸っぱい風味と優しい甘さのクリームが口いっぱいに広がると、似ても似つかないほど洗練された味なのに、ほんのすこしだけ過去をくすぐられた。

「——そういえばさ、アリスちゃんの誕生日はいつ?」
「たんじょうび……わたしの?」
「うん、今夜付き合ってくれるお礼に、アリスちゃんのもお祝いしたいな」
「………………」
「……あれ? 余計なこと訊いたかな?」
「わたしは、たんじょうび……わからない」
「そうなの?」

(誕生日が分からないなんてこと、あるんだっけ?)
 個人による自然分娩の場合でも、出産の詳細は申請するものかと思っていたが……ティアの思い違いだろうか。そうなると誕生日祝いもしてこなかったことになる。いや、新年のたびに歳をとる慣習も聞いたことがあるような。……ということは、1月1日がお祝いの日?
 義務教育に続いて新たな疑問は浮かんだが、言及できずに諦めた。

「そっか……でも、じゃ、好きな日でお祝いしようよ。アンバースデイ、鏡の国のアリスだ」
「……かがみのくに?」
「アリスの物語、知らない? 不思議の国のアリス。鏡のほうは続編。君の名前の由来だよ」
「わたしのなまえは……ものがたり」
「うん、僕は本で読んだんだ。紙の本。古い言葉のままの、原本——では、ないだろうけど。アリスにまつわる物語が全部まとめられた物で、すごく重くて大きい本だった。そらんじられるくらい、お気に入りだったよ」

 興味ありげな瞳に、ティアはうたうように応えた。

——“Oh, ’tis love, ’tis love, that makes the world go round!”
——“Somebody said,” Alice whispered,  “that it’s done by everybody minding their own business!”

『そう、愛よ! 愛こそが世界を動かすの! ——だれかさんは、“みんな自分のやるべきことだけ気にしてればいい”って言ってたけど——アリスはこそりと呟いた』

 翻訳機はティアの大げさで皮肉な言い方を反映している。ティアには聞こえていないが、正確さが分からないので説明を加えた。

「最初のは、物語に出てくるクィーンのセリフね? それに対して、主人公のアリスが冷静に突っこんだところ」

 肩をすくめてティーカップを取った。

「〈世界を動かすのは、他ならぬ愛〉——クィーンの言うとおりだったらいいんだけど、世の中はそう甘くないよね」
「……そのものがたり、いまは、ない?」
「本は……ここに来る前なくしちゃった。物語を読むだけなら、ハウスのデータにあるだろうし、読めると思うよ」
「こんど……よんでみる。よめたら」
「うん、ぜひ読んでみて」

 温かな紅茶を飲み込む。ケーキの甘さが、アールグレイの渋みにまれる。

「本はいいとして、編み物のほうが全然進まないね。あっというまにクリスマスだよ……もう諦めてるけどさ。よかったら、一緒にお祝いしよう? ここのひとたちは、クリスマスに祝ったりしないから——ふたりで」
「……はい」
「メル君も誘っちゃおうか。お祈りするわけでもないし、お茶会くらいならいいよね?」

 うーん? 彼女が考えるように首を傾けた。ハウスで宗教が認められていないことは知っているらしい。クリスマスを祝おうと言ったけれど、ティアも敬虔けいけんなクリスチャンというわけではない。むしろ性差が強く表れている聖書は苦手だし、クリスマスは家族と過ごす日——という認識。

「だめかな? 七面鳥を用意するなら、ふたりだけじゃ食べきれないと思うから……あ、久しぶりにクリスマスプディングも食べたいかも……ミンスパイも欲しいな……そうなるとメル君がいても厳しい……?」
「……せとは?」
「えっ!」
「?」

 急に飛び出てきた名前に、いきすぎたリアクションをしてしまった。きょとんとした目がティアを見つめる。そんなナチュラルに出てくるとは、ティアが思っているよりも関係は良好なのだろうか。

「……そうだね、セト君がいたら余裕かな。クリスマスパーティしようって誘ってみても……いいかも。でも、どうしてセト君? アリスちゃんはロキ君のほうが仲良くない?」
「……てぃあは、せとと、なかよしだから」
「あぁ、そっか。前に僕、ロキ君のこと苦手って言ったかな?」
「はい」
「セト君と仲がいいわけでもないんだけどね?」
「……なかよく、みえる」
「そう?」
「はい」
「う~ん? まぁいっか。……あ、お茶がなくなるね。新しいの淹れようか」

 テーブルの横に並んでいたワゴンから、ティアは宝石があしらわれたような小さなボトル状のケースを取り出した。大きさから試験管にも見える。

「これさ、今ではもう手に入らない高級な茶葉らしいんだ。本来、持ち主がいなくなった物はサクラさんの物になっちゃうんだけど……サクラさんが要らないからって所有権を放棄したリストがあってね、そこからもらっちゃった♪ 分類が食品かもだから、一応メル君の許可も取って……いいよって言ってもらえたんだ」

 ルビーに似せられたフェイクジュエル。偽物でもキラキラとして美しく、長期保存に耐えうるケースを華やかに飾っている。たった30グラムしかないのに、この装飾。まっとうな社会で購入したら、いくらになるのか……考えないでおこう。
 浮かれるティアとは反対に、ボトルの方をあまりよくない表情で眺めていた彼女に気づいた。

「どうかしたの?」
「それは……わたしも、のんでもいい?」
「もちろん。サクラさんに所有権はもうないし、誰も怒ったりしないよ」

 安心した、と言わんばかりの顔でほっとしている。彼女については、所有権のくだりは兄弟間のルールとは違う。ただ、洋服を呼び寄せることや食事について何もサクラから注意が入っていないので、きっと生活保障の範囲なら自由なのだと思う。今回の紅茶に関しては、一度ティアの手に渡っているのだから何も問題ないはず。

 用意しておいた新しいティーポットを取り、ボトルを開けて茶葉を3分の1移す。茶葉には暗い赤の花弁のような物が混ざっていた。彩りか香りづけのためかもしれない。湯量は600ほど。すべて用意済みなので、お手軽。
 蒸らし時間のしらせに合わせて、別のティーカップにそそいでいく。ふたりぶん。

「わぁ、香りの広がりがすごいね?」
「とても、いいかおり。……はな?」
「そうだね、お花っぽい」

 清廉な花の香りと、その奥で土台を支えるスモーキーな匂い。立ちのぼるアロマが一瞬でアールグレイの爽やかさを消し去っていく。メルウィンいわく、こちらの茶葉は涼やかな月夜に咲く白い花の香り——らしい。彼も飲んだことがあるようだった。風味はまろやかでケーキにも合うだろう、とのこと。

 ふーっと吐息で表面を冷ましつつ、口をつける。彼女はケーキを食べながら飲み頃になるのを待っている。ティアは待ちきれなかったので……ひとくち。

「…………?」

 舌の上に広がる風味は期待したほど満ち足りず、むしろ変なえぐみが強く残った。青臭いような苦み。「アリスちゃん、ちょっと待って」口をつけようとした彼女を制する。

「なんか変な味がする。保存ケースの状態が悪かったのかな……劣化してるかも」

 あまりに高級すぎて味の良さが分からない——そんな可能性も疑いつつ、ある程度の量を口に含んでみる。室内に広がった香りは問題なかったのに、口をつけると青臭さが混ざって味もひどい。雑味とかではなく、えぐみ。液体の触れた舌や喉が、いがらっぽい。

「だめだ、おいしくない。絶対に傷んでる……アリスちゃん、飲むのやめたほうがいいよ、舌がおかしくなっちゃう。新しいの呼び寄せよう」
「はい」

 どの茶葉にしよっか? ベリーとクリームのケーキに合いそうなものでリストアップさせてから、彼女に見せるために映し出した。ふたりで話して上位のものを選択する。オーダーの品が来るまで、そう時間がかかることはない。この程度なら数分。——しかし、待っているあいだにケーキをつついていたティアは、ひどい吐き気に襲われた。

「……てぃあ?」
「ごめん……ちょっと気持ち悪いかも……」

 席を立ってバスルームに移動しようとしたが、耐えられない。眩暈めまいのように視界が歪み、頭に強い痛みを覚えた。呼吸が——苦しい。息の仕方がわからない。手足の自由が効かなくなって、自覚することなくその場に倒れこんでいた。

「てぃあっ?」

 驚愕きょうがくの声に、身体の異常をしらせるアラートが重なっている。胃から出た吐瀉物としゃぶつが床をらし、酸素を求める喉がひゅーひゅーと嫌な音を鳴らした。

《——お客さま、離れてください》

 部屋のドアが開き、救急処置のためロボがティアのそばへと滑り寄ったとき。
 棚の上、アンティークの置き時計の針が、12時を刻んでいた。
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