【完結】おれたちはサクラ色の青春

藤香いつき

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青春をうたおう

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 クラス合宿の中心として使われていた和室には、大きな座卓があった。
 帰って来たヒナたちを待ち受けていたのは、その座卓を占める豪勢な料理たち。
 ヒナの歓声にはハヤトの声も重なっていた。素直な反応に笑みをこぼしながら、サクラは生徒たちに食事を勧めた。
 
「今夜で最後だからね。……今日まで、よく頑張ったね」
 
 クラス合宿は本日まで。明日の朝には解散になる。
 感謝の言葉と「いただきます」が飛び交うなか、ヒナの姿を確認した麦とルイは、ほっと胸を撫で下ろしていた。二人の目の先で、ヒナはハヤトと一緒にすしおけの中に並ぶネタを吟味している。
 
「おれトロ食べる。ぜったい食べる」
「8個あるんだから平等に分けるぞ」
「ひとり足りないよな? ハヤト、我慢してくれる?」
「なんでだよ。8人でちょうどだろ」
「サクラ先生もいる」
「………………」
 
 ツヤツヤと光る大トロを眺めて黙り込む二人に、サクラが奥から、
 
「私のことは構わないから、好きに食べなさい」
「ありがとうございますっ!」

 気持ちよくシンクロした声で感謝が響いた。
 幸せそうにご馳走を頬張るヒナたちを横目に、竜星はテレビをつけてミュージック甲子園の番組を再生している。麦とルイに見せようと思ったらしいが、彼らから「ぁ、いちおう僕たちは見たよ」と教えられた。
 流れる他校のアカペラに、ルイが「ここは高音がよかった」「こっちはリズムが軽快で難しそうなのに上手に合わせてた」細かく感想を述べていく。
 竜星の横から琉夏も顔を出し、壱正やウタもルイの話を聞きながら熱心に視聴し始めたというのに……
 
「ハヤト、お前は食いすぎだ! おれのローストビーフがなくなるだろ!」
「お前だってメインばっか食ってねぇで野菜を食えよ!」

 後ろが、やかましい。
 寮生ふたりの食への執着が浅ましい。
 
(いっそ全部あげるから静かにして)
 
 クラスメイトたちがそんなふうに思っているとはつゆ知らず、食に囚われた二人はぎゃあぎゃあと騒いでいる。喧騒はテレビの音量を上げて遮断された。
 ヒナがハヤトに気を取られている隙に、こそっとした声で麦は竜星に話しかけた。
 
「竜星くん、桜統学園のアカペラのところ、終わったらすぐに飛ばしてもらえる?」
「ん? いいけどぉ……なんで?」
「ステージの裏で、ヒナくんが泣いてるのが……映っちゃってるんだ」
「……あぁ」
「一瞬なんだけど……ヒナくんは、たぶん嫌だろうから」
「そぉやな」
 
 案じる二人の背後から、
 
「あーっ! 玉子はおれが食う! ハヤトにはサーモンやるから、玉子は絶対におれ!」
「お前、玉子はさっき食ったろ!」
「美味かったから、もう一個ほしい!」

 取り合いの声に、竜星と麦は目を合わせて、しばらく黙った。
 
「あれ見てると、なんかもぉどうでもいい気がしてくるわ……」
「……ヒナくん、元気そうでよかった……よね?」

 苦笑する麦に、溜息を返しながらも竜星は頷いた。
 
「まぁ、気にせず前向きなのがヒナのいいとこやわ——」
 
 
 食事が進み、テレビで桜統学園のアカペラも終えたころ、おにぎりの並んだプレートが追加された。想定よりも消費され、『量が足りなかっただろうか』との配慮で出されたのだと思われる。
 ちゃっかりイクラの乗ったおにぎりを得たヒナは、もぐもぐとして頬を膨らませている。
 プレートを運んできた使用人と何か話をしていたサクラが、席へと戻った。
 
「……サクラ先生、どうかしました?」
 
 尋ねるヒナに、サクラは目を向ける。わずかに間をもってから……静かに答えた。
 
「大したことではないよ」
「……『奥様』って聞こえたんですけど……」
「耳がいいね?」

 耳ざとく聞いていたヒナは、ごまかすように笑った。
 
「聞いちゃダメな話でした?」
「……いいや」

 目を流して否定したサクラは、薄く息を吐いてからヒナへと目を戻し、いつもの微笑みで言葉を継いだ。
 
「私の母がこの屋敷に来ていたようでね。今しがた帰ったらしいが……そのプレートは、差し入れで母が手作りしたものだと……」
「え」
 
 おにぎりを掴むヒナの手が、ぴたりと止まった。
 半分ほど残るそれを握ったまま、凍りつくように停止した。
 奇妙に固まったヒナの頬に気づいて、サクラは困惑を見せた。
 
「……それほど驚くことかな?」
「あっ……いや、なんか……意外で?」
「………………」
「サクラ先生って『先生』だから? 親御さんがいるイメージなくって……びっくりしちゃいましたっ」
 
 あはは。笑い声をこぼして首を傾けるヒナの様子を、サクラは考えるように眺めていた。
 サクラの視線から逃げるように、ヒナはテレビに向いていたハヤトの肩をたたく。
 
「ハヤトっ」
「あ?」
「お腹いっぱいになっちゃったから……これ、おれのも食べといて」
 
 自然な動作で、ヒナはハヤトの手におにぎりを渡した。
 とっさに受け取ってしまったハヤトが、
 
「はっ? お前が口つけたのを俺が食うのかっ?」
「大丈夫。おれ元気だし、風邪菌とか無い無い」
「そういう問題じゃっ……」
 
 変なことを気にして動揺するハヤトを残し、ヒナは立ち上がった。
 
「ついでに手ぇ洗ってきます! 海苔でベタベタなので!」
 
 明るい宣言で部屋を出ると、ヒナは早足でトイレに向かっていった。
 綺麗に掃除の行き届いたトイレにもり、喉に指を突っ込んで——
 
 吐き出した物の中には、魚の身や好物の卵焼きも混じっていた。ドロドロとした吐瀉物としゃぶつから目につく、ご馳走の残骸ざんがいを見つめながら……嗚咽おえつを小さくこぼす。
 
(サクラ先生の、お母さん……の、手作り。……食べちゃった……)
 
 にじむ視界から、汚物は自動で流されて消えていった。
 唇を手の甲でこすって、それでも足りずに手洗い場で口をゆすぐ。
 洗浄された口腔こうくうを確かめ、やっと気持ちが落ち着いてトイレを後にすると、
 
「——体調がすぐれないのかな?」
 
 和室から廊下に出ていたサクラが、待っていた。
 
「……えっ? なんの話ですか?」
 
 にこっと。笑って駆け寄るヒナは、いつもの笑顔を返してサクラを見上げる。
 手洗いにしては時間が掛かったかも知れない。でも、異常と断言できるほどではない。サクラに確信はないと踏んでいる。
 とぼけるヒナにサクラは黙っていたが、最終的には諦めるように吐息を落とした。
 
「……君は時折、私に隠し事をするね?」
「えぇっ? そんなことないですよ? ……あっ、でも、先生に内緒にしたいことのひとつやふたつ……ぼくたち、みんなあるのかも?」
「そうか……私に話せないなら、誰か身近な友人にでも相談するようにね」

 悩みがある前提のようなサクラの話しぶりに、ヒナは明朗な笑い声で否定した。
 
「相談することなんてないですよ」
「………………」
 
 廊下に面した窓の外は、夜闇が広がっている。
 明るい照明を受けて鏡と化した大きな窓に、ヒナの笑顔は白々しく映っていたが……
 サクラは、何も言わなかった。
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