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Chap.2 嘘吐きセイレーン
Chap.2 Sec.11
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「——こんばんは、アリス」
私室への訪問のしらせが鳴って、ドアを開いた。マガリーであることは分かっていたので、セーターを脱いだ白シャツ一枚の入浴前だったが、気にせずに出ていた。
「こんばんは。どうしたの?」
「よかったら、寝る前におしゃべりしてもいい?」
きゅっと上がる口角が可愛く魅力的。大人っぽい顔は笑うと一気にフレンドリーになる。
はい、もちろん。
アリスは返事をするために口を開いたが、思い出したように止まった。
——二人きりになるのは、控えてもらいたい。
頭に浮かんだのは、イシャンの声。
マガリーが来た初日に受けた忠告が……
——私に、貴方の行動を制限する権利は無い。だが……意見を聞いてもらえるなら……あの者の前では、気を緩めないでもらえないだろうか。……警戒を、忘れないでほしい。
「……まがりー、ちょっと、まっててもらえる?」
「ええ」
「きがえてくるね」
バスルームに移って、セーターを着直すついでに護身アイテムを身につけた。腰のベルトにスタンバトン、常に手を伸ばせる位置を意識する。
疑うわけではない。それでも——イシャンが、私のことを心配してくれている。それを知っているから、その気持ちには応えたい。
「——どうぞ」
用意をととのえてマガリーを迎える。窓のそばに置いたテーブルセットを勧めて、一緒に向かい合うように座った。
「なにか、のむ?」
「さっき飲んだばかりだから……あぁ、でもアリスは、私に気にせず飲んでね?」
ブレス端末から手を離し、メニューを取り消す。つい先ほどみんなでデセールを取ったばかりなので、マガリー同様に不要だった。
「いきなりごめんなさい。入浴前だったのよね? 長居はしないから……ちょっとだけ、さっきの話が気になって……」
「……さっきの、はなし?」
「ロキが、私を褒めたから……不愉快じゃなかった?」
「いいえ?」
「……ほんとう? 私のこと、嫌いじゃない?」
「? ……はい、もちろん」
質問の翻訳は本当に合っているのだろうか。
いきなり展開された話題に首をかしげて答えると、マガリーは水色の眼を丸くしてから、
「……アリスって、女の子……よね?」
唐突に、すこし失礼な確認が。
しかし、脳移植のことを考えると自分の本来の性別は不確かだ。現在の身体をふまえて、「はい……いちおう」女性であることを自信なさげに主張する。
向かい合う綺麗な顔が、のぞき込むように傾く。
「……もし、私を嫌いに思うことがあったら、言ってね? 私、バカだから……いつも、女の子を怒らせるの。みんなと仲良くなりたいだけなのに……うまくいかないの」
しゅんっと落ち込む顔が、悲しげに吐息した。綺麗な顔でため息をつくと、それだけで絵になる。ティアのコレクションルームで見た人魚の顔が浮かび、なぜか胸に湧いた罪悪感から何か言わなくては——と。落ち込むマガリーをフォローすべく、口を開き、
「まがりーは、〈ばか〉じゃない。わたしよりも、いっぱいしってるから……すごいと、おもう」
「……ううん、私って昔から、テストのスコアもひどいの。子供のときから頭わるいのよ」
「てすと……は、わからないけど……まがりーは、〈はうす〉のみんなのこと、よくわかってるから……かしこいと、おもう、よ?」
沈んでいた表情が、〈かしこい〉というワードに反応して驚きを浮かべた。
まん丸の目で何も言わないマガリーに、うまく伝わっていないのかと思い、
「〈はうす〉の、みんなと……すごく、じょうずに、つきあってる。あたまが、わるかったら……できないと、おもう。わたしは……うまく、できなかったから……とても、いいなと……おもいます」
「………………」
「……つたわらない? わたしの〈ことば〉、わかりにくい?」
「——ううん、とても分かりやすいわ」
「……ほんと?」
「ええ」
傾いていた顔をまっすぐにして、マガリーは少し顔を前へと寄せた。
「……私ね、ここでの生活が夢みたいで——ほんとうに感動してるの。昔のひとみたいに料理を作ったり、本を読んだり……本物の森を歩いたり、ピアノに合わせて歌ったり。……あのボールルームで、ダンスをしたこともあるのよね? こんなお話の中みたいな古い世界があるなんて……まだ信じられないくらいなの」
真剣な顔つきで話す彼女の言葉に、小さな衝撃を受ける。こんなにも科学の発達したハウスの生活を、古い世界と言った。海上都市は一体どんな暮らしぶりなのだろう。
「ここで——ずっとお姫様みたいに暮らせたら……とっても幸せそう」
幸せを語るマガリーの表情は、どこかぼんやりとしている。見つめる視線に気づいて、おぼろげだった焦点がこちらへと定まった。
「——アリス。私、ここにいてもいい?」
不安に染まる瞳は、何かを恐れるような色でこちらを見ていた。こんなにも美しい顔立ちなのに、不思議と自信のないように見えるのは——なぜなのか。
酷い目にあわされたと語っていたから、それが原因なのか。声をなくしてしまうほど追い詰められる思いをしたのなら——私と、同じなのだろうか。
胸を占める共感が、彼女へ答えるための声を強くした。
「はい、もちろん。わたしは——ここにいてほしい」
——ここにいてほしい。
マガリーに迷いなく答えた言葉は、記憶のない自分があこがれたものだった。
誰にも必要とされない悲しみを知っている。
知っているからこそ言ってあげられたのだが……それならば、
(セトにも……言えばよかった)
そんな言葉ひとつで、彼を引き止めることは叶わなかったとしても。
外の世界が危険だと知っていながら引き止めなかったことを、こんなにも後悔するくらいなら、思いつく言葉ぜんぶをぶつけて可能性に賭けるべきだった。
——みんな口にしないだけで、セトがいなくなってから淋しい思いをしている。
どうして部外者の私がいるのに家族のセトがいないのか。こんな不自然な状態は納得がいかない。おかしい。私のほうがここにいるべきじゃないのに——どうして。
私が原因じゃないのなら、サクラとセトの問題とは、なんなのか——。
マガリーに答えた言葉から引き起こされた感情が、次々と波のように押し寄せ、ひとつの記憶に結びついた。
——私は、私からセトを解放したいんだよ。
混乱の底からすくい上げた記憶は、以前にサクラがこぼした本心。その瞬間、ハッと思いついた。
サクラがセトを追い出したかった理由。それが分かれば、セトが出ていった理由に繋がるかもしれない。
出ていった理由——原因を解決すれば、
(……セトも、きっと戻って来てくれる……)
見出された希望が、そっと胸に灯った。
私室への訪問のしらせが鳴って、ドアを開いた。マガリーであることは分かっていたので、セーターを脱いだ白シャツ一枚の入浴前だったが、気にせずに出ていた。
「こんばんは。どうしたの?」
「よかったら、寝る前におしゃべりしてもいい?」
きゅっと上がる口角が可愛く魅力的。大人っぽい顔は笑うと一気にフレンドリーになる。
はい、もちろん。
アリスは返事をするために口を開いたが、思い出したように止まった。
——二人きりになるのは、控えてもらいたい。
頭に浮かんだのは、イシャンの声。
マガリーが来た初日に受けた忠告が……
——私に、貴方の行動を制限する権利は無い。だが……意見を聞いてもらえるなら……あの者の前では、気を緩めないでもらえないだろうか。……警戒を、忘れないでほしい。
「……まがりー、ちょっと、まっててもらえる?」
「ええ」
「きがえてくるね」
バスルームに移って、セーターを着直すついでに護身アイテムを身につけた。腰のベルトにスタンバトン、常に手を伸ばせる位置を意識する。
疑うわけではない。それでも——イシャンが、私のことを心配してくれている。それを知っているから、その気持ちには応えたい。
「——どうぞ」
用意をととのえてマガリーを迎える。窓のそばに置いたテーブルセットを勧めて、一緒に向かい合うように座った。
「なにか、のむ?」
「さっき飲んだばかりだから……あぁ、でもアリスは、私に気にせず飲んでね?」
ブレス端末から手を離し、メニューを取り消す。つい先ほどみんなでデセールを取ったばかりなので、マガリー同様に不要だった。
「いきなりごめんなさい。入浴前だったのよね? 長居はしないから……ちょっとだけ、さっきの話が気になって……」
「……さっきの、はなし?」
「ロキが、私を褒めたから……不愉快じゃなかった?」
「いいえ?」
「……ほんとう? 私のこと、嫌いじゃない?」
「? ……はい、もちろん」
質問の翻訳は本当に合っているのだろうか。
いきなり展開された話題に首をかしげて答えると、マガリーは水色の眼を丸くしてから、
「……アリスって、女の子……よね?」
唐突に、すこし失礼な確認が。
しかし、脳移植のことを考えると自分の本来の性別は不確かだ。現在の身体をふまえて、「はい……いちおう」女性であることを自信なさげに主張する。
向かい合う綺麗な顔が、のぞき込むように傾く。
「……もし、私を嫌いに思うことがあったら、言ってね? 私、バカだから……いつも、女の子を怒らせるの。みんなと仲良くなりたいだけなのに……うまくいかないの」
しゅんっと落ち込む顔が、悲しげに吐息した。綺麗な顔でため息をつくと、それだけで絵になる。ティアのコレクションルームで見た人魚の顔が浮かび、なぜか胸に湧いた罪悪感から何か言わなくては——と。落ち込むマガリーをフォローすべく、口を開き、
「まがりーは、〈ばか〉じゃない。わたしよりも、いっぱいしってるから……すごいと、おもう」
「……ううん、私って昔から、テストのスコアもひどいの。子供のときから頭わるいのよ」
「てすと……は、わからないけど……まがりーは、〈はうす〉のみんなのこと、よくわかってるから……かしこいと、おもう、よ?」
沈んでいた表情が、〈かしこい〉というワードに反応して驚きを浮かべた。
まん丸の目で何も言わないマガリーに、うまく伝わっていないのかと思い、
「〈はうす〉の、みんなと……すごく、じょうずに、つきあってる。あたまが、わるかったら……できないと、おもう。わたしは……うまく、できなかったから……とても、いいなと……おもいます」
「………………」
「……つたわらない? わたしの〈ことば〉、わかりにくい?」
「——ううん、とても分かりやすいわ」
「……ほんと?」
「ええ」
傾いていた顔をまっすぐにして、マガリーは少し顔を前へと寄せた。
「……私ね、ここでの生活が夢みたいで——ほんとうに感動してるの。昔のひとみたいに料理を作ったり、本を読んだり……本物の森を歩いたり、ピアノに合わせて歌ったり。……あのボールルームで、ダンスをしたこともあるのよね? こんなお話の中みたいな古い世界があるなんて……まだ信じられないくらいなの」
真剣な顔つきで話す彼女の言葉に、小さな衝撃を受ける。こんなにも科学の発達したハウスの生活を、古い世界と言った。海上都市は一体どんな暮らしぶりなのだろう。
「ここで——ずっとお姫様みたいに暮らせたら……とっても幸せそう」
幸せを語るマガリーの表情は、どこかぼんやりとしている。見つめる視線に気づいて、おぼろげだった焦点がこちらへと定まった。
「——アリス。私、ここにいてもいい?」
不安に染まる瞳は、何かを恐れるような色でこちらを見ていた。こんなにも美しい顔立ちなのに、不思議と自信のないように見えるのは——なぜなのか。
酷い目にあわされたと語っていたから、それが原因なのか。声をなくしてしまうほど追い詰められる思いをしたのなら——私と、同じなのだろうか。
胸を占める共感が、彼女へ答えるための声を強くした。
「はい、もちろん。わたしは——ここにいてほしい」
——ここにいてほしい。
マガリーに迷いなく答えた言葉は、記憶のない自分があこがれたものだった。
誰にも必要とされない悲しみを知っている。
知っているからこそ言ってあげられたのだが……それならば、
(セトにも……言えばよかった)
そんな言葉ひとつで、彼を引き止めることは叶わなかったとしても。
外の世界が危険だと知っていながら引き止めなかったことを、こんなにも後悔するくらいなら、思いつく言葉ぜんぶをぶつけて可能性に賭けるべきだった。
——みんな口にしないだけで、セトがいなくなってから淋しい思いをしている。
どうして部外者の私がいるのに家族のセトがいないのか。こんな不自然な状態は納得がいかない。おかしい。私のほうがここにいるべきじゃないのに——どうして。
私が原因じゃないのなら、サクラとセトの問題とは、なんなのか——。
マガリーに答えた言葉から引き起こされた感情が、次々と波のように押し寄せ、ひとつの記憶に結びついた。
——私は、私からセトを解放したいんだよ。
混乱の底からすくい上げた記憶は、以前にサクラがこぼした本心。その瞬間、ハッと思いついた。
サクラがセトを追い出したかった理由。それが分かれば、セトが出ていった理由に繋がるかもしれない。
出ていった理由——原因を解決すれば、
(……セトも、きっと戻って来てくれる……)
見出された希望が、そっと胸に灯った。
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