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Chap.17 ロックンキャロルでワルツを
Chap.17 Sec.12
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ステンドグラスのドアは、どうしてか手をかざしただけで開いた。
——え? 拍子ぬけしたような気持ちで、うっかり足を踏み入れ、誰もいない暖炉の部屋まで行けてしまい……ふわりと現れたミヅキに、跳ねるように驚いた。空間が白むような、現れる予兆みたいなものがあるのだが、どうしても慣れない。
《——驚かせてしまって、ごめんなさい!》
「いいえ、だいじょうぶ……」
《現在、サクラは権限を放棄していますので、中央棟は入室可能ですが——お客様は、こちら2階の〈暖炉の間〉と3階の〈うぐいすの間〉のみ、過去に入室されていますよね? 各階には他にも部屋がありますが、ご案内しましょうか?》
権限を放棄。2、3時間前くらいにも聞いた気がするその言葉に、ひょっとして私でなくとも入室できた? と思ったが……
《——ちなみに、サクラの私室となっている〈うぐいすの間〉は、本人以外の入室ができませんので、ご了承ください》
「……みづきくん、わたしは、そこに……はいりたい」
《許可されておりませんので、ごめんなさい!》
「………………」
可愛い笑顔におされる。分かってきたのだが、この子はなかなか厳しい。この子ではなくて、AIか。
「……みづきくん、おねがい。さくらさんに〈はなし〉があるの」
《サクラにご用ですか? それでしたら、現在サクラは5階の〈天空の間〉にいますので、ご案内しますね》
難関を越えなければと思ったのに、あっさりとエレベータのドアを開いてもらえた。しかも、案内してくれるらしい。気が変わる前に、と。早足でエレベータに乗り込んでから、急に不安が。
足もとから胸まで、勇気が抜けていくような、心許ない気持ちが攻めてくる。どうしよう、うまく話せるだろうか……。
《——到着しました。こちらです》
ひらりと出された白い手が、開いたエレベータの先を示した。彼は来てくれないらしい。来られても、空気の違いというか、この可愛らしいテンションでいられては、やりづらいようにも、思う。
恐るおそる足を出して、降り立ったフロアの様子を——
——宇宙みたい。
そんな第一印象をいだくほどに、その部屋は一面の星空だった。一瞬ここは外かと思ったが、暖かすぎる。風も感じないこの空間は、ロキの部屋のように、壁から天井にかけて景色が映し出されているのだろう。ただ、ロキの部屋と異なるのは、床はそのままであることと、実際の——外の景色を映し出しているのだと思う。展望広間から見ていた景色と似ていた。こちらのほうが位置が高く、ぐるりと周囲を見渡せられる。
そんなふうに周りを眺めて、奥に立つ黒い影が目に入った。高い空で輝く丸い月のもと、背の高い青年がそれを見上げている。
『——サクラさん』
呼びかけると、彼はとくに驚くことなく振り返った。ミヅキの案内が響いていたのだから、誰かが入ってきたことは分かっていたはず。
『……どうかしたのか?』
色のない表情が、夜空を背に白く浮いている。
その頭上に、王冠はない。魔物を統べるかのような、恐ろしい角もない。人の命を刈り取る、死の鎌だって、手にしていない。
——おなじ、人間。
『………………』
『………………』
なんと、話したらいいのだろう?
なんと言えば、彼の心に届くのだろう?
夜空とそっくりに青い眼を、ただ見つめる。
『…………用がないのなら、』
——出て行け。言葉の先を勝手に想像してしまったが、唇を開いたサクラは、まったく違うことを口にした。
『教えてもらいたいことがあるのだが、頼めるか?』
少しのあいだ、言葉が言葉として頭に入らず、何にもならない時間を置いてしまった。
考える間をもって、しかし、考えが及ばず、
『……私、に?』
『ああ、教えてもらいたいことがある』
『……私が、サクラさんに教えられることなんて……』
『——長らく解けずにある問題でね。試しに見てくれ』
サクラの手が、空間を撫でた。星空が消え、目がくらむほど真っ白に——
《——やめて!》
突如、すぐそばから響いた女性の声に、びっくりして一歩さがった。まぶしさに細めた目を開けると、ひとりの女性が私に向かって叫んでいた。
《私に触らないで! 薬を打つつもりでしょうっ?》
なんの話をしているの——と、尋ねようとしたが、すぐに気づいた。これはただの映像だ。ミヅキと同じ、空間に映し出された人。
黒い髪を、編み込んだように後ろでまとめたそのひとは、ミヅキによく似ている。膨らんだお腹と、そこを庇うような姿勢から、妊婦だと分かった。その女性の右手にはナイフが握られ、反対の手には——緊迫した場にそぐわない、無表情な少年の腕が繋がっていた。ゲームのなかで見たセトとロキよりは、わずかに大きいと思う。その表情からイシャンが連想されたが、肌は白い。波打つ黒髪は鎖骨まで掛かっていて、床に落ちていた目線が上がり——青い眼。知っているものよりも、明るい青を帯びた——その眼が、私を捉えた。
《——落ち着いてください》
なめらかな声が、頭上から聞こえた。
横にそれるようにして振り返ると、サクラを窶れさせたような線の細い男性が、ギョロリとくぼんだ目を頻りに瞬きさせながら、妊婦との距離を詰めようとしていた。
《ハツネさん、話を聞いてください。私は、あなたの身体のために処置を——》
《近づかないでっ!》
金切り声が、脳に刺さる。青い眼の少年は、何も聞こえていないかのように反応しない。
——すると、いきなり彼女は少年の身体を引き寄せ、手にしていたナイフの先を、少年の細い首に突き立てるように向けた。
《この子たちを殺すくらいなら、サクラを殺して私も死ぬわ!》
《……やめてください》
《あなた、サクラを殺されたら困るでしょう? あなたそっくりのこの子が、あなたは、何よりも大切なんでしょう?》
《………………》
彼女の震える手のせいで、ナイフの刃先が、白い喉に赤い線を生んでいる。助けようと伸ばした手は——映像だというのを忘れるほど、その血が痛々しく流れたから——当然のごとく、何も掴めなかった。
《あなたには……あんなに沢山の、あなたのコピーがいるんだから……私にだって、ほんとうに愛せる子をちょうだいっ……》
悲痛な声で、彼女は涙を流した。頬をつたう雫が、ぽたりと、少年の腕に垂れ落ちた。
ようやく生きているのを思い出したかのように、少年が反応を見せる。涙に視線を落とし、自分の頭の上を仰いだ。女性の顔を、無感動に眺めている。——観察するように。
《……分かりました。望みどおりの出産を……認めます》
《ほんとうね? 騙していない? もしも、これが嘘だったなら——》
——この子を必ず殺して、私も死ぬから。
魔女の呪いに似たその声は、映像が消えたあとも、いつまでも耳に残り続けた。
——え? 拍子ぬけしたような気持ちで、うっかり足を踏み入れ、誰もいない暖炉の部屋まで行けてしまい……ふわりと現れたミヅキに、跳ねるように驚いた。空間が白むような、現れる予兆みたいなものがあるのだが、どうしても慣れない。
《——驚かせてしまって、ごめんなさい!》
「いいえ、だいじょうぶ……」
《現在、サクラは権限を放棄していますので、中央棟は入室可能ですが——お客様は、こちら2階の〈暖炉の間〉と3階の〈うぐいすの間〉のみ、過去に入室されていますよね? 各階には他にも部屋がありますが、ご案内しましょうか?》
権限を放棄。2、3時間前くらいにも聞いた気がするその言葉に、ひょっとして私でなくとも入室できた? と思ったが……
《——ちなみに、サクラの私室となっている〈うぐいすの間〉は、本人以外の入室ができませんので、ご了承ください》
「……みづきくん、わたしは、そこに……はいりたい」
《許可されておりませんので、ごめんなさい!》
「………………」
可愛い笑顔におされる。分かってきたのだが、この子はなかなか厳しい。この子ではなくて、AIか。
「……みづきくん、おねがい。さくらさんに〈はなし〉があるの」
《サクラにご用ですか? それでしたら、現在サクラは5階の〈天空の間〉にいますので、ご案内しますね》
難関を越えなければと思ったのに、あっさりとエレベータのドアを開いてもらえた。しかも、案内してくれるらしい。気が変わる前に、と。早足でエレベータに乗り込んでから、急に不安が。
足もとから胸まで、勇気が抜けていくような、心許ない気持ちが攻めてくる。どうしよう、うまく話せるだろうか……。
《——到着しました。こちらです》
ひらりと出された白い手が、開いたエレベータの先を示した。彼は来てくれないらしい。来られても、空気の違いというか、この可愛らしいテンションでいられては、やりづらいようにも、思う。
恐るおそる足を出して、降り立ったフロアの様子を——
——宇宙みたい。
そんな第一印象をいだくほどに、その部屋は一面の星空だった。一瞬ここは外かと思ったが、暖かすぎる。風も感じないこの空間は、ロキの部屋のように、壁から天井にかけて景色が映し出されているのだろう。ただ、ロキの部屋と異なるのは、床はそのままであることと、実際の——外の景色を映し出しているのだと思う。展望広間から見ていた景色と似ていた。こちらのほうが位置が高く、ぐるりと周囲を見渡せられる。
そんなふうに周りを眺めて、奥に立つ黒い影が目に入った。高い空で輝く丸い月のもと、背の高い青年がそれを見上げている。
『——サクラさん』
呼びかけると、彼はとくに驚くことなく振り返った。ミヅキの案内が響いていたのだから、誰かが入ってきたことは分かっていたはず。
『……どうかしたのか?』
色のない表情が、夜空を背に白く浮いている。
その頭上に、王冠はない。魔物を統べるかのような、恐ろしい角もない。人の命を刈り取る、死の鎌だって、手にしていない。
——おなじ、人間。
『………………』
『………………』
なんと、話したらいいのだろう?
なんと言えば、彼の心に届くのだろう?
夜空とそっくりに青い眼を、ただ見つめる。
『…………用がないのなら、』
——出て行け。言葉の先を勝手に想像してしまったが、唇を開いたサクラは、まったく違うことを口にした。
『教えてもらいたいことがあるのだが、頼めるか?』
少しのあいだ、言葉が言葉として頭に入らず、何にもならない時間を置いてしまった。
考える間をもって、しかし、考えが及ばず、
『……私、に?』
『ああ、教えてもらいたいことがある』
『……私が、サクラさんに教えられることなんて……』
『——長らく解けずにある問題でね。試しに見てくれ』
サクラの手が、空間を撫でた。星空が消え、目がくらむほど真っ白に——
《——やめて!》
突如、すぐそばから響いた女性の声に、びっくりして一歩さがった。まぶしさに細めた目を開けると、ひとりの女性が私に向かって叫んでいた。
《私に触らないで! 薬を打つつもりでしょうっ?》
なんの話をしているの——と、尋ねようとしたが、すぐに気づいた。これはただの映像だ。ミヅキと同じ、空間に映し出された人。
黒い髪を、編み込んだように後ろでまとめたそのひとは、ミヅキによく似ている。膨らんだお腹と、そこを庇うような姿勢から、妊婦だと分かった。その女性の右手にはナイフが握られ、反対の手には——緊迫した場にそぐわない、無表情な少年の腕が繋がっていた。ゲームのなかで見たセトとロキよりは、わずかに大きいと思う。その表情からイシャンが連想されたが、肌は白い。波打つ黒髪は鎖骨まで掛かっていて、床に落ちていた目線が上がり——青い眼。知っているものよりも、明るい青を帯びた——その眼が、私を捉えた。
《——落ち着いてください》
なめらかな声が、頭上から聞こえた。
横にそれるようにして振り返ると、サクラを窶れさせたような線の細い男性が、ギョロリとくぼんだ目を頻りに瞬きさせながら、妊婦との距離を詰めようとしていた。
《ハツネさん、話を聞いてください。私は、あなたの身体のために処置を——》
《近づかないでっ!》
金切り声が、脳に刺さる。青い眼の少年は、何も聞こえていないかのように反応しない。
——すると、いきなり彼女は少年の身体を引き寄せ、手にしていたナイフの先を、少年の細い首に突き立てるように向けた。
《この子たちを殺すくらいなら、サクラを殺して私も死ぬわ!》
《……やめてください》
《あなた、サクラを殺されたら困るでしょう? あなたそっくりのこの子が、あなたは、何よりも大切なんでしょう?》
《………………》
彼女の震える手のせいで、ナイフの刃先が、白い喉に赤い線を生んでいる。助けようと伸ばした手は——映像だというのを忘れるほど、その血が痛々しく流れたから——当然のごとく、何も掴めなかった。
《あなたには……あんなに沢山の、あなたのコピーがいるんだから……私にだって、ほんとうに愛せる子をちょうだいっ……》
悲痛な声で、彼女は涙を流した。頬をつたう雫が、ぽたりと、少年の腕に垂れ落ちた。
ようやく生きているのを思い出したかのように、少年が反応を見せる。涙に視線を落とし、自分の頭の上を仰いだ。女性の顔を、無感動に眺めている。——観察するように。
《……分かりました。望みどおりの出産を……認めます》
《ほんとうね? 騙していない? もしも、これが嘘だったなら——》
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